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『another side』



 僕は知らなかった。

怒り―――裁かれないのをいいことに他者を虐げ、我欲を満たすことのみに没頭する輩に対し向ける感情
涙―――痛みや悲しみから引き起こされる身体反応
力―――人に命を奪う凶器

 そう思っていたから、僕は君が何故怒ったのか解らなかった。
 館長の義に反し君の仲間を失わせてしまったと思った僕は、当然の償いとして八剣の刃から君を守った。
 なのに君は、怒っていた。何故だか理解出来なかった。
「馬鹿!何て事するんだ。怪我してるのはお前じゃないか」
 そう僕を叱ったね。
 叱られてやっと解ったんだ。君か僕の身を案じて、無茶をした僕に怒ったって事が。
 こんな優しい怒りがあったんだって。
 だからそんな君が“生きている”と言い切った蓬莱寺京一という男に会いたいと思った。
 八剣が始末した“死んだ”人間に。そんなの無理だって拳武館の暗殺者たる僕が一番判っているのに……

「蓬莱寺京一、見参!!」
 驚いたよ。本当に君の言う通りだ。
「俺がいない間、大切なモン護ってくれてありがとよ」
 僕が蓬莱寺の大切なものを護れた……そう自惚れていいんだね。
 嬉しいよ。

 再び始まる戦い。
 さっきとは違う。
 君が感じられる。
 それは蓬莱寺のおかげ?

 君はいるだけでその場の濁りを払う。
 だからと言って邪気や闘気を退けるわけじゃない。どんなものでも怖いぐらいにその有り様を際立たせられてしまう。
 君達の清さも、そして八剣達の醜さも。
 でも、さっきは君が掴めなかった。
 場が澄みわたると同じように透明な氣を纏う君が溶けて消えてしまったように感じられなくなった。そこに居るはずなのに目で確かめないと不安になってしまうぐらい。
 なのに今は、君を感じられる。
 それは君の隣に蓬莱寺がいるからだね。
 彼の陽の氣が君の澄んだ氣と重なる。
 すると不思議なぐらい君があることを確かになった。
 まるで水に融け隠れていた水晶が光を浴びると煌き、その存在を顕かにするのに似ていた。
 蓬莱寺という光が失われなくて本当に良かった。
 

 君が泣いている。
 とっさに僕はさっきの戦闘で君が何処か痛めたのかと考えた。
 だけど、そんな大怪我しているようには見えない。
 じゃあ、何か悲しいの?
 君の大切な仲間は無事だったじゃないか。
 
 この時、まだ僕は知らなかったけど、君はどんなに辛いことがあっても弱音を吐いたり泣き顔を見せたりしたことがなかったんだってね。
 だから、君の涙に動揺したのは僕だけじゃなかった。
 皆、呆然と君を見守ることしか出来なかった。
「――――おかえり。京一。…無事で良かった…」
 君の震える声が緊張の糸を解いた。
「…ただいま。ひーちゃん」
 蓬莱寺が君を抱き寄せた。彼の表情は苦しそうに歪んでいた。
 よっぽど君を泣かせたのがこたえたんだろうね。
「心配かけてごめんな。もう大丈夫だから泣かないでくれよ」
「わかってるよ。だから泣いてるんじゃないか」
「へっ?」
 蓬莱寺が君の顔を覗き込む。
 君は笑っていた。
 涙は流れ続けてたけど、とても綺麗な笑顔だった。
「お前が帰ってきてくれて嬉しいから涙が止まんないんだよ」
「嬉し泣き?」
「そうだよ」
 君の瞳から途切れることなく涙が溢れている。
 痛みも悲しみも伴わない涙。
 そんなものがあるなんて思いもしなかった。
 でも君が流す涙は僕の胸を暖かくする。
 
 そうか。
 怒りも涙も色々な形があるんだね。
 じゃあ、僕の力も別の形があると思っていいね。
 人を殺す為じゃなく君を護る為に使えると。
 そう申し出ると君は僕に笑顔を向けてくれた。
「これからよろしく。兄弟子殿
 鳴滝先生に伝えて下さい。不肖の弟子は頑張ってると」
 信じられない言葉を君が口にした。
 昔、館長には自分と表裏をなす陽の技の使い手がいたと聞いたことがあった。
 そしてその人が失われ陽の技を継承する者も失われた。だから僕には対となる者はいないのだと思っていた。
 君が僕の対の龍だと言うのかい?
「どういうことだよ。ひーちゃん」
 親しげな龍麻の様子に蓬莱寺が割り込んできた。
「だから、俺と壬生は同門の弟子同士なんだよ。表裏一体の表の技を俺が、裏の技を壬生が受け継いでるのさ」
「何だと!」
 途端に蓬莱寺が不機嫌になった。意外に焼餅焼きだね。
 確かに龍麻は、僕の対の相手だけどそれだけなのに。
「安心してくれ。蓬莱寺。君の“特に”大切なものに手を出したりしないよ。
 では、また」
 蓬莱寺は真っ赤になって言葉を失った。
 無自覚だったらしい。
 君が龍麻に特別な感情を抱いているのは一目瞭然なのに。
 龍麻が信じている君を羨ましいと思うし、君の為に涙を流したことがちょっと妬ましいけど。
 君から龍麻を奪おうなんて思わないよ。そんなこと出来るわけないしね。
 まぁ、僕が龍麻に惹かれていることは否定しないけどね。
 僕にはそういう趣味はない……はずだから。




 追記:この後、龍麻が実は女性であった事がばれ、京一に龍麻対する思慕の念を気付かせてしまったことを後悔する壬生の姿がみられたとか。


END






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