中医学気功研究会の誕生まで

中医学気功研究会誕生までの経緯を振り返ってみたいと思います

1984年(昭和59年)9月、富山市にて吉野薬局を開局
薬局の特徴は、一般にいうドラッグストアではなく、漢方相談を核にOTC薬・調剤・そして少々の雑貨品という構成でした。

しかし
大学では、
生薬研究会に所属し、そして卒業研究では植物組織培養や成分研究をやっていたので、その当事は漢方薬など古い遺物ぐらいとしか考えていない、 科学万能主義の信奉者でした。


そんな私が、なぜ漢方に惹かれたのかと申しますと、

 
咳がひどい時に自分自身で服用し、著効の体験をしたためです。
でも、その時の処方薬の選び方は、メーカー研修でもらった資料をアンチョコにした大変おそまつなものでした。その資料は、和漢(日本漢方)をベースにしたもので中医学ではありませんでした。

漢方への第一歩は
1983年4月より鎌倉市内の薬局で(開局の準備をかねて)勤務していた頃 漢方メーカーの研修を受講することになり、そこからスタートしています


たまたま鎌倉市にて研修を受けた漢方メーカーが、富山市で中医学研修会を始めており、そこで中医学に出会うことになります。

この研修会での情報をもとに、「中医学入門」「中医処方解説」「中医学基礎」など買い求め独学していくのですが、レベルの低い弁証論治でした。

3年くらい毎月、メーカー研修と独習を続けているうちに、弁証論治のレベルも向上し、治療成績も徐々に良くなっていきました。

そして、私が中心になって「弁証論治を学ぶ会」を薬剤師3名でスタートすることになったのです。この会は現在も継続しており、薬剤師5名が月一回中医学の研鑚に励んでいます。


気功との出会いは、学生時代に遡ります。

北里大学・空手道部の創立に楊進さん(楊名時さんの長男)とかかわり、道場開きのおり、楊名時さんに太極拳を表演していただきました。(1968年頃)
その時八段錦を教えて頂いたのが気功初体験でした。

その当時は、空手のスピードある動きの方が楽しく、ゆったりとした太極拳にはあまり興味がわきませんでした。

卒業後、会社員となり時々空手の型の練習をやってみるのですが、呼吸と動作が乱れて苦しいことがしばしば生じました。(練習不足が原因と思いますが?)また、八段錦もやっていましたが、気を練り経絡を意識することもなく、西洋型ストレッチの代わりにやっている状態で、とても功を積み上げるようなものではありませんでした。

たまたま、太極拳の動作を思い出しながらやってみたところ、呼吸の乱れもなく動け、結構楽しくできることに気付きます。当時、太極拳が少しづつ全国に普及され始めていた時代でした。

その頃、太極拳の本(松田隆智さん・笠尾恭二さんなど)が出版され、それらを購入し、太極拳の動作を忘れないよう自己練習を時々やっていました。こうして気功に触れていましたが、八段錦・太極拳が気功であるという認識も無く、ストレッチや武術の一種ぐらいに考えていました。つまり気功に気付けない状態でしたが、書店で中国武術・太極拳の本を見つけると購入し、動作を確認することを細々と続けていたのです。

1990年の6月に津村喬さんの「やさしい気功健康法」1・2・3と出会います。

これが大きなターニングポイントになりました

このシリーズVol,2の中で「患者主体でやる部分(気功、食養)と専門家に相談しながらやる部分(鍼灸、湯液)」の二本柱が中医学の特徴と書かれています。
日本における「医師におまかせ医療」とは、大きく異なるという意見に目を覚まさせられる思いでした。

中医学の弁証論治のレベルアップで漢方薬を効かすことが可能だと思い上がっていた私には、大変なショックでした。薬剤師として弁証論治の向上は当然のことなのですが、医療においてもっとも大切な、患者本人のやるべき部分(気功、食養)を提案しないのでは片手落ちだと気付かされたのです。


そして 気功・食養を学び普及させるべく、「中医学気功研究会」を誕生させました。

注/ 弁証論治 
中医学の核心部分です。中医生理学・病理学を治療につなげる必須の考え方。
日本漢方(和漢)の大多数を占める古方派には、弁証論治がありません。
中医学気功研究会表紙ページへ戻る
Copyright(c)2005yoshino All right reserved.