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| 写真1.屋外展示の高床倉庫と 琉球の古民家(復元新築) |
写真2.リュウキュウアカマツのくり舟(左)とスギの合わせ舟(右) 分銅形接合材(中央)にイヌマキを使用と聞く |
写真3.地機(じばた) シャトル部:リュウキュウマメガキ{琉球黒檀}、その他:リュウキュウアカマツ |
写真4.恐竜ミュージアム2008の見学に訪れた子供たち | |
<日本語情報> 千秋ゼミ(http://www-ice.yamagata-cit.ac.jp/ken/senshu/sitedev/) PICGAMES(http://www.picgames.org/modules/tinyd1/index.php?id=32) <ハードウェア> @ USBマイコン(18F2550)モジュール、秋月電子 A PIC18F-MOD-2553モジュール、Microfan <ソフトウェア> 千秋ゼミではswordfish(http://www.sfcompiler.co.uk/swordfish/、PIC18専用)を進めている。 前に紹介したCCS-C、MicroBASIC又はC、ProtonBASIC、PicBASICproなどでも使えそう。秋月のモジュールを手に入れたので、これからテストしてみたい。

朝5時に出発、福知山ICから鳥取まで9号線をひた走る。途中「木の殿堂」の看板を確認して脇道にそれ、昼食がてらに兵庫の屋根「氷ノ山・鉢伏山」のほうに8qばかり山道を車でのぼる。道の脇には「クマ出没中」という看板もあり、この道山道を知る人ぞ来るといった感じ。水と森と木づくり(林内に設けられた直線で高床の立派な廊下からパノラマ的に見学できる:写真)から日曜工作(一般開放の工作室がある)、住宅造りまでを一貫して実感体験できる施設である。ただし、住宅作りは、「世界の家」と「世界の大工道具」展示のみで、庭造りのみが1qほど奥にある瀞川平植物園の入り口にもなっているビジターハウスで教えてもらえそう。
植物園は入場料500円で里山〜亜高山帯手前にかけての環境に立地する植物園(自生?のクリ、ブナ、タムシバなどをうまく利用)で、園再奥にある「千年桂」の巨木の根元をくぐる名水がおいしい。おいしいといえば、ビジターハウスのレストランのランチもなかなかおいしかった。以前来たときは「千年珈琲」の看板があったような気がして、食後にコーヒーもいただきました。美味でした。
9号線にもどり鳥取市に入って、砂丘道路方面に右折、そこからたぶん5、6q、海沿いの直線的な道を走って緩い左カーブでやや上り坂を登り切った付近右手に大きな駐車場があった。道や駐車場からは、砂丘の全容は見えない。車を降りて右手の木製の階段を2、30段上ったところで、しばしの間別世界。実際に行き帰り歩いてみると、途方に暮れるほどスケールは大きくはなく、歩くのにてごろといったところか。雨上がりで、表層の砂は乾いていた。ここで見たものは、馬がひく乗合車、人を載せた駱駝、パラグライダーに乗って8の字を空に描く人、素足で歩く人々、海を見ながら腰を下ろす人、橇で砂丘を下る子供、波打ちぎわで一発大波に遭ってズボンを濡らした人、私は走って逃げ切ったけど。
鳥取駅前の宿から、9号線をそれて西南西方向にまっすぐ約1時間半で、山道の峠を越え裏側からアクセスした。奥の駐車場の手前に遙拝所があった。標高470mの高さにある投入堂が、うんと見上げる岩棚の下にちょこんとまさに投げ入れられた感じに見えた。靴裏の滑り止めパターンを2度も確認され登山経験を聞かれ、タスキと小さなクマ鈴をつけて、木戸をくぐって、道のり700m、標高差300m、道はうんと険しくて命の危険を感じる寸前でおもしろかった。大岩の上と岩棚の下にいくつかのお堂と鐘楼があり、空、土、岩、森に向かって祈りを捧げる道であった。ここで見たものは、イヌシデ、ヒノキアスナロ、スギ、ブナの大木と、ヤマグルマの花盛り、ナナカマドとシャクナゲの実、蜂の巣、クリの基礎束組、戸板の又釘からの鉄汚染、岩棚からしたたり落ちる水しぶき、発掘中の作業、おいしいドクダミ茶、気さくに話してくれる住職でした。入山時刻と下山時刻を分単位で記入させられた。密教系だが何となくそれぞれに我が道を行くインド的かつ庶民的な感じがした。観光地としても、宗教組織としても、建築としても、ひと味違うかな。
三朝温泉(みささおんせん)まで下りそこから北上して倉吉から9号線に再び戻り、パワーフィールド(風力発電地)の風車のペラをくぐるようにして西に向かう。出雲大社に行く予定が、あまりに大山(だいせん)がくっきり見えたので、今日がチャンスかなと、途中から左に折れて県道に入り溶岩裾野をさかのぼって登山口の大川寺に向かう。登山口の100mほど上手の駐車場で車を止め、午後1時に登山道に入る。駐車場には自販機もなくお茶の買い込みタイミングを外したことを悟る。途中でおばさんに恵んでもらう。代金はついぞ受け取られなかった。ひたすら上り、8合目からは木道をガス混じりの風に時折ふき落とされそうになりなりながら登ること2時間20分、山頂で10分休憩して、下りは1時間30分。下りの8合目から6合目までは足がガクガクで、下る人も少なくやや不安を覚えた。1日のうちに2つの山登りはやはり酷だったか、足が悲鳴を上げている。皆生温泉で、早速温泉治療だ。Mitac Mio 168RS は、めずらしく寄り道なしに東光園に案内してくれた。
岩塀越しに老松を見ながら広い露天風呂につかって、温泉治療はうまくいき、足に突っ張り感が少し残るのみ。コンクリート打ちっ放しの有名建築家の設計による造りは、いかつい戦国時代の城を思わせる風貌で、私としては好きにはなれそうになかったが、内部は腰が低くなかなかよかった。温泉治療とエアサロンパス治療は、スプレーしてから痛みが出て相性がよろしくないようで、やめておけばよかった。
皆生温泉から高速を使って約2時間。平成の遷宮を前に8/17まで内宮の特別内覧をしていたようで、真新しいスギ辺材の板塀とシナ合板のスロープがその雰囲気を残していた。写真は、本殿(内宮)を真裏から撮影したもので、大屋根を受けるすぐ下の桁は、繊維の傾いた走行と節付近の感じからマツ材と思われる。伊勢神宮とは、2礼4拍1礼(伊勢式は2礼2拍1礼)、使われている材(白木はヒノキではなくスギ辺材)、大屋根棟木をまたぐ葺き材を押さえている交差材(ただし銅板でクラッド)の切り口(切り口が上向きではなく横向き)、式年遷宮は20年ではなさそうなど、いろいろな点で異なることを知った。いわれているように侵略してきた弥生人(伊勢派)が、縄文人のたたりを封じた大社のようだ。参拝者の数は伊勢の1/10程度かな。ここで見たものは、巨大なしめ縄と房に投げ入れた硬貨、空にたなびく日本国旗、さざれ石(岐阜県産)、植樹されたコウヤマキ、神前結婚式、ケヤキ彫りの因幡の白ウサギ、ムクノキの実。午前11時、大社を離れ帰路につく。帰りも雨に遭う、目的地では全て、なんとか遭わずにすんだ。
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