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カカシさんが家に帰ってきた。心なしかしょんぼりしている。なにかあったのだろうとは思ったのだが問うことができない。折角の一週間ぶりの逢瀬だと言うのに。食事も終わってお風呂も入って、とうとう一緒のベッドまできてもそんな感じのままで、今日は肌を合わせると思っていたのに素振りも見せてくれなかった。 「カカシさん、どうして?」 問うても何も答えてくれない背中に切なくて泣いてしまいそうだ。こんなもさい俺はもう嫌になった?きらびやかな女の人の方がいい? 「あなたに軽蔑されたくないんです。」 ややあって、小さな声で聞こえてきたのはそんな言葉で、俺は必死になって否定する。 「しませんそんなこと、どうか聞かせてください、なにがあったんですか?」 背中を向けたまま、カカシさんはしばらく逡巡していたようだか、やがてぽつりと話し出した。 「今日、昔の女と出会ったんです。よりを戻さないかと。俺は断りました、好きな男がいるからと。女ならまだしも男を取ったのかと、プライドを傷つけられた彼女は俺の股間に蹴りを入れてきました。咄嗟に急所は外しましたが、それでも彼女は上忍で、その、まだ痛くて。あなたを抱くこともできなくて、俺、情けないです。」 「そうだったんですか、でも実践で不意を突かれてもなかなかカカシさんに当てることは難しいのに、その人は余程体術に長けていたということなんですか。」 「あ、いえ、普通です。あまりいい別れ方じゃなかったから、蹴りの一発くらいはいいかなとか意識下にあったものですから、その、油断して。」 カカシさんは俺に背中を向けたまま丸くなってしまった。いつもは大きく感じる背中がひどく小さく見える。けれど、どうしてだろう、こんなに愛しく思えるのは。 「イルカ先生っ、」 慌てたカカシさんの声が聞こえる。 まあ、俺はそんなことをするようなタイプでもないし、本来ならまっぴらごめんだと常日頃から言ってるから驚かれるのも無理はないんだけど。 「い、イルカ先生、あのっ、俺、ほんとうに今日はっ、」 本当に困ったような声を出して、カカシさんはそれでも俺を振り払うこともできない。 「その女の人は馬鹿ですね、こんなに愛しいものを蹴りつけるなんて。」 息がかかるのがくすぐったいのか、カカシさんの体が震える。 「いつも、俺を幸せにしてくれる、大切な場所なのに。」 そう言って労るようにキスして、舐めあげて。でも性的なものじゃなくて、ただ癒すように。 しばらくそうして優しく撫でて、そしてそっと元のように服を整えると、俺は再びカカシさんの隣に体を横にした。 「ゆっくり休みましょう。そして癒えたら、俺を愛してください。約束です。」 「はい、イルカ先生。」 のぼせた顔のまま、カカシ先生はとてもとても嬉しそうに言ってくれた。 数日後、受付所でいつものように報告書の確認をしていると、カカシさんの名前が聞こえてきて視線を動かした。 「あいつ、あたしを振って男に走ったって言うもんだから股間を蹴りあげてやったわ。」 うっそ、やだ、ふふふっ、と女たちが笑い出す。 この人か、カカシさんの男の象徴をないがしろにした女は。 見れば確かに美しいし体つきは柔らかできっと抱きしめたら気持ちがよいのだろうなと思う、そんな女だった。 「でもまあ痛がってたからいい気味よ。せいせいするわあんな男。」 「でもちょっと気にならない?その相手の男って奴。」 「確かにねえ。でもまあ、男だから女の私にかなうわけないだろうけど。それでも苛つくわよね。女のあたしを差し置いて男に走るなんて。ちょっと調べてみようかしら。」 俺を調べると言うのか、探す本人がここでその会話を聞いていたって知ったらきっと驚くだろうなあ。でも自分とカカシさんが付き合っているということは数人には知られているし、と、言うか隣に座っている同僚にもばれてるんだよな。 「あの、同じ男としてお悔やみ、じゃなくて、その、お大事に、と、」 「うん、伝えておくから。」 その時、受付所に紅先生が入ってきた。報告書を提出してあっさりと受付所を後にしようとする。が、そこに先ほどのくの一の一人が紅先生に寄っていった。 「紅、カカシの男の恋人、知らない?」 紅先生は怪訝そうな顔をしてくの一を見やった。 「なぜ知りたいの?」 「鞠、前にカカシと付き合ってたから気になるって。」 くの一が鞠とやらに目配せしている。そうか、股間を蹴り上げたくの一の名前は鞠と言うのか、ってそんなどうでもいい情報を頭に蓄積しても仕方ないな、などと思いながらもその様子から目が離せない。なにせ自分が関わってくるのだから。 「ふうん、そう。それならカカシから直接聞けばいいことじゃない。私に聞かなくたって。」 紅先生の言うことはもっともだった。 「そう言うってことは紅、知ってるってことなんでしょ?いいじゃない、教えてよ。」 くの一の言葉に紅先生はため息を吐いた。ああ、なんとなくこれ以上は紅先生に申し訳ない。俺がここにいなければきっとさっさと情報を提供して受付所を後にできていただろうに。 「あの、俺です。」 くの一に向かって言えば、女は一瞬何のこと?と訝しげに俺を見ていたが、はっとして鞠とやらの方へと走っていった。 「イルカ、あなたが出てくることなんかなかったのに、カカシの尻ぬぐいなんか本人がやればいいことなのよ。」 「ああ、いえ、でも今回はその、俺も言いたいことがあると言うか。」 「え?」 紅先生が不思議そうに首をひねった。 「へえ、あんたがカカシの男なの、やぼったい男ねえ、こんなののどこがいいのかしら。」 「あなたがカカシさんの股間を蹴り上げた人ですね。」 「ええそうよ、人が遠征任務で里にいない間にさっさと別の人間が私の居場所に居座ってて腹が立ったから。」 「まあそれはどうでもいいんですが。」 は?と鞠が怪訝そうな顔をした。まあ、話しの中心はカカシさんが俺とこの鞠という人との三角関係の痴情のもつれなのだろうと思われそうだが、実は俺の言いたいことはそこじゃあなかった。 「あなた女の人だからそんないけしゃあしゃあと蹴るとか軽々しく言いますが、実際はものすごく痛いんですよあれ。蹴られて痛みのショックで死ぬ人もいるんですよ。不能になることだってあるんですから痴情の喧嘩ごときで金的を使わないでください。カカシさんが可哀相でしょう。男にとって一番大切な部分と言っても差し支えない部位なんですよ?あなたはそれを理解していない。いい気味だとか腹いせでやっていいことと悪いことがあると言うことを知って下さい。あなたは上忍でありくの一なんですからもう少し里の者に対しての配慮をした方がいいです。別に痴漢されたわけでもレイプされたわけでもないんですから。」 「ちょっと、さっきから何を言ってるのあなた。」 「男としてどうしても譲れない事情というものを理解して頂きたいな、と思って差し出がましいとは思いましたがちょっとした忠告をさせていただきたいな、と。」 「そんなこと聞いてんじゃないわよっ。」 鞠が俺の襟元を掴んで持ち上げた。 「ちょっと、やりすぎでしょ。」 紅先生が取りなそうとしてくれたがそれが却って火に油を注いだのか、鞠の表情がどんどん険しくなっていく。が、ふっとその表情はうってかわってにこやかになった。あ、やばいかも。怒りの表情ならともかく、女がこうやって感情と真逆の表情を作ると言うことは、何か悪知恵だとか自分にとって優位な状況に立ったという時に多く使われる、と思われる。 「金的がどれだけ男に対してやばいのかってこと、ご親切に忠告をありがとう。さっそく実行させてもらうわ。」 やっぱり、そういうオチか。カカシさんですらギリギリでかわしてもその痛みにしょんぼりしてしまう程だと言うのに、俺なんかじゃ確実に的中しちまうだろうなあ、紅先生にかばわれるのもなんとなく男の古諺に関わると言うか。 「ちょっと、やめな。イルカには直接は関係ないことでしょ。それに、」 「紅なんてもっと関係ないでしょ、口はさまないで。」 紅先生の言葉を遮って女は蹴り上げるために足をコキコキ言わせた。うわ、こわっ。 「あの、なんでカカシさんがここに?」 「受付にイルカ先生の顔を見に来たら聞き覚えのある声がして、その、ちょっと様子を見てまして、イルカ先生の勇姿に見惚れていたんですがちょっと状況がやばくなったんで助けにきました。」 「あの、俺、かっこ良かったですか?」 「ええ、三国一の男前でした。惚れ直しましたよ。」 俺はそれを聞くとえへへ、と笑った。そんな時に紅先生がとんとんと俺の肩を叩いた。 「いい雰囲気なのはいいんだけど、あの子、あのままでいいの?」 紅先生の指し示した方向には、壁に激突してのびて忍服から下着が見えてしまっている鞠の姿があった。 「ほっとこうよ、上忍なのに俺の気配にも気付かずに相手のことを思いやれないような人間は身内からも見放されるもんさ。」 というカカシさんの言葉通り、さっきまで仲良くおしゃべりをしていたお仲間の女の人たちは姿が見えなくなってしまった。あまり受付が混んでいない時間とは言え、それでもいくらか人がいると言うのに、仲間思いのない人たちだ。 「紅ったらやっさしーい。」 カカシさんの言葉に紅先生がため息を吐いた。 「一応顔見知りだからね。哀れだし。」 紅先生はそう言って受付から出て行ってしまった。 「あのカカシさん、俺はもう大丈夫ですから降ろしてください。まだ受付業務も残ってるんです。」 出て行った紅先生を見送った後、俺が言えばカカシさんは渋々俺を床に降ろした。 「イルカ先生、俺、今日はちゃんと体調整えましたから、ばっちり夜の営みはできますからね。」 「え、そうなんですか!?さっきの金的受けないで良かったです。楽しみにしてますね。」 「はい、楽しみにしててください。今日の夕食は俺が作りますからね。」 カカシさんは嬉しそうに俺に言うと受付から出て行った。きっとこれを言うために受付に来たんだろうなあ、かわいい人だ。 「なんだよ、変な顔して。」 「イルカ、お前の方がかなり変だって。どうしてそう天然にずれてんだよ。」 「そうか?あ、そうだ、今日は残業しないからな〜、理由は聞くなよ?」 「聞きたくないっていうかもう聞いたって。ああ、もう、部署変え希望しようかなほんと。」 同僚はそう言って机に突っ伏したのだった。
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