庭の柵の隙間から下の水路に飛び込んで亡くなった俺(H20.2.17)

 なさけない話だが、俺は昨年の秋ごろから「ワン」と言えなくなり、頭の悪い猫のようなというか、恐ろしい狼のようなというか、「ニャーゴ」とか「ウオー」という鳴き声しか出せなくなった。最近、頭がボーッとしてきたし、足もフラフラしてきたし、寝床でウンを漏らすこともあり、家族にはたいそう迷惑をかけるようになってきた。

 俺の調子がおかしくなってきたのは、それ以前の、昨年の5月頃だ。犬の仲間もかかっている歯周病というものになってからだ。右側の鼻から水鼻が出るし、同じく右側の眼から目ヤニもひどくなり、歯の具合も悪く、まともにエサを食べれなくなった。主人はすぐにインターネットで処置方法について調べてくれた。そこで、犬猫病院で1泊の抜歯、歯磨きの治療を受けることになった。ところが、医者が抜いた歯はグラグラしている方の歯ということで、左側の歯を何本か抜いた。処置後、1週間程度は調子が良かったのだが、すぐにまた症状が悪くなった。どうも、歯周病の菌が鼻の内部まで進行していたようだ。医者の話ではそれ以上の治療はできず、抗生物質でそれ以上悪化するのを防ぐ程度の治療しかできないとのことだった。俺が老齢というのも問題だと言っていた。でも、その治療で、そのうち、水鼻が少なくなり、小康状態のように思われた。でも、主人はずっと言ってきた。歯を抜く必要があったのは右側だったはずだ、と。

 冬になると、そんな俺のために、主人は、俺が子犬の頃につかった電気アンカを出してくれたし、今年に入ってからは、犬小屋やその横においてある寝床クッションの周りをベニヤ板とプラスティック波板で広く覆って風除けをつくってくれた。おかげで、寒さしのぎはできた。でも、今日は寒いと言って、庭に出る境目を板で塞いでしまうことがあった。そうされると、庭でションやウンができなくなる。この庭のウンの世話では主人や奥さんに迷惑をかけたが、俺の動きがノロすぎると言って散歩に連れていってくれなかったのだから仕方がない。庭に出れなくなった時には、俺は「開けてくれ」と言って「ウォー」と家族を呼んだが、そのたびに、主人が腹を立てて鬼のような顔をして出て来て「うるさい」と言って長い定規で俺の頭と尻をたたいた。大変痛かった。でも、そのうち主人も俺の言うことを理解してくれたようで、特に寒い日であっても、庭に出れるように板を取り外してくれた。

 そして2月になると、再び水鼻がひどくなり、薬の効きも悪くなってきた。家族も、俺が顔を振って水鼻を飛ばすと大騒ぎした。悲しかった。みんな俺から離れているように見えた。自分の寿命が近づいているのを悟った。そして「値段の高い方のエサがもうなくなった。1か月分の薬もなくなる。医者は、次はどんな薬をくれるのか。」という主人の声も聞こえてきた。
2月16日、一日中雪が降っていた。俺は自分の運命が終わりに近づいているのを感じた。俺と仲の悪かった近所の外犬仲間も、昨年2匹亡くなっている。もう近所には俺しかいない。

 2月16日から17日にかけても雪が降った。朝方、雪の降る中、俺の最後の声が家族に届くように「ウォー」と何度か鳴いてみた。よたよたと庭を回りながら、自分の最後を迎える場所を探していた。そのうち、自分の行くべき道が見えた。それは外に通じる庭の柵だ。ずっと小さい頃からその柵越しによその犬をみて吠えていたあの柵だ。でも若かった頃の自分の力でもどうしても外に出れなかった柵だ。第一、出れたとしてもその外は絶壁になっているから命を落とすことがわかっていた。でも外に出るにはここしかない、と思った。
そして、その柵によじのぼろうと思った。やはりまったくだめだ。そのうち、もしかして11cmの幅の柵の隙間から出れないかと思った。昔の俺ではまったく無理だった。でも今は体がやせ細っているからわからない。柵の間に頭を突っ込んでみた。頭が入った。そして無理やり体を通そうとした。そしてついに柵の間を体が通った。が、その先は3m下の水路。俺は前に一回転しながら落ちた。そして、水路横の雪がクッションになって水路の中に落下したようだ。不思議と怪我はしなかった。しかし、急な水路に足を取られて立つことができず、水の勢いで流されて、近くの幅3mほどの川の深みの中に一気に体が飛び込み、深く沈んだ。0℃近い水温の中で体が凍えた。水の大嫌いな俺は水の中でおぼれかけてあわてて起き上がろうとした。何とか立ち上がることができたが、両岸が高く、地上に上がれない。水の流れの方向にに歩くしかなかった。深みを過ぎると、水の深さは10cmほどしかない。しかし、泥に足がとられる。それでも浅瀬側を50mほど歩いた。次第に体の感覚がなくなってきた。意識が朦朧としてきた。ついに動けなくなって倒れた。意識が薄れる中で、これで病気の苦しみから開放されると思った。

 俺は空から家族の家や自分の姿を見ていた。17日は日曜日だ。朝から主人が俺を探していた。庭には、どこにも俺が抜け出られるような場所がないので不思議がっていた。屋根から落ちた雪の下敷きになっているのではないかと思って雪を除いて探していた。そこにいないことがわかると、柵の隙間からでたのでないか、と考えたが、俺の体が通るはずはない。しかし、昔の俺でも越えれない柵を今の俺が越えられる訳がないから、やはり、体がやせたから柵の間を通ったのだろうか、と思ったようだ。それから、半信半疑ながら、水路の下流で合流する川に的をしぼって俺を探した。そしてとうとう俺を見つけた。
家から約100m離れたところだ。家族に見つからないように家から出てきたつもりだが、俺の力不足だ。ちょうど主人に見つかった時、カラスが一羽俺の体に近づいて俺の垂れた舌を一突きしていたところだった。主人のすばやい対応のおかげで、危機一髪、カラスに肉を蝕まれずにすんだ。俺の体はほとんど無傷のままだった。主人は、家からはしごを持って来て俺を引き上げて、家に連れて帰ってくれた。そして、俺の体を洗って泥を取って綺麗にしてくれた。その夜遅く、先生の訃報を聞いた大学生の二男が京都から帰って来た。

 18日(月)、主人は会社を休んで、奥さんと二男といっしょにペット葬儀場で俺の葬式をしてくれた。人間の世界と同じだった。

 最後に、ここの家族の一員となり、まれに見る美男子だと可愛いがってもらい、時には主人に何回かたたかれれることもあったが、長男、二男の教育係という重大な任務につかせてくれた家族、特に俺を自由奔放に育ててくれて、最後までしっかり面倒を見てくれた主人に感謝し、俺の生活記はこれで終わりにさせてもらう。
=================  
これまでの俺の功績
・長男、二男の教育
・ねずみ監視
・泥棒(猫含む)監視
・家族の送迎
・家族の話相手

俺は左から2番目の柵を
通り抜けた。
約3m下に俺が落ちた
水路が見える。
庭から見た柵。俺の体は
この隙間を通り抜けた。
俺が発見された水路。家の横の
水路との合流点から約70m下流。
俺、2008年2月17日(日)没、享年15歳6ヶ月(人間で言うと78歳)、死因:心不全