私の想い No2
                                                  想い    



7月1日(日)
”フン・・どうせ....”

昨晩我が家へ近所の友達が来た。
もう7〜8年もまえにいっしょに婦人会の役員をした仲間・・・
年も近くて、気が合い、月一でファミレスで雑談しているの。
今回は我が家で集合。
そこで、とってもカチンと来る事を言われたんだ。
私、数年前だったら、絶対に言い返しているところよ。
今は、心にゆとりがあるせいなのか・・思考がチクチク尖っていないからか、
その時は、”まあ、いいや!”って思ったの・・だけど、
今あらためて考えてみると、なんだか、彼女の言葉、凄くバカにしている!
何気な〜くいってしまう言葉って、多分に本音が入っていると思うから・・。

”私、最近、目がちょっと変なのよね〜”って言うと、
”あんた、パソコンのし過ぎなんじゃないの? 今までの生活と違うのはパソコンぐらいでしょ・・?”
”うん、そうかもね・・。 でも、とっても楽しいんだもん!!”
”私なんか、仕事でパソコンしていて、家に帰ってまでパソコン、見たくはない!”と彼女。
うんうん、人によってはそうかもしれないな〜って思ったけれど、
その後の言葉が、かなり、私を傷つけた。
”あんた、パソコンで目、やられたんやわ・・
田舎もんは田舎もんらしく、畑してたら、いいやわ・・”

彼女は何気な〜く言った言葉。
かなり、私を馬鹿にしている!
彼女と私の差は会社員と農家というだけ。お互いにだんなはサラリーマンだし・・

まぁ、いいけどもね・・。
いろんな人がいるし、いろんな考えがある。
でも、言っていい言葉と、言わない方がいいだろうなあと思う言葉があると思う。
どれだけ、友達であっても、そして、それが夫婦であっても
その人のことを想う気持を忘れてはダメだと 思う。

6月22日 (金)
リリーちゃん

久しぶりに以前仕事をしていた洋装店のYさんから電話がかかってきた。
私よりもずっと年上の方・・・でも、とってもかわいい方なんです。
子供さんがいないせいなのか、それとも、ずっと仕事をしていた為なのか・・
どう言っていいのかわからないけれど、所帯じみたところなく、素敵な方なんです。

”元気にしている・・? 義母さん、亡くなられたのね。”
”そうなの・・ ほんとに急だったの。私自身もビックリなのよ・・・”
と、いろいろ話をした。
”ねぇ、ところで、リリーちゃん、元気にしている?”
”へェ・・? そう言えば、ずっと話をしていないものね・・・あのね、リリーちゃん、1月に死んじゃったのよ。
もう・・寂しくて、寂しくて・・・どうにもならなくなって、また、飼ったの・・。”
”そ〜なんだぁ。よかった〜〜 なんだか安心したよ、ホント、よかったねぇ。”

Yさんはと〜っても犬をかわいがっていた。(猫も好き!)
初めて会って時、”うちの娘がね・・・・・・” と話をしていて、そのうち、なんだか変。
改めて聞くと、うちの娘はペットの”犬”のことだった。
と〜ってもかわいがっていた。
ご近所のだんなさんが ”私がその犬になりたいですよ!”と、冗談をいうくらいに・・・・

リリーちゃんは年をとったせいなのか、歩けなくなった。
Yさんはふと気が付いて、獣医さんに相談した。
リリーちゃんは車椅子を作ってもらって、また、元気に散歩出来るようになった。
そのことをYさんはとっても嬉しそうに語っていた。
その彼女はこう言っていた。
”私、このリリーちゃんで最後よ。 今度飼ってもきっと最後までは世話をして上げられないもの。
精一杯、リリーちゃんを世話してあげるわ・・・”
なんて、寂しい事を言うんだろう・・・ リリーちゃんはいつか死ぬのに。
じゃ・・・リリーちゃんが死んだ後のあなたはどうするの・・?

そんなYさんであったけれど、また、ワンちゃんを飼った。
私はとってもうれしいし・・・なんだか、ホッとした・・。



6月9日
部屋の移動

私たちは今まで二階に部屋を持っていた。
3人の子供達と一緒に4つの部屋で暮らしていた。
子供達の成長に合わせて、5人みんな一緒の部屋に寝ていたこともあったし、
上の子供2人と私たちと末の子でわかれて寝たこともある。
それから間もなく、末の子も、”私も、お姉ちゃんと・・・”ということで、
上の男の子が1人で、あと女の子2人で部屋を持たせた。
上の娘が中学へ行く時にとうとう3人それぞれに部屋を与える事になった・・
というより、”自分の部屋が欲しい!”と、上の娘から強く要求されたのだった。
この時、私たち下に降りようか・・・とも考えた。
しかし、母たちが ”まだ、二階にいて、子供達を見ていたらいいのでは・・・”
ということで、一部のたんす等を下へ移動して、そのまま二階に居座ることになった。

狭いけれど、子供達の声も聞こえ、お互いの部屋も行き来し、
楽しい我が家?でもあった。
子供達の様子もわかり・・・また、二階は私の逃げ場所でもあった。

しかし、今は父も母も亡くなってしまった。
大きな家の一階には誰もいない。
それに、もう 私達は二階にいることはないと思う。

そんなわけで、私達の部屋をとうとう下へ持ってくる事にした。
これからが、母達の部屋が私達の部屋である。
戸の唐紙を張り替えた・・もちろん、障子も張り替えた。
たんすも本棚もぜ〜んぶ、家具の大移動がはじまった。
これが終わったら・・・・・・そこが私たちの部屋。
8畳と6畳とお手洗い・・・そして、見晴らしのいい明るい部屋。

娘曰く、”母さん、いいな〜、 私がこの部屋に住みたいよ!"
”ダメダメ、ここは私の部屋よ!”と、私。



5月25日
ある場面

今日、驚くような場面を見たような気がする。
それはドラックストアーでの事・・
買い物をしていた時、出入り口のほうで何か音がした。
なんだろうと、ふと見ると、買い物を終えたような奥さんが立っている。
そこへ、店員が駆け寄ってきた。
そして、奥さんとちょっと話をしてから、買い物の袋を持ってどこかへ行った。
しばらくして、その奥さんにその袋を返していた。
その奥さんはそのままお店を出て行ったから、何も無かったんでしょう。

私はその奥さんには悪いけど、あるテレビの場面を思い出した。
八千草薫さんが出演をしていた番組・・・
平凡な奥さん(八千草薫さん)がスーパーで万引きをした・・。
それを店員に見つかってしまった。
かわいそうなほど謝って、連絡を受けた旦那さんに引き取られて帰っていった。

ちっとも貧乏なんかではないその奥さん・・・
何で万引きをしたのか・・?

テレビのドキュメンタリーでも、万引きの番組をやっていた。
お金ばかりが引き金ではないような事を言っていた。
悶々とした気持ちのはけ口・・スリルを味わう・・・

でも、その代償は大きい。
よっぽどふところの大きな旦那さんでない限り、旦那さんの信頼を一瞬で失ってしまう。
考えるだけでもゾッとする結末が待っている。

この年になれば、誰だって事の良し悪しはわかる。
それなのに、そんな事をする・・・
私だって、悶々とした気分にもなり、やけくそ気分にもなる。
でも、勇気が無くて・・・いえ、結果が恐ろしくて、そんな事は出来ない。
私だけではない。
たぶん、誰だってそうなんだろうな。





5月14日
お茶の先生

お茶の先生のお宅へ筍を採りに行ってきた。
筍の他にも、フキやうどの芽、みょうがの新芽?なども採ってきた。
先生のおうちはとっても広い。
私は昨年の11月から煎茶だけを習っているんだけど、
もちろん、表千家のお抹茶も教えている。
お茶屋さんの知り合いから、この先生を教えてもらった。
”とっても気さくで、いいひとだよ!”の言葉通りの先生だった。
でも、驚いたのは先生のお宅の屋敷が広いこと。
庭もとにかく広い!
で、後になって知ったのだが、先生のおうちの系図。
越中百家に入っているおうちだったのです。
300年はさかのぼりことはできるそうで、
先生の旦那様は16代目とのこと。
庭園も素晴らしく、
もし、もっと手入れが行き届いていたならば・・と思ったりもする。
しかし、なんと言っても、個人の家。
もう、戦前とはまったく違う世の中。
想像するだけでも、大変だと思う。
庭には樹齢600年にも達しようとする樫の木がそそり立っている。
その落ち葉の掃除だけでも考えたらゾッとする。


先生はとってもいい先生。
たぶん、想像できないような苦労があったのではないかと思う。
でも、そんなことなんか感じさせない!
明るくて、気さくで、欲なんかとは縁が無い様に感じさせる人柄。
私はほんとにいい先生にめぐり合えた。

義父の残していった煎茶の道具を少しでもまともに使いたい・・
煎茶の作法をかじる程度でいい・・
そんな軽い思いで習い始めた煎茶のお稽古。でも・・
先生の魅力に惹かれて、ず〜っと習っていきそう。
そして、そこには、先生を慕う仲間がいる・・・私も、その一人になりたい。