−  flaver 2 −





翌日、俺は購買で今日のお昼ご飯である総菜パンを買ってイルカ先生の病室へと向かった。
こうやって食べ物を持って病室に持っていけば、その匂いで目覚めないかなあとかいう打算もあるのだが。
病室へと向かう廊下で、だが俺はいつもと違う空気を感じた。どくんどくん、と心臓の音が大きく響く。
だが走ることはしない、そんな子どもじみた行為はできない。だが走って確かめたい、その気配が動いているのだ。意志を持って、その人の意識と身体が相成って動いているのだ。
俺は203号室のドアをノックした。

「はい、どうぞ。」

中から人の声が聞こえてきて俺は病室に入った。
そこにイルカ先生がいた。半年以上ぶりにやっと会えた。ああ、こんなに嬉しいのに、どうして泣きそうなんだ俺は。

「おかえりなさい、カカシさん。」

真っ直ぐに見つめるその視線は紛れもなくあなたでした。

「ただいま、帰りました、イルカ先生。」

俺はそっと近寄って、ベッドに半身だけ起きあがっていたイルカ先生を抱きしめた。そして首もとに顔を埋めて久しぶりにその匂いを嗅いだ。

「いい匂いです。」

「開口一番にそれですか。」

イルカ先生は笑っているようだ。
俺はとりあえず椅子に座った。目が覚めたからと言って負担は精神だけではないだろう。一週間近くもずっと眠っていたのだ、身体の筋肉も慣れていないに違いない。無理は厳禁だ。

「話しは聞きました。カカシさんにはとんだご迷惑をかけてしまったようで、すみません。」

「いえ、いいんですよ。イルカ先生が元に戻ってくれて嬉しいです。」

イルカ先生はありがとうございます、と微笑んで見せた。俺もつられて微笑む。

「カカシさんはいつ頃里に戻られたんですか?」

「一ヶ月ほど前です。この間の任期が終わったので。」

「そうだったんですか、任務の遂行、お疲れ様でした。ご無事の帰還を嬉しく思います。」

イルカ先生は心持ち悲しげに微笑んでいる。あの街で見たあの少年を思い出しているのだろう。そして殺さなくてはならなかった俺の心情を思ってくれているのだろう。
ああ、この人はいつまでも俺に安堵を与えてくれる。欲しい言葉を、思いをくれる。

「でもカカシさん、よく俺とずっと一緒にいる時間がありましたね。」

「ええ、有給休暇を取っていましたからね。」

「そうだったんですか。いつまで休暇なんですか?」

「今日で終わりです。」

「えっ!!」

イルカ先生は驚きに目を見開いている。

「あの、すみません。折角の休暇を俺なんかのせいで潰してしまって。」

「俺なんか、なんて卑下しないで下さいよ。どうせ暇だったんですし、イルカ先生の一大事に休暇とか言ってられませんよ。むしろ俺が休暇であなたに会っていなかったらと思うことの方が堪えられません。」

俺はふふ、と笑ってみせた。病室の空調が頬にそよそよと当たって気持ちが良い。

「あの、でしたら今日一日、何か俺に出来ることがあればしますっ。いえ、やらせてくださいっ。」

イルカ先生は必死になって身を乗り出してきた。イルカ先生らしいけど、病人は病人らしくしていてほしい。

「あの、何か見返りが欲しくてやった行為ではないですから、そんなに意識しなくてもいいんですよ。」

「いえ、一度ならず二度までも、しかも命に関わるような一件で助けてもらっておいて何もしないなんてっ、これこそ、」

「「うみの家の恥ですっ!」」

声を揃えて言うとイルカ先生は顔を真っ赤にした。ふふ、そんな所は変わってませんねえ。

「か、からかわないでくださいよっ。俺はこれでも真剣に思って言ってるのにっ。」

解っていますよ、真剣だって言うのはね。でも病人なのに何かをしてもらうって言うのは違うと思うんですよ。それに、任務前に起きてくれて、こうやって話しをしているというこの時間が何よりも俺にとってはご褒美なんです。
任務から帰ってきた時はもっと色々なことをしたいとか思っていたと言うのに、この人が生きているというだけでこんなにも幸せだと思えるのだから。それを気付かせてくれただけでも儲けものです。

「あの、なんでもいいです。肩たたきとか、くそう、もっと早く目覚めてたらまた飯でも作ったのに、」

飯、と聞いて俺は床に置きっぱなしにしていた袋の中身を思い出した。

「えーと、じゃあイルカ先生にお願いしてもいいですか?」

「肩たたきですか?」

俺はぷっと笑った。

「そんな、病人に肩たたきなんかさせたら火影様が怒り心頭で駆け込んできそうですよ。」

俺は袋を掲げてイルカ先生に見せた。

「ご飯、一緒に食べてください。もちろん、あなたも一緒のものを食べろとは言いませんよ。起きたばかりで今まで何も食べていなかったのにいきなり固形物を口にするのは酷ですからね。何がいいですか?買ってきますよ。」

「あの、でも、」

「お礼、してくれるんでしょう?」

言えばイルカ先生は困ったようにしつつも笑って頷いた。

「ではリンゴジュース、いただいていいですか?」

「はい、解りました。少し待っていてくださいね。すぐに買ってきますから。」

俺は立ち上がって購買へと向かった。

リンゴジュースリンゴジュース、他にも何か買った方がいいだろうか。起きたばかりだったら何がいいだろう?ヨーグルト系がいいだろうか?刺激の強いものはよくないだろうか?ゼリー系がいいだろうか?何が食べたいだろうか、色々思い悩めばきりはなく、だがそれは楽しくもあった。
結局俺はリンゴジュースの他にゼリーを買った。そして急ぎめで病室へと戻った。

「ただいま。」

と言えば、

「おかえりなさい。」

とイルカ先生が微笑んでくれた。ふふ、今日だけで二度も言われたよ。

「リンゴジュースの他にゼリーも買ってきました。冷蔵庫ありましたよね?食べられるようになったら召し上がって下さい。」

「ありがとうございます。たぶん、今食べると思います。なんだかこれから飯を食うとか聞いたら急にお腹が空いてきてしまって。げんきんですね、俺って。」

イルカ先生は笑ってぽりぽりと鼻の傷を掻いた。

「買ってきて正解だったようで嬉しいですよ。では食べましょうか。」

俺はゼリーの蓋を取ってスプーンを付けてイルカ先生に手渡した。
そして自分は椅子に座って袋の中からサンドイッチを取りだした。
いただきます、と言ってイルカ先生はゼリーを口に入れる。するりと入っていく。よかった。ちゃんと食べられるようだ。俺もサンドイッチを頬張った。この一ヶ月、ずっと一人で取ってきたどんな食事よりもうまいと思った。

「おいしいです。」

イルカ先生が嬉しそうに言った。

「ええ、俺もおいしいですよ。イルカ先生が側にいるからでしょうねえ。」

言えばイルカ先生は顔を真っ赤にした。

「そう言えばイルカ先生はどのあたりまでの報告を聞いたんですか?」

食事も粗方終わり、イルカ先生はリンゴジュースを、俺はスポーツドリンクを飲みながらまったりとしつつ、切り出した。
恋人のまねごとをしていたという事実を知っているのだろうか?と気になったのだ。
イルカ先生は目を伏せて少し何かを考えていたようだが、話し出した。

「俺の身体が敵忍に乗っ取られて諜報活動をしていて、そんな時にカカシさんがやってきて俺の異変に気が付いて日中ずっと一緒に行動し、一緒にいない時は監視をして見張ってもらっていたと。そして身体を解放させてくれたのだと聞きました。」

「どうやって解放させたに至ったかは、聞いていますか?」

「いえ、そこまでは。」

「そうですか。」

俺はほっとした。イルカ先生はジュースをテーブルの上に置いた。そして神妙な面持ちで言った。

「カエデ上忍は、亡くなられたそうですね。今回のターゲットは俺で、俺の身体を乗っ取るためにカエデ上忍を利用したのだと、それで死んだのだと、聞きました。」

俺は黙って聞いている。

「俺は、知っていたんです。カエデ上忍は忠告してくれていたんです。」

イルカ先生は顔を俯けた。その表情が見えない。

「カエデ上忍は、自分を捨て置けと言っていたんです。それなのに俺は自分の勝手な行動で里に連れ帰ったんです。抱えている最中、微かな声でカエデ上忍は呟いたんです。気を抜くなと、敵は、なかに、と。今から考えれば、影を利用して身体を乗っ取るという意味合いを込めて、最後の力を振り絞って俺に伝えようとしていたんです。『気を抜くな、敵は影の中に潜んでいる』と。俺は、俺は本当にどうしようもない人間です。」

イルカ先生の言いたいことはよく解る。俺だとて、この年まで生きぬいてきた。幾度も後悔を、自責の念にも駆られた。ああすればよかった、こうすればよかった。そんな一瞬一瞬の判断の誤りはこの忍びの世界にとって日常茶飯事だ。

「でも、俺は浅ましいんです。こんなに人に迷惑をかけたって言うのに、俺はここに生きていることが嬉しいんです。カカシさんと再び会えて、嬉しいって思ってしまうんです。」

顔を上げたイルカ先生は、苦痛に顔を歪めている。
ああ、この人は。どうしようもなく俺を喜ばせてくれる。そんなことを言われて、俺は、もう、堪えられないですよ、イルカ先生。
俺は立ち上がってイルカ先生を抱きしめた。

「イルカ先生、俺も後悔はします。親友を俺の判断ミスで殺してしまったこともある。俺はそれを一生忘れるつもりはない。今でもあいつを思えば自分を叱咤したくなる。だがそれと同時に今生きているこの瞬間をあいつのためにも必死で生きようと思うんです。必死って言っても無理に限界を超すような生活をすると言うわけじゃあないんです。自分のできることを、自分ができるだけやろうと思うんです。イルカ先生、例えあなたに起因のあった事件で誰かが死んでしまい、あなたが自責の念に駆られたとしても、あなたはそれで自棄になってはいけないでしょう?あなたは生きていることを最大限に活用しなくてはなりません。でしょう?」

イルカ先生はこくりと頷く。

「嬉しいと思うならば、素直に嬉しいと体現しましょうよ。ね?俺もね、イルカ先生に再び会えてとても嬉しいんですよ。俺を見習えとは言いませんが、もっと自分に素直に生きましょうよ。」

「キスする程にですか?」

「はい、キスするほどに。」

え?と思ってイルカ先生の顔を再び見ると、イルカ先生は泣きながら笑っていた。器用な人だなこの人。いや、今はそんなことじゃなくって、どうしてキスって、あれ?だって確か身体を解放させるにあたってどんな風にやったかって知らないってさっき言ってたよねえ?

「あ、あの、イルカ先生、もしかして、知って、た?」

「俺は、敵に乗っ取られ、意識の混迷する中、本当に時々でしたが浮上することがありました。術者ですら気に留めない程度の弱い意識です。その中で俺は偶然あなたにキスされている瞬間に居合わせたことがありました。」

うわーっ、やばっ、やばいよどうするっ!?やっぱり気色悪いとか言われるのかなあ、どうしよう、俺、折角ここまでいい雰囲気だったのに、俺、どうしよう。
俺は心の内側で葛藤した。どうすればこの場をうまく切り抜けられるのか?
どくどくと心臓が早鐘を打つ。

「あ、あの、イルカ先生、俺、」

「あなたが好きです。」

えっ、聞き間違いかな?やばいな、幻聴かな、俺まだ若いつもりだったんだけどなあ。

「好きですカカシさん。」

再び言われて俺はカアァっと顔が赤くなるのを自覚した。
以前、からかい半分に好きだと言ったことがあった。その時は返事なんて、思いを返してくれるなんて思っちゃいなかったのに、どうしよう、俺すごい嬉しいっ。

「あの、それは、友達としての好き、ですか?」

「いいえ、恋愛感情の好き、ですよ。親愛の意ではないです。」

俺は両手でイルカ先生の顔を包み込んだ。え、とか言ってる口をそのまま自分の唇で塞いだ。くぐもった声がしたがそんなものは無視する。だって、本気で抵抗してないじゃない。真っ赤になって心拍が上がってるじゃない。
やっと離してやると、イルカ先生はやっぱり顔が真っ赤だった。かわいいなあ。

「俺も好きです、大好きなんですっ。」

言って抱きしめると、おずおずと背中に腕を巻き付けてくれた。
ひどく安心するこの人の心音を聞きながら、俺は今までにない程の幸福に包まれていると思った。
明日から血なまぐさい任務だけど、この人が待っていてくれると思えば、好きだと言ってくれるこの人がいれば、俺はどんな任務からの帰還もできると思った。

「明日からの任務が終わったら、今度こそ一緒にご飯、食べましょう。」

言えばイルカ先生は微笑んで頷いた。

「その頃には俺も完全回復しているでしょうから、お弁当を持って里を見下ろしながら食べましょう。いいスポット知ってるんです。」

それは楽しみです、と笑って言えば、イルカ先生も極上の笑みを返してくれる。
深く抱きしめて匂いを嗅げば、またあの匂いがした。俺を惑わせて離さないこの清廉な香りを、二度と離しはしない。

「好きですよ、イルカ先生。」

声に出せばその匂いと共にイルカ先生の笑う空気が伝わってきた。

 

 



初々しいのはお嫌いですか?(ムスカ調)
と、言うわけでまだまだどうしてかなかなか進展しません。私は鬼じゃないですよ?
そして3へと続くのです...。