踊りで埋まらなくなった八尾・・

  過去の文献を紐解けば、「町中の総練りこそおわら」とある。そんな時代では踊り
で埋め尽くされ見ている人のほうが少なかった時代もあったのかもしれない。

 観光客が押し寄せ、お年寄りは本番中も家に閉じこもるようになったのではなかろう
か。
 家人は若手を送り出し、屋内から外の雑踏から時折、漏れ聞こえるおわらの旋律や踊
りを雁木越しに楽しみ、時折、自宅前に出ては様子を伺う・・・そんな寂しそうな光景
を何度も見たのである。

テレビPR番組は『いいとこ撮り』・・・・

  カメラは実に余分なものをカットして、綺麗なそして正に、いいところ・だけを伝
えてくる。
 画面に映らないすぐ横は、人ごみでザワツキまっすぐ歩けないような場面でも、撮影
時は観客を排除し一瞬を写すだけだから、別の意味での真実は伝わっていない。

 特におわら風の盆を題材とした『ドラマ』はあまりにも本来のものと違いすぎること
が多い。
 雨を背景に、街流しをしてみたり、地方衆が酔っ払っていたり・・・まぁ、ドラマ(
作り物)ですから、と言ってしまえば、それまでだが・・・。

おわら観光は団体旅行に向いていない・

  旅行の楽しみは何だろうか。気の会う仲間・友達とグループでその地の名所を見て
名物を食し、温泉につかり、ワイワイ騒いで、ストレスを発散し、お土産を買い、楽し
かった、疲れた、と言って帰宅する。

 おわら風の盆、はどうだろう。無形の文化財であり、騒ぎはご法度、雨天中止、温泉
なし、宿泊不可、大した名物も無く、お土産も・・。仲間と来て楽しめるのだろうか。
そうは思えないのである。
 昨年、ある観光客はお土産店で『ここの○○○人形は最低』と吐露していった。

 団体では、静かなおわらの世界を理解するには、むずかしかろう。

一人旅ならオワラは最高!

  つまり、お連れさんがせっかくのオワラをダメにするのである。人は連れがいれば
おしゃべりが出る。
 たとえ無口な連れでも、無言を通すのは難しい。決して無言を通せとは言わないまで
も、節操がない。
 常識に欠けるような、大声を出す人があまりにも多いのである。
 こればかりは、現場を体験しなければ理解できないかもしれないが・・・。

 事実、団体観光客の中には『次は必ず一人旅で来ます』と宣言した方もいる。この方
はチャント良さを理解できた人だろう。おそらく病みつきになって、毎年のように来町
されていることだろう。
 友達と来たら、途中から別れて単独行動をお勧めしたい。待ち合わせの時間と場所だ
けを決めて。

 おわら・は『孤独な一人の自分を見つめ直す最高の芸術』だと思うのだが。

カメラよりビデオ

  踊り子に容赦なくフラッシュの嵐。カメラマンは一晩でどれだけ撮るのだろう。近
年はフラッシュを遠慮願う町内も出てきた。被写体は素人、しかも独身の女性や男性が
ほとんどである。
 踊りも綺麗だが、動きも音も捨てがたいのが、おわらだ。小型の高性能のビデオが普
及し、最近はビデオ撮りする人が増えてきた。たしかにフラッシュの煩わしさが無いの
で、有難いが、モニター画面の明るさが闇夜には、案外目立って気に掛かるのである。

ビデオより録音機・・

  実は誰にも迷惑をかけず、いつでも雰囲気を楽しめる『おわらの音の収録』をお勧
めしたい。
 自宅へ戻り、おわらの期間が終わった夜、寝床に就き、真っ暗な部屋で録って来た
『おわらの音』を聞くのである。すすり泣くような胡弓、三味の音、歌、ぞうりの音、
手拍子、えんなかの水音など、それらはいろんなイメージをわき起こさせてくれる。
写真や動画には無い世界が、目の前に浮かんでくる。
 形は、脳裏に焼きついているはずだから・・・・。