一回り大きい相手にけんかを売って,負けて主人に助けられた日

 ある日,神通川堤防の主人の散歩に付き合っていた時のことである。
 突然放し飼いの黒茶色の犬相の悪い,俺より一回り大きい犬に出会った。 そいつは,俺を見ていきなり「この野郎〜」とガンをつけてきた。 そのとき主人はそいつを「こらっ」としかって追い払った。 しかし,そのしぶとい奴はいったん引き下がったが,再びこちらへやってきて,俺に「馬〜鹿」と言って立ち去ろうとした。 俺はその態度に腹がたって,「もう一度言ってみろ」と立ち去る相手の方へ顔を向けた時,タイミング良く首輪がすっぽりとぬけた。 これはしめたと思い,相手がどんな奴か近くでもっと見て見ようと思い,「待てっ」と呼ぶ主人に構わず,持ち前の好奇心が災いして思わずその犬の横でそのふざけた顔をのぞいた。 するとそいつは思いっきり逃げ出したではないか。 俺は「何だこの弱虫。待てっ」とそいつの後をあわてて追いかけた。すると,相手はこんどは全速力で逃げ始めた。俺は頭に来てそいつを必死においかけた。後ろから主人の相変わらず「待てっ」という声が聞こえたが,「待てっ」と言われて待つ馬鹿はいない。必死でそいつを追いかけた。

 およそ500mは追いかけたろうか。そいつはある家の前で急に止まるとこちらに振り向いて「こいっ」とばかりに俺に飛び掛ってきた。俺も,これを見てすぐに戦闘体制に入って応戦した。相手は一回り大きいだけあって強かった。どこかの奥さんの「やめなさい」と言う声が聞こえた。「やめなさい」でやめるようなら警察はいらない。
 
 どうやらここは,そいつの家の前のようであった。相手は自分の縄張りまで俺を誘いこんでから攻撃しようとの腹積もりだったようである。思ったより利口な奴であった。しばらくは互角に取っ組み合いをしていたが,徐々に俺の形勢が不利になってきたと思った瞬間,そいつは俺の隙を見計らって俺の後ろへ回って,思いっきり俺の首の後ろを噛み付いた。「まいった」私はふせながら観念した。こいつは強い。とてもかなわない。伏せたまま後ろ首をかまれながら,身動きできずにそう思った。

 そのときである。主人が走ってきて,勢いあまってころびかけながらそいつの腹を,長靴をはいた右足で思いっきりけとばしてくれた。そいつはびっくりして俺から離れた後,ころんで手をついた主人にも「この野郎!」と唸り声をあげたが,主人が立ち上がりながら「
この野郎!」と相手を食べてやるぞとばかりに向かっていった時には,俺もびっくりしたが,そいつとただうろうろしていたその飼い主の奥さんも恐怖を抱いたようである。それだけ,主人も必死だったのであろう。とにかく俺は命拾いした。

 後から聞いた話だが,主人は私が相手を追いかけていった後,俺を見失って,道を歩いていた人に聞きながら俺の行方を走り回って探しだしたようである。俺は助けられた後,その場で頬を5発たたかれて首輪をつけられた。そいつとその飼い主の奥さんは主人に恐れをなして,そそくさとそいつの家の車庫に隠れてしまった。主人はそいつとそいつを放し飼いにしていた奥さんに相当腹がたったようで,この世のもとは思われないほど恐ろしい形相をしていた。
 
 そいつが再び車庫から顔を覗かせた時には,雪を渾身の力で丸めて本気でぶつける様子であった。そいつは再び恐れをなしてそそくさと隠れてしまった。そいつの奥さんはあいかわらず陰に隠れてこちらの様子を怖そうにうかがっていた。
 
 引き揚げる時に主人の怒りでゆがんだ顔を横目で見た時には,我ながら恥ずかしい思いで一杯であった。そして来た道を主人といっしょに黙々と引き返した。
(H9冬)