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7 桜下の宿

 4月5日(月)晴れ

 その朝は家内がベッドルームのドレッサーに向かい出勤前のパタパタ、カチャカチャやる音で目が覚めた。
 以前は旅立ちの朝は随分早くから目が覚めたような記憶があるけど、最近はなかなか起きられない事がある。旅に対する慣れなのか、単にその時の体調の問題なのかは判らない。早起きしてしまったり、前の晩に眠れなかったりって事もあるのだ。
 今回は起きられなかった。
 家内がドレッサーに向かっているって事は経験的に考えて9時過ぎくらいの時間帯だろうな。とかと、まだベッドの中で考えてみる。それからゆっくり体のあちこちの関節を伸ばしてみる。伸びをするってやつだ。
 その気配に気付いた家内が顔をドレッサーに向けたまま声を掛ける。
 「パパ、おはよ!イイ天気だよ!」
 ゆっくり寝ていた俺にツーリング日和である事を伝えるシンプルな言い方だ。
 「おはよ!」とだけ返事をする。
 この日天気が良ければ旅立つ事は以前から予定し、家内には報告してあった。天候の変化や気分で変更できるように幾つかのルートは考えてあったが、理想的には京都方面へ向かいたいと思っていた。
 この時期になると、朝のニュース番組で決まって「京都の花見スポット」とかと銘打った特集があったりして、そそられていたのだ。
 そそられてはいたけど実際に京都に向かうかとなると、京都の桜の開花時期と他の地方の気になる桜の開花時期と自分の休日のタイミングの問題があって判断の難しいところだ。
 桜の開花時期や紅葉の時期はいつも思うのだが、見たい景色がアチコチに在ってイイ時期は短いのに体はひとつ。何処を選ぶかの選択が難しい。

 京都も街中の桜の開花具合は暫らく前にテレビで放映していたので、もう満開を見るには遅いかも知れないとも思ったが、ちょっと外れの大原辺りなら標高も少し高いだろうし、その分街中よりは開花も遅いだろうから今頃が満開ではないだろうか?という身勝手な予想(期待)と大原なら京都と言えど街中ほど混雑はしなくてツーリングで行くにも走り良いだろうというこれもまた身勝手な思い込みで今回は京都へと決めていたようなものだった。
 京都大原と言えば俺達の世代では三千院だろう。なんといってもあの曲の印象が強い。
♪京都ぉ〜おおはら、さんぜんいん。恋ぃ〜に疲れたおぉんながぁ〜ひとりぃ〜♪って有名なあの曲だ。
 大原は以前にも走った事があったけど、京都の町の通過に時間がかかり夕方の薄暗い時間になってしまって何処も寄らずに走り過ぎた記憶がある。
 コンビニでカップヌードルの晩飯を掻き込んで正に通過しただけで、ほとんど行った事が無いのに近いような経験のしかただが、薄暗い中でも京都っていうだけで、山も川も何か上品に感じたような記憶はある。
 
 旅の準備に時間はかからない。いつでも思い付いたらすぐ出発出来るように普段から準備してある。
 準備してあるとは云っても大振りなトートバッグひとつだけだが、一泊のツーリングならそれで充分だ。
 下着とシャツ等の着替えと替えのソックス、タオルに洗面道具、ポケットボトルのウイスキーなんかが入っている。
 そのバッグに普段車に積んで持ち歩いているメディスンバッグを放り込めば旅セットは完成だ。
 雨具やらコンロやら鍋やらは普段からバイクのサドルバッグに積んでいるので準備の必要は無い。
 サドルバッグの両側に振り分けられている普段の荷物をサドルバッグの片方に押しこみ、空いた片方にそのトートバッグを押し込む。タンデムシートにテント、シュラフ、クッションシートを括り付ければ出発準備完了だ。
 ある意味問題なのは装備より服装の方だ。
 季節の変わり目の時期や、高度の高い所をコースに含む場合、一日の内で20℃以上の気温変化を体感する事も珍しく無い。日中や低地を走る時の気温が高くてもそれに合わせて服装を決める訳にはいかない。最低気温に耐えられる服装にしておいて、暑ければジャンパーの前ファスナーを開いて調整するくらいの気持ちでいる方が対応が早い。
 
 その朝の服装は防寒つなぎに厚手のフリース、そして革の上下というこの時期にしては最大限の防寒装備にした。花見をするような時期は朝晩相当冷え込むのは経験的に充分承知していた。
 地元の天気予報では5日の最高気温は18℃位だと伝えていた。京都、滋賀方面も似たようなものだろう、理想的には20℃程はあって欲しいものだが装備さえしっかりしておけば寒いという程では無いはずだ。
 今シーズンからはフリースのネックウォーマーを装備に加えたので襟元の防寒がが以前に比べ格段に向上した。
 出発の支度を済ませ、荷物を持って部屋から階段を降り毎日留守番の親父に声をかける。
 「ちょっと出掛けてくるわ」
 「何処いくんや」と親父。外交辞令的で興味がある訳では無さそうだ。
 「泊まりで京都。花見してくるわ」わざとまるですぐソコのコンビニへでも行くような言い方で言う。
 「おおん、気い付けて」敵もさるモノまるで無関心な感じの返事だ。友達の家に遊びに行く小学生の子供を送り出すような言い方だ。
 ブーツを履いて倉庫へ行き、バイクをバックで引き出す。地面と倉庫との間に段差があってこれが毎回悩みの種だ。庭のスペースで切り返してバイクを反転させる。夏場はもうこれだけで汗ダクになったりする。動き出してしまえば問題無いが大型バイクはこんな事が難点だ。
 荷物の装着は手馴れたものでスグに準備は済む。バイクのハンドルに付けてある腕時計は10時少し前を指している。エンジンを始動し出発だ。
 

 ハーレーは暖気運転をしない。マニュアルにも30秒以上するなと書いてある。空冷エンジンだからオーバーヒートしてエンジンに損害を与える可能性がある。と、わざわざ注意書きしてある。大袈裟な!とも思うが一応注意には従ってエンジンを始動しスグに出発となる。もちろんチョーク(ハーレーではエンリッチナーと言う)は引いたままだ。これがまた面倒な事にそのチョークの戻し方まで手順がウルサイ。周囲温度が10℃以上のとき、と条件を書いた上で15〜30秒の暖気の後チョークをイッパイに引いたままで1分または1km走行し、半分チョークを戻してさらに1分または1km走行してからチョークを完全に押し込め。とある。お察しの通りこのマニュアルには周囲温度が10℃以下の場合と、エンジンが暖まっている場合という項目がちゃんとある。さすが、訴訟の国のバイクのマニュアルだ。
 出発の朝は近所のガソリンスタンドで満タンにして出発したいものだが、エンジンをかけてからエンジンが暖まってアイドリングが安定しない間の距離にガソリンスタンドがあるとエンジン暖気の儀式?を何処からやり直せば良いのか訳が判らなくなって面倒なのでなるべく旅から帰った時に近所のスタンドで満タンにしておくようにしている。
 
 高速道路を移動に使う時は何となく行動パターンが決まっている。
 琵琶湖方面に向かう場合は、地元の富山インターから高速に乗って、一番近い呉羽パーキングに入り小休憩する。
 トイレに行ってから5000円のハイカを買い、自販機で缶コーヒーを買う。停めてあるバイクを眺められる場所に座り缶コーヒーをゆっくり飲んでからが旅本編の始まりとなる。次にバイクを止めるのは琵琶湖までの距離の3分の1くらいの処にある海の見える徳光ハイウェイオアシス。その後は琵琶湖に下りるインターチェンジまで止まる事が無い事が多い。
 今回もそのつもりで琵琶湖北端の木之本インターまで駆り湖西を南下して比叡山を越え京都に入る予定だった。
 
 防寒装備は万全のつもりだったが、流石にこの時期の高速走行は何処からともなく冷たい風が入り込み寒い。それでもいつもの17℃ほど寒く感じないのは新しく装備に加わったネックウォーマーのおかげらしい。襟元から侵入する冷たい風を防ぐだけでこんなにも違う物なのだと感心する。
 袖口ももう少し考えれば更に防寒性は向上するだろう。小さい割に安くは無かったけどなかなか良い買い物だったなぁ!などと思いながら高速を駆る。
 基本的に高速道路の移動は好きでは無い。単調だし、景色が見えないし、トラックなんかが怖いし。料金は二輪割増かと感じる程高いし。
 ましてライダーをからかうように無理な割り込みや、幅寄せをする悪質なドライバーが居たりして楽しい経験の記憶も無い。できれば利用したく無いのだが短い休日で距離を稼ぎたい時は仕方ない。
 ライダーの中にもスピードマニアは居てしょっちゅう高速に乗っては200kmオーバーしたとか250km出したとかと、さも自慢気に話す輩も存在する。一般道でそんな無謀なチャレンジをするよりは少しはマシかも知れないけどできればサーキットででもチャレンジしてもらいたいものだ。そんな類の輩を除いては高速が好きだとかという話は聞かない。信号が無くて運転が楽だとか、老人の飛び出しが無い分安全だとか言う指摘は確かに正しいとは思うが、誰もが距離を稼ぐために利用しているのだろう。
 高速道路は防音のためにやや高い塀で覆われていて景色が悪いのが何よりの難点だ。旅の視界を良くする為に観光バスはハイデッカーなる高床の車体をわざわざ開発したくらいだ。景色ってのは旅にとってそれくらい重要なファクターなのだ。着座位置の低いオートバイの視界の悪さは如何ともし難い。
 それでも延々と高速道路を走行していると、所々で視界の開けた処はある。富山、琵琶湖間の中程を少し過ぎた処、女形谷PAを過ぎると右手に視界が広がる。福井平野を右手に見下ろすロケーションは、少し気持ちをホッとさせる。のどかな田園地帯に点在する小さな集落を田舎道が結んでいる、地元と良く似た景色だ。いつ見ても大して変わりが無いその景色だがこの日は少し違っていた。
 その丸岡には田園の中に浮かぶような小高い山の上に建つ古い小さな城があって、毎回高速道路で丸岡を通過する時は視界の隅で探してしまう。信長時代の柴田家ゆかりの城なのだが勝家の勇壮さは微塵も感じる事が出来ないばかりか、「日本むかしばなし」のイラストにもなりそうなイメージでカワイイと感じてしまう城だ。
 視界の右端に見えるいつも見慣れたその城が何かいつもと違って見えてよく見ると、城が建っている小山全体がほんのり白っぽいのだ。満開の桜が城山全体を覆っていてまるで鏡餅の上の橙のように、桜山にお城が載っかっているように見えた。
 高速道路を走行しながらの事なのでほんの暫らくの眺めなのだが、視界から見えなくなった後も、いったい何本の桜を植えるとあんな風に見えるんだろう?とか、柴田の殿様は桜が好きだったんだろうか?とかいろいろ思ったりした。帰り道の寄り道ポイントに二重丸で決定したのは当然だった。

 賤ケ岳SAを越えると高速道路を降りる予定の木之本インターはすぐだ。
 すぐだぞ!とは思っていたのだが気付いた時には木之本インターの降り口を越えていた。高速道路の降り口を見逃して行き過ぎたのは短くは無いライダー人生でも初めての事で幾分かショックを受けた。何でうっかりしてしまったんやろ?しかし、そんな事をうじうじ考えているヒマは無い。当初の旅の行程を考え直さねばならない。とにかく先ずは次のインターで高速道路を降りる事にする。
 長浜インターで高速道路を降りてから進路を反転して木之本へ戻り、当初の予定通り湖西を南下する気にはなれなかった。
 少しでも戻るという行動がどうも許せないのだ。そんな性分で結構損をする事もある。道に迷い、少し戻れば良いと判ってはいても、来た道を戻る事無く元の道に合流する道が無いかとアチコチ走り回って戻る事も出来ない迷路に迷い込む事もしばしばだ。判ってはいる。判ってはいるのだが性分なんだから仕方が無い。
 今回もこのまま湖東を南下して琵琶湖大橋を渡る事にした。湖西のルートと較べてのどか感が今ひとつで湖西線の方が好きなのだが京都からの帰り道に湖西線を選ぶ事もできるのでとにかく京都へと先を急ぐ事にする。そろそろ正午も過ぎてランチの事も頭をかすめる。何処で何を食べるかってのは、たとえそれがコンビニのサンドウィッチだったとしても旅の途中の重要な課題だ。家を出る時から今日のランチは京都で。と思っていた。思っていたより琵琶湖は遠かった。今頃は比叡山に登っているはずの時間だ。
 琵琶湖大橋を渡り切り進路を南にとって比叡山を越え京都に入る予定でいたが、琵琶湖大橋の表示版に直進「京都・大原」の文字が目に入った。そう言えば別に比叡を越えなくても琵琶湖大橋を直進すれば京都北部、大原に辿り付くごく簡単な地図が頭に浮かんだ。時間も押している。近道で行こう。
 実際の道はそんなに単純ではなかったが、標識に従って走るうちに意外と早く大原、それも第一目的地の三千院のすぐ横に出た。後から地図を見て確認したが若狭路を南下していたのだった。

 R367若狭路は別名鯖街道。若狭で獲れた鯖を陸路京都に運んだという古い街道だ。そんな古い街道に共通する事は道幅が狭く曲がりくねっている事だ。三千院へはその路から更に狭い路に折れる。
 参道はだんだん狭くなっていく感じだ。このままバイクを進めて行くと何処かで身動きが取れなくなってしまうような気がして有料駐車場にバイクを入れようとすると管理人のおじいさんが「バイクなら歩行者に気を付けて登って行けば良い。」みたいな事を京言葉でやんわりと言った。お言葉に従ってバイクを進めるとちょっと開けた場所があった。お土産屋があったり、焼き鳥の屋台があったりする場所だけどさすがに京都でアチコチの観光地に見られるようなピンクやブルーのキャピキャピした雰囲気は微塵も無い。そこからは更に参道が狭くなり上り坂になる感じだった。行けるとは思ったが排気音の賑やかな愛車でその参道を観光客を縫って行くには気が引けてバイクを降りて歩く事にした。
 左手に山肌、右下に小さな谷川というその参道は軽四がやっと走れる程の道幅の緩い上り坂だった。谷川の向こう側も小高い丘のようになっていて日中でも薄暗く鬱蒼とした感じだが、陰気ではなく清々とした感じを受けた。左手の山肌に張り付くように所々に土産屋、茶屋がある。漬物を売っていたり民芸品を売っていたりするなかの一軒に「らうめん」の文字が見えた。そう言えばランチが未だだった。 観光地の茶屋の食べ物に味は期待できないが腹は暖まるやろうとその「らうめん」を注文した。ナンだったか野菜を練り込んである緑色の麺のその「らうめん」は予想に反して上品で美味だった。

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 三千院へはすぐに着いた。
 やはり桜には間に合わなかった。門越しに見える桜の木にも花はほとんど残っていなかった。
 少し悩んだが桜の散ってしまった後の三千院にはどうも興味が湧かず、そのまま参道を散策しながら戻ったがこれはある意味失敗だった。三千院には阿弥陀三尊坐像など国宝を含む文化財が数多く有り、この機会に見ておくべきだったと後に後悔する事になった。
 

 大原で桜に間に合わないとなると京都で満開の桜を期待できる場所が思い当たらない。
 桜前線は基本的には北上しているのだから、京都北部の市内よりも少し標高の高い大原で桜が散っていれば京都ではもう桜に逢えないと考えた方がよい。もちろん桜の種類にもよるので絶対という訳では無いがソメイヨシノなどに比べて京都の桜は開花の遅い古来種が多いはずだ。それがもう散っているのだから仕方が無い。
 ここからは桜を求めて北上する事にする。そういえば琵琶湖北部の福井との県境の辺りで地元富山で桜が散った後に未だ八重桜が咲いているのに出会った記憶がある。
 琵琶湖の湖岸を走るR161湖西線は好きなルートだけど今回は鯖街道を北上する。
 ところどころ狭いところは有るものの、旧街道にしては比較的ゆったりした安曇川に沿った川筋の路だ。山間の小さな村落を結んでいるこんなルートはとても気持ちが良い。湖北まで北上して琵琶湖へ出る。
 マキノのコンビニで夕飯の買い出しをしてそろそろ宿探しモード(といってもキャンプ場か公園などの広場だけど)に入る。マップルには近くに幾つものキャンプ場が表示されているけど実際には時期的に営業していない場合が多い。キャンプ場ってのはGWと夏休みしか営業していない所が多いのだ。それでも水とトイレがあれば基本的にはOKなのだが、やはり少しでも環境の良い処を求めるのは人の常である。知内浜キャンプ場、高木浜キャンプ場とキャンプ場を覗きながら進んで行くと、「お花見観光船のりば」の案内看板が目に入る。正に営業中の雰囲気だ。と言う事は近くで桜が咲いているっていう事だ。俄然元気が出て来る。
 マキノの小さな町はあっという間に抜けてしまう。町外れのT字路を左に折れると北上して敦賀に向かう。右に折れると奥琵琶湖パークウェイ。湖岸を走る道だ。湖北の湖岸は山がすぐ岸まで迫っていてアップダウンとコーナーが続く楽しいルートだ。所々景色が開けると琵琶湖、竹生島を見下ろす絶景なのだが道路の管理はあまり良く無いようで通行止めになっている事も多い。
 今回はT字路の入口付近に通行規制の表示は無く奥琵琶湖パークウェイの通り抜けに支障は無いようで迷わず進路を右にとる。
 以前旅の供として使っていた地図、ツーリングマップル98年版にはわざわざココのルートに吹き出しが付けてありコメントに「春の桜がトンネル状に 随道狭く渋滞」とあってとっても気になっていたのだ。今からその桜のトンネルに会えると思うとワクワクしたが、渋滞がどの程度のものなのか心配でもあった。何しろ関西の渋滞とマナーの悪さったら田舎育ちの自分には信じ難いものだったからだ。
 しかしてT字路を右に曲がって走り出すといきなり桜のトンネルは出現した。幸い渋滞も存在しないようだった。まあ平日は問題無いのだろう。
 旅を終えてから調べて分かったのだが、ここ海津大崎の桜は全国桜百選にも選ばれていて、さらに厳選50選にも選ばれていた。加えて桜百選の中の絶賛五選として写真付きで紹介されている記事まである程の名所だったようだ。
 夕暮れ近くの湖岸にぼんやりと続く桜のトンネルは何処か別の世界への入り口のように怪しく美しかった。
 ゆっくり桜の道を流していたい気持ちだったが日没も待ってはくれない。天気予報で翌日も天気が良い事は判っていたし花見は翌日の楽しみにして、何より真っ暗になる前にキャンプサイトを確保しておきたかった。
 マップルでチェックしておいた海津大崎キャンプ場はすぐに見つかった。さすがにこの時期にキャンプする変人は居ないと見えてテントは無かったけど、花見のスポットに絶好なのを利用して入場料を取って場所を提供しているようだった。
 管理人にキャンプできるか確認すると大丈夫だという。 花見の酔客が次々訪れてキャンプどころでは無い心配もあったが、ちょっと奥の方なら心配無いだろうと言うし、21時を過ぎると静かになるとの言葉を信じてこのキャンプ場を今夜の宿とする事にした。

 それにしても信じられない絶景のキャンプ場だ。正に桜の並木の中にキャンプできるのだ。
 夕暮れ近い桜並木のキャンプ場の奥の方、手を広げた満開の下枝が屋根に届きそうな場所にテントを張った。日没の湖面を花見の観光船が音楽を鳴らしながらゆっくりと行った。その船の後を夕闇が追い駆けて来て間も無く辺りは暗くなった。月が明るさを増し花見のボンボリが近くの桜花をぼんやり照らして揺れていた。花見のカップルや酔客の話し声も何処か遠くの音のように聞こえ、暫らく桃源郷を見たような気がした。

 ここの管理人も流石に関西人で抜け目が無い。ちゃっかり管理棟に使っているプレハブでおでんと酒、ビールを売っている。桜の時期に花冷えという言葉がある通りこの時期日没後は俄然冷え込む。おでんは少々高いかなぁ?と思う金額だったが買わない訳には行かない状態だった。
 夜桜の下、熱いおでんでハフハフ言いながらお酒っていう設定は日本人の最高のシアワセの一つと思えたのだ。

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 しかし予想に反して現実はそんなに甘いものでは無かった。
 おでんは急ごしらえだったのか充分に仕上がっていない感じだったし、とにかく寒さが半端じゃ無くてカップラーメンの容器みたいな入れ物の中のおでんはあっと言う間に冷たくなった。
 おでんでお酒をちびりちびりなんて悠長な事は言っていられない。少しでも暖かいうちにと慌てておでんを食べて、それを酒で流しこむってな感じになってしまっていた。
 これは後から気が付いたのだが、持参していた鍋におでんを入れてもらいコンロで暖めながら食べれば全ての問題は解決したのだ。しかし、その時はそんな事すら思い付かない状態だった。とにかく寒かったのだ。この時気温はすでに6℃近くまで下がっていたのだ。
 後から調べて分かったのだが、この日は日本の南岸を低気圧が通過して北風が吹き込み小田原辺りで雪が舞ったという晩だったのだ。
 そんな状態なものだから体を温めるのにウイスキーをガブ呑みした。アルコールで中から体を温める作戦だ。これは結構即効性があった。体が温まったのか、寒いと感じる神経が麻痺したのか、とにかく暫らくすると幾分寒さは和らいで感じた。
 そこで写真を撮ったり、仲間にメールを送ったり、改めて桜を眺めたりして暫らく時間を過ごした。
 花見の客は次々に訪れていた。家から準備して来たお弁当をシートに広げ元気良く始めた花見の宴も見ていると段々口数が少なくなって、そうなるともう暫らくで片付けを始めて帰って行く。そんなグループがほとんどだった。ヒーターの効いた自動車で移動する彼らは全くといっていいほど防寒を考えていないのだから当然だ。結果、21時を前にしてキャンプ場は静かになった。
  そして静かになると淋しくなった。
こんな絶景で感動しているのに、その感動を共に感じ分かち合う相手が無く、景色が良ければイイ分だけ淋しさを加速させた。
 淋しさと満開の桜と孤高の月と客の去った桜並木に揺れるボンボリ。やっぱりひとり旅はイイ!
 持参したウイスキーはみるみる無くなり寒さが沁みてくる。淋しさと酒に充分に酔った。普段は考えられないような早い時間に寝る事にする。
 走行状態のスタイル。革上下のままテントの中に用意しておいた寝袋に潜りこむ。あっと言う間に眠りに落ちる。

 4月6日(火)晴れ

 朝は足先が冷たくて早く目が覚めた。体は防寒アンダーと革上下で守られていたが、まさかブーツのまま眠る訳には行かないので足は普通の靴下一枚だけだった。花冷えの晴れた朝の冷気はそんな油断を見逃さなかった。しかしもう充分明るかった。
 テントを出て朝の活動を開始する。北風と放射冷却で相当冷え込んだようで近くの今津の観測所の最低気温は2.4℃真冬の1月並だった。寒いはずだ。しかし夜と違って太陽が出ていると寒さも幾分凌ぎやすい。そそくさとテントを撤収してキャンプ場を後にする。
 奥琵琶湖パークウェイを駆る。道路の電光掲示板は1℃を表示していた。右手に琵琶湖が見え隠れする高低差のあるワインディングはお気に入りのコースだ。早朝のためかほとんど車が通っていない。延々と続く桜並木のトンネルを一人占めだ。暫らく走って見晴らしの良い場所で振り返ると、道路沿いに続く桜並木が冬色の山肌にピンクの帯を置いたように見えた。
 朝靄の竹生島も美しかった。パークウェイからの眺めを存分に楽しみながらゆっくりと駆った。
 早起きして時間が充分あるので慌てる事は無い。復路のハイライトは丸岡だ。福井に向けてノンビリと北上する。9時を過ぎてようやく気温が10℃を越えた。相当寒く感じる気温のはずだが、さんさんと降り注ぐ春の太陽のおかげでか10℃を暖かく感じて北国街道を駆っていた。

 丸岡は賑わっていた。桜の開花に合わせて「丸岡桜祭り」とやらが開催されていて、お城のふもとの小さな駐車場には何台もの観光バスが停まっていた。当然ながらご老人の団体が闊歩していた。
 ここも桜は満開だった。パーキングにはかわいいデリバリーカーも来ていて「さくらソフト」を売っていた。昼前のこの頃になると走っていないと暑いくらいになっていた。革ジャンパーの前をはだけてソフトを食べた。

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 桜と松と古城。小さな城だが日本最古の木造天守だという。なかなか風情があってよろしいが闊歩する老人の団体が写り込まないように苦心する。やつらはライダーとみると「あのバイクはナナハンか?」とか「何キロ出るんや??」とかウルサイので近付かないよう、近付かれないよう気を使う。
 老人に限った事では無いが、ひとりひとりでは礼儀正しく静かなのに団体になると性質が悪いのだ、そして老人達は群れたがる傾向があるようだ。団体でお越しの彼らはやっぱり「触らぬ神に祟り無し」を決めこんだ方がよさそうだった。

 丸岡で少し休憩した後は少し戻って九頭龍沿いに高山へ抜けるR158を駆る。ひるがの高原にはまだ残雪があった。
 昼は20℃近くまで気温が上昇し朝から15℃以上の気温差の中を駆って来たが、また寒い所を駆る事になる。体は体温の調整が大変なようで寒さを感じると疲れを訴えている。
 暖かい呑み物を与えてなだめてやる。
 清見から高山をワープして古川に抜ける新しい路が開通していたので、そちらを駆る。卯の花街道と名付けられたその路は初夏の頃に駆れば白い可憐な花に出会えるのだろうか?通行量が少なくって気持ち良く走れるコースで愛用になりそうだ。
 古川では必ず道の駅に寄ってコロッケを食べる。暖かい食べ物は体が喜んでいるのが判る。
 旅の終わりが近い。
 あの満開の桜にまた来年も会いに行くと心に決める。
 

                            2005.2/8

 タイトルの通り、少しづつ書き足すつもりです。御用とお急ぎで無い方はそーっと覗いてみてください。進んでいるかも知れません。

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