9月1日からの3日間で25万人を超える観光客が全国から集まるようになったおわら
風の盆。
横浜中華街のような込み具合です。
おわらはいったい何なのか・・書くことにしました。
おわらはなぜ『祭り』と呼ばれてしまうのか・・
確かにキャッチフレーズやコピーと呼ばれるものに【幻想の祭り越中八尾おわら風の
盆】とか【祭りは最高潮】などその盛り上がりに使われる表現方法としては聞こえはい
いが、実際はどうだろう。
確かに、おわらの起源は定かではないが、元禄15年に町建てに関するおふれが役所よ
り出され、3日間騒ぎ立てても咎めなしとのお達しが出され、これが町練りとなり、や
がて盂蘭盆の町練が、二百十日の厄日の風をはらい鎮め、五穀豊穣を祝う風の盆になっ
た・・たしかに賑やかな町民の喜びのお祭りのようではある。
しかし祭りと言う言葉には、騒がしいなどの語意はないようだか、日本の祭りの多くは
どのようなイメージだろうか。
笛、太鼓、鐘などの鳴り物に加えて歓声、掛け声など賑やかなものが多くないだろうか
。
特に大きな祭りほどその感が強い。
大阪のだんじり祭りや青森ねぶた祭り、各地の曳山祭など、祭礼と呼ばれる代表的なも
のはみなそうである。
しかしながら、時代の変遷によっておわらは変わってきた。新しい踊りが考案され、尺
八に変わって胡弓が入る。賑やかな騒ぎごとから、静寂で歌を楽しむ時代を経て、優美
で品のある踊りの姿を楽しむ形に変わっていったのである。町民は、それらを伝統芸能
として、また、盂蘭盆会の盆踊りとして楽しむようになり、通年を通してその業に研鑽
を重ねて今日の完成されたおわらになったと思うのである。
おわら祭りの誤解・・
祭りと言う表現を真っ向から否定しているわけではない。現に地元でも祭りと呼んで
いる。
しかし、対外的なものと、うちはの表現との違いである。おわら風の盆をジャンル分
けしたときの分類としてその部類に入らざるを得ない・・・
ちょっと寂しいと思うのは私だけだろうか。
事実、おわら風の盆は【行事】と呼ばれているではないか。この、町上げての事業は
『八尾町・おわら風の盆行事運営委員会』が行っている。おわら風の盆祭り・・ではな
い。
一度おわら風の盆を体験すれば【祭り】とは思わないと思うが・・。
前夜祭とは・・
あくまで本番の混雑解消の為に始まったものであるが、すっかり観光客の為に利用さ
れてしまった感がある。
これがさらに本番の混雑に拍車をかけている。旅行会社は3日間のみならず11日間
余分に企画を立てられる分けだからお客をとにかく連れてこればよい。
一つの町内でしかやらないので、混みぐあいはひどいがその場を動く必要もない。
しかし、8/20から30日までの毎晩2時間のみで雨天中止。前夜祭と言えど前夜
の31日は無いのだ・・。
おわらを祭り化しないで!
祭りとなれば、騒がしくなって当然だろう。風の盆が終わると、全国からいろんな投
稿記事が新聞各社に寄せられる。
その中で、『沢山の人が来ているのに踊っていない』『街中にはおわらの歌が流れて
いない』と言ったものがある。
つまり、放送設備でおわらのテープを流せ・・と言うのだ。賑やかしく、おわらが溢
れる町にしろと・・・
これなら他の町でも出来るだろうが、八尾でやるから『本場のおわら』ではなかろう
か。
もっと広い、けっして込み合うことのない広い所はいくらでもある。しかし 八尾町
で、しかも狭い町でしているのが、本場のおわら。何を見に来たのだろうか?
つづく