シャルル・メシエ 1730年6月26日フランス生まれ
21歳の時、フランス海軍天文台のニコラ・デリールの助手になる。
最初の仕事はデリールの趣味であった北京城壁のコピーや
観測記録の保存が主であったが、デリールに天文学の基礎を教えられ、
僧院の屋根裏で天体観測を行うようになりました。
これがメシエの天文家としてのスタートとなり、
メシエが最も興味を持った天体観測は彗星探しでした。
彗星を発見すれば自分の名前がその彗星に付けられ、
一躍有名になることができるのです。
こうしてメシエは彗星探しに没頭するようになって行き、
1759年1月21日、メシエはハレー彗星の回帰を捕らえることに成功しました。
1760年デリールの退官により天文台の設備の全てはメシエに任される事になり、
メシエはその後も彗星探索に注力し、
彗星探索を行う際彗星と紛らわしい天体(星雲、星団)が多い事に閉口したメシエは
1764年にM1からM40までの天体リストを完成させました。
1771年にメシエ天体カタログ第1巻(M1からM45)
1781年(M46からM68)1784年(M69からM103)を発表し、
1817年4月享年87歳で生涯を終えました。