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『good night』



 はっきり言って醍醐雄矢は、眠れなかった。
 今日は修学旅行初日で東京から京都まで移動し、その後有名な寺を巡り、その上天狗を気取って山まで護ったのだ。
 適度に疲れている。眠れない訳はない。
 なのに醍醐は眠れなかった。
 時間はとうに深夜1時を過ぎている。
 夜更かししたのでなく、無断外出の罰正座から解放されたのが0時近かったからだ。
 普段であればとっくに寝ている時間である。
 にも係わらず醍醐に睡魔は訪れてくれなかった。
「ぐー…。がー」
 気持ち良さそうに鼾をかく京一に腹が立ち、それがただの八つ当りだと気付くと溜息が漏れた。
「眠れないのか?」
 すぐ脇にいる龍麻が声を掛けた。
 醍醐は狸寝入りを決め込んだ。
「雄矢は寝たふりが下手だな」
 大根役者の芝居は見事に看破されている。
「…すまん。起こしたか?」
「いや。まだ起きてた」
「そうか。俺が言うのも何だが早く寝たほうがいいぞ」
 暗がりでも紛れることのない龍麻の双眸が自分を見詰めていた。
 顔を横に向けているせいで額髪が流れ、顔が見える。その表情は、あくまで優しく見る者に安心を与える。整い過ぎた美貌というものは近寄りがたいものだが、龍麻に限ってそんなことは全然無い。
「やっぱり、何かいるのか?」
「な、な、な、何の事だ!た、龍麻」
「し〜〜っ」
 龍麻は人差し指を口に当てた。
 醍醐は慌てて口を噤む。どうやら龍麻の向こうで寝ている京一を起こさずにすんだようだ。
「ほら」
 龍麻の手が醍醐の目の前に突き出された。
「手」
 そう言うと一層手を顔に突きつけられた。
 理解しがたい行動に寝られない苛立ちも手伝って醍醐の眉根を寄せた。
 龍麻は醍醐の不機嫌を小さく笑ってかわし、
「手を貸せよ。効果は姉さんの保証付きだぜ」
 と掛け布団の上に出ていた醍醐の手を取った。
「たっ!!」
 辛うじて叫ぶのを堪え、非難の目を向けた。龍麻は平然と微笑んでいる。
「これで安心して寝られるぞ」
「た、頼むから俺に分かるように説明してくれ」
「俺の姉さんも雄矢や舞子と同じで普通だと見えないものが分かるんだ。
 で、そういうのがいると落ちつけないだろう。
 そんな時、俺と手を繋ぐと安心するんだってさ」
「そうなのか?」
「あぁ」
 自信を持って断言されても…。
 真神の総番・醍醐雄矢ともあろう者が、幽霊が怖くて友人に手を繋いで貰ってるなんて情けないやら恥ずかしいやら。困ることしきりである。
幼い頃に母を亡くして以来、人に頼られることはあってもこんな風に甘やかされた経験なぞない。だから慣れないのだ。
それでも手を振り払うことはしなかった。
何故なら握られた手の温もりに安堵しているから。
だが、それが一層恥ずかしくもある。
「おやすみ」
 醍醐の逡巡をよそに龍麻はさっさと寝てしまった。
 気恥ずかしさに呑まれて何時の間にかあれほど感じていた恐れは消えてしまっていた。
しばらくすると、醍醐は健やかな寝息をたてていた。

「いい加減ワザとらしい鼾よせよ。京一狸」
 ピタリと鼾が止んだ。
「―――んだよ。ひーちゃん」
「良かったな。アレのおかげで何とか雄矢も寝れたみたいだしな」
 龍麻の視線の先にはお札があった。壁の隅に掛けられた学ランの影に隠すように貼ってある。どうやら魔除けの札らしい。
「アレ、どうしたんだ?」
「裏密に作ってもらった」
「ミサに?やさしいな京一」
「しかたねェだろ。こうでもしなきゃ大将どうにかなっちまうぜ」
 二人揃って休んでいる醍醐を見た。穏やかな寝顔にほっとする。
「だな。まさか、この部屋は出るらしいなんて言えないよな」
 三人がいる部屋は、幽霊が出るらしいという有名な部屋であった。強いと勇名を馳せている蓬莱寺、醍醐、緋勇なら平気だろうと割り当てられてしまったのだ。もちろん先生方は醍醐のお化け嫌いを知らない。
「だろ。それに大将が寝れたのはひーちゃんのおかげじゃねェか」
「そんな事ないさ。このおまじないだけじゃ雄矢を誤魔化せないよ。
 さっきの雄矢の様子から見て、ほんとにいるみたいだし」
「なんだよ。そのおまじない嘘なのか?」
「嘘じゃないけど、こんなの気休めだよ。俺に特別な力があるわけじゃないんだから」
 そうだろうか。あの鬼道衆との苦しい戦いも龍麻がいたからこそ勝ち抜けたんだと京一は思った。
「試させろよ」
 言うと同時に京一は空いている方の龍麻の手を握った。
「どうだ?」
「どうって…わかんねェ。けど、ひーちゃん手ぇちいせえな」
 自分の手の中にある龍麻の手に京一は驚きを隠せない。
 武術を嗜む者の手とは到底思えない。それくらい柔らかく小さな手だった。
「悪かったな」
 龍麻が憮然として手を解こうとするのを京一はとっさに力を込めて引き留めてしまった。
 京一とて男同士で手を繋ぐことなどみっともないと思うのだが、龍麻の手を離せない。
さっきだって、いくら恐がりの醍醐の為とはいえ手を握ってやる龍麻に呆れたいたはずなのに、目の前で手を繋いでいる二人を見ると癪に障った。
 どうにもこうにも収まりのつかない気持ちに京一は戸惑っていた。
「…もしかして京一もお化けが恐いのか?」
 冷やかすわけではなく気遣うように龍麻は尋ねた。
 情けない誤解をされたというのにそれでも離したくなかった。
「ちげーよ。こうやって三人で手繋いどけば、もし大将になんかあっても安心だろ。
俺らがそろってりゃ恐いモンなんて何にもないぜ!」
 照れ隠しのため拗ね顔の京一に龍麻は笑顔を返した。
「なるほど。いざとなったらサハスラーラだな」
「応よ」
「じゃあ、早く寝よう。夢の中で雄矢が待ってる」
「よっしゃ、寝るぜ」
「おやすみ。京一」
「おやすみ。ひーちゃん」
 こうして龍麻と京一も醍醐の後を追って夢路を辿った。


 犬神は細心の注意を払い、気配を殺しドアを開けた。
 ただの見まわりを彼がこれほどの慎重に行うのには訳がある。
 人を超えた力を有する若者達の眠りを妨げない為にそうしたのだ。不用意に部屋に入ればすぐに起きてしまうだろう。

「…………」
 そこには無邪気に手を取り合って眠る三人の魔人の姿があった。
 歳相応の高校生としての彼等を目の当たりにして苦笑が漏れる。
「フッ…。ばれた時が見物だな」
 彼は知っていた。
 人狼としての鋭敏さで男として過ごしている龍麻が実は少女であることを。

 壁に貼られた魔除けの札に目を止めと、犬神はほんの一瞬《氣》を高め、室内にあった陰気を払った。
 教え子達の束の間の休息を守る為に。


 彼等の真の戦いは、間近に迫っている。

【end】






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