富山県立近代美術館
明確なコンセプトと主張のある美術館。
この美術館が常に美術情報を発信し続けて20年。
とやまの美術界は当然ながら、建築やさまざまな方面に
 大きな影響を与えているように思います。
 
階段からエントランスホールとミュージアムショップを見下ろしたところ。
右手奥が、企画展入り口。手前一階には小ホール
 この階段は中二階の、コーヒーショップや図書室につながります。
 更にその上に、大きな吹き抜けのある常設展示室があります。



 常設展示室、中央の吹き抜けは、
 一階の企画展示室とつながり
 開放的な空間。





シュールレアリズムを中心にした美術館

 富山県近代美術館は、地方では初めて、近代美術、特にシュールレアリズムを系統的に収集・展示して、開館当時、大きな一石を投じた美術館です。

 地方美術館にありがちな郷土作家の作品の寄せ集めとは、全く異なる コンセプトのため、しばらくは大いに批判を浴びたものでした。

 富山県とシュールレアリズムの接点は、富山市出身の詩人・美術批評家で、ミロやダリとの親交も深く、戦後の多くの美術家を育てた滝口修造にあります。氏の作品を核に、20世紀のシュールレアリズム作品を系統的に収蔵し ています。

 常設展示は、近代美術の流れに沿って、 ロートレックからピカソ、ルオー、シャガール、レジェ、ミロ、エルンスト、マグリット、デルボーなどをはじめ、我々と同時代を生きたアクションペインティングのポロック、 ポップアートのウォーホール 環境芸術のシーガルなどへ続く20世紀美術が系統的に味わえます。訪れるたびに、その時々の学芸員の細やかな気遣いを感じ、何かしらの発見があります。

 開館まもない頃、当時の小川館長から、常設展示作品一つ一つについて、お話しをうかがう機会もあり、すっかりファンになってしまいました。近現代の作家の内面の変遷や、作品が五感に訴えかけることを楽しむという鑑賞の姿勢に共感しました。
 この展示の洗練度を経験したことで、それ以前に親しんでいた東京竹橋の国立近代美術館に、うっすらと感じた違和感の理由がとけたようにも思います。それは、国立であるがゆえに、近代の作品を展示せねばならないというくびきだったのでしょう。翻っていえば、富山の近美が受けた誤解や批判は、くびきを投げ捨て、コンセプトを純粋化したために生じたことであり、先覚者が乗りこえねばならない試練だったともいえます。

 ※ 最近、福光美術館長さんから、おうかがいしたとやまの高名な作家が、しがらみに敢然と抵抗し美の世界を貫いたため、中央の美術界から疎まれたという話を聞くと、なにかしら、近美の姿勢に通じるものがあると思います。これは、とやまの気質なのでしょうか。

中二階のコーヒーショップ。
広い芝生広場を見渡しながら、専門店の
コーヒーが飲めます。

企画展中心

 美術館を、企画展のみで運営するのは大変な力業です。ハコ物を作るだけで学芸活動も行わず、貸し館でお茶をにごす地方美術館が少なくありません。
 一つ一つの企画展を成立させるには、企画からはじまり、図録の作成、作者との交渉、作品の所有者との交渉、運搬・展示など気の遠くなるような労力がいると聞きます。この20年間、近美がこのコンセプトを守ったということは素晴らしいことだと思います。
※  今年(2001)だけをとってみても、4月には、モビールで有名なカルダー展を、5月には、公立美術館としては初めて、横尾忠則のグラフィックアートから絵画までほとんど全てのジャンルを網羅した展覧会を成功させています。さしもの広大な企画展示室が横尾作品に埋め尽くされた様は、本当に圧巻でした。


大都市圏と地方都市の差は

 大都市圏は人集めに事欠きません。例えば、ルノアールやゴッホをはじめとする印象派の作品展なら、動物園のパンダ並の長蛇の列となります。一方、富山でシュールレアリズムを中心とした展覧会をやろうというのですから、素晴らしい作品展をしていても、マスコミに取り上げられることも少なく、静かにゆったりと鑑賞できます。

 それでもさすがにこの20年の歴史のおかげでしょうか、最近は、鑑賞者が増えているように感じます。近美の空間を愛し支える方が一人でも多くなるのはうれしいことです。


富山近美の20年の成果は?
 開館後、20年たち、近美の投じた一石の波紋は、大きく深く広がっている ように思います。 県内には、 となみ野美術館、福光美術館、高岡市美術館、下山芸術の森 発電所美術館、県水墨美術館など、次々にそれぞれの主張ある美術館ができました。また、県展などの作品の質の高さ、現代的センスを持つ作家が多く、身近に鑑賞できるのは楽しいことです。



 大きな吹き抜けのある企画展示室。
 中央の床は円形に昇降し、
 美術作品に囲まれた小コンサートを
 楽しむこともできます。 
企画展
 2001.7.19〜9.24  瀧口修造の造形的実験

 高く広い会場に、瀧口修造のデッサン、デカルコマニーなどさまざまな造形作品が展示されています。これまで部分的にしかふれることができなかった瀧口修造の世界が広がっています。
 この企画展を開くために、担当者は10年の歳月をかけたといいます。分厚い図録一つとってみても大変な力業を感じます。

 ネットワーク展として、2つの展覧会が県内で開催されます。

 富山県民会館美術館では、
「瀧口修造 ー夢の漂流物ー」という、瀧口修造が身の回りに置いて愛していた美術作品展が開かれました。(2001.7.5〜7.25)  ミロやデュシャンなど多くの作家から贈られた膨大な作品群でした。

 瀧口修造は、東京西落合のご自宅の書斎に、これらの高価な作品をいとも無造作に置き、かざり、常にいとおしんだと言います。そうしたさまを想像するにつけ、美術館長の職を最後まで拒み続けたわけも納得できるように思いました。
 
 入善町下山(にざやま)芸術の森 発電所美術館では、
「瀧口修造の眼 戦後の作家たち」と題して、瀧口修造に見いだされた作家達の作品が展示されます。(2001.7.15〜9.16)

 また、関連する講演会として、
 詩人で美術批評家の大岡信さんの講演「私の知っていた瀧口修造さん」が富山県民会館で、(8.3)
 詩人の辻井喬さんの講演「シュルレアリスムの終わり 瀧口さんは孤高の星であったか?」が近美のホールで(9.8)に行われます。

日本唯一、世界規模のポスター公募展を開催

 第6回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2000が、2000年の 8月から10月まで開催されました。 1985年の開始以来、6回目となります。世界53カ国のプロが応募してきた2,600点から、入選した400点のポスターが展示されました。

 1985年の第1回の際には、欧米の作家の斬新なデザインと、うって変わって東欧の作家の陰鬱でシニカルな政治的主張に、驚嘆したものでした。

 前々回、前回に引き続き、東欧の作家の作風の変化を見るのも楽しみです。日本の作家は、商業的な面からも、実験的な面からも実にバラエティに富んでいます。

 次回は2003年開催予定ですので、見逃した方はぜひ訪れてみてください。