− flaver −





その日、女はいつものように中庭の見える縁側で縫い物をしていた。もうすぐ寒くなる季節なので、ほころびはちゃんとつぎをしておかないといけない。ちくちくと器用に縫う様はちょっとした芸術でもあるようで、だが暖かな手作業は秋の夕刻の陽に映えているようでもあった。
裏の木戸がキイ、と開いて女は顔を上げた。

「坊やなの?」

言うと小さな少年が小走りに走ってきた。そして女の元に駆け寄ってきた。

「こんにちはっ。」

「はい、こんにちは。今日は一段と寒かったわねえ。」

女は手に持っていた縫い物をそっと横に置いた。
少年は女が縫い物を置いた反対側の隣に座った。縁側の温かい陽の光が、少年の赤い髪をより一層赤く照らしていた。

「あら、坊や。今日はなんだか元気がないわね。どうかしたの?」

「ちょっと、仲間がいなくなっちゃって。」

「そうなの、すぐに帰ってくるといいわね。ちゃんとご飯は食べているの?少し台所からもらってこようか?」

少年はふるふると首を横に振った。女はそう?とまだ少し心配そうにしている。
少年はこの女が好ましいと思った。今までの女もみんな優しかったが、この女はもっともっと優しい。もっと心の奥を暖かくさせてくれる。母と呼べる者がいたならば、きっとこんな女だったのだろうな、と少年は思った。
優しい優しい母の面影を思わせる女。少年はそんな女たちが大好きだった。

「あ、そうだ。今日はお菓子あげるよ。いつも貰ってばかりだったから。」

少年が懐から取り出すのに、女はちょっと驚いたようだったが、少年が両手で女の手に乗せると、ありがとうねと言って女はお菓子を見つめた。

「変わったお菓子ね。私はこの街に長くいるけれど、こんなお菓子は初めて見たわ。」

女はそう言って菓子を眺めている。確かに珍しいだろう。この街では売っていないものだし、作り方だってどんな本にも載っていない。
淡い砂糖の塊のようでもあり、青白く発光する炎でもあるかのような淡い色のあめ玉のようなお菓子。
女は楽しそうにお菓子を眺めてなかなか食べようとしない。そして少年の視線に気が付いて慌てて片手で自分の懐からいくつかのお菓子を取り出した。

「ごめんなさい、私ばっかり楽しんで。これ、いつものお菓子だけど、食べて頂戴。一緒に食べましょう。」

女の掌から渡されたのは、いつも見かける小さなお菓子たち。甘くてすぐに砕けてしまう砂糖菓子。
儚いその菓子はなんだか何かを連想させて、少年はいまいち好きにはなれなかったが、渡してくる女がいつも嬉しそうで、味もさほど嫌いなものではなかったので、自分も一緒になっていつも食べているのだった。
少年はお菓子を一つ手にとって口に入れた。いつものように甘くてすぐに砕けてしまう。
女の方を見ると、女は自分の渡した菓子を丁寧に布で包んでいた。

「あれ、それすぐに食べないとだめなんだよ。大丈夫、また持ってきてあげるから。」

少年はそう言うと、女の包みを取ろうとした。が、女はそれをやんわりと拒んだ。

「これで、いいのよ。」

「え、でも、折角持ってきたのに。」

少年はひどくがっかりした様子で言う。女はにっこりと笑った。その笑みはとても優しくて、少年は大好きだった。大好きだったはずだが、何故か今の笑みは寒気がした。

「あ、あれ、」

少年は立ち上がろうとしたが足に力が入らない。女は少年の身体を支えた。

「な、に、」

言葉ですらなかなか紡げなくなってきた。これは一体?

「やはりなあ、お前たちの考えてることってのは、いちいちが胸くそ悪くて仕方ない。」

女の声でそんなことを言われれば、少年はもう悟ったも同然だった。

「こ、のは、か、」

少年ががちり、と奥歯に仕込んでいた印を解除した。その微かな、普通には聞こえないであろう音に反応した女は、咄嗟に少年の服に手をかけて身体を検分した。そして深くため息を吐いた。

「やれやれ、本当にお前たち雲隠れの忍びは好きになれないね。」

女は少年の服を元に戻し、縁側に横たわらせて立ち上がった。そしてひどく悲しそうに見つめて、印を結んだ。途端に現れる銀色の髪の男。左目は木の葉の額宛てで隠されており、口元も布で隠れている。見える所と言えば右目だけで顔のほとんどが見えない。猫背でぼーっとしているようだが、自分のこの体たらくを見れば、一流の忍びだと言うことが解る。

「ど、して、」

「それはこちらの言い分だな。」

男は印を結んで忍犬を口寄せした。そして先ほど女に渡したお菓子を入れた包みを背中のリュックに入れた。

「パックン、それよろしくね。」

「承知した。」

忍犬は渋い声で答えるとそのまま走り去っていった。それを見届けて男は少年に向き直る。

「お前、いくつだ?」

少年は答えない。身体を必死で動かそうとしているようだが、まったく動けないようだ。緊張して身体が汗ばんできている。ぶるぶると震えているのは恐怖ではなく、極度に筋肉を動かそうとあがいているからだろう。

「強力なしびれ薬だ。自白剤も後で打つからしばらく俺の尋問に答えてもらう。」

その目はひどく悲しそうに少年を見つめていた。さっきもそんな目で自分を見ていた。その目がたまらなくむかつく。少年は自由にならない身体の代わりとばかりに、殺気を込めた目で男を見た。

「そんな目で見ないでよ。この間会った子どもと雲泥の差だね。意志は強いのに濁りきった目で殺気を向けられても痛くも痒くもないよ。殺気ってのはさ、」

男は隠していた左目を露わにした。そして少年に向けて両眼を見開いた。
途端、誰にも近寄ることなど叶わぬと思わせるほどの殺気が少年を襲った。狂気にも似たその殺気は少年を威嚇するには充分すぎる程で、近くにいたらしい小鳥や犬などが飛び立ち、逃げていく音が聞こえた。
生理的な恐怖が背中を這い回って少年はただただ失神だけはするものかと目を瞑っている。もう、目を開けるのでさえ恐ろしくてできない。
ふと、誰か他の気配がやってくるのを感じて、今自分を捕らえている男の仲間が来るのかと少年は新たな恐怖に身が震えた。
だが、意に反して側にいる男の殺気はふっと弱まって、まるで自分はここにいないものとするように気配をまったく消してしまった。
どういうことだ?と少年は目を開けると、男は少し困ったように頭をぽりぽりと掻いて額宛てを元に戻していた。先ほどまでの男と本当に同一人物なのか疑わしいくらい殺気がなくなっている。
そして聞こえてきた新たな男の声。

「カカシさん、」

その声に視線を向ければ、鼻の上に一筋の傷がある男が、木戸を開けてそこに立っていた。

 

 

「どーも。」

と言ったいつもの雰囲気の言葉にイルカはほっとした様子の顔を浮かべた。
その子は?と聞かれてもなんとも説明はし辛く、カカシはほとほと困ってしまった。

「ええ、ちょっと仕事でして。イルカ先生はこの近くの宿屋なんですか?」

「あ、はい。買い物の途中だったんですが、先ほどものすごい殺気がして、何があったのかと来てみたんですが。」

イルカは側に寄ろうとしたが、カカシはそれを制した。

「すみませんが、イルカ先生、ここは、」

「た、すけ、て、」

その微かな必死の声はイルカに届いてしまった。イルカはカカシと少年を交互に見る。確かに尋常な光景ではないだろう。だが、ここは引いてほしい。後でどんな質問にも答えるから、今はこのまま。どうか、立ち去って欲しい。

「カカシさん、これは、どういうことなんですか?」

だが、自分の望みは叶えられないらしい。イルカは理由を聞くまでここに居座るつもりだ。教師をしていると言っていた。子どもがこんな目に遭っていれば何か感じるものがあるのかもしれない。だが、うかうかしてはいられない。

「イルカ先生、勘違いしているようですから言っておきますけど、こいつは敵忍ですよ。」

この子どもは忍びなのだ、実力は上忍に匹敵するだろう。自分がこの子と同じ歳の時にこの子どもと対峙していたら自分はきっと死んでいたであろう。それほどまでに早熟で、天才的な敵の忍。この幼い子どもは自分が子どもだからもしかしたら見逃してもらえるかもしれないという打算も勿論している。それ程までに狡猾で、純真だ。
だが、俺が相手では運が悪かったな。
カカシは子どもを殺すことに躊躇はしない。だって殺さなかったらこの子どもはこの街をもっともっと汚していくだろう。木の葉の人間を骨の髄まで食らいつくして、そしてゴミのように殺していく。

「こ、ろ、される、た、す、けて、」

拙いその言葉は悲哀を含み、訴えかける。何も知らなければ、怪しい風体の俺と、哀れなこの少年では少年を庇護するに違いない。だがな、現実はそうなんでもかんでも子どもに優しいわけじゃないよ。

「お前のやってたことは全部解ってるんだから。殺さないわけ、ないでしょ?」

言ってやっても少年は涙を溜めてまでイルカを見ている。自分をもしかしたら逃がしてくれるかもしれない人物に向かって哀れみという媚びを売る。
身体はしびれて動けない、相手は自分よりも強い。もう決着はついていると言うのにこのあきらめの悪さはさすがと言えるだろう。

「カカシさん、俺はあなたが何もしないような子どもにそんな扱いをするとは思いません。」

言われてカカシは少し安堵した。イルカも忍びだ、ちゃんと解ってくれている。

「けれど、その子が悪に手を染めていたのだとしても、まだ改心することができるかもしれないじゃないですかっ。」

子どもが切なげに目に涙を溜めている。白々しい演技はやめてくれないかな。まるで俺が悪者みたいじゃないのよ。

「あなたの言うことはどこか常軌を逸している。罪があるのならばちゃんとそれなりの場所で更生させるべきだ。」

正論だ、完璧だ、理想論だ。だが真実じゃない。

何か?俺は冷酷無比で子どもを、人を殺すことに何の感情も伴っていないとでも思ってるのかあんたは。そんなわけあるか。俺だって人間だ、このガキだって忍びでなければ死ぬこともなかっただろう。普通の子どものように笑って泣いて遊ぶ毎日を過ごすこともできただろう。
だが、手遅れなんだよ。こいつはもう後戻りなんかできない。証拠にこいつの身体はもうあと数時間でボカンだ。刻んでるんだよ、さっき身体を検分したら解ってしまった。かつてそうやって自分の身体にチャクラを練り込んで時限爆弾のようにして突っ込んできた敵忍がいた。そいつも雲隠れの忍だった。特攻で突っ込んでくる自爆ではない、捕虜となって敵の手元にいる時に自爆するように開発された忍術だ。そして、その巻き添えで死んでいった仲間の躯のなんと悲惨なことか、肉片しかなくて、雨の中、泣くことも出来ずに燃やさなければならなかった俺の気持ちが分かるか?

「俺だって人間です。人を殺すことに何も感じないわけないのに、あんたはこの子どもにだけ自分の慈悲を向けるんですね。殺さなくてはならない俺に、その慈悲は必要ないと?」

殺す者と殺される者、両者を比べれば、殺される者の方がその哀れみを濃く印象づけられるだろう。だが殺す者はなんだ?殺す側は完膚無きまでに悪か?
それでは、俺がこの一年と半年以上もの間やってきたことは無なのか?この国の、里の者を守るために破壊工作をしようとしていた忍たちを殺してきた俺は罪深いですか。
もう、いいや。何を言った所で道徳観念なんて人それぞれなんだ。誰かに理解されなくてはいけないってことない。
ただ、石鹸の匂いがする清らかなあんたには、理解してほしかったのかもしれない。こんな俺でもちゃんと人間なんだと、里を守るためにがんばってるんだと。
カカシはふっと笑った。イルカの顔は見られなかった。
次の瞬間、カカシは逃げた。少年を抱え、瞬身の術で街から遠く離れた山奥にやってきた。
辺りはすっかり暗くなってしまった、日の入りも終え、照り返しも終え、あとは夜の帳が完全に落ちるのを待つだけの態勢だった。
木々の間からも夜の影が負ってくるような感覚だった。
鬼ごっこで追いかけられているのは、自分かもしれない。

「こ、こは、な、」

「ここは俺がよく人を殺して埋める所。誰にも気付かれずに誰にもその方法が解らないように、殺してただ埋めるだけの場所。大丈夫、怖くない。お前と同じ雲隠れの忍びたちの死体が、もう何十体とある。な、寂しくないだろ?」

言うと子どもは口元に笑みを浮かべた。
認めよう、お前は一流の忍だ。散り際も潔い、敵ながら天晴れだ。
カカシは少年を木の根元に座らせると、持っていた自白剤を少年の腕に打ち込んだ。
写輪眼と併用して少年に尋問を始める。

「目的はなんだ。」

「ひの、くにのへの、かんしょう、」

「雷影は許可しているのか。」

「して、いない、」

「お前たちは抜け忍か。」

「おも、てむきは、ちがう、」

「最近活発化していた理由は。」

「このは、から、の、らいきゃく、がくる、ことで、りょうこく、の、しんらい、かんけい、が、ぐげんか、するのに、ぎゃくじょう、して、」

「仲間のアジト、規模、つながりの全てを話せ。」

少年は虚ろな目を向けながら、自白した。
知りたい情報を全て吐かせたカカシは、少年を立たせた。少年は疲れてぐったりとしている。
カカシは持っていたクナイを手に持った。そしてなんの躊躇もなく子どもの首を撥ねた。痛くないだろう?神経を先に切ったから、痛くも寒くもない。
カカシは死体を土の上にそっと乗せると、土遁の術で地中の奥深くに埋めた。そしていつものように地形は元のまま、誰にも感づかれることのないように戻して終わり。
いつもの作業、いつもの方法、だけど、街へと帰る足どりは重かった。
あの人は呆れて、怒り狂って、街を後にしたかもしれない。もう二度と会うものかと思っていることだろう。あの人はあの子どもを殺すなと言っていた。だが俺は殺した。しかもなんてあっさりした方法だ。卑怯だったかもしれない。正々堂々ではなかった。裏の裏を掻いたのだから当然だ。
ちくしょう、今までこんな気持ちになんてなったことないのに、どうしてこんなに苦しいんだ。
ただこの世で一人、誰でもないあの人に、認めてもらいたいなんて。
馬鹿だ、本当に馬鹿、俺は、もう、ほんと、どうしようもない奴なんだ。暗部なんて聞いて呆れる。こんなことに患わされて、あがいて苦しんで、どうにもならない心情を、落ち着かせることすらできないんだ。

 

街に帰って自宅へと向かった。だが、家までもう少しという所で、家のすぐ近くで人の気配がして俺は警戒した。

気配は、だが隠れていたわけではなく、カカシの家の前に座り込んでいた。
昨日と同じだ、イルカだった。

「あんた何やってんの?」

突然降ってきたカカシの声にイルカは驚いて顔を上げた。あ、泣いてたのかな、目が赤い。
立ち上がってカカシの目をじっと見つめている。静かだった。街のネオンが邪魔だった。この人の表情からは、どんな感情が心の内に渦巻いているのか解らない。

「あの子は...?」

「殺しました。」

短い押し問答は、だが、すぐに終わってしまった。簡潔だったからだ。
理由は?と問われればいくらでも言い訳はできた。だってあの子は敵なんです。あと数時間で自爆するよう、身体に仕組まれてたんです。殺して心臓の動きを止めない限り、爆発するものなんです。殺す以外に方法なんてないんです。
だがイルカは何も言わない。ただ、カカシを見ている。カカシの目を、目の中を見据えようとでも言うかのように。

「痛かったですか?」

唐突に響いてきた言葉に一瞬何のことか解らなかった、痛い?何が?

「痛くないように、殺しましたよ。神経をまず切って、それから仲間と一緒の所に埋めたから、寂しくない。」

言うとあの人は辛そうな顔で首を横に振った。解らない、何が言いたいの?
イルカはすっと手を伸ばしてきた。そしてカカシの胸に、丁度心臓の上に掌を置いた。

「殺した時、あなたは心が痛かったんですか?」

「痛く、ないわけないでしょう?」

痛いに決まってる。子どもの首を撥ねた時、どんなに痛くないように殺したって、殺したことに変わりはない。この子の生はここで終わりだ。自分が奪った。人の命なんて、自分がどうにかできるものではないのに。
敵とか味方とか、そんなのなくなればいいのになんて、小さい頃からずっと思っていた。
ちゃちな願望、叶うことのない。
それでも現実を生きていかなくてはならない。自分を認めてくれた人たちを守るため、自分が生きていくために、敵は殺さなくてはならない。

「すみません、」

小さく呟かれた言葉にカカシはイルカの手を振り払った。謝ってほしいわけじゃない。謝られることをした覚えはない。任務は正当な殺しを許可している。カカシはその任務を全うするために殺しているに過ぎない。謝られるとは、自分の仕事を否定されることだ。謝るな、正当化しろ、認めてほしいだけなんだ。
冷たく振り払われて、イルカははっとしてカカシを凝視している。その視線にいたたまれなくて、カカシは目をそらした。

「謝んないでよ、俺は、謝られるようなことはしてない。」

「俺は、俺は教師です。あの子より大きな年の子を教えています。」

それがどうした、そんなものは関係ない、年など、どんな小さな子どもも、老いた人でも敵で危害を加えようとする者は殺す。殺すしかない、この世界はそうやってできているのだから。

「だから、俺は直視できなかった。現実を、あなたのしていることを、認めたくなくて、駄々をこねて、我が儘を言って、俺の方こそ子どもだった。俺は、俺も忍びなのに。」

あの人は拳を作っていた。強く強く握りしめている。その手がそっと開かれて、そして俺へと再び伸ばされる。
その手はカカシの背中へと伸ばされて、カカシはイルカに抱きしめられていた。

「あなたは、胸を張っていいんです。痛む心をなくせば、それはただの機械で、殺戮に喜べば、それは鬼畜です。」

カカシはイルカの首もとに顔を埋めた。いい匂いがした。石鹸の清らかな匂い。自分の血臭ですら包み込んでしまう。

「なんですか、くすぐったいですよ?」

「いい匂いだと思って。」

「俺、そんなに石鹸の匂いしてますか?ただ汗くさいだけですよ。」

「いい匂い、」

カカシはぺろりと首筋を舐めた。

「ちょっ、なっ、なにしてんですかっ!!」

急に離れてしまったイルカに、カカシは笑みを浮かべた。そっか、そうだったんだなあ。
俺、この人が好きなんだ。好きだから認めてもらいたい。好きだから、この人を目で追ってしまう。最初からそうだったんだ。なーんだ、簡単なことだったんだねぇ。
イルカはむっとして頬をふくらませた。かわいいなあ、もう。

「好きですよ。」

言った言葉は紛れもない真実で、カカシはイルカを真摯に見ている。

「他の誰でもなく、あなたに認めてもらいたかった理由です。」

「あ、あの、それは、」

イルカは顔を赤くして慌てている。急にどうこうしたいわけじゃない。ただ、気持ちを伝えたかっただけだから。
カカシはふふ、と笑って表情を崩した。

「あぁ、なんだか急にお腹が減ってきました。イルカ先生は今日もお弁当、作ってきてくれたんでしょうか?」

カカシが聞くと、イルカは慌てて家の玄関口に置いてあった荷物を手に取った。

「作ってきました。一緒に、食べてくれますか?」

「勿論です。」

カカシは満面の笑みで答えた。

それからカカシは家の結界を解いた。そしてイルカを上がらせると再び結界を張った。

「いつもこんなに厳重に警戒してるんですか。」

「そりゃあそうでしょう。この街の全てを疑ってかからないと寝首掻かれるんで。」

言えばイルカは少し辛そうに笑った。

「そんな顔をさせたくて言ったんじゃないんです。この街の人間が悪いわけじゃない。」

「解ってます、大丈夫ですよ。あなたはこの街の人間を守っているんですから。」

言われてカカシはどんどん心が清浄化していくような気分になる。思えば石鹸の匂いはさほど気にかかるほどの香りを放っているわけではない。それはきっと、イルカだからこそ清廉と香るのだろう。
一目惚れだったのかな。

テーブルの上で重箱を広げていくイルカを眺めてカカシは一人思った。

「さ、準備は整いました、食べましょう。」

向かい合うように椅子に座って重箱の中身を見ると、中身は全て握り飯だった。

「昨日とは随分と趣の違う内容ですね。」

皮肉で言ったわけではないのだが、思わず口をついて出た言葉に、イルカ先生は気まずそうに笑って言った。

「あの後、なんだか買い物に行く気になれなくて、色々考えてしまって、そしたら約束の時間はすぐそこで、とりあえずご飯だけでも、握り飯だけでも、と思って作ってきたんです。あの、すみません、ご期待に応えられなくて。」

恐縮して俯き加減になってしまったイルカ先生になんとも言えない愛しさがこみ上げる。

「いえ、嬉しいんですよ。そこまで想っていただいて恐縮です。」

カカシは握り飯を一つ手にとって頬張った。
昨日と同じ、いや、昨日以上にうまいと思った。塩加減がちょっとまばらで、塩辛い所もあれば米の味しかしない場所もあったり、具が入っていなかったり、本当に慌てて、急いで作ってきてくれたのだと解る。
こんなにうまいものを食ったのは初めてだった。昨日のお弁当の比ではなかった。

「うわ、なんかすごいことになってますね、すみません。俺、慌てるにも限度があるだろうに。げっ、これ梅干し3つも入ってた、これは当たりだな、」

イルカ先生はとほほ、と言いつつもしっかりと梅干しを食べている。

「あははっ、こっちは具なしでした。一つくださいよ。」

言ってカカシはひょい、とイルカの握り飯から梅干しをかすめ取った。イルカは苦笑いをしつつもどうも、と言って再び握り飯にかぶりついている。

「人生で最高の飯です。」

あなたが俺のために作ってくれたから。あなたが俺を思って作ってくれたから。必死になって、普段ならばしないであろうミスをしながら作ってくれたから。

「カカシさん、褒めすぎですよ。」

イルカ先生は褒め殺しにも程があると笑う。却ってなんだかいじめられているようだとも言って一人でむくれる。

カカシは始終穏やかにイルカの一言一句を、表情を見ながら握り飯を頬張った。
それから握り飯のご飯は終了し、イルカは後片付けをして帰り支度を始めた。

「泊まっていけばいいのに。」

カカシが言えば、イルカはとんでもないと拒否する。

「任務中の方にこれ以上迷惑はかけられません。それに明日の出発はちょっと早いんです。だから明日はもう会えないんで、ここでお別れですね。」

玄関でサンダルを履きながら言うイルカに、カカシは心から残念だとため息を吐く。
それを見てイルカはぷっと笑って言った。

「任務が終わって里に帰ってきたらまた一緒に飯を食いに行きましょう。」

「いいの?」

「だめなんですか?」

「とんでもない。いいって言うなら毎日でも一緒に食べますよ。購買のパンだろうと高級居酒屋でもどこでもあなたと一緒にご飯を食べたいですから。」

少しおどけた風に言うが、本心だった。イルカも同じ調子で言葉を返してくれると思ったが、意に反してイルカは顔を真っ赤にして何も言わずにいる。

「イルカ先生?」

「な、なんでもないです。俺、行きますからっ。」

急に慌てて玄関を出て行こうとするので、カカシも慌ててイルカの腕をつかんだ。

「あの、待っていてくださいね、必ず帰りますから。約束ですよ?」

必死に取り縋るようなカカシにイルカは顔を赤くしたまま少し笑った。

「待っててあげますから、無事に戻ってきてくださいね。任務、がんばってください。」

イルカは今度こそカカシの玄関から出て行った。カカシは外まで見送りには行かなかった。

また引き留めてしまいそうな自分がいたからだ。
ああ、あと数ヶ月、待ち遠しい。今別れたばかりなのに、もうあの人が欲しくてたまらない。こんなに強い執着心は今までにない。
でも、不快ではなかった。むしろどきどきする、嬉しい。これからあの人の元に帰れると思うと、まるで冒険に行く時のように胸が高鳴る。
これを恋と呼ぶわけだ。なるほどなるほど。
なんと心地の良い気持ちだ。

カカシは知らず内に浮かべていた笑みをしまうことなく、あの人の消えた道をしばらく見続けた。
好きですよ、イルカ先生。

 



ってかくっついてないですね...。
いいんですよこれからなんですよと言うわけで2へと続くです。