1 局部写真
世界の何処かの国では、名詞に男性名詞と女性名詞が有ると聞いた。
日本語で例えるなら、「飴」が女性名詞なら「飴さん」で、「机」が男性名詞なら「机くん」とでもなるのだろうか?
実際には性別の無い物を、そのように分ける時には何を根拠に分けるのか?誰がそれを決めるのか?大変疑問である。
何となく「花」は女っぽいかなぁ?とか、「拳銃」は男っぽいかなぁ?とは思う。大多数の人がその物について同じような印象を抱くものを決めるのは難しくないだろうが、例えば「ギター」はどうだろう。
かなり意見が分かれるのでは無いだろうか?
女のようでもあり、男のようでもある。演奏する曲によって印象が変わってしまうかも知れない。男性の奏者は恋人のように愛しむだろうし、女性の奏者だってやはり恋人のように片時も離れがたいかもしれない。
だとすると「ギター」は、見る者の主観によってどちらの性にも成り得るのではないだろうか?
バイクはどうなるのだろうか?と思う。
タンクからシート、テールへと流れるラインは美しい女性を想わせる。そうで無いバイクはあまり良いバイクでは無いと思う。
カスタムしたハーレーを見て「アリさんみたい!」と云った方が居たが、あながち間違いでも無いと思った。甲殻類特有の艶を含めて、結構いい感じで表現していると言える。
しかし、バイクは美しい流れるようなラインばかりで成り立っている訳ではない。
エンジン廻りはなんとも表現し難い複雑な形状をしている。
無機質で冷たく、硬くて小さな一見意味の無い細かなパーツが集まって確固とした形状を成している。
その全体を見るか?部分を見るか?で印象は大きく変わるだろうが何れにしても、よく出来たエンジンは美しいと思う。
好みで言えば、英国の旧車や、古いハーレー。国産ではメグロや初期のカワサキのエンジンは美しいと思う。
空冷エンジンのシングルかツインが特にセクシーだと思う。
ばらしたシリンダーを真上から見ると、少し歪んだ円形をしている場合が多い。
この歪みがまた何とも微妙でセクシーなのだ。
最近のコンピューター設計とかのエンジンは何か心と共鳴する物を感じない。
コンピューター設計といっても設計から実際に形になるまでの間には当然人間の手が入るはずだし、昔は紙にペンで書いていた設計図がコンピューターの画面上で処理されるくらいの違いだとは思うのだが、出来上がってくるエンジンから人間味が感じられないのだ。
そう言えば、ファミリーレストランは嫌いだ。
食事は個人のオヤジ(おかみさんでも良いが)がやっている店にしか入ろうとは思わない。
カウンター越しに厨房が見えて、オヤジと一言二言話が出来るような店がいい。
ファミレスのピラフも、街の食堂のチャーハンも結果的には同じような物なのだが、実際の味はさておきマニュアル通りのピラフには個性が感じられないのだ。
いや、個性という表現は少し違うかもしれない。作った奴の思い込みとか、思想とか何かそんな感じのものだ。
こんな例えでは当然異論反論も有るだろうが、最近のエンジンはなにかファミレス風味を感じてしまう。
昔のエンジンだって詳細な設計図に基づきマニュアルに従って大量生産されていたに違いない。しかし、そこには食堂の頑固親父みたいな設計者の顔が見えるような気がするのだ。
話がとんでもない方向に行ってしまったが、バイクのボディーラインに対してエンジン廻りは男性的な印象を受ける。
バイクはそのボディー全体の中に雄雌を合わせ持っているのだ。
友達からバイクのポートレートを貰った事がある。
白木の木枠に入ったモノクロの写真にはエンジンヘッドにも空冷フィンの付いた国産V型エンジンが大写しになっている。車体の右側斜め前方からV型エンジンだけを写そうとしたのだろうその写真は、もう15年近く部屋の入り口の横の壁が定位置になっている。
こんな写し方をした写真はある意味グロである。
人物写真に例えるならヌード写真であり、それも大衆向け雑誌や、写真集のグラビアのような甘い物では無い。
いかがわしい通販や、夜しか営業していない怪しい店で密かに売られている秘密の本の大股開きページのようなものである。これでもかーってな感じだが、幸いモノクロでプリントされていたおかげで見ようによっては芸術写真の仲間として見られない事も無い。
秘密の本の例のページもモノクロなら芸術っぽく感じられるかも知れないのと同じようなものだ。
とても女性が撮った写真とは思えないが、指摘すると北陸某所の自動車博物館に展示してあったその被写体は両側にもバイクが並べられていたため、ああゆう風に写すしか無かったとの事だった。しかし、そこでシャッターを押せるあたり今は子持ちの彼女も若かったのだろう。