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3 鼓動

 バイクはそれだけだと只の金属のオブジェだ。
 それだけでも美しいが、それだけの事で銅器の置物などと大差は無い。
 これを書いている今も窓の外は一面の銀世界で雪が時々横殴りに降りつけている。こんな時も地図を眺めたりバイク雑誌のグラビアを眺めたり、バイクの出て来る小説や映画を見たり、またはストーブの前でぼーっとしながらでもライディングの事を想う事が出来る。
 その金属の置物が何故にこれほど心を奪うかはバイクが只の置物で無く、ライダーが運転して操る事ができる乗り物である事に起因している面が大きい。
 乗り物と云えば車や船、列車、飛行機もそうだが、自分で操る事が出来るという面では車とバイクが双璧であろう。
 この両者は同じ道路を走るように設計されていながら、両極端の性格を持っている。
 車は箱の中に乗って運転するが、バイクの運転は体を曝け出し全身に風を受ける事になる。
 コーナリングの時はバイクは曲がりたい方に車体を傾けて曲がるが、車は曲がりたい方にハンドルを切るだけだ、車体は曲がりたい方の反対側へロールする。どうもこの辺りが不自然なのだ。
 バイクの方が体の動きとマッチするし自然である。曲がりたい方向の反対側へ体を傾けて曲がるなんて事はどんな動物の動きでも見た事が無いし多分不可能だろう。
 バイクの動きをさらに完璧にするには、加速の時にフロントを下げて、減速、制動の時にリアを下げる事だが今のところそのようなシステムは普及していない。(有るには有るらしいが・・・)
 例えば動物の走る姿を見ると、曲がりたい方に体を傾けて曲がり、頭を下げてダッシュし、前足をつっぱってお尻を下げて停まる。そんな動きをするバイクが普及すれば面白いかも知れない。

 バイクを駆るには乗車前から一連の儀式のような準備が必要だ。
 まず、それなりのウェアが必要だ。
 季節に応じたアンダーウェアにジーンズ。愛用の革ジャンをしっかり決め込む。
 旅の荷物を持ってバイクの待つガレージに2階の自室から降りていく。
 玄関を出て家の前庭を横切り、庭の隅にあるガレージの鍵を開く。ドアを開けると薄暗いガレージに明るい日差しが差し込む。
 バイクはスタンドに自重を預けいつものように左に傾いで静かに佇んでいる。
 ハンドルロックを解除しバイクに跨りバックでバイクをガレージから外に出す。
 光の中に出された車体はキラキラと輝きだす。
 ガレージからバイクを出したところで向きを反転させる。荷物を積む前にやっておく。
 そして旅の荷物を装備するのだ。

 サドルバッグに生活の道具を押し込む。着替えや洗面具、雨具やロック、地図と双眼鏡、カメラもいつもの装備だ。
 左右の重さに大差が出ないように使い易く積み込むには少し慣れが必要かも知れない。
 サドルバッグに荷物を収めたら、次はシートに大型の荷物を装着する。
 テント、シュラフ、クッションだ。基本的にはまずテントをシシーバーに押し当てその前にシュラフを置く、ロールになったクッションをその上に置いてそれらをゴムのストレッチロープでリアシートに固定する。振動が激しいのでしっかり固定する事が肝心だ。上手く固定できるとシュラフがライディングの際に背もたれになって楽だ。
 テントは使わない事もあるが、宿が取れない事も有るので保険と思って随時携行している。
 基本的にと云ったのは、場合によってはシュラフ、又はクッションをハンドルに固定する場合もあるからだ。そのときの気分や夏場でジャンパーを脱いだときにはそうゆうパターンになる事も有る。
 ハンドルにまで荷物を固定すると、何かロングツーリングライダーになったような気に為ってウレシイ。

 バイクに装備を固定したら次は人間の方の準備だ。
 愛用のブーツに履き替え、ヘルメットを被りグローブを着ける。
 ブーツ、ヘルメット、グローブは季節、天候などを考慮して幾つかの愛用品の中から選び着用するが、気分を優先してしまい寒い思いをしたり、その反対もある。冷静に環境を判断する必要がある。

 いよいよバイクに跨りエンジンを始動する。
 教習所で習った方法とは若干違うかもしれないが自分には自分の手順がある。
 バイクに跨る前にメインキーをオンにする。キーはすぐに外しジーンズのベルトループに戻す。それからバイクに跨る。
 スタンドを掛けたままでエンリッチナーノブを一杯に引く。一般車のチョークにあたる作業だ。
 エンジンが冷え切っている時はエンリッチナーを使わないと始動しないのが愛機の普通の状態だ。
 さらにスロットルを2回煽る。生ガスが吹き込まれる。セルボタンを押しスターターを廻すが真夏で無ければこれだけでエンジンが掛かる事は珍しい。
 スロットルを2,3回煽り又セルを廻す。気候にもよるがこれを何度か繰り返すとエンジンに火が入り辺りの静けさは爆音に塗り込められる。
 それにつられて隣の家の犬がブロック塀越しにけたたましく吠え出す。
 眠っていた鉄のオブジェが生き物に変身する瞬間だ。
 愛機は体を小刻みに揺すって急かす。
 スタンドに預けていた車体を真っ直ぐに起こしスタンドを払う。
 両足を付いたままポジションを決めクラッチレバーを握る。
 左足でギアをローに蹴り込む。決してそーっとシフトしてはいけない。文字通り蹴り込むのだ。暖機運転はしない。
 スロットルを少し開きクラッチレバーをゆっくり離す。
 エンジンのパワーが沢山のギアやチェーンを介してタイヤに繋がりタイヤが地面を蹴って重い車体を前に押しやる。
 エンリッチナーでアイドリングが高くなっている上に、ガレージから道路まではクランクがある。おまけに砂利路なので半クラッチでゆっくりと移動する。
 道路に出る前に一旦停止し狂ったように吠え続けている隣の犬に空ぶかしを2,3回くれてやる。
 スロットルを開きクラッチを繋ぎ出動だ。
 早め早めにギアを上げ2,3分走ってからエンリッチナーを半分戻す。
 さらに2,3分走りエンジンヘッドが暖まった頃にエンリッチナーノブを完全に押し込む。
 ようやく本来のアイドリングになる。
 愛機はここからが楽しい。低速トルクの大きな愛機は低い回転で高め高めのギアに繋ぎ、ドコドコ感を楽しむのが良いのだ。

 信号待ちで停車する。
 スロットルを戻した状態ではやや不規則な三拍子を刻むのが愛機の特徴だ。
 日本にはこの三拍子好きのために、標準よりさらにアイドリングを下げて綺麗な三拍子を出すキットを発売しているところさえ有る。余りに低いアイドリングはピストンを踊らせる可能性があるので個人的にはお勧めできないが、巧くチューニングされたそれの三拍子は確かに好いものだ。
 信号が青に変わりギアを1速に蹴り込み加速する。
 スロットルグリップを絞り込むとキャブが大きく空気を吸い込み、ガスと共にシリンダーに送り込まれる。
 圧縮された混合ガスは一番小さくなった時にプラグの火花で着火されシリンダーの中で爆発し、猛烈な勢いでピストンを押す。
 ピストンはクランクを押してクランク軸を廻す、幾つものギアやチェーンを介して爆発のパワーはタイヤに伝わり大地を蹴りつける。
 爆発して燃え尽きたガスはピストンに押し出されマフラーから爆音と共に吐き出される。
 この一連の行程を繰り返しバイクは序々に加速する。
 特に低回転高トルク型のVツインは一発の爆発が大地を蹴る感じが体とハートに伝わって来て心地よい。
 トルクのピークまでスロットルを開き、再びクラッチを握りセカンドにシフトする。
 背中を押され、ハンドルバーが先へと飛び出す。
 サードにシフトする。
 景色が後ろへ後ろへと引っぺがされる。体が風を押し分ける。
 フォースにシフトする。
 視界が狭くなりセンターラインが手繰り寄せられる。
 トップにシフトする。
 ハートがビートして、風がスイングする。

 センターラインが大蛇のように首を振る。
 続くセンターラインの先を見据える。
 ブラインドの先のセンターラインを見据える。
 見えるはずの無いセンターラインを見据える。
 あらゆる神経を研ぎ澄まして、見えないセンターラインを観る。
 ガードレールを観る。カーブミラーを見る。タイヤ痕を観る。対向車を観る。
 一瞬の間に全てを判断し、適正なコーナーの侵入速度を割り出す。
 見えないセンターラインをはみ出さないように適正な速度までギアダウンする。
 瞬間バイクのバランスを意識的に崩してやってから、コーナー側へ車体をバンクさせる。
 スロットルでバンクと速度のバランスを取りながら頭の中で描いたラインをトレースする。
 スロットルを開いて加速し、シフトアップする。
 前輪の感性がハンドルを介して腕に伝わり、後輪の感性はステップを介して足に伝わる。
 エンジン回転はスロットルグリップを介して右手に伝わり、やがてバイクと体の境界線が怪しくなる。いや、一体化していく。
 バイクとライダーは意思と動きを共有し、ひとつひとつのコーナーを征服していくのだ。
 また、あるときは征服ではなくエンジョイしている時もある。
 そんな時のライダーとバイクは人間と鉄のオブジェでは無く、全く意思を共有するひとつの生き物なのだ。
 

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