希求する心 森鴎外「舞姫」 豊太郎とエリスの互いに希求する心が、すれ違い誤解を深めていく過程で、 情景描写が心象風景と重なり、奥行きの深い小説世界が創り出されています。 |
|
| はじめに・・・限定視点の小説 「舞姫」は、一人称の語り手による限定視点の小説であり、人物造形や筋立てが高度に完結しています。それぞれの登場人物の心理の内実は、語り手による情景描写や会話、手紙の中に、暗示的に示され、わかりにくくなっています。 また、語り手の豊太郎は、明治初期の男性の典型であり、自らの過ちについて、自らの倫理観に基づいて断罪してゆくばかりですから、一読すると豊太郎への不信感ばかりが残ります。 しかし、事情は決してそのように単純なものとはいえないと考えます。次にいくつかの観点を示しておきましょう。 |
※ この文章は、「現代文指導法の研究 第2集」(昭和60年教育研究グループ奨励事業 研究成果報告書
1986.3.29 )に書いたものをホームページ用に収録しました。 現在の文学研究をふまえていませんが、識者のご助言をまちたいと考えます。もともと教員向けの文章であり、教材研究編と併せてお読みください。 ※ また、印刷物をスキャナーで読み込みました。 変換間違いがあれば、ご指摘ください。 |
|
Q なぜ死んだ?豊太郎の母 |
※ ここで示した疑問の多くは、教室で生徒諸君とともに、読んでいくうちに解明されてきたものです。 |
小説世界の中で 次の二通りの読み方を用意しました。限定視点の小説では、それぞれの登場人物の物語をとらえるために、複眼の読み方が必要になってくるためです。 ●豊太郎の心理を探るでは、 豊太郎の自我のめざめと苦悩。 また、 ●エリスの心理を探るでは、 エリスの人格の成長と崩壊の過程 を追っています。 また、情景描写の中に心情があふれる名場面集をお示しします。 |
|
豊太郎の心理を探る。 |
|
| 豊太郎の個性のめざめ 豊太郎は、日本人を代表して、法律研究によって「我が名をなさんも、我が家を興さんも今ぞと思う心の勇みたちて」という決意のもとドイツに渡っている。 留学当初には目を驚かす「ウンテル・デン・リンデン」の景観について「あだなる美観に心を動かさじ」と決心していた。しかし、三年を経て、「獣苑を漫歩」し、「クロステル巷の古寺」の「三百年前の遺跡」を見、「心の光惚」となってたたずむことがたぴたぴであった。という大きな変化を見せている。 ここに至る過程には、次のような事情がある。 ・ ドイツの大学の自由な風にあたり、国家や家の要請でなく、自らの好みや個性を生かす文学に心を向けたこと。 ・ 法律の条文を調べることに倦み、日本の官長からの問い合わせに対し、 「法律の細目にかかづらふ」べきでないと重ねて言い送るなど、上司にとって不遜な態度をしていること。 ・ 他の留学生仲間との交際がなく、特別な目で見られていたこと。 ・ ドイツ人の知己を得る事もできなかったこと。 総じて、異国へ官費で留学した青年が、次第に本国へも異和感を感じはじめるとともに、その地にも溶けこめず、文学にひたり、孤独な魂を醸成し始める過程を読み取るべきではないだろうか。 こうした心の軌跡のなかで、「エリス」との出会いは法律・政治から文学へ、自由と美とを求める気持ちの延長線上にあった。エリスは彼の希求する美の具象化であり、西欧の風土に身を置き、文学によって知り初めた清冽なロマンの対象でもあった。 泰西名画のように、主人公を見やるエリスの姿が、美しく描写されていることは、まことに示唆的である。 |
|
| 免官と母の死 「エリスヘの愛が本当のものなのか」という疑問は読者の中に根強く存在する。 確かに豊太郎の愛情は一直線に相手を求めてゆこうとはしない。その上、作者である鴎外のドイツ女性との恋愛事件の知識に微妙に影響され、小説に描かれた愛の純粋さを疑いがちである。 しかし、揺れ、たゆたい、時として相手を重荷にさえ思う心が正確に描きとられているが故に、むしろ愛の真実を等身大で写し出している事に目を向けたいと思う。 ここでは次のような点に注意したい、 ・主人公の美への憧れと、エリスの境遇ヘの同情。 ・エリス母娘への援助者、庇護者としての行動。 ・仕事の怠り、エリスとの交際を讒言され、母国政府から捨てられたこと。 ・主人公の孤独と心の動揺 免官、母の死の中で相談相手もない豊太郎にとって唯一の共感者はエリスであった。 エリスも同情や別れの悲しみの中で決定的な傾斜があったこと。 ・日本に帰って名誉を回復するために、ドイツに残って学問の上で成果を上げようとしたこと。 ・しかし、程なく生活に追われて学問を続けることができないとわかったこと。 特に、以下の二点は、小説を読み解くために重要であると考える。 |
|
●豊太郎の母の諌死※ 免官後、日本から届いた二通の手紙とは、「殆ど同時に」出されたものであった。 ・一通は母の自筆の手紙であり、 ・もう一通は親戚からの母の死を報告する手紙であった。 母の手紙と、母の死との間には大きな関係があったと考えるべきだろう。 「余は母の書中の言をこゝに反復するに堪へず、涙の迫り來て筆の運を妨ぐればなり。」とある。 母の手紙には、一体何が書かれてあったのか。 豊太郎はあえて書かず説明しなかったが、母の物語がそこにある。 日本にいる母にとって、豊太郎は国家の期待を担って官費留学していた自慢の息子であり、太田家を興すはずの息子である。 その豊太郎が、卑しい踊り子とつきあい、仕事を怠るという破廉恥な所業で免官になったことは、大きな衝撃であり、耐えられない恥辱でさえあったろう。 自らの命をもって豊太郎の心得違いを諌めるため、覚悟の上自決するのである。いわゆる諌死と取るべきだろう。 母の諫死は、豊太郎にとって二重の意味で悲痛である。 一つは誤解による処断であり、弁明する機会さえない性急な死であること。 また、西洋的な自我に目覚めはじめた者にとって、全くの時代錯誤な死であることだ。 母の死は、日本とのよすがが失われるだけでなく、豊太郎に日本の価値観の是非を問い直すことを迫っている。 これ以降、豊太郎は内面に、西洋と東洋の価値観の二つに引き裂かれた者のみが直面する苦悩を抱えこまざるをえない。 ●免官、母の死の理由を告げない豊太郎 ・・・ 豊太郎の苦悩とエリスの発狂に至る重要な伏線 豊太郎は、エリスとの交際のため免官された事情を告げていない。 「我が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失ひつ。余は彼が身の事に關りしを包み隱しぬ・・・」 とある。 エリスに関した事情を隠したのは、豊太郎の思いやりであったろう。無邪気なつきあいでしかなかったエリスに、豊太郎の免官、母の自殺のいずれもが、自分達の交際のゆえと知らせるのは余りに酷なことである。 こうして、この間の事情は、豊太郎一人の胸に秘められ、エリスには伝えられないままだった。エリスは、この後の豊太郎の重大な苦悩の根本について無知である。 そして、豊太郎が全てを打ち明ける前に、エリスが希望と不安の交錯の果ての狂気に至る結末への重要な伏線となっている。 類型化を恐れず言えば、エリスは、西洋でいうまさにファムファタール、「宿命の女」である。 また、日本の関係者からみれば、エリスは豊太郎を免官させ、豊太郎の母が死をもって関係の清算を求めた女である。豊太郎とエリスとの恋は、初めから「許されざる恋」であった。 「なんたる悪因縁ぞ」という言葉は、全てが終わり、この手記を記した時点での豊太郎が、宿命の恋を総括し、自省と後悔のもとに表現したふりしぼるような心の叫びであったととるべきだろう。 |
※諫死 死んでいさめること。また、死を覚悟していさめること。 |
| 豊太郎のこころの動揺 免官の後の豊太郎はドイツにいる限り、屋根裏部屋での最下級の生活に甘んじるしかない、このままでは自分の才能も生かせず、「広漢たる欧州大都の人の海に葬られ」るという不安は、免官後ずっとまつわりついていただろう。 翻って、名誉を回復して日本に帰れるのなら、ドイツ帰りということで、ひとかどの人材として祖国のために働くこともできる。日本への帰国の望みはあるが、エリスをどうしようという方策も立てられない。 「明治二十一年の冬」とは、心象上の冬であり、春とともに始まったエリスとの愛が、厳しい局面を迎えることを暗示している。 エリスの妊娠は、豊太郎自身の将来がわからない以上、大きな重荷になる。 こうした八方塞がりの状態の中で相沢との再会があった。 「出世か愛か」という二者択一の中で、結果的に「出世」をとったように見えることから豊太郎の功利主義をみる者も多い。しかし作者は、直線的に「出世」を目指す豊太郎を描いている訳ではない。ここではむしろ、豊太郎の心の揺れそのものが描かれているということを重視すべきだろう。 豊太郎のこころの動揺は、次のように描かれる。 ・相沢に、エリスとの仲を絶とう、と返事した際にも 「貧しき中にも楽しきは今の生活、捨て難きはエリスが愛」と心情を吐露している点。 ・大臣の通訳として、ロシア宮廷での活躍や、豪華を極めた歓待につけても、ドイツでの境遇と比べざるを得ない。 皮肉にも他ならぬエリスの手紙によって、天方大臣のつてで日本帰国が叶えられることに気付き、望郷の思いにかられ平静でいられなくなる。 ・それでも、ロシア旅行が終り、エリスと再会した時には「故郷を思う念と栄達を求むる心」も、愛情に押し消されるかに見える。 ・しかし、大臣に招待を受け、日本への帰国を勧められた時、心弱くもうなずいてしまう。 ・その後、エリスヘの罪悪感から、寒夜の町をさまよい歩き人事不省となる。 決断をしなかった点を、豊太郎の性格の弱さとし、共感を全く示さない読み方もできるが、決断を先へ先へと一寸延ぱしにする主人公の苦悩自体が、ここでのテーマであろう。 |
|
| 相沢を「憎むこころ」から分かること 文章は可逆的な面を持つ。最後の言葉から遡って全体が見えてくる場合も多い。 小説悼尾にある相沢への「憎むこころ」という言葉の受けとめ方で、小説全体の意味が左右される。 読者には、 ・豊太郎の繰リ言ととリ、女々しく感じる。原因が自分にある筈なのに他人を恨んでいる、と批判する者、また、 ・相沢の背後に非情な国家を見て、それへの間接的憎しみ表現ととる者もいる。 これらはいずれも、豊太郎がエリスを捨てる決断をしたという前提にたつ。 しかしこの解釈をとる限り、ここまで倫理観に基づき自己の罪を丹念に指摘してきた豊太郎にしては大変不用意な言葉になリ、小説中の人物造形としては不整合な解釈となってしまう。 小説掉尾にある「相沢を憎むこころ」は、いかにも抑制を失った言葉である。この小説の結論ではなく、作者が読者に投げかけた謎かけと考えるべきではないか。 読者は、この言葉の不用意さに合点がいかず、怪訝な思いを手がかりに小説を遡っていき、豊太郎があえて語らなかった真実にいたる。すなわち、「相沢を憎むこころ」のゆえんは、エリスを希求する心そのものを示している。 彷徨の果ての希求 読者のために、作者が周到に用意した場面は次のようなものだ。 豊太郎が懊悩とともに厳冬の街をさまよった果てに、エリスのもとに帰りついたことの意味は何か。エリスを冷然と捨てるつもりであるなら、エリスの待つ部屋へ帰る必要はなかった。 当時、大使館に逃げ込み、現地の女性から逃げ出した不名誉な日本人留学生の話は、いくつも聞こえている。 懊悩のうちに街をさまよった末、豊太郎は家の建物の戸口でたたずむ。そこに描かれる場面には、 ・エリスが自分を待っている「四階の屋根裏」の燈火 ・それを見上げる主人公、 ・舞い散る大きな雪片 が描かれる。 「四階の屋根裏」の燈火は、エリスの愛情の証であり、全てを許す救いのともしびだった。 この美しい光景は、最終的にエリスを希求した豊太郎の真情を、印象的に表現している。 豊太郎は、自らの罪の許しと救いを希求して、エリスの部屋に戻っていったのだと考えられる。 |
|
| 「気取半之丞」と「相沢」の論争 小説「舞姫」の発表当時、評論家 石橋忍月は、「気取半之丞」名で、豊太郎がエリスを捨てたという点について批判していた。 鴎外はこれに「相沢」の名で反論し、人事不省にならなかったなら、豊太郎がどう振るまったかについて次のように述べている。 「太田は弱し。某大臣に諾したるは事実なれど、彼にして家に帰りし後に人事を省みざる病にかかることなく、又エリスが狂を発することもあらで相語るをりもありしならぱ、太田は或いは帰東の念を断ちしも亦知るべからず。(中略)其かくなりゆかざりしは僥倖のみ。」 (「舞姫」につきて気取半之丞に与ふる書」) 豊太郎とエリスが正気の状態で、話し合う機会があったならば、愛を選んだかもしれないと「相沢」は語る。一読して感じる印象とは全く反対の展開を作者は想定していたのである。 小説末尾で、自己に厳しい豊太郎が相沢を恨むことから、読者が豊太郎の真意を推し量りうる筈だと鴎外は考えていた。ここに、小説家として鴎外の誤算があったのかもしれない。 また、この論争自体が、「気取り半之丞」への「相沢」の反論として書かれている。小説作者である鴎外と「相沢」の立場を混同するべきではない。 「舞姫」作中での「相沢」は、裏も表も弁えた能吏である。 大臣の前で豊太郎の身辺のスキャンダルはないと明言した以上、豊太郎がエリスを選ぶことは、あってはならないことなのだ。 相沢にとって、自らを守るためにも、二人を引き離すことが必要であった。 先に引用した文中の「其かくなりゆかざりしは僥倖のみ。」とは、書き手である「相沢」に仮託した発言である。 能吏である相沢は、大臣の前で豊太郎とエリスの関係を否定している。大臣に対して自分のついた嘘を、断固貫き通す意図をもって行動し、それが上首尾で終わったといえるからだ。 小説中の豊太郎や、論争中の鴎外が「僥倖」と思っていたかは、別問題であろう。 「憎むこころ」とは ともあれ、ここで明らかになった相沢への「憎むこころ」という言葉の真意は以下のようなものであったろう。 大臣の前での言葉を貫き通そうとした保身の行為。 豊太郎が人事不省の間に、豊太郎の友として、免官の理由や母の死も含めた事実を客観的に伝えるのではなく、自分の一片の言葉を引用した心無い行為。 主人公が苦悩の果てに愛と許しを希求したエリスを、誤解を解くすべもない彼岸の世界へ押しやった行為への憎しみである。 |
|
| 近代小説として こうした「舞姫」の筋立てを、 意識不明と、発狂という時間的な「すれ違い」による、ロミオとジュリエットの最後を思わせるドラマと取ることも可能だろう。 また、義理と人情の板ばさみから第三者のはからいで心ならずも義理をとらされてしまう男の恨み、裏切られた女の発狂と、江戸時代の人情本になぞらえることもできる。 一読した際の我々の印象との齟齬を、書簡体小説という手法の限界に帰することもできる。 手法・プロットの両面から過渡期の作品という評価も確かに首肯できる。 ただし、鴎外がこの古い器に、単なる異国趣味以外の新しい酒を注ごうとしたことは間違いない。 豊太郎の自意識のめざめが、当時の日本国家の許すところではない「自己の弱さ」(人間性)の自覚として現れてくること。それはまた孤立を再認織することでもあったこと。 異国での免官と母の死をきっかけに孤立が完成するなかで、弱き心ゆえのエリスヘの傾斜が語られていること。 日本とエリスとの二者択一に見える選択は、実は両者とも「弱き心」、人間性の希求ゆえであったことを読み取るなら、この小説が近代小説としての充分な問題意識のもとに書かれていることがうなづける筈である。 そしてなにより、鴎外の描いた主人公の苦悩の軌跡そのものが、時代の差を越えて現代の我々にも共感を呼ぴ起こしうることに気付かされるのである。 |
|
エリスの心理を探る |
|
意識的に限定視点の手法を貫いた小説ゆえに、エリスの心は、描かれていないかのようにみえる。 読者の中には、エリスを「主体性のない女性」「馬鹿だ」と切って捨てる者もいる。また、男性にもたれかかるようにみえるせいか、エリスの「愛情」自体を疑う者も散見される。 しかし、エリスは意志もなく、単純な「たえる女」として形象されているのだろうか。また、その発狂は果して唐突に起こっているのだろうか。 むしろ、積極的な恋情と、愛の不安を持つゆえに発狂へと追いつめられてゆく人間像が描かれていることに注意したい。 |
|
| 父性の希求 少女エリスを守ってきた「剛気」な父の死によって、エリスは厳しい現実に直面させられる。 父の葬式代をめぐるシャウムベルヒの事件により、ドイツ人男性への不信と、そして父親の葬式の代金に娘に身を売らせようとした母への幻滅が同時に起きた。 比喩的には、この時点でエリスは両親を一度になくしたと言える。絶望の中で、孤独にふるえる魂が描かれる。そこに現われ、苦境を救ってくれる倫理感のある東洋人に、心ひかれてゆく過程は、極く自然である。 「趣味をも」「言葉の靴をも」正し、教え導かれるうちに、それぞれが互いに孤独であった両者の魂が相寄リはじめるとしても不思議ではない。最初は感謝と尊敬の念が勝っていただろうし、それは、われ知らず庇護者となった豊太郎の立場に対応している。 或いは豊太郎の中に、「剛気」な亡き父の再来を見たのかもしれないし、その意昧で豊太郎の「父性」は、むしろエリスのほうから希求されたのかもしれない。 |
|
| 母からの自立と成長 この恋をてことして、エリスは母に対する精神的な自立をかちえてゆく。 豊太郎の免官の知らせを聞き、「色を失ひ」ながらも、、「母にはこれを秘めたまへ」と言ったエリスは、現実的な金銭の問題しか考えない母がどう行動するかをはっきりと意識していた。 そして、エリスは、こうした母をどのようにしてか「説き動かし」、豊太郎を寄寓させてしまう。 ここには、母親に打たれてなすすべもなく泣いていた可憐な少女の姿はない。恋を通じてエリスは確実に成長し、変化している。 |
|
| 新たな不安 豊太郎と暮らしはじめ、貧しい中でも楽しい生活を始めたエリスにとって、相沢の出現は、自分の手の届かない所へ豊太郎がいってしまうような不安を感じさせ、口にも出した。豊太郎はそれを笑顔で否定する。 しかし、馬車で出て行く彼を、四階の屋根裏部屋から、病がちの体をおして見送るために窓をあけ、北風に髪を乱しているエリスの姿の描写は、豊太郎への愛と不安の大きさを示している。 鴎外は限定視点を貫くために、こうした印象的な情景描写を重ね、登場人物の心理を象徴的に描きこもうとしていた。 |
|
| エリスの決心 豊太郎が大臣に重用される一カ月間、そしてロシア行きが決まった時も、エリスはさしたる反応をしていない。 それは何も「偽りなき我が心を厚く信じたれば。」という豊太郎の言葉通りではなかった。 彼女が実際には何を感じ、考えたのかは、ロシアの豊太郎のもとへ届けられた手紙が物語っている。 最初の手紙からは心細さ、孤独感の深まりが見てとれる。 しかし、「否」ではじまる手紙は、エリスの個性が躍如として表れている。 豊太郎の将来の展望への並み並みならぬ洞察カと、自分との関わリを変えてゆこうとする意志をまことに雄弁に表現している。 「否、君を思ふ心の深き底をば今ぞ知りぬる。」という魂のほとばしりともいえる言葉からはじまり、語り出す内容も印象的である。 エリスは、何を否定しているのか。 この時点まで、エリスは将来について、自分の愛で豊太郎をドイツの地に留らせよう、また、もし豊太郎が日本に帰るのなら、出世して自分と母を迎えてくれるまで、何とかしてドイツで待っていようという見通しをたてていたという。 しかし、「否」の一語は、こうした全ての心づもりを否定する強い心の動きを表す。 「母とはいたく争ひぬ」という言葉に、母と言い争い、自分の主張を通そうとする女性の姿。母を置いて豊太郎と共に見知らぬ異国である日本に渡ろう、という決意が見てとれる。 豊太郎との愛、そして暫時の別離を通じて彼女は成長し、自己の愛を貫こうとする女性に生まれ変っている。 |
|
| 交錯する希望と不安 但し、大臣の力で豊太郎の帰国が可能だと喝破しながら、白分の「路用の金」も大臣から工面できると予想している点から見て、エリスが豊太郎の免官や、母の死の経緯を知らないことは明かだろう。 エリスは、自分との交際自体が、豊太郎の帰国の妨げになっているという深刻な事情に気付かない。 こうしたエリスの決意と誤解が新たな悲劇を用意してゆく。 エリスにとって、豊太郎が自分を日本に連れて帰ることができないことは、自分への愛情と信頼の問題に帰する。父の死後、母やドイツ社会から裏切られたエリスにとって、豊太郎も自分を裏切るのではないかという不安があったと考えるべきだ。 当時の社会においては、身分違いを理由に、妊娠した女性が捨てられることは十分ありえた。 こうした希望と不安の交錯は、ロシアから豊太郎が帰ったあとのエリスの言動に色濃く影を落としている。再会の喜ぴの表現にだまされてはいけない。むしろ不安の深さを見て取れる表現ばかりである。 「よくぞ帰リ来たまひし。帰り来たまはずば、我が命は絶えなんを。」 「(子供が)産まれたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名をぱ名乗らせたまはじ。」 自分の元に二度と帰ってこないかも知れないという不安。お腹の子が私生児になってしまうかも知れないという不安。 うづたかく布を積み上げ、ひたすらおむつを縫い続けるエリスの姿の描写には、産まれる生命への期待よりもむしろ不安の大きさが感じとれる。 |
|
| 不信から発狂へ 大臣のもとから深夜帰り着き、そのまま倒れふして人事不省となった豊太郎に、エリスは動揺した筈だ。何かがあったのである。相沢の出現によって、この不安は頂点に達する。 エリスにとってみれば、相沢から聞く豊太郎の言葉は、自分との交際が原因で免官され、母が自害したという経緯、それを告げることができないでいた豊太郎の苦悩を知らないために、そのまま自分や生まれ来る命への愛への冷酷な放棄宣言と思えただろう。 父の死後、母やドイツ人男性の全てに絶望したエリスが、唯一信頼し愛した豊太郎の裏切りは、急激な絶望をもたらす。 かくして、不安と期特、人間不信と絶望によって、エリスは発狂に至る。 |
|
| 「舞姫」の悲劇 エリスが人格を形成し、次第に追いつめられ、相沢が伝える言葉によって一挙に崩壊する過程は、まことに劇的である。まさに、この小説はエリスの悲劇を描いた作品であり、「舞姫」という題名にふさわしいといえる。 読者の不在 しかし書簡体小説の長い伝統を持つヨーロッパに対して、当時も今も日本人の読者は、こうした限定視点の小説の読解には、はるかに未訓練であった。 石橋忍月は、エリスについて 「舞姫は文盲癡ガイにして識見なき志操なき一婦人にてありし。是れ失望の第一なり」 と書いている。 鴎外が十分に描き込んだはずの、エリスの人物像と葛藤 | |