中高年テニスに向けて・・・守破離でいこう

 中高年生活に突入する今、生涯いかに楽しくテニスとつきあい続けるか。
 とかく世間が狭くなりがちな生活の充実を図る手だてを考えよう。
 眼目は? やっぱり「守・破・離」かな!

    体力を温存し技術を磨く  守の巻
    新しいテニスに挑戦する  破の巻
    「テニス」にとらわれない  離の巻

体力を温存し技術を磨く
守の巻
 衰えゆく体力をいかに保持するか。ストレッチやマッサージは、おさおさ怠りなく。
ドリンク類や新型ラケットなど、科学の成果にもどんどんたよって、じたばた努めよう。

 怪我の予防
「無理しないこと」


 何といっても怪我はコワイ。特に足や手の故障、腰痛などで、だましだまし運用するのはつらい。
 そこで、予防が大切になる。運動前後に、ストレッチ、マッサージで、手足の関節、筋肉などを十分に伸ばして、酸素を送り込んでやる。次に述べるドリンク剤も、筋肉の疲労快復を速やかに行い怪我予防になる。

 意外な盲点が保温だ。汗をかくのはいいが、そのあと体を冷やしてしまうのがこわい。
 知らず知らずのうちに、筋肉が衰えてくるのだから、テニス以外の積極的なエクササイズも必要だ。
 毎日、これ精進なのである?!

 でも、何といっても、最大の予防は、「無理しない」ことである。
 取れそうもない球を無理して返しても、次に決められるのが落ちである。下手をして足をくじいたりすると半年間おじゃんである。くわばらくわばら。もう若くない。自分の老いを認めて無理しない。
 取れない球を、やられたアッハッハと笑うのも「老人力」の芸のうちなのである。

 最新の怪力乱神科学に
すがろう





 だんだんと体力が落ち、何だか心細くなってくると、ついつい神頼みしたくなるのが人情というものだ。不信心者であれば、怪しげな科学に頼ってみたりする。
 とは言っても、だまされないぞと肩ひじ張るのも窮屈なことだ。
 中高年テニスを支えてくれそうなら、積極的に試してみよう。

 近年の最大のヒットは、アミノ・バイタルだった。確かに飲むと疲労度が少ない。プレイしていても足が重くならないし、攣らない。翌日、筋肉痛にも悩まされることがすくない。運動に伴う筋肉の断裂を速やかに補修してくれるという。ウソみたいな飲み物で感動した。

 夏場にテレビで紹介されたせいか、店頭から姿を消すほどに売れたが、そこはそれ、インターネットでお取り寄せもでき、便利な世の中を実感したのであった。

 次に愛用しているのはヴァームだ。有森裕子さん以来、多くのマラソン選手も使っている。脂肪をエネルギーに変えてくれる飲み物。試合の時など、昼ご飯の代わりに飲んでおくと、スタミナが切れない。これも魔法の飲み物だ。

 その割には体重が減らないって? う〜ん、ほっといてくれ。

 スポーツをすると大量の酸素を取り込む。そこで活性酸素への対策が必要になる。ビタミンCとEは必須だろう。てっとりばやく摂取するためにタブレットのお世話になっている。

 運動時の水分補給はとても重要だ。真夏の昼間に4時間テニスをするという、何とも酔狂なことをするおかげで、3リットルを飲みほしてプレーしたことがある。こんな時、さすがにアミノバイタルやヴァームを飲み続けるわけにはいかない。そこで、レモネードの登場だ。ビタミンCが強化してあるとなおいい。

 浴びるように飲んで、滝のように汗をかく。実に爽快だ。(どうかしているとの声もある。)

 紫外線対策 あの手この手





 オゾン層の破壊が進む中、テニス族にとって、紫外線対策はなんといっても重要だ。
 まずは、日焼け止めクリームとサングラスは必携品。サングラスも横からの光を防ぐタイプ。キャップももちろん。

 昔だったら、え〜暑そう! と見向きもしなかった黒のシャツも、紫外線防止効果から着てしまう。
 すると、右のような出で立ちになる。う〜ん、やっぱり暑苦しい。

 日焼け止めクリームはべたべたしている。自称、自然派を通してきたこともあって、気が進まない代物だ。しかし、紫外線の恐怖に比べれば仕方ないと、恐る恐るつけてみると、確かに日焼けの火照りから解放されて、とても有り難いものだった。

 しかし、こんなにガードすればするほど、大汗をかけば、日焼け止めクリームはダラダラととれてくる。サングラスの中は蒸せる。
 はたから見れば、「物好きにも、よくぞ、」と言いたくなるのもわかる。

 女性の方は、さすがにもっと徹底していて、長袖、長パン、手袋という方もいらっしゃる。
 つれあいは、サングラスにバンダナを口の周りに巻いて、銀行強盗の手配写真風にまとめていた。これは爆笑ものだった。


 究極の対策1 フルフェイスヘルメットはいかが?


 では、もっと紫外線が強くなったらどうなるのか? 日中どうしても野外スポーツがしたいというワガママな連中は必ずいるのだから、そのために、フルフェイスのヘルメットを開発してほしい。

 たとえば、自転車用のヘルメットって実はとても軽くて涼しい。硬質の発泡スチロール製だから、直射日光の熱を全く通さず、風だけを通してくれる。

 この前面にフルフェイスのバイザーをつければできあがり。体温で暑いなら、小型のファンを仕込んで強制排気という手もある。 そこまでするのって? だってテニス馬鹿は、たくさんいるのだから。


 究極の対策2 屋内コートとナイトゲームの魅力

 夏の屋内コートは穴場である。テニスは野外でという方や、自然派が多いせいだろうか。けっこう空いている。直射日光が無いぶんだけしのぎやすい。それでも汗の量は野外と変わらず尋常ではないが。

 夏のテニスの快楽編は、やっぱりナイトゲームに限る。
 帽子も、サングラスも、日焼け止めもいらない。気温も少々下がり、吹きすぎる風も、日中の熱風と違ってしのぎやすい。

 照明灯に集まる虫など、自分たち同様、夏の夜を楽しむお仲間と思えばかわいいもの。
 バッタさんをラケットで、コート外に退去いただき、顔にぶつかりそうな蛾を指で払って、サーブを打つ。昼間よりも威力が増すから不思議である。(単に、見にくいだけでしょというも声あるが。)


 無理なくパワーを出す



 テニスでは、肘などの関節や小さな筋肉に無理な力を入れて痛める場合がある。
 そこで、サーブやストロークで、大きな筋肉や関節をどのように、無理なく使うかが課題だ。消費エネルギーも多いのでダイエット効果も高い。

 例えば、美しく威力あるサービスを打つ人の動作は、
  ・膝の屈曲・(トスアップ・ラケットアップ)肘の屈曲
  ・前腕の外旋・回外動作
  ・膝関節の伸展・(トスアップした手の引きつけ)
  ・体幹のひねり・前腕の外旋
  ・体幹のもどし・肘の伸展・前腕の内旋・回内動作

 など、膝、体幹、上肢の順に、大きな筋肉の力を生かして、次々に伸展しながら、ラケットを加速していく。

 また、スピン系のストロークでも、
  ・左足の踏み込み・体幹のひねり・(ラケットダウン)
  ・体幹のもどし・肩の回転・前腕の回内動作
 など、ラケットを加速していく。

 大きな筋肉の中でも、体幹は安定したパワーを持っているし、回内運動は威力ある球を打つためには必須だが、分かっちゃいるのに、できないのが中年スターターの悲しさだ。
 まっ、いいさ、のんびり行こう。

夢のラケットで
景気も回復?

 これまで何本の「夢」のラケットを手にしてきたことだろう。ウィンブルドンのアルミフレームに始まり、ウィルソンの厚ラケ、ヨネックスの中厚ラケ、そして長ラケと、次々に開発される魅力的なラケットに、浮気を繰り返してきてしまった。

 ここ数年は、ウィルソンのハンマーを使っている。このラケットは、中高年プレーヤーに欠かせない条件、「軽くて扱いやすい」を満たしている。ひょいと見回すと周囲の皆さんの多くがこれである。

 軽いことはいいことで、いろいろなショットが打てる気になる。テニスは自信が8割を占めるから、打てるぞと思いこむだけでも上達したようなものだ。
 「単なる思いこみ」だろうって? 中高年の「夢」を壊してはいけない!!

 ただ、好事魔多しで、ボレーには最適なのだがストロークでは球離れが早くスピンはかけにくい。軟式ラケット並に軽いので、打ち方も軟式風になってきた。調子に乗ってガンガン打ったせいか、2年も立たないうちに一本オシャカにしてしまった。固いフレームだからもろいのである。

 つれあいは、ハンマーの改訂版、ハンマー・ローラーを手に入れて使っている。グロメットの部分にローラーが入っていて、打球の瞬間にストリングスを滑らかに送り出す。

 確かに衝撃が少なくて、昔使っていたヨネックスのラケットのように重厚な打球感だ。次の一本にリストアップしていたら生産が中止になってしまった。まことに無常迅速である。
 夢から覚めないうちに、手に入れておけばと悔やまれる。

 これからも、中高年プレーヤーにとって夢を見せてくれるラケット、購買意欲をそそり、ひいては日本の景気回復につながるラケットが出回ることを祈ろう。


新しいテニスに挑戦する
「破」の巻
 中高年になると体がローギヤに入る。体力は落ちてくるが、技術の向上はあるはずだ。
シナプスをつなげ!  最近の大脳生理学では何歳になろうと、意欲と反復があれば、脳のシナプスは成長し、新しい回路が作られるという。

 中高年の脳細胞は確実に減っていくが、シナプスをつなぐことで代替できるというのだ。

 意欲を持つこと、反復練習なら中高年でもできる。実に力強い言葉だ。
 確かに、シニア陸上などでは、60歳から槍投げをはじめ次々と世界記録を塗り替えている方がいらっしゃる。また、80歳で意欲をもって中国語を学んでいらっしゃる方など、なるほどと思い当たることが多い。

 技術の習得のため、
  ・身につけようという意欲と目標をもつ
  ・身につけるため反復練習する
  ・実戦で応用する
 を自分にあてはめて人体実験を進行中だ。実験結論が出るのは、さて、いつ頃だろう?

 めざせクエルテン!?
 私のバックハンドはショットの切れが無い。スライスだけでは、返球のコースを読まれて面をつくられれば終わりだ。ラリーで主導権を握るには、バックハンドでも相手の足下に沈めるショットが必要なのだ。

 でも、四十代も後半になって新しい技術なんて修得できるだろうか。どうしようと迷っていた。そんな時、クエルテンのバックハンドを見てしまったのが運のつきだった。

 細い体全身をしならせ、自在に打ちわけるイマジネーションあふれるスピンショットは、魅力的だ。またもや、つい、むらむらと意欲がわいてきてしまった。

 一昨冬のオフシーズンには、シングルバックハンドのトップスピンを練習しようと決めてしまった。つれあいは、またかぶれちゃったの?、、、と、あきれ顔ながらつき合ってくれた。いつもながら心より感謝したい。
 ただし、クエルテン風に打った後「ウェオ〜」という情けない雄叫びをあげることだけは、厳重に禁じられた。なるほど、体育館では、はた迷惑である。

 一冬かかって、何とか球をこすりあげる感覚をつかんだので、シーズンは試合でも使ってみるが、練習で打つのと、プレッシャーがかかった状況で打つのとは違い、今ひとつ安定しない。スライスとの使い分けも、とっさに判断しなければならない。難しい。

 また、当初の目標、バックハンドへの早いサーブを、ネットに詰めてくるサーバーの足下に返すまでには、まだまだだ。

 もうちょっと、脳のシナプスを、あちらこちらたくさんつないで、太くして、スピードボールにも余裕をもって対応できるようにしたほうがいいようだ。というわけで、つれあい殿、今年の冬もよろしくね。

テニスの
フランケンシュタイン?

 そもそも、テニスを始めるきっかけは、マッケンローの試合をテレビで見たことからだ。なぜ、マックはあんな悲しい顔、苦悩の表情を浮かべながらスーパーショットを連発するのか。求道者のような姿、独特のプレースタイルとも相まって、これはやってみないと分からないぞ、、、となってしまった。

 以来、ショットの手本にした選手は両手の指に余る。つれあいがからかうのもよくわかる。
 タッチショットはマッケンローに、フォアハンドはシュティッヒに、バックハンドスライスはグラフに、サーブはナブラチロバにと、倣ったつもりだが、はたから見ると「全然違う!!!」そうだから、当人の思いこみというのは、どうしようもない。

 というわけで、私のテニスのスタイルは、フランケンシュタイン型とでもいうべきだろうか?

 もちろん、このあと、ものにしたいショットはたくさんある。スマッシュ、ボレー、ロブ、ドロップショット。
 それぞれ誰を見習うかは、まあ、一応決めてある。

 一つ一つ身につけるだけでなく、 コートでの位置どりによって打ち分ける術を会得するならば十年はかかるだろう。

 まだまだ上達する余地があるということだから、実に謹啓至極ということにしておいてほしい。


「テニス」にとらわれない
「離」の巻
 テニス歴が長くなると、いろんな思いをすっぱりと切り捨てて今のテニスを心がけたい。
 同好のよしみ  以前に、たまたまコートに居合わせた知り合いを仲立ちに、80代の方と組んでテニスをした。
 さすがに、早い球、遠い球はあえて取りにいこうとなさらないが、相手ペアがご高齢に遠慮して出してくる緩い球を、掛け声もろとも、堂々と一発で決めるなど、随所で持ち味を出した憎めないテニスであり、共に楽しませていただいた。

 聞けば60歳までは野球をなさっていたとのこと。どうりで長島体型(失礼!)である。人柄もあって、テニスをするのが楽しくてたまらないことが率直に伝わってきた。 「同好のよしみ」という言葉どおり、テニスという共通の趣味でつながることへの共感があった。

 「テニス一筋」は
苦悩の道?


 これに対して、「テニス一筋」の方は、確かに上手だが、どこか気むずかしい先生みたいな雰囲気がある。なぜだろう?

 テニスのベテランの方は、勝つための理論を持っている。「この局面では、クロスに深くボールを打たんとあかんね。」と。これは、技術や体力を維持できれば正しい。

 しかし、テニスは走り回るハードなスポーツだから、足腰が弱ってくると、イメージしたとおり球が打てなくなる。

 どんなに修練を積もうと、思いどおりに打てなくなる時は、必ずやって来る。その時になれば、こうした理論に縛られると苦しい。いわば自縄自縛である。

 困ったことに、ベテランは理論を自他にあてはめてしまう。そこで往々にして2パターンにおちいりがちだ。

  1つめは、自分はできない理論を、他人に講釈する。
      ・・・ 人から嫌がられることうけあいだ。
  2つめは、イメージどおりのテニスができなくなって嫌になる。
     ・・・ テニスコートから足が遠のくのは悲しいことだ。

 下手の横好きで、うまくないのに経験年数だけは長くなってきた。 くわばら、くわばら自戒したい。
 共通の趣味であるテニスの話題で、人に嫌われるのは、本意ではないはずだ。テニスをやめて、他に何かがあるならそれもいい。でも過去の「テニス」にとらわれて、現在と未来のテニスの楽しみを捨てるのは、何とももったいない。
 
 すると、第3の道が見えてくる。
  「テニス」理論への執着をさらりとうち捨て、楽しむ理論に乗り換えることだ。

 現在を受け入れ、今の自分にみあった楽しみ方をすればいいではないか。同好の方は、必ずいるはずだ。

 他人のうまさに共感する
 もう一つ微妙な問題。
 以前は勝てた相手に勝てなくなる、という自尊心の問題である。
 若い人は上達も早いし、筋力や脚力もある。上昇カーブと下降カーブがどこかで交われば、なかなか勝てなくなる。過去の栄光をよすがに勝敗にこだわるのも見苦しい。

 うまくなった他人をほめるのはまっぴらご免だというなら致し方ない。河岸をかえる。つまりは、自分に見合った別の仲間と楽しめばいい。ただ、これを繰り返すと世間が狭くなる。かりそめの世の中で、「テニス」にこだわることで、ディスコミュニケーションが発生するというのも、寂しい話だ。

 多分こういう時ほど、共感することが大切なのだ。単純に「うまいねぇ〜」と感心し、他人様の上達を共に喜べばいいのだ。コミュニケーションのテニスがそこから始まる。

 「一筋」から「同好」へ
 私は、テニスをやり始めたのが30代、試合に出始めたのが40代半ばからだから、ようやく勝ちパターン、負けパターンに至る組み立ての玄妙さ、勝負の天秤の傾きの離れ方、引き寄せ方が、見えつ隠れつしてきたところだ。

 50代は、これを見定めているうちに乗り切れるだろうと思っている。あれこれ技術を磨く、ポジショニングを研究する、集中力を高めるなど、いろいろと課題があり、結構楽しめるだろう。

 その一方で、体力の維持のために、そろそろジョッギングや筋トレなどを併用することが必要かなと思う。

 定年後の60代からとなると、物事は混沌としてくる。それでも、一筋にベテランをめざすのでなく、(なれないもんだから、あきらめちゃったの?との声も聞こえるが。)体力が落ちても楽しめる仲間、勝っても負けてもアッハッハと笑って、恬淡としている同好の仲間とつきあっていくことができれば、楽しいと思う。