―――1998年9月
ここ数年、母の身体の調子が思わしくないから、僕は一人で此処に来ている。
水をうち、花を飾り、線香に灯した火を消し煙をあげる。
そしておはぎを供えて、手を合わせる。
貴方を失い、母は身体を壊し病に臥せっています。
僕は貴方の代わりに母を護れているでしょうか?
父さん。
墓参りの帰りに川辺の土手に彼岸花が咲いていた。
赤い、紅い、血の色の花。
死人花。
僕はこの花が嫌いだ。
―――1999年1月
僕達――龍麻と京一君と村雨さん――は如月さんの家に向かうべく、郊外を歩いていると、通りすがりの家の庭の隅に季節外れの彼岸花が咲いているのが目に止まった。
真冬だというのに鮮やかな紅色(くれないいろ)。
何時だろうが何処だろうが血を纏い死を髣髴させるモノ。
「…まるで僕のようだ」
あぁ、だから僕はこの花が嫌いだったんだ。
なんて滑稽なんだろう。己の姿を写したような禍々しさを疎んじてたなんて。
「…壬生」
躊躇いがちに僕を呼ぶ京一君の声に我に返った。
村雨さんも僕の方を見ている。
いけない。
勘の良い二人の事だ。僕の考えなんかお見通しに違いない。
僕のくだらない物思いで煩わせてしまうなんて。
「さぁ、如月さんの家に急ぎましょう。
京一君。今日こそ村雨さんを返り討ちにするんだろう?」
「お、おうよ。
やられっぱなしじゃ俺の気がすまねェ」
「へっ。
それこそ返り討ちにしてやるぜ」
僕もそうなると思いますよ、村雨さん。京一君のギャンブル好きは下手の横好きですからね。
「ほざきやがれ。
てめェの悪運もこれまでよ」
「でかい口叩いて、後で吠え面かくなよ。京一。
今度は、フルチンで北区を走らせてやるぜ」
「この野郎!なんならこの場で決着つけるか。村雨」
京一君は袱紗の留め紐を解き、村雨さんは懐の花札に手を伸ばした。
仕様のない人達だな。僕が振った話とはいえ、すぐじゃれるんだから。
まぁ、そろそろ龍麻が止めに入るからいいけど。
あれ?
どうして止めないんだい?
不審に思い龍麻を見ると俯いていた。
どうしよう。
優しい龍麻のことだ。胸を痛めてるに違いない。
僕が馬鹿な事を口走ったばっかりに。
「龍麻…」
「―――ック、アハハハ。ごめ、アハハ。我慢できない。ハハハハッ」
腹を抱えて笑ってる。
もしかして、俯いていたのは笑いを堪えていたから?
何がそんなに可笑しいんだろう。
「おいおい。先生。
何そんなに笑ってんだ?」
村雨さんが聞いても返事もせず笑い続けてる。
「ひーちゃん。どーしたっていうんだよ」
京一君が龍麻の背を擦りながら尋ねると。
「ハハッ。―――ってさ、紅葉が…ハハハ」
僕?
そうだね。笑われて当然だね。
自分でも滑稽だと思ったんだから。
死を齎す僕が、死を思わせる華を厭うなんて。
でも、何故かな君にそんな風にされると切ないね。
今まで誰に何と思われようとも自分の選んだ―――母を護る為の生き方に迷いを感じたことなどなかったのに。
君は僕に色んな事を教えてくれた。
一つだけじゃない涙や怒りや力のあり方を。
それから多くの仲間を与えてくれた。
お陰で僕は分不相応なたくさんの温もりに囲まれて過ごすことが出来るようになった。
そのせいで忘れていたよ。
所詮、僕は君達と相容れない汚れた存在だってことを。
「ひーちゃん」
「先生」
笑い続ける龍麻を二人が止めようとする。
二人共飄々としてるくせにこんな時は、細やかな心遣いをみせてくれる。
けど、いいんですよ。龍麻が笑うのも尤もなんですから。
そう思って僕は静かに首を振り、二人を制した。
二人は怪訝そうに僕を見てる。
「ハハ……あれ?」
僕達の様子が変なのにようやく龍麻が気付いた。
「ごめん。笑ったりして。
そうだよな。可笑しくないよな。紅葉は彼岸花みたいだもんな」
やっぱり君にもそう見えるんだね。僕が死人花の如き忌まわしきモノだと。
笑われるより痛いね。
「ひーちゃん。どーしてそんなコト言うんだよ」
「え?だって、紅葉が…」
「だからって、らしくねえ言い方じゃねえか。先生」
京一君たちに責められて龍麻が困っている。
「僕の事なら気にしないで下さい。
自分が彼岸花みたいだって言ったのは僕なんですから」
「プッ」
また吹き出した。そんなに笑わなくても…。
「やっぱりダメだ〜。
紅葉ったらマジな顔して言うんだもんな〜。自分の事クリスタルアマリリスみたいだって〜。ハハハ…、いくらその通りだからってさ〜アハハハハハッ」
龍麻は、京一君の肩に頭を寄せて彼を叩きながら本格的に爆笑している。
クリスタル何?僕が何だって?
「意外だったな〜。紅葉も翡翠や晴明と一緒で、綺麗でも自分の容姿なんて頓着しないタイプだと思ってたのに」
それを言うなら君もね。龍麻。
「でも、ま、悪くないよな。自分の美に自覚があるのは。本当にその通りなんだし。
笑ったりしてごめん。曼珠沙華のように綺麗な兄弟子殿」
え?
「あれ?紅葉は曼珠沙華の意味知らないの?」
曼珠沙華は彼岸花の別名だよね。それ以外何が。
「お華の先生はもちろん知ってるよな」
問われた村雨さんが鼻を鳴らす。
「へっ、成る程な。先生らしいぜ」
「もったいぶってねェで教えろよ。村雨」
僕同様話についていけない京一君が村雨さんを急かした。
「曼珠沙華ってのはよ。
仏教で天界に咲く四華の一つでよ。その花を見た奴は心が柔らかくなって、自ずと悪行から離れるってえ尊い花のことさ」
何だって!
「まさに紅葉って感じだろ。
綺麗なだけじゃなくて、穏やかな所もぴったり」
龍麻、君何いってるんだい?
僕は拳部館に属する者なんだよ。解ってるのかい?
そんな僕の何処が…。
「俺はクリスタルアマリリスのが紅葉っぽくって似合うと思うんだけど。
どうかな?」
「どうって言われてもよ。
そのクリスタルアマリリスって何なんだよ。ひーちゃん」
「俺もそりゃあ知らねえな」
「え?村雨も知らない?
マイナーなのかな。俺は好きなんだけど…。
海の向こうじゃ彼岸花の事をそう呼ぶんだってさ。
同じアマリリスとは思えないほど繊細で美しいから」
僕は一般にアマリリスと呼ばれる花の綺麗ではあるが、存在感のある姿を思い浮かべ、彼岸花をクリスタルと例える西洋の人の気持ちが解る気がした。
だけど。
「龍麻。君、僕の何処が曼珠沙華やクリスタルアマリリスだって言うんだい」
「全部」
間髪を入れずに返ってきた答えに僕に絶句した。
君の瞳には映る僕は、僕が思う僕とあまりに違う。
僕は自分の事をそんな風に思っていた訳じゃないのに。
誤解だ。
恥ずかし過ぎる。
顔に身体中の熱が集まってくる気がした。
「あきらめろ。壬生。
ひーちゃんにとってお前は“クリスタルアマリリス”なんだよ」
「そうそう。
日頃、あれだけ甘やかしてりゃあ、そう思われてもしょーがねえな」
二人してにやにやしてる。人事だと思って。
それより何より気になるのは。
「龍麻。君何してるんだい?」
「ん?紗夜にメールを」
こそこそ何かしてると思ったら、なんて事を。冗談じゃない!
「龍麻!比良坂さんに告げ口なんて止してくれ」
「いいじゃん。紗夜も喜ぶって。紅葉の意外な一面発見。これは言わずにはいられない」
言わなくていい!
携帯を取り上げようとすると龍麻は逃げ出した。
もちろん僕は追いかけた。そんなメール、比良坂さんに出されては堪らない。
「おうおう。兄弟仲良くおっかけっこか。微笑ましいねェ。
ひーちゃん。がんばれよー」
「あれ見ちまうと、拳武館の壬生紅葉にゃ見えねえな。
赤い顔しちゃって、可愛いねえ」
「ホントに真っ赤だな。名実ともに彼岸花だぜ」
「ちがいねえや」
なんだか京一君達が言いたい放題言ってたけど、僕は龍麻を阻止するのに必死でそれどころじゃなかった。
―――2000年9月
僕は今年も此処に来ている。
父さん。
母さんの具合もかなり良くなりました。
来年は二人で会いに来れると思います。
墓参の帰り道、紗夜に会った。
「君も、かい」
「えぇ、兄さんのお墓参りを」
川辺の土手道を二人で並んで歩く。
「あ!見て見て。
紅葉が咲いてる」
紗夜の指差した先に咲いていたのは。
彼岸花だった。
何故それを…。
「えへ。
龍麻から聞いちゃいました。
私もクリスタルアマリリスって紅葉にぴったりだと思うな」
僕は顔が赤くなるのを止められなかった。
君や龍麻が見てる僕は、本当の僕じゃないのに。
でも、そんな風に見て貰えるのを少しだけ嬉しく思えるよ。今の僕は。
その何倍も恥ずかしいけどね。
秋に咲く紅い花。
幾つもの名を持つ。
彼岸花、死人花、曼珠沙華、そしてクリスタルアマリリス。
この花は見る者の心のままに名を変える。
僕はこの花を嫌いではなくなった。
【end】