Vol.556b 7.Nov.2008
K
南紀・熊野・奈良の旅
by fjk
【第1日】 −南紀へ−
(富山〜<東海北陸道>〜名古屋〜熊野速玉大社〜那智の大滝〜那智勝浦)
- <出発>
- 近頃、世界遺産に興味があり、今年は沖縄の首里城などを訪れたが、比較的近くにある熊野古道にも行ってみたいと思い、ドライブ旅行の計画を立てた。山の中のドライブと言うことで季節は秋、熊野だけではなく、ついでに紀伊半島、さらに奈良も、と欲張った計画を立てた。
初日は10月31日の朝6時の出発で、ちょっと明るくなりかけてから、大急ぎで荷物を車に詰め込み、10分遅れで出発した。前日までの天気は雨模様で心配したが、日頃の行いが良いせいか(?)青空が見られる。早朝の空いている道を流杉インター(IC)へ向かう。流杉ICは元々はパーキングエリアのみだったがETCを使ったスマートICとして利用できるようになっている。
北陸自動車道は早朝で走行している車もほとんど無く、エンジン回転数が2000rpmを越えないエコランで走行することができた。助手席の女房は初めてのハイビジョンデジタルビデオカメラ撮影と言うことで悪戦苦闘していた。今回、撮影時にカメラを支える1脚を取り付けたので、狭い車内では取り回しに苦労しているようだった。何度かの撮影練習で、カメラの使い方をマスターしたようだ。ビデオカメラには日付や時間も記録されるので旅行のメモ替わりに使える。
高速道路も砺波を超えて少し行くと、東海北陸道へと続く小矢部ジャンクション(JC)が見えてきた。東海北陸道は何度も利用しているが、昨年までは白川郷ICと飛騨清見ICの間が未開通となっており、2008年7月に全線開通となった。ナビのマップが古いので、それまでに開通していた白川ICに近づくと、ナビは高速道路を出るように指示してくるが、道路はまだ先があり直進する。このあたりの山々は紅葉が始まっており、女房はビデオを盛んに撮ろうとしているが、車の速度が速いので、良い景色がなかなか撮れない。そのこうしているうちに日本で2番目に長い飛騨トンネル(10710m)に入る。出来たばかりのトンネルはさすがに綺麗で明るい。この付近は片側1車線の対面通行であるが車も少なくスムーズに走行できた。雨模様を心配していたが、トンネルを出ると晴れており、雨の心配は無さそうである。
- <ひるがの高原SA>
- 家を出てから2時間近くなったので、ひるがのSAでトイレ休憩する。旅が始まったばかりなのに、店の中をうろうろしていると、つい土産を買ってしまった。ひるがの高原は標高900mで日差しは暖かいが空気は寒い。暖かいコーヒーを注文して飲んでいると、早朝出発による眠気もさめた。
体が暖まり、SAを出発するが、次の高鷲ICに近づくと、ナビが「インターを出てください」と指示する。ナビの目的地は那智勝浦にセットし、高速利用にしたはずであるが、何故かナビは「高速を出ろ」という。ナビの誘導を無視してさらに走り続けるが、インターに近づくに毎にどのインターでもやはり高速を降りるよう指示してくる。何か原因があるはずと考えてみると、「経路選択」時にひるがのSA近くを経由地として設定したことを思い出した。SAを設定したつもりであったが、ナビは下道の165号線の地点と思っているらしい(だから高速を出ろと言う)。経由地(近く)を通りすぎてはいるが、「戻れ、戻れ」と指示しているらしい。この状態は、次に停車した御在所SAまで続いた(ここで、経由地データをキャンセルする)。
- <一宮・名古屋・名阪>
- 平日の8時頃ということで、道路は少し混み出した。郡上八幡ICに近づくと2車線化工事のために車線規制をしていたが渋滞はなく相変わらずスムーズである。郡上八幡から東海北陸道は片側2車線となり、周りの車の動きに注意が必要となる。何度か利用したことのある愛知環状道路の美濃関JCをそのまままっすぐ一宮に向かう。
木曽川が見えてくるともうすぐ愛知県である。一宮JCで名神高速道路に入り。ほんの5分弱で一宮ICがあり、出口に向かう前の車について行くと、名古屋高速道の看板があり、ジャンクションの様な曲率のきつい2車線の道を進むと、自然に名古屋高速16号一宮線に出た。2車線なのに何故か右側だけしか車が走っていない(合流で1車線に絞られるためと後でわかる)。
名古屋高速16号一宮線はまだ新しい道で名古屋市内に抜ける便利な道である。名古屋市内手前の清洲JCから東名阪自動車道には入り、さらにしばらく行くと名古屋西料金所がある。ETCがあるので、単に通過するだけである。さらに名古屋西JCから伊勢湾沿いに走る。
名阪道をさらにすすむと四日市JCが見えてきて、「伊勢に行くには」と看板をみるが、「伊勢」もあるが「豊田、セントレア」と書いてある。伊勢湾岸自動車道が伊勢湾沿いに豊田まで繋がってることを忘れていたので、分岐点で間違えて、豊田に行きそうになった。
お昼に近づいてきたこともあり、御在所SAに寄ることにした。今年、新名神道が開通したこともあり、名阪と新名神の両方で利用できる御在所SAは混み合っていた。ここで、食事と考えていたが、混んでいるのと、まだお腹が空いていないので、今の内に出来るだけ先に進むことにした。ドライブインの店内を見回っていると、つい土産物をまた買ってしまった。
- <伊勢・紀勢道>
- 亀山JCで新名神、亀山ICでは名阪、さらに伊勢和多気JCで伊勢道と別れ、紀勢自動車道を順調に南に向かう。この区間はほとんどが山道で海はほとんど見えない。遠くの山々が少し紅葉しているようだが、高度が低いせいか見頃では無い。道路は平日と言うことで空いていた。
紀勢道は大宮大台ICで終点である。ここから国道42号線を走ることになる。時刻はちょうどNHKの朝ドラの再放送の時刻となり、テレビを受信できるようにするが、山また山でとぎれとぎれの受信となった。道は片側1車線で、谷沿い、峠越えと、昔の国道41号線を思い浮かべる。
紀伊長島で国道42号線は海(熊野灘)に出る。途中の伊勢柏崎からバイパス道路があるが、今回はそのまま42号線を選んだ。海沿いと思ったらすぐ山道となり、景色はなかなか開けない。海沿いのドライブインがあったら、そこで昼食にしようと思っていたが、なかなかそのようなドライブインが無い。急に視界が開けて海沿いの道となり、海を見はらすことが出来た所は熊野市だった。賑やかな熊野市街で食事が出来るような所がないかと走り続けたが、スーパーやDIYなどはあるが、道の駅らしいものはない。
- <道の駅「七里御浜」>
- お昼もだいぶ過ぎて、お腹も空いてきたが、なかなか(海の見える)良い食堂が見つからない。ナビで探してみると、もうしばらく行くと道の駅があることが解った。左手の熊野灘沿いの道は砂浜となっており、海水浴場の看板が並び、リゾート地の雰囲気である。(名古屋などの)都会からもっと近ければ良いところなのに、交通の便が今ひとつである。今のところ、ここまで高速道路が開通する目処が立っていない。
道の駅の看板が見えてきて、海と反対側の右側にある道の駅「七里御浜」の駐車場に車を止めた。道の駅に入ってみると、中はかなり広く、1階は地の特産物を扱うスーパーのようになっていた。食堂は2階にあり、食堂の前のロビーで熊野古道の資料展示がなされていた。
昼食は、ここでしか食べられないものをと、「しらうお丼」と「めはり寿し」を注文した。「しらうお丼」は想像したとおりだったが、「めはり寿し」は大きなおにぎりで、一つで茶碗一杯分もありそう。たのんだ女房は悪戦苦闘。・で、少し分けてもらって何とか平らげた。遅い昼食を終え、先を急ぐので、土産も買わず道の駅を出発した。
- <熊野速玉大社>【世界遺産】
- しばらくは海沿いの道が続いたと思えばまた山の中と、相変わらずの道である。前方に突然大きな川(熊野川)が見えてきた。この川の手前までが三重県(紀宝町)で、橋を渡ると和歌山県(新宮市)である。熊野川には新旧の二つの橋が架かっていてナビは狭い手前の橋を指示し、ナビに従う。橋を渡った直後の信号を右折し、熊野速玉大社の看板の矢印に従って進むと、神社の駐車場に着いた。駐車場には数台のバスが止まっており、団体客が降車しているところだった。
熊野速玉大社(新宮)は熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社)のひとつで世界遺産ともなっている。昭和に再建されたらしく新しい。複数の神殿が並びどこにお参りをすればいいのか迷ってしまう。聞くところによると8社5棟(12殿)あるそうです。神門の横で記念撮影。そしてお守りなどを手に入れた。新宮から熊野川をさかのぼると熊野本宮大社へ行くことが出来るが、我々は海沿いに進む。
- <熊野那智大社・清岸渡寺・那智の滝>【世界遺産】
- 那智は当初の計画では2日目に訪れる予定であったが、計画よりも時間が早いので、今日のうちに那智へ向かうことにした。国道42号線を進んでいると、勝浦への近道となっている那智勝浦新宮道路という看板が見えてきたので、42号線を離れて山側にある新しい道を通ることにする。この道は将来は高速道路となりそうである。
新しい道は那智で行き止まりとなっており県道46号に出る。県道46号からもとの国道42号線にも戻れるが、国道と反対の方向に曲がると那智大社へ向かう道となっていた。県道46号を那智の滝に向かって進むと、「大門坂」【世界遺産】の看板が見えてきた。大門坂は熊野古道でも有名なところで、近くの駐車場に車を止めて、熊野古道を歩くことが出来る。・と解っていたので、いったん車を停車したが、ここで歩くと時間がかかりそうなので先を急ぐ。
しばらく車を走らせると前方に那智の滝が見えてくた。滝の直ぐ近くに有料の駐車場(お滝前)があるが、さらに奥の土産物屋の駐車場(無料)に止めるのが良いと事前の調査で調べていたので、そのまま通過する。両側に土産物屋の並ぶ道を進んでいると、「いらっしゃい」という感じで呼び込んでいる人がいる。誘導に従って駐車場(那智黒亭みむろ)に入るとほぼ満員で最後の1台だった。店の女主人に店頭の張り紙に書かれた「めはり寿し」について尋ねると、この地方では良くある食べ物で、寿司と言うが白米や五目飯を「たかなの葉」で包んであり、大きさはまちまちとのこと。
車を止めて那智大社へ向かう。大社へ続く上り階段の道は駐車場の直ぐ近くにあり、団体客が杖を頼りに登っていた。石の階段はいくつも続き、その道沿いには土産物屋があるが、時間が遅いせいか、店に立ち寄っている客は皆無であった。しばらく登ってゆくと大きな赤い鳥居があり、その横に世界遺産を示す石碑があり、ここで記念撮影。鳥居を超えてさらに石段を登ってゆくと、やっと那智大社に着いた(合計473段、やはり杖が必要か)。
世界遺産である熊野那智大社は熊野詣での最終地でもある(本宮から熊野川を船で下り、新宮、那智と訪れ、大雲取越ルートで本宮に戻る)。境内には、神武天皇東征の道案内をした八咫烏が石に姿を変えたという烏石の他、白河上皇お手植えの枝垂れ桜や平重盛が植えたという樟の木などがあり、那智の火祭りもここで行われるとのこと。さらに宝物殿など熊野信仰に関する沢山の資料がある神社とのことだが、時間が無さそうなので宝物の見学はパスし、線香を買って本殿で拝礼する。那智大社の直ぐ後ろには清岸渡寺がある。
如意輪観世音を祀る清岸渡寺の本堂は、天正18年に豊臣秀吉が再建したもので、国の重要文化財に指定されている。昔は熊野那智根権と呼ばれて7寺36坊もあったが、明治の神仏分離により一時廃堂となり、その後天台宗の寺として再興された。よく似た神社と寺が並んで立っていて、つい柏手を打ってしまったが、思い直して手を合わせた。寺の横には大滝を展望できる開けた庭があり、ここから見る三重の塔と那智の滝は絶景である。近くにいた人に絶景を含めた写真を撮ってもらう。滝の周りは山なのでそれなりに標高はあると思われるが、青々としている。カメラマンさんと雑談していて解ったことだが、この辺は紅葉する木が生えていないそうだ。新緑の時期の方が良いという。
青岸渡寺から那智の滝と書かれた看板の方に進んでゆくと、右手が開けた(滝と塔が見える)なだらかな山道を下る道となり、さらに石段を下りると、日本庭園となっており、その一部に三重の塔がある。この塔は昭和47年に再興された鉄筋コンクリートの塔で、高さは25メートルある。塔は最上階の3層目まで上ることが出来、ここからの滝の眺めも素晴らしいが、どちらかといえば滝と塔が同時に見える景色の方が良さそうである。
塔を出て滝に向かう道は車道になっていた(この道は近道。石段の道もある)。道路の途中に「那智の滝」の看板があり、山道を進むように指示されていた。石の階段を下りたところは広い空き地となっており、建物があった跡らしい。石畳の道をさらに進むと、木々に囲まれて道が狭くなり、木の根が石段に絡む下り道となり、写真で見た熊野古道の雰囲気である(昔の道をそのまま残してあると解説した看板がある)。若い女性達(我が家の?も)が足下が危なげな感じで下っていた。
下りの石段の下の方から車の音が聞こえてくると、下りの道の終点で、滝の駐車場(お滝前)に出る。那智の滝は落差133メートルの大瀧で遠く太平洋からも望むことが出来るといわれ、今回の旅行の主目的地の一つである。滝の入り口にある飛瀧神社の鳥居の前でビデオを撮ろうとしたところ、突然電源が切れてしまった。バッテリが無くなったのである。予備の電池は充電してあるが車の中。ということでビデオ撮影を諦めて、デジカメに頼ることにする。石畳の道をさらに下っていくと、滝の音が次第に大きくなり、頭の上から水が落ちてくる感じで見上げる滝が見えてきた。滝の前には沢山の人が写真を撮っており、順番待ちである。神社の社務所のようなところで滝壺までの200円の入場料を支払って門をくぐると、延命長寿の水(100円)があり、柄杓で掬って飲んでみる。さらに石畳の歩道を歩くと、滝の展望台に出た。滝の水が落ちるところは砕けた岩石となっており、展望台にも水しぶきが飛んでくる(カメラのレンズに水滴が付く)。先に写真を撮ろうとしていたアベックの写真を撮ってあげ、後ろにいた写真好きのおじさんに我々も写真を撮ってもらった。
那智の滝からは木立の中の舗装された山道や石畳の道を鳥居まで戻り、さらに上り坂の車道を駐車場まで歩いて帰った。駐車料金が無料と言うことだが、顔を合わすと、そのまま「さようなら」とはいかなくなる。土産物の店に入り、コーヒー休憩とトイレを借用し、最後に那智黒飴などの土産を買った。最初の予定ではこの界隈で1時間と見ていたが、結局2時間以上滞在することになった。
- <那智勝浦「ホテル浦島」>
- 車が駐車場から出る頃はまだ明るかったが、那智勝浦の町に近づく頃には少し暗くなってきていた。ナビを見ながらホテル浦島の駐車場を探すが、なかなか見つからない。海沿いに来た道を富山へ帰る方向に走っていると、「ホテル浦島駐車場」という看板が見えてきた。駐車場は数百台は入れる広さで富山空港の駐車場より広そうである。しかし、金曜日ということで隅っこのほうに数十台が止まってるだけだった。すでに止まっている車の近くにマイクロバスがいたので、その方向に進むと、誘導員から駐車場所を指示され、指定の場所に駐車した。
今日の宿泊に必要な荷物をあわただしく車から降ろし、マイクロバスに乗り込む。バスは2人席に1人ずつ座れるほどであり、観光バスのクルーも一緒だった。出発時間が来たのでバスはフェリー乗り場へと出発した。先ほど駐車場を探しながら通った町中の道を勝浦港へ向かう。
勝浦港は大きな半島に囲まれた内海の中にある港で、波はほとんど無い。湾内の島には中之島ホテル、そして海からそそり立つ岩山の半島にホテル浦島がある。そのためホテル浦島に通ずる道が無く港から連絡船でホテルに行くことになる。バスがフェリー乗り場の観光桟橋に着くと、連絡船が待機していた。船に乗ってしばらく待っていると、団体さんがやってきて、荷物の置き場所もないような満員となった。満員の乗客を乗せて船が出発した。あたりはすっかり暗くなっており、海に写る夜景が綺麗である。ほんの数分の船旅でホテル(本館)に着いた。
ホテル浦島は「本館」、「山上館」、「なぎさ館」そして「日昇館」の4つの建物からなる巨大旅館(客室は850、収容人員は3000名)で、それぞれは通路で繋がっている。今度の旅行では少し高いが景色の良い所として山上館を予約していた。本館のフロントでチェックインしようとすると、予約の確認だけで、山上館のフロントに行くように告げられる。
山上館への連絡通路は2つのルートがあり、長いエスカレータと洞窟内の通路でエレベータを使うルートである。外の景色が見えそうと言うことで、全長154mでスペースウォーカーと呼ばれる長いエスカレータで海抜80mの山上館に向かう。スペースウォーカーは4つのエスカレータからなり、所々に窓があるが、樹木が生い茂っているせいか、景色は余り見えない(途中の休憩所では展望できる)。約6分で山上館に到着し、フロントでチェックインした。案内された階上の部屋は和室で、海(太平洋)が見えるはずと思うが、外は真っ暗で何も見えない。
さて、ホテル浦島の売りの一つは7つの温泉である。特に大洞窟温泉「忘帰洞」は超有名な温泉で天然の洞窟の中の湯につかりながら海を見ることができる。何はともあれこの忘帰洞に行くことにする。山上館のエレベータで一気に1回まで下ると、洞窟の中(といっても建具で囲まれている)の通路があり、通路の交差点のようなところで右に曲がると忘帰洞がある(湾とは半島の反対側の太平洋側)。忘帰洞の壁や天井は洞窟のままで岩肌に付いている鏡や蛇口が出ているのは不思議な光景である。湯船は幾つかあり、海に近い湯船にはいると波の音が大きく聞こえる。泉質は硫黄泉で結構からだが暖まる。
ひと風呂浴びた後は、お待ちかねの食事である。浦島では経費節約のためか食事は部屋ではなく食堂でのミニ懐石+バイキングであった。メインの食材は並べられていて、後は好きな物を選べるのは悪くはない。屋台も出ていたが量も多く、そちらまで出かけることは出来なかった。
お腹が膨れたところで、折角たくさんの温泉があるのだからと、全ての温泉に入ることにした(ホテルの入り口で温泉巡りのスタンプラリー用紙をもらっていた)。沢山あるので、今晩中にさらに4つの風呂を踏破することにした。最初に向かったのが山上館から一番遠い「なぎさ元湯露天風呂」である。湾沿いの通路を歩いてゆくと、土産物屋や食堂が並んでいるが、シーズンオフか客は少ない。この風呂から湾が望める檜作りの露天風呂であるが、ちょうど雨が降ってきて、景色もあまり見えず、寒くもなり、そうそうに風呂から上がる。次に向かったのが2番目の洞窟である「洞窟温泉玄武洞」である。この風呂も忘帰洞と同様の洞窟風呂だが、忘帰洞よりは少し小さい。2つめとなると長湯というわけにはいかず、5分足らずで上がってしまった。次に向かったのが「磯の湯」である。磯の湯は普通の銭湯のような風呂で内風呂であり天候に左右されずに入れる風呂である。ここも長湯は出来ずそうそうに上がり、待ち合わせを兼ねて、日昇館のロビーで湯冷ましの休憩する。今日はここまでと思っていたが、本館の土産物屋を回っている内に、すぐ目の前の「滝の湯」(女性は「ハマユウの湯」)の看板が目に入り、ここも寄ってみることにする。瀧の湯は壁面に流れ落ちる瀧がある風呂で、やはり銭湯のような感じである。露天風呂に入って壁を眺めると、人口ではなく天然の岩のようだ。どうも浦島は岩場をそのまま上手く利用し、各温泉を岩をくりぬいてつなげている温泉のようだ。
大忙しの風呂巡りを終えて、部屋に帰ると、疲れ果てて、ぐっすり眠ることが出来た。
【第2日】 ー紀伊半島と熊野古道ー
(那智勝浦〜太地くじら館〜潮岬〜白浜〜熊野古道〜湯の峰温泉)
- <山の上からの日の出>
- 翌朝、部屋のカーテンを開けてみると、まだ夜明け前であるが、目の前に太平洋が広がっている。遠くの海には釣船も見える。しばらくすると太陽が海から上がりそうだが、水平線は曇っていて、太陽は見えない。風呂から日の出を見ようと、山上にある狼煙の湯(女湯は天女の湯)に向かう。これらの湯は山上館と同じ狼煙山にある。
風呂への道は最初は舗装された山道のような狭い道で、そのうちに360度見渡せる展望広場に出る(右手に湾、左手に太平洋)。ガラスで囲まれた休憩所があり、その手前に沢山の人が日の出を見るために集まっていた。しばらく待っていると太陽が見えてきて、日の出を拝むことが出来た。男湯の狼煙の湯は露天風呂(女湯は温室風)で一寸肌寒いが天気も良く気持ちがよい。温泉巡りで朝のコースにここを選んだのは正解である。
山上館にはスタンプラリーには登録されていないもう一つの湯である「天海の湯」がある。この湯は最近出来たらしく綺麗で新しい。そして、余り知られていないせいか、先客が無く誰もいなかった。太平洋に面しており大パノラマが望める。天候が悪く屋外の風呂が使えないときはこの風呂を使うのであろうか。
朝食は良くあるバイキングである。この日は洋食のメニューを選んだ。食事の場所は昨日と同じだが、今朝は外の景色が見えるように窓際の席を選んだ。しかし、窓の外には木立が茂り、枝の隙間から湾の景色が見える。夕べは気がつかなかったが、食事を済ませて食堂を出ると、宴会が出来る部屋があり、そこでも朝食を取っている人がいた。浦島では宿泊の館によって袢纏が異なり、どこに宿泊しているかすぐ解る(山上館は緑)ようになっていて、朝食には山上館以外の人も結構いた。
当初の出発予定よりも少し遅れ気味だったので、あわただしく荷物をまとめ、本館のフロントで精算を済ませ、連絡船の乗り場でホテルの看板を背に記念撮影し、船に乗り込んだ。船が桟橋に着き、シャトルバスの乗り場までしばらく歩き、そしてバスで駐車場へと向かった。
既に出発した人がいたのか、駐車場の車は昨日の半分くらいになっていた。前日500km以上走行したのでガソリンがかなり少なくなっていた。そこで、駐車場を出た後の最初の仕事はガソリンスタンドを探すことだった。国道42号線に戻り、町中を走行していくと、セルフ140円/Lの看板が見え、この出光のスタンドでガソリンを補充した(前日130円台の看板も見ていたが)。
- <大地クジラ博物館>
- 車は42号線を紀伊半島の南端に向けて走る。左手には海や湾が見えたり隠れたりしている。当初の計画では、2日目の行動が強行スケジュールで、すぐに潮岬に行く予定であったが、前日に那智方面の観光を終えていたので、太地のクジラ博物館に寄ることにした。
クジラ博物館の看板が見えてきて、国道42号線を左折し、さらに進むと捕鯨船が見えてきた。クジラ博物館もすぐ右手に見えるが、折角だから、南極海で活躍した捕鯨船「第11京丸」も見学することにした。この船はクジラを水揚げする母船ではなく、追いかけて、しとめる役割らしい。
船の機関室を見る機会はなかなかなく、船の大きさの割にエンジンが大きいのに驚いた。大きなクジラに負けないようにパワーがあるのだろう。女房の兄が機関士で船に興味があるので、後でどんな船だったか報告しようと、船の隅々までビデオをとり続けた。しかし、上部甲板で補修作業をしている人がいて、ペンキ塗り立てのロープが張られていた。
車を少し進め、入場料1050円を払ってクジラ博物館に入る。館の周りは太地クジラ浜公園になっていて、水族館や宿泊施設もある。クジラ博物館には鯨の生態や捕鯨に関する資料が展示され、館の中央にはセミクジラの模型やミンククジラの骨格標本などが展示されている。オフシーズンのせいか客は少ない。
館の屋上に上ると周りが見通せ、クジラ館の後ろの池州(囲った湾?)に何かが泳いでいる。イルカにしては大きくクジラにしては小さそう。多分シャチだろう。さらに、イルカショウも行われているようだが、時間がないので、懐かしいクジラの肉やマグロの加工品を買って、先を急ぐ。
- <本州最南端「潮岬」>
- 「ここは串本〜、向かいは大島」とある大島が海の向こうに見えてきた。そのまま海岸線をドライブしていると、海の中に飛び出した岩石が並ぶ橋杭岩が見える。先を急ぐので、車中からの鑑賞である。串本の市内に入ると、道路は意外とややこしく、潮岬に行く道には入れたが、巡回予定のコースとは逆になった(西から東)。背の高い草の茂る高原のような道(右手は海だが)をしばらく行くと、「潮岬灯台」が見えてきた。灯台の入り口には広い駐車場があり、既に数台の車が止まっていた(バスはなし)。その中に石川ナンバーの車がいて、「同じようなルートをたどっているのかな」と一寸仲間意識が生じた。
潮岬灯台は日本で一番古い灯台の一つで1869年に建てられた石作り(1873年に改築)の灯台である。灯台の入り口の横には、灯台の構造や歴史を紹介した展示室がある。灯台の中のらせん階段を登って灯台の上に出ると、180°以上の海が展望できる。海に目を向けると、いくつもの船が岬の近くを左右に航行している。まさに海の要衝と思える場所である。足下に目を向けると、岩礁の上に釣り人がいる。あの人達はどこから来たのかと、目を左に向けると、左手の岸壁を降りた所に小さな漁港が見える。
灯台を見学し、車を少し走らせると、左手に「潮岬タワー」が見えてきた。しかし駐車場はガラーンとして1台しか車が止まっていない。タワーの入り口付近ではなく、遠慮気味に少し離れた所に車を止める。車からタワーに向かって歩いていると、数台の観光バスや自家用車がやってきた。タワーの入場券は300円(「本州最南端訪問証明書」付き)で屋上に上ると太平洋が見渡せる。「地球の丸さを感じて下さい」と書いてあり、水平線が丸く見えるらしいがよく分からない。タワーの前も道を挟んで芝生広場となっており、ハイキングやゴルフ(?)には良さそう。さらに、その先に本州最南端の碑があるそうだが、時間がかかりそうなので今回はパスした。タワーから海を眺めると、相変わらず船が沢山行き交っていた。
タワーからの景色を堪能し、昼食を取るために隣接の食堂に行く。食堂には先ほどの団体さんが窓際の席で食事の最中であったが、中の席は半分以上空いていた。クジラ丼とマグロ寿しを注文する。食堂の出口にはスタンプ台があり、記念にスタンプを押したが、後で見ると、二人とも上下逆さまにスタンプしていた。階下の土産物屋によって、食後のソフトクリームとマグロの角煮やお菓子などを購入。
- <南紀白浜>
- 岬の先端を一周し、右手に大島を見ながら串本市内に戻る。11月1日はちょうど灯台の日ということで、大島の灯台も見学できると潮岬灯台の人が進めてくれていたが、先を急ぎたいので、寄らないことにした。串本から白浜への42号線の道は左手に海が見えたり隠れたりする道で、空いておりスムーズに走ることが出来た。ただ、車が左右に揺られ、同じような景色が続くので、隣のナビ役の人は「無言・・」となっていた。
湾の向こうの丘に白く立ち並ぶ建物が点在する景色が見えてくると白浜である。白浜の温泉街とは反対側にいるので、賑やかな雰囲気はまだ無いが、近くにアドベンチャーワールドなどがあり、道路は少し混んできた。白浜空港の下をくぐる道路(白浜空港は山の上にある)を抜けて海辺の道を走っていると、「三段壁」の看板が見えてきた。
三段壁は高さが40mもある断崖絶壁で、海流の流れが速く自殺の名所として知られている。断崖の先端には展望台があり、また断崖をエレベータで地中を降りると三段壁洞窟がある。ここは今回の旅行の主目的ではないので、絶壁の見えるところまでで引き返した。駐車場から断崖までの道には土産物屋が並んでいる。ちょうどお祭りの時期で、近所の子供達の御神輿が舞っていた。
次に立ち寄ったのは「千畳敷」である。ここの駐車場は余り広くなく、出てくる車を見つけて空いたところに車を止めた。千畳敷は砂岩から岩盤で、打ち寄せる波の浸食で複雑な地形をしている。岩の上を歩いてみるが、つるつるして濡れていると滑りそうである。岩が柔らかいので所々に落書きがある(罰金の条例がある)。このような光景の広さが千畳程度あることからこの名が付いたとのこと。
白浜温泉は古くからある温泉で日本三古湯の一つである。戦後しばらくまでは新婚旅行の行き先としても有名であった。大阪からも高速道路(田辺まで)が通じているなど交通の便も良く、白良浜沿いの海岸には大規模なホテルが林立している。白浜にはまだ円月島などの観光地もあるが、先を急ぐので今回は立ち寄らなかった。
- <滝尻王子>【世界遺産】
- 白浜温泉から国道へ通ずる道はバスも通る主要道だが、狭くて曲線が多い道である。JR白浜駅前で鋭角に曲がらなければならないところを、まっすぐ進んでしまい、駅のロータリーを少し逆送してしまった。しばらく進むと、再び42号線に出ることができ、和歌山方面に向かう。開けた谷間の道をさらに進むと、「熊野古道(中辺路)」の看板が見え、右折して国道311号線を走行する。山間の富田川沿いの道を山奥に進む。山は緑で紅葉は無い。
熊野古道は田辺から本宮へ通ずる中辺路、田辺から海沿いに紀伊半島を回って浜から熊野本宮に向かう大辺路、吉野から本宮に向かう小辺路、伊勢からの伊勢路などがある。この中で中辺路が見所も多く、多くの人が訪れる。車は熊野三山の霊域の始めと言われている「滝尻王子」に向かう。ちなみに、王子とは熊野権現の御子神を祭った社(神社)のことで、熊野参拝者は王子の前で参拝し、休憩しながら熊野三山を目指したそうだ。
中辺路の冨田川沿いの311号線を走っていると、「熊野古道館」「滝尻王子」の看板が見えてきたので、右折し、川を渡る(バス停は滝尻)。右手には熊野古道館、左手には滝尻王子があり、少し先に駐車場がある。駐車場には車は少なく、バスもいない。熊野古道の資料を手に入れるため、先に熊野古道館に立ち寄る。熊野古道館は12角形の建物が目印で情報拠点として寄るべきところである。しかし、中にはいると受付嬢はどこかに行っていまい、勝手に資料をあさることにした(古道マップなどを手に入れる)。トイレもあるので一寸と借用。
滝尻王子の入り口にある「滝尻茶屋」(土産物も売っている)でちょっといぶした杖(300円)を見つけた。店のおばあさん(地元の語り部?)は他の客との話に熱中しており、声をかけても振り向いてもくれない。何度か「すみませんが・・」と言っていると店の娘さんが奥から出てきた。
滝尻王子は小さな神社のような感じである。王子の左手の川沿いの路が熊野古道である。折角だからということで、購入した杖を頼りに古道を少し歩いてみる。しばらく行くと石段となり、さらに急な上り坂となる。木の根を階段変わりに昇ってゆくが、坂はますますきつくなる(後で解るが、この坂が熊野古道で最もきつい坂らしい)。「乳岩」を通り500メートル先の「不寝王子」までとは思ったが、かなり時間が係りそうなので、途中でギブアップ(マップでは15分だが、きつい上りなので30分以上かかるらしい)。その先に「高原熊野神社」(駐車場がある)、「大門王子」、「十丈王子」・・とつづき、「牛馬童子」(ぎゅうばどうじ)までは約13km(約5時間)ある。
- <牛馬童子>【世界遺産】
- 駐車場に戻り、再び311号線を熊野本宮に向かって走る。逢坂トンネルを抜けると道の駅「熊野古道中辺路」(バス停は牛馬童子口)があり、ここに車を止める。道の駅は車と人で混み合っており、この道の駅からは牛馬童子などに歩いていけるので、人気があるのであろう。早速、運動靴に履き替え、ウォークの準備をする。
道の駅から牛馬童子までは0.8kmで約30分と看板にある。ここの熊野古道は道幅が狭くすれ違いが大変だが、観光客が多く訪れるせいか、整備されており、歩きやすい。それでも所々に木の根が道に延びており、林立する杉木立と相まって、”古道”と感じられる。前後に人もいないので、熊が出てきたらと、ちょっと不安にも思う。道の途中には道標や石像があり、ゆっくり見てみると面白いのかもしれないが、まだ先の予定もあるので足早に山道を進む。
牛馬童子に着くと数人の団体さんがちょうど帰るところだった。彼らは我々の来た道をさらに先に進んでいった。牛馬童子は牛と馬の2頭にまたがった童子で、花山法皇の旅姿を表すといわれている。牛馬童子から熊野古道を行くと近露王子へと行けるが、車があるので駐車場に戻らなければならない。帰りの道は古道と平行した舗装された道路を歩き、駐車場に戻った。
- <近露王子>【世界遺産】
- 再び311号線を熊野本宮方面に向かう。小さなトンネルを抜けると、「近露王子」「熊野古道なかへち美術館」の看板があり、信号を左に曲がる。当初の計画ではなかへち美術館の駐車場に車を止める予定であったが、近露王子の横の土産物屋の駐車場が空いていたので、そこに止めることにした。
近露王子(ちかつゆ)は日置川沿いに架かる北野橋のたもとにあり、歴史も古く11世紀ころの記述もあるという。後鳥羽上皇がここで和歌の会を催したともいわれている。近露は田辺と本宮のほぼ中間に位置し、中辺路の要所・宿場として利用されたとのこと。王子の碑の前には先ほどのグループがいて、地元の語り部による説明を聞いていた。彼ら(多分秋田の人)は貸し切りのマイクロバスタクシーを利用していた。しばらくは一緒に聞いていたが、先を急ぐので、お先に失礼。
もし、時間があれば「牛馬童子」「近露王子」「大阪本王子」を歩いて回るのが良さそうだ。
- <野中の清水【世界遺産】>
- 再度311号線に戻り熊野本宮方面に向かう。しばらく行くと「野中の清水」の看板があり、左折し、一車線の上り道を進むと、林道に出た。この道は旧311号線(すれ違いが困難な狭い道)でもっと手前からゆけたようである。林道をさらに進むと、道路の幅が少し広いところがあり、何台かの車が止まっている。降りている人を見ると手に入れ物を持っているようである。湧水で有名な野中の清水という所で、水を汲んでいるらしい。我々も車を止めて、水筒に霊水を汲む。
車に戻ろうとすると、先ほどのマイクロバスがやってきた。どうも同じコースを回っているらしい。
- <継桜王子・秀衡桜・野中の一方杉>【世界遺産】
- 車をスタートさせて一寸行くと、左手に車が沢山止まっている所があった。勢いでその場を通り過ぎたが、多分駐車場だろうと、狭い道をバックして戻り、車を止めた。案の定、看板を見ると継桜王子・秀衡桜・野中の一方杉への道案内図が掲げられていた(危ういところだった)。
草原の山道を登ってみると、中央に石畳がある舗装された道路に出た。この道は熊野古道であり、道沿いに根元が檜で上部が桜という「秀衡桜」があり、その先に「継桜王子」「野中の一方杉」がある。秀衡桜と野中の一方杉の間には古い茅葺きの「とがの木茶屋」があり、めはり寿司、山菜の煮物、団子セット、食べ放題の茶粥(これが一番らしい)や抹茶などが味わえるらしく、数人のグループが休憩していた(この茶屋の写真は観光案内にもよく使われている。後日この茶屋のジグソーパズルを手に入れた)。混んでいそうなので我々は通過。
”継桜(つぎさくら)の由来は、奥州平泉の藤原秀衡が、妻が身籠ったお礼に妻と一緒に熊野参詣した。その途中、滝尻で、妻はにわかに産気づき、出産した。赤子を連れては熊野詣はできないと、その夜、夢枕に立った熊野権現のお告げにより、滝尻の裏山にある乳岩という岩屋に赤子を残して旅を続けた。野中まで来て、赤子のことが気になり、秀衡はこれまでついて来た桜の木の杖を地面に突きさし、「置いて来た赤子が死ぬのならばこの桜も枯れよう。熊野権現の御加護ありてもし命あるのならば、桜も枯れないだろう」と祈り、また旅を続けた。帰り道、野中まで来ると、なんと桜の杖は見事に根づき、花を咲かせていた。さらに、滝尻に向かうと、赤子は乳岩で、岩から滴り落ちる乳を飲み、山の狼に守られて無事に育っていた。秀衡が祈願し根づかせた桜はその後「秀衡桜」と呼ばれ、継桜王子は野中の牛神になっている。”とのこと。
継桜王子の境内には大きな杉の木が立ち並び、特に幹の一方にしか枝がないことから野中の一方杉(いっぽうすぎ)と呼ばれる杉の大木がある(マイクロバスの案内の人の説明)。杉のすべてが熊野那智大社のある方向(南)にだけ枝を伸ばしていて、那智を遥拝しているとも見られている。バスの人たちは直ぐ下の野中の清水に車を止めて歩いて昇ってきたようである。
滝のそばの下り坂の道を通って駐車場に戻ると、あたりは少し暗くなってきた。車を走らせると狭い道と木立に囲まれているせいかライトを点けなければならなくなった。対向車が来たらすれ違いできない林道をかなり走行すると、峠を一つ越えてから国道311号線に合流することが出来た。四村川沿いに本宮に向けて谷沿いの道を走る。
- <湯の峰温泉>
- 渡瀬トンネルを抜けて左に曲がり再び林道の道を湯の峰温泉に向けて走る。この道は国道311号というが大型のバスは通れそうもない道のように思う。この付近では川湯温泉が有名だが、開けた温泉地よりも昔からの温泉地として湯の峰温泉を選んだ。
真っ暗な中から川の両側に宿が並ぶ湯の峰温泉が見えてきた。今夜の宿泊予定の「伊勢や」は直ぐ見つかった。最初はいくつもの風呂がある「あずまや」(湯の峰で最も大きい)にしようと思ったのだが、お願いしたK旅行社では手配できず、伊勢やに決めた。宿の前に車を横付けし、荷物を下ろして、少し離れた宿の駐車場に車を止めた(隣の駐車場はあずまや)。宿まで戻る川沿いの道を歩いていると、川面から湯気が上がり、ひなびな温泉の情緒が感じられる。
伊勢やの向かいには世界遺産の「東光寺」がある。通された部屋はこの東光寺が正面から見える部屋だった。近くには公衆浴場と世界遺産の「つぼ湯」もある。時間も遅くなっていたので、宿の湯につかり、早速夕食をいただく。
食事の後は、折角だからつぼ湯に行こうと出かけた。つぼ湯の受付は銭湯の受付と同じで、つぼ湯は予約制であり、今からだと2時間先とのこと。遅くなりそうなので今夜は諦めて明朝にトライすることにした。銭湯の前まで来ているので、薬湯の湯に入り、宿に戻った。
【第3日】 ー熊野古道と高野山ー
(湯の峰温泉〜熊野本宮〜十津川〜龍神〜<龍神高野スカイライン>〜高野山〜吉野温泉)
- <つぼ湯・東光寺>【世界遺産】
- まだ暗い早朝に外からの人声に目を覚ました。窓越しに外を覗いてみると、登山姿の数人の人が東光寺にお参りをしている。熊野古道を歩くのであろう。彼らが旅立ったのか、そのうちにまた静かになった。
もうしばらくと休んでいると再び人の声が聞こえ、6時に近づいてきたので、ちょっと早いかもと受付に行くと、やはり先ほどの声の人の先約があり、2番目(番号札をもらう)ということで6時半からつぼ湯に入ることになった。つぼ湯の前には順番を待つ人のために、2人ほどが座れるベンチがある小さな小屋(待合室)があり、さらにつぼ湯の入り口で履き物を脱ぐことになっていて、予約時間になっても入り口に履き物が無い場合はキャンセルされたものとして、先に風呂に入っても良いとのことだった。
もしかしたら、先客が来ないかも知れないと、6時前に待合室に行ったところ、時間が早いせいか誰もいなかった。6時に近づくと、やはり1番の人がやってきた。待合室は川の中で風は当たらないが、暗い早朝でやはり寒い。座ったり立ったりしながら待っていると、数人の人がやってきた。「順番待ちしているんですよ。入るときはここに札を下げることになっていて、まだ1番の人です」と告げると、川上の別の待合室で待っているとのこと。
30分近く待っていると、やっと先客が出てきた。私たちの番と、下駄を脱いで中に入る。つぼ湯は湯の滝川の中の河原で、川底の天然石をくりぬいた五右衛門風呂のような湯船である。その湯船に1坪ほどに大きさの小屋を建てて囲ってある。着物を脱いで横の岩場の上にある篭の上に入れて、湯船に入る。源泉は92℃で水でうすめてある。つぼ湯は日本最古の温泉といわれており、小栗判官が蘇生した地でも有名である。ゆっくり浸かっていると暖まり、少し早いが20分ほどで風呂から上がり、着替えをして、湯を出ると、あたりは薄明るくなってきていた。宿に戻る途中の店で、卵や芋などを網に入れて売っており、どうやら温泉につけて茹でるらしい。
宿に帰り、小銭をもって、卵を購入し、川中に作られた90℃もある湯筒に浸け、朝食後に宿に持ち帰り、ゆで卵を食べた。東光寺では餅つきが行われており、ついた餅を土産物として販売し、その売り上げで寺を修復するのだと仲居さんに聞いた。また、東光寺の横では朝市が開かれており、地元産の梅干しなどを買った。
支払いを済ませ、旅館の前で看板を入れた写真を撮ってもらい、駐車場に車を取りに行った。湯の峰温泉から熊野本宮大社への道(国道311号)はやはり山道であるが、昨日の道よりは広く、観光バスも十分に通れそうである。
- <熊野本宮大社>【世界遺産】
- 峠を越え、谷間の道を行くと、急に開けたところに出た。熊野川である。川沿いの168号線は片側1車線の広い道で、世界遺産となったせいか、道路の両側には新しい店が並んでいた。さらに168号線を進むとバス停(本宮大社前)があり10人ほどの人がバスを待っていた。このバス停のところが熊野大社であるが、駐車場を見落とし、そのまま進んでしまった。まだ先に駐車場があるだろうと思っていたが、なさそうなので、Uターンして引き返すと、熊野本宮大社の前に小道があり、その先に駐車場があった。駐車場は早朝にもかかわらず既に混んでおり、かなり奥のところに止めることになった。その後もどんどん車が入ってきて、見る見るうちに空くスペースが減ってきた。
熊野本宮大社は全国にある熊野神社の総本山で、鳥居の前には大きな八咫烏(やたがらす)の幟が目につく。八咫烏は三本足の烏で熊野権現の使いとなっており、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている。両脇に「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならぶ杉木立の参道を通り、158段の石段を登ると、正面に神門があり、左手には瑞風殿(ここもお参りしたが、写真撮影は禁止となっていた)がある。熊野古道の道はすべてここが終着地となっている。明治の大洪水までは熊野川の中州(大齋原)にあったそうだが、現在は山の上にある。神門をくぐると、重要文化財となっている檜屋根の社殿が4棟(左から第一殿)が並んでおり、左の社殿から右に順にお参りをする(正面の第三殿から始め、一→二→四と進むのが正しい順らしい)。帰りに社務所でお守りやストラップを購入。
- <奥熊野古道>【世界遺産】
- 再び国道168号線に戻り、熊野川沿いに北へ向かう。しばらく行くと道の駅「奥熊野古道」が見えてきた。ここに車を止めて熊野古道を歩くつもりだったが、駐車場は空いており道の駅に車を置いている人はなさそうである。看板を見ると熊野古道までは800mの山道を登らなければならない。山道を確かめるためにナビで地図を見ていると、「発心門王子」まで車で行けそうな事が解った。山道で車が通れるか不安であったが、取り合えず車で発心門王子に行ってみることにした。
発心門王子への道は国道の橋の手前を山に向かって登って行く道だった。この山道はやっと車がすれ違える幅の道で大型の対向車がくると交換は出来ないが舗装道路であり、所々に民家もある。小さな発心門王子の看板を頼りに王子に着くと、大型車が転回出来るほどの広い駐車場があった。そう言えば、発心門王子行きのバスがあり、熊野大社からここまでバスで来ることが出来る(本数は少ないが)。
発心門王子の前でお参りしたり写真を撮っていると、今朝、湯の峰温泉で見かけた人たちが熊野古道を歩いてやってきた。我々もちょっと歩いてみるかと思ったが、斜面もきつく滑りやすかったので、あきらめた。
ナビを見ると、さらに近くに「水呑王子」があり、そこまでも車で行けそうである。先ほど来た道を少し引き返し、民家の横から分かれて、車が一台しか通れない狭い道を登って降りて行くと、左手に広い空き地(三里小学校三越分校跡)があり、その横の道路脇に車が1台止まっていて、一緒にその場所に車を止める。水呑王子は空き地のそばにある熊野古道の脇に立っていた。熊野古道は水呑王子から舗装道路と別れ石畳の道となり、石畳をしばらく歩くと、土が踏み固められた斜面の山道となっていた。この道は車では行けないが、回り道をすれば「伏排王子」にもゆけそうである。
伏排王子への道は相変わらず1車線の道だが、歩行者も対向車も後続車もないが、舗装してあり、ドライブはそんなに苦痛ではない。山道を降りて再び登ると峠のT字路があり、ここを右に曲がると、人家が並ぶ開けたところに出た。道路には数人の人が歩いており、ぶつかったこの道が熊野古道らしい。熊野古道は歩道となって左側に分かれて行くが、さらに舗装道路を進むと、突き当たりの丘の上に茶店が見えてきた。この茶店の左側が伏排王子である。茶店の下に数台の車を停車できるスペースがあり、ここに車を止める。
伏排王子はNHKの朝ドラ「ほんまもん」のロケ地となったところである。ここからの眺めはすばらしいが、紅葉は見られない。茶店で休憩。茶店から続く熊野古道は祀戸王子を経て熊野本宮大社へと続く。この付近は歩きやすくなっており、熊野大社からバスで発心門王子に行き、熊野古道を歩いて熊野本宮大社まで戻るコース(6.9km)がお勧めらしい。我々も熊野本宮大社に向かって歩いてみたが、旅はまだ先長いので、途中で引き返した。
伏排王子から民家の間の道を下ると、先ほどの道の駅「奥熊野古道」の手前に出ることが出来た。もう一度道の駅により、熊野古道の歴史や資料などを手に入れる。
- <十津川>
- 再び、熊野川沿いに国道168号線を十津川に向かう。最初の予定では十津川の「昴の宿」に止まることも考えていたが、前日の行程が厳しく、手前の湯の峰温泉に決定した。十津川温泉街に着くと突然のサイレン。温泉街に救急車である。お湯あたりにでもなったのか?
十津川から龍神に向かう国道425号線は車が一台通るのがやっとで狭い、対向車が来ると交換に一苦労する。待避場が狭いので一度に1台か2台ずつしかすれ違うことができず、双方の車の列が長くなると、ほとんど動けなくなる(後ろの車は手前の待避場まで順次バックしなければならない)。道路はS字で立木も多く、見通しが悪くスピードが出せないので30km以下で走行する。この区間を抜けるのに1時間を見ていたが、1.5倍の1時間30分を要した。迂回する道もないので、せめて2車線道路へ改良して欲しいものだ。
と思いながら走っていると、二輪車が結構多くやってくる。それもかなり飛ばしてくる。こちらの車を見つけて急ブレーキをかけるのだが、幾度かスリップし衝突しそうになった(こちらは悪くないのだが・・)。
- <龍 神>
- 龍神温泉の看板が見えてくると、2車線の道路となり、やっと狭い山道を抜けてほっとする。
国道371号線に出て少し走ったところに道の駅「龍神」がある。13時を過ぎていたので、遅い昼食をとろうと立ち寄ると、駐車場から車があふれ、大変混み合っていた。ちょうど駐車場から出て行く車があったので、そのスペースに車を止めることが出来た。
道の駅に入ってみると、ここも人でごった返しており、食事の券売機は「発売中止」の張り紙が貼られていた。店の人が「オーダーが沢山でいつ料理が出せるかわからないので販売を中止します」と説明していた。弁当も売り切れていたので、何か食べられそうなものを探すが、これも売り切れていた。諦めて何も買わずに道の駅を出る。
- <龍神高野スカイライン>
- 龍神高野スカイラインは紅葉で有名な所で、ここを通るために狭い山道を越える計画とした。紅葉のシーズンでこの道もやはり混んでおり、二輪車も多い。道路が高くなってくると、赤や黄色が色鮮やかとなり、山一面紅葉している。途中の待避場に車を止めて紅葉の記念撮影。道炉端で露天で特産物を売っており、柿を購入。ここまでの道が大変だったが、綺麗な景色を堪能できたので、無理をして来た甲斐があった。
紅葉に見とれながらさらにスカイラインを進むと、高いタワーが見えてきた。護摩壇山タワーである。ここで昼食がとれないかと思い、道路に車が駐車しているのが見えたので、手前の第2駐車場に車を止めて歩いてタワーに行く。護摩壇山タワーは標高1372m(和歌山県一高い山)、高さが33mあり、360度の展望が出来る。タワーの食堂に向かったが、ここも長い行列が出来ており、短時間での食事は無理のようである。食事をあきらめてタワーに登って見たところ、周囲は山また山で、紅葉はまだ早いらしく緑がいっぱいである。帰りに食事に変わる物がないかと売店を覗いてみたが、弁当らしき物はなく、仕方がないので「ゆずまんじゅう」を買って、車の中で食べることにした。
- <高野山>【世界遺産】
- 龍神高野スカイラインは高野山(奥の院)で終点である。奥の院の交差点に近づくと混雑で車が渋滞している。金剛峯寺に向かう道も車が数珠繋ぎで動いていないようである。計画では金剛峯寺の駐車場に止める予定であったが、これではあきらめざるを得ない。よく見ると交差点の手前の左側に立体駐車場がある。動かない車の中でじっとしていても仕方ないので、この駐車場に入ってみる。駐車場の中もほとんど満員で空きスペースがない。仕方がないので駐車場の中で車を止めて待っていると、出て行く車があり、そこに止めることが出来た。
折角、奥の院の近くに車を止めたので、奥の院に向かう。高野山は9世紀に空海(弘法大師)によって開山された真言宗の総本山(金剛峯寺)であり、奥の院には弘法大師が祀られている。参道は樹齢百年を超える杉木立に囲まれ、20万基以上の墓石や祈念碑が並んでいる。弘法大師廟はちょうど補修中で工事用のテントに囲まれていて、中にはいることができず、裏へ回って、大師のお参りだけをすることが出来た。
- <金剛峯寺>【世界遺産】
- 金剛峯寺に向かう道路は相変わらず車で混んでおり、車での移動をあきらめて、奥の院から歩いて金剛峯寺に向かう。沢山の墓が並んだ石畳の道、一の橋、歩道を歩き、約30分(約4km)で金剛峯寺についた。時刻は4時30分ちょっと前で、なんとか5時の拝観時間に間に合った。500円を払い本堂に入る。襖は撮影禁止であったが他はOKということで、大広間の隣に飾られた大きな輪切りの杉の木の前で記念撮影した。
石庭を眺めながら、見学順路に従って、さらに奥に進むと、広い「新別殿」があり、ここでお茶とお菓子のサービスがあった(拝観料に含まれている)。このサービスは知らなかったので、時間にも間に合い、ラッキー。帰りには現在は使用されていないが一つの釜で98kgのご飯が炊ける釜がある台所を通って外に出た。
駐車場への帰りは、南海のりんかんバスで帰ろうと、千手院橋バス停の時刻表を見てみると、(ケーブルカーの高野山駅から)奥の院へ行くバスは結構出ているが、道路が混んでいるのと、休日の臨時バスが結構走っており、適当に待つことにした。10分近く待ったところで、バスが2台続けてやってきた。先に来たバスに乗り奥の院に向かう(210円)。奥の院の駐車場には5時に着いた。これから吉野に向かうのであるが、到着が遅くなりそうなので電話を入れる。
- <吉野温泉元湯>
- 高野山から橋本に向う国道371号線は、相変わらずの狭い山道で、対向車との交換も容易ではない。しかし、高野山から出る車が多く、こちらは多勢である。たまにくる対向車はよけざるを得ない。
橋本には6時頃に着いた。あたりはもうすっかり真っ暗となっていた。橋本からの国道24号線では、夕方のラッシュにぶつかり、相変わらず混んでいて、思ったほどスムーズに進めない。三在で右折して国道370号線、さらに土田で169号線を走る。同方向の前後の車は少ないが、対向車が結構やってくる。信号が赤で対向車線には長い車の列が出来る。後で宿の人に聞くと、この道の先に大台ヶ原があり、紅葉が綺麗なので、その帰りではないかと聞かされた。
吉野口で右に曲がり県道15号を吉野温泉に向かう。吉野に早く着くことが出来たなら、吉野山を見学する予定であったが、遅くなったので見学は明日に延期した。ナビに従いながら谷間の道を進んでゆくが、暗がりで曲がり角がよくわからず、手前の道を曲がってしまった。その道は来た道を戻る方法に進みそうだったので、バックして元の道に戻り、もう少し進んで吉野温泉元湯への道をみつけ、7時前に何とか温泉に着くことが出来た。今日の予定より2時間の遅れである。
吉野温泉元湯は谷間の一軒家である。通された部屋は10畳以上もある広い部屋で、横を流れる渓谷のせせらぎの音が聞こえるが、外は闇夜で何も見えない。湯は赤い鉄分が多い風呂で温まる。出された料理も山の幸をふんだんに使ったものがたっぷりで、ドライブ疲れの体には食べきれないほどであった。ここで出された葛きりがおいしく、翌朝宿で売っていた葛きりを購入した。
【第4日】 ー吉野・奈良ー
(吉野温泉〜吉野山〜法隆寺〜薬師寺〜唐招提寺〜<北陸道>〜富山)
- <島崎藤村ゆかりの宿>
- 朝起きて、窓の外を眺めると、そこは日本庭園になっており、紅葉は既に終わっているのか、葉のない木々(桜?)が多い。そう言えば吉野は桜で有名なので、やはり春にくるべきである。せせらぎが聞こえた小川は、ちょうど良い川幅で川草も豊富でなかなか風情がある。吉野温泉元湯の各部屋は廊下や庭などで仕切られており、隣の音が聞こえなくなっている。
朝食は別室に案内された。この部屋は小さな部屋であるが、島崎藤村が宿泊していた部屋で、藤村の新聞記事などが飾られていた。畳の上で椅子に座って、洋風に食事をした。
温泉の玄関前の看板の前で女主人にお願いして記念撮影。
- <吉野山・金峯山寺>【世界遺産】
- 吉野山へはケーブルカーで登ることも出来るが、山の上に観光駐車場があることを調べてあったので、山道を車で登る(昨日間違えた道だった)。この山道は桜で有名な下千本の中を通る道で、桜の季節には眺めが良さそうである(多分車は通行止めでしょう)。観光駐車場は100台以上が駐車可能な広さであるが、オフシーズンと言うことで10台くらいしか止まっていなかった。入り口の近いところに車を止めた(シーズン時の料金は1500円。今回はタダ)。
舗装された道を金峯山寺に向かうと、ケーブルカーの駅、黒門、大きなしだれ桜、沿道の両側に並ぶ土産物屋、そして世界遺産でもある仁王門に着く。
吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場で修行道大峯奥駈道の北の入口である。役行者が刻んだとされる蔵王権現を本尊とする金峯山修験本宗総本山金峯山寺(きんぷせんじ)がある。古来より桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。早朝の寺はまだ客は少なく、坊さんが掃除をしていたが、本堂の蔵王堂でお参り。
金峯山寺の後ろには吉野山ビジターセンターがあり、ちょっと寄ってみたが、客は我々だけで、管理人に「入場料(200円)のおつりがないのでしばらく待ってくれ」といわれ、待っている間に吉野山のビデオを見ることになった。吉野山は今も修行の場で、奥に行くと女人禁制となっている。吉野の歴史やパノラマ模型、生息動物のはく製、修験者の装束や用具などが展示されていた。
桜の季節であれば、もっと奥の中千本(黒門から約50分、シーズンにはシャトルバスがある)の如意輪寺などまで行くのであるが、今回はここまでとした。途中、金峯山寺の横にある庫裡でふすま絵の展示しているとのことだったので、折角だから見学する(よくわからなかった)。
駐車場への帰り道の途中で、くず専門店(山本庵)に立ち寄り、くずを使ったお菓子やくず粉などを買った。今回の旅行でいろいろな土産を買ったが、ここで買ったくず製品が非常に喜ばれた。
- <道の駅「吉野路大淀iセンター」>
- 駐車場から山を下り、昨日来た169号線を土田に向かって走る。土田からそのまま169号線で芦原峠に向かうと、途中に車が沢山止まっている道の駅があった。昨日のように昼食をとれない場合を考えて、吉野温泉元湯で食べた「柿の葉寿司」が無いか寄ってみることにした。
吉野路大淀iセンターは建物の入り口に地元の特産物が所狭しと並べられ、道の駅と言うより朝市のような雰囲気で、客の大半は旅行客である。そういえば、ここは地産の商品を農業者が協力して販売し成功している例として、テレビでも紹介されていたことを思い出した。目的の柿の葉寿司や葛飴、その他のおみやげをいくつか買った。
峠を越えて橿原市内にはいると道路が混んできた。近くの高松塚が特別公開中と看板があり、これも混雑の原因らしい。市内で国道156号線に入り、さらに24号線(京和道路)、県道14号線、県道5号線と進む。ガソリンが少なくなってきたので、安価なスタンドがないかと探していたら、無印でリットル133円ところがあり、燃料を補給した。
- <法隆寺>【世界遺産】
- 県道5号線から国道25号線を左に曲がると法隆寺の看板があり、中央分離帯のある道路(参道)を右折し、突き当たりが法隆寺である。事前の調査では道路の右手前にある法隆寺iセンターの駐車場(左側にも有料駐車場がある)に車を停める予定であったが、参道を進んでゆくと土産物屋から呼び込む人がいて、料金が無料ということで誘導に従った(松本屋)。
法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院であり、創建は607年とされるが確証はない。金堂、五重塔などがある西院と、夢殿などのある東院に分かれる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産、日本で最初)に登録されている。
法隆寺に到着した時刻は12時すぎだったが、車中で間食していたので、まず見学をすることにした。中門の前に世界遺産の石碑があり、観光中の女学生に写真を撮ってもらった。伽藍への入り口は正面の左側にあり、拝観料の1000円を払って西院伽藍の中に入る。伽藍の中には五重塔と金堂、正面には講堂がある。高さは約31.5mの五重の塔(ストゥーパ)は釈尊の遺骨を奉安するためのものでわが国最古のものと言われている。”金堂は法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂で、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像、その左右には太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像、それを守護するように樟で造られた四天王像立っている。講堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設だが925年に落雷によって焼失し、その後990年に薬師三尊像及び四天王像とともに再建されている。
伽藍の東には大宝蔵院があり国宝級の品々が保存・展示されている。飛鳥時代の百済観音像を始め、夢違観音像、玉虫厨子、橘夫人厨子、百万塔、九面観音像、金堂小壁画など、その宝物のすごさには圧倒される。ここは一度は訪れるべき所である。
夢殿は聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、太子の遺徳を偲んで739年に建てられた上宮王院(東院伽藍)の中心となる建物である。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える救世観音像が安置されている。”とのこと。
法隆寺の見学に45分の予定であったが、見所も多く、結局90分を要した。法隆寺の見学を終えた後、松本屋でちょっと休憩。「柿食えば・・法隆寺」に従い、柿アイスと柿 を注文した。お茶の後は土産コーナーに立ち寄って を購入する。
法隆寺の駐車場を出て、再び国道25号線に出て、東に向かい、中宮寺東交差点で左折し、ナビに従って走行し県道9号線に出た。休日のせいか県道は混んでいた。
- <薬師寺>【世界遺産】
- 薬師寺の看板が見え、県道を左折し、しばらく行くと薬師寺の駐車場が見えてきた。500円の駐車料金を払って中にはいると、観光バスが多く止まっていた。駐車場の中程に車を停めて、近くのバスのナンバーを見ると富山ナンバーだった。薬師寺もメジャーな観光スポットである。
薬師寺は興福寺とともに法相宗の大本山で、南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇である。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
駐車場から薬師寺に向かって歩いてゆくと、右手に薬師寺の鎮守社でる休岡八幡宮がある。この社殿は豊臣秀頼の寄進によるといわれ、中を通ってさらに進むと薬師寺の南門に出た。800円の拝観料を払って中門をくぐって伽藍の中に入る。
正面の金堂には薬師三尊像があり、その台座にはギリシャの葡萄唐草文様が施されているなど、当時は世界と繋がっていたことがうかがえる。東院堂には聖観世音菩薩像、大講堂には弥勒三尊像などが安置されている。金堂にはいると、椅子が並べられていて、椅子に座り、副住職により唐招提寺の紹介と法話そして写経のお勧めがあった。薬師寺では白鳳伽藍を復興させ、そのたたずまいを子孫へ残すためにお写経勧進を行っている(般若心経で1巻2000円)。毛筆または鉛筆を使って下地手本をなぞるだけで写経が完成するので、自宅で写経することも可能です。写経が完成したならば薬師寺に納め供養していただけるとのこと。
大講堂を巡って、北門を出ると、その先に玄奘三蔵を祀った玄奘三蔵院伽藍があり、薬師寺の参拝料に含まれているので立ち寄ることにした。ここには平山郁夫さんが30年をかけて制作した、縦2.2メートル、長さが49メートル(13枚の合計)からなる「大唐西域壁画」がある。
- <唐招提寺>【世界遺産】
- 唐招提寺には当初車で行くつもりだったが、県道が混んでいたのと、薬師寺の北門から続く道の600m先にあるので、歩いてゆくことにした。
唐招提寺は鑑真ゆかりの寺院で、南都六宗の一つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂をはじめ、多くの文化財を有する。唐招提寺の近くにも専用の駐車場があり、ここもバスなどが沢山停車していた。
拝観料の600円を支払って南門から伽藍に入ると、759年に建立された国宝の金堂(薬師如来像や千手観音立像などがある)は平成大修理中でテントに囲まれており、見ることが出来なかった。奈良時代の校倉造倉庫である宝蔵(宝物が入っているのであろうか、2階には大きな木箱が収納されていた)を特別公開していた。講堂なども見学したが、工事中と言うことで何となく落ち着かず、奥まで回ることなく、戻ることにした。
唐招提寺を出て、来た道を再び薬師寺に向かい、先ほどの拝観券を見せて、薬師寺の中を通り、薬師寺の駐車場に停めた車に戻った。時間も遅くなったので、駐車場の車はかなり少なくなっていた。
- <東名の事故・草津SA>
- 当初の計画では、このあと平城宮跡(1ヶ月後にこの横を通ることになったが)、そして宇治の平等院を見学する予定であったが、5時近くとなり、時間が遅くなったので、今回の旅行での見学をあきらめて、富山に帰ることにした。唐招提寺から24号線にでると、夕方のラッシュで道路は混んでいた。混み合う奈良市内の道を北に進み、木津ICから京奈和道に入る。京奈和道を京都に向かってすすんでいたが、この道にはいくつもの料金所がある(ETCカードを指し忘れてゲートが開かずあわててしまった。気をつけよう)。城陽市で京奈和道は国道24号線となり、国道1号線にぶつかるところが京滋バイパスの巨椋ICである。あたりはかなり暗くなってきた。
ICの入り口に「東名高速道路の竜王と栗東の間で事故があり、通行止めになっている」と掲示されているが、とりあえずゆけるところまで行ってみることにした。瀬田東JCで東名高速道に合流し、混み合う前に休憩と食事とということで草津SAに入る。SAの中は渋滞を考慮した人でいっぱいで、レストランも大忙しである。軽くということで麺類を注文したが、 分ほどかかった。
再び高速本線に戻り東名を走り、草津JCで新名神と別れ、栗東ICに近づくと渋滞し、栗東ICで完全に動けなくなった。このまま動き出すのを待っていても良いが、ICの分岐点で左車線で停止したので、栗東ICを降りて下道である8号線を走ることにした。しかし、同じことを考える人も多くいるもので、ICから国道までも渋滞しており、30分近くかかった(それでも高速道路は全く動いていない)。8号線に入ると、混んではいるが何とか車は流れている。道路沿いのスタンドの価格を見るとリットル129円と、本旅行では最低価格である(富山では138円)。
のろのろと国道を走っていたが、信号待ちの間にナビの地図を見ていると、高速道路に沿って竜王ICへゆける県道22号線を見つけた。エイヤーと思い切って8号線を右折してみると、結構この道を走る仲間がいる。ナビに従って進むと竜王ICに着くことが出来た。道沿いの高速を横目で見ると、高速道路の車は上下線ともまだ止まっているようだ。竜王からは高速道路は空いており、スムーズに走行することが出来た。
- <尼御前>
- 米原JCで北陸高速道に入る。以前はこのJCで通行証の検査があり一旦停止をしなければならなかったのだが、ETCのおかげでノンストップで通過できた。北陸道は相変わらず空いており、再びエンジン回転数2000rpmを目標に走行することが出来た。メータを見ながら走っていると緊張し、眠気も覚めるのでオートクルーズは必要ない。車の心地よい振動と疲れが溜まってきたのか、隣のナビ役の人からは寝息が聞こえてくる。
走行距離を考えるともっとこまめに休憩を取るべきなのであろうが、折角寝ている人を起こすのも・・、ゆけるところまで行くことにして、尼御前SAで休憩を取った。眠気さましのコーヒーを飲んでもう一走り。
富山の立山ICには22時すぎに到着した。もう家が近いとなると、気がゆるむというか、ちょっと疲れが出てきた。結局、家には22時30分に戻ることになった。
今回の総走行距離は1260km、要した時間は88時間の旅行で、欲張った計画であったが、時間の割には良く回れたものだと思う。