− flaver −
|
イルカが旅立って数日後、街での不穏な動きが目立ってきた。 その日の昼過ぎ、カカシは細く入り組んだ路地の中で一人、壁に囲まれて小さく見える空を眺めてため息を吐いた。 打開策が見つかればそれに向かってひたすら走ってゆけるのだが、その糸口がまったく見えない。焦れば焦る程事態は悪化する。そんなことは解っているからこうやって冷静に最初から順序立てて考えているのにさっぱり解らない。 「よっ、」 言ってやると子どもたちは蜘蛛の子を散らすかの如くあっという間に走って逃げてしまった。その中でも一際小さい子どもが逃げ遅れて尻餅をついている。 「おいっ、今の内に逃げろっ、」 殴りかかってきた子に言われて、尻餅をついていた子どもは逃げていった。そして殴りかかってきた子どもはほっとしている。 「ただ挨拶しただけなのに殴りかかってくるとは随分だねえ。あれ、よく見ればお前、こないだのスリじゃない。これはちょっとお仕置きだね。」 カカシは子どもの頭を肘でぐりぐりと押しつけてやった。 「い、いててっ、なにすんだばーかっ!!」 「うっわ、反省してないねお前。大体ね、人のもの盗むなよ、あんな善人から。盗むなら悪人からな。この街にいくらでもいるだろう?」 「悪人には腕の立つ護衛がいんだよっ。」 「じゃあお前がもっと強くなるか、頭を使えよ。」 なんてことを教えてるんだかな、俺は。教師だと言っていたあの人に聞かれたら卒倒されるかもね。 「お前孤児なの?」 「そんなもんだな。家族はいるけど弟だけだし。」 さっきの尻餅ついてたのが弟なんだな。そう言えば顔つきが少し似ていた。髪の色も。 「ふーん。ねえ、最近変わったことない?」 脈絡のない会話に、子どもが疑わしそうな目で自分を見ている。それはそうだろう。昼間っからこんなところでぶらぶらと子どもと遊んでいるのではな。しかも、忍だと知られている子ども相手にだ。 「俺が仲間のことを言うと思うのか?」 子どもは、だが子どもとは思えない程の決意の固い目でカカシを見上げていた。いい目をしている。薬をやってる奴らの何百倍もいい目だ。 出身はどこかと問えば、子どもは火の国だと思うと自信なく答えた。 「じゃあとりあえず俺も仲間じゃない、俺火の国の出身だし。」 「俺は親父の顔知らないけど死んだ母ちゃんが親父は火の国の男だったっつったから。だから保証はないんだ。」 「でも火の国の民なんでしょ?どうでもいいじゃない、出生なんて。お前ここで生きてんだし、お前の価値はお前が作るもんだろ?俺だって自分の価値は自分が作ってきたし。」 木の葉の白い牙と呼ばれた父、血継限界うちは一族の目をくれた親友、四代目火影と言われた恩師、全ては自分に箔を付けてはくれたけど、ここまで生きてこられたのは何も彼らだけのおかげじゃない。自分だって努力してきた、白い牙の息子に恥じぬように日々鍛錬していたし、オビトの写輪眼を使いこなすのに相当の努力もした。木の葉の黄色い閃光と呼ばれたあの人の志を受け継ぐために日々、木の葉を守っている。 「よくわかんねーけど、仲間に入れてほしいのか?」 いや、入れてほしいんじゃなくてもう入ってるんだけどねえ。 カカシは苦笑した。それに合わせるようにして子どもは不敵に笑った。 「変わった事っつったら最近俺らのテリトリーに新顔が入った位だ。そんなもんだぜ。」 カカシは少し呆けたが、子どもの言葉の意味を考えてなるほど、と思案し始めた。 一人の女が遊郭の中庭で洗濯をしていた。女は以前、遊郭で客を取っていたが、3.4年前に負った怪我のせいでその仕事は下働きとなった。 「坊や?」 と声をかけたが、返事はない。おかしい、いつもだったら満面の笑みを浮かべてすり寄って出て来るのに。 「坊やではなくてすみませんね。」 代わりに入ってきたのは左目と、口元を覆って顔の半分以上を隠した、かなり不審な男だった。 「お前様は?」 「なーに、すぐに済みますよ。店の方にも了承は得ましたから。」 男はそう言った隠していた左目を晒した。片方が灰色がかった青なのに、左目は深紅のように赤い目だった。 了承とはなんの?と女が口にする前に、女はその場に崩れてしまった。 「坊やって、誰?」 「最近知り合った、10歳くらいの、赤みがかった髪の子。」 「どうやって知り合った?」 「満月の夜に、たまたま店の用事で出ていた時に、うずくまって泣いていたから。」 「この街にはそんな子どもごろごろしているのにどうして坊やだけ?」 「わからない、ただ、惹かれて、」 「それからどうしてこの店に来るようになった?会って何をしていた?」 「持っていたお菓子をあげたら喜んでくれて、私が一人でいる時ならこの店に来てもいいと言ったら、この店で会うようになって、たまにお菓子をあげて、話し相手に、なって、」 「名は?」 「知らない、坊や、と、」 随分と慎重なことだ。最悪な事態になってもこの女一人を黙らせてしまえば全ては闇の中に消えてしまうわけだ。これならどうやってもわからなかったはずだ。 あれからもずっと頻繁になってしまった雲隠れの忍の工作活動は止む気配を見せなかったが、忍犬たちのおかげで大分楽に処理できるようになった。忍犬たちはそれでなくても自分が眠るときに毎晩一匹づつ寝ずの番をしてくれているので、疲れている奴もいただろうに、よくがんばってくれた。 「なーんだ、イルカ先生ですか。」 誰もいなかった空間から声がしてイルカはびくっとしたが、それがカカシの声だと解るとほっとしたのか、立ち上がった。 「カカシさん。」 カカシは建物の影からすっと出てきた。 「なんで影に隠れてたんですか?」 「んー、イルカ先生を驚かせるためですよ。」 まあ、嘘ですが。だって言えないよ。敵だったら瞬殺できるから、なんて。 「酒はだめですけど飯、ご一緒にどうですか?もしかして召し上がられてしまった後だったでしょうか?」 時間は9時を過ぎた所だ。普通の家庭だったら夕食は食べ終わっている時間だったが、生憎カカシはそういった普通の家庭にいる人間ではなかったし、今さっきまで人を殺していたので腹はぺこぺこだった。 「いやあ、運動してたんで腹減らしてた所なんですよ。嬉しいですねえ。」 「本当ですか!よかったです。えーと、では家に上がってもいいんでしょうか?」 「あー、汚いからダメでーす。」 「俺も独り身なんで部屋の汚さはどっこいどっこいだと思いますよ?だから気にしませんが。」 「だめですっ俺が気にします。それに今夜は星がきれいですよ。外で食べましょう。」 ね、ね、とあまりにも外で食べたいと言うカカシにイルカは根負けして外で食べる運びとなった。 途中で飲み物を買って、カカシが推薦する星空がよく見えると言う場所まで歩いていく。 「いい所ですね。」 イルカが言うとカカシはふふ、と笑ってそうでしょう、と自慢げに言った。 「だてにこの街に長年いませんよ。」 カカシは持っていた飲み物をこくりと飲んだ。 「ではでは飯にしましょう。雷の国の土産は制限されていて食べ物はちょっと持ち帰ることができなかったんで、宿の台所を借りて自分で作ったものなんですがね。」 イルカはそう言って重箱のふたを開けた。 「これ、イルカ先生が作ったの?嘘でしょ?」 「嘘付いてどうするんですか。独り身が長いんで必要に差し迫られて料理を作っていたらなんだか目覚めましてね。今では料理の本をたまに買うくらい料理好きです。」 そうだったのか、俺も独り身は長いけど料理なんて本当に作れない。カレーとかシチューは、ギリギリでなんとか作れたかな?この人、結構すごい人なのかもなあ。 「あ、うまい。これだし巻きですか?うわー、俺甘いのよりだし巻きのが好きなんですよね。こっちのは茄子の田楽ですか?俺茄子大好きなんですよ。みそ汁に入れるとうまいですよね。こっちの握り飯、なんか塩の加減が絶妙ですね、硬くもなく、崩れるでもなく、食べやすい堅さですごくおいしいです。中身の鮭は塩味じゃないですね、何か味噌みたいな味がしますよ?」 「ちょっとちょっとカカシさん、それは鮭ではなくてさわらなんです、西京焼きで。えーと、気に入っていただけて俺も嬉しいですよ。」 イルカはそう言って自分も握り飯を食べた。 「あっ、そうだ、肝心なこと忘れてましたよ。」 とカカシが気付いた頃には重箱の中身がデザートの果物しかなくなっていた頃だった。 「あの、今回なんであんなに自信満々に死なないと言えたんですか?」 「あ、そうでしたね。言う約束してましたっけ。ここが街の外でよかったですよ。誰かに聞かれるとちょっとまずい話しでしたからね。まあ、任務ではなかったんですけど。」 と、話し出したイルカの話しは、カカシを呆然とさせるのに充分な内容だった。 イルカは大の湯治好きで、木の葉の温泉と言う温泉には浸かったと言う。有給休暇がたんまりととれたので国外の温泉にでも行くかと旅行代理店へと行ってみれば、今まで人伝えでしか聞いたことのなかった雷の国の温泉ツアーがあると言うではないか。早速同僚や湯治仲間と一緒に行こうということになった。 『どういうことです?』 『なにがじゃ?』 『とぼけないでください。なぜ一介の中忍である我らが一ヶ月以上もかけて温泉巡りせにゃならんのです。気味悪くて仕方ないんですけど。』 『イルカよ、日々日頃お前には苦労を、』 『いいから話して下さい。』 問答無用なイルカに三代目は渋々話した。 『お前も知っての通り、第三次忍界大戦の折り、雷とは敵対していた。それをなんとか条約でもって友好関係としたが、未だにギクシャクとした関係は続いておる。そこでだ、雷の国に火の国の者が観光目的で訪れ、少しでも互いにとって有益な存在と認識できればこの上ないことと思って旅行代理店にツアーを出すように打診したのじゃが、誰も申し込む者がおらんかったのじゃ。皆、やはり先の戦いでのことが尾を引いておるようでの。』 『え、それじゃあ俺たちが第一号の観光客だって言うんですか?火の国の大名や一般人ですら行ってないんですか?』 『その通りじゃ。』 イルカは愕然とした。誰も行ったことのないかつては敵国だった国への観光を、どうやったら行けるというのだ。先人がいればこその観光だと言うのに、これでは、 『騙しましたね?』 『最初に申し込んできたのはお前たちじゃろうに、なんでもかんでもわしのせいにするでないっ。』 『まあいいですよ、俺たちも忍です。何かあってもなんとか対処しますよ。』 と、イルカは任務さながらになるであろう温泉巡りに乾いた笑いを浮かべた。 『そう言うな。先ほども言ったがこれは両国にとって有益にならねばならない第一歩なのじゃ。ここで損失が出るような事態になれば、両国はまた戦争を始めるやも、』 『そんな重大な温泉巡り死んでも嫌ですよっ!』 『だから話しを聞けと言うのに。両国は今のところ戦争は望んでおらぬ。友好関係となる事態は喜ばしいことなのじゃ。そこでわしは雲隠れの里の雷影に書を送った。これから木の葉の里の者に観光目的で旅行者を送る。よしなに、とな。』 『それに何の意味があるんですか!!』 『両国は今、均衡を保たねばならぬ。それはつまり大事が起こってはならぬとわしも雷影も悟っているということじゃ。お前たちの身の安全は雷影の名を以て保証されるであろう。万が一雲隠れの者が襲ってきたとしたら、そやつは雷の国に赴いた客を傷つける者として抜け忍扱いされるじゃろう。それくらいの気配りをすると向こうも伝えてきた。』 『え、それじゃあ、』 『そう、お前たちはこれからの両国の友好の第一歩としての使者と言ったところじゃ。大袈裟に言えばの。お前たちの命は雷影が保証してくれる。だから何の心配もいらぬ。ゆっくり浸かってくるが良い。』 と、いうわけで半ば騙されたような形で旅立ったわけなのだった。実際雷の国に着いた時、それはそれは優遇されたらしい。抜け忍が襲ってくるかもしれない、という少々の不安はあったものの、雷影が手配したらしい、木の葉で言うところの暗部までもがイルカたちを影ながら護衛していたため、そんな心配はまるでなく、本当にゆったりと温泉巡りをしてこれたらしい。 「まあ、死にませんと言ったのは火影様を信じていればの話しでしたが、友好のための使者と言われて悪い気分ではなかったですしね。」 とイルカは笑ってお茶を飲んでいる。カカシはそんなことがあっていいのか?と甚だ疑問だったが、イルカがいいお湯でしたよ、とあんまり嬉しそうに言うものだから、カカシはもう何も言うまいと心に決めた。そして羨ましいです、と相づちを打った。 「あの、一つ聞きたいんだけど、そのツアーって1年半前から広告出てたの?」 「そんなわけないでしょう。俺だってそんな昔から広告出されていたらもっと早く行ってましたって。温泉巡りツアーが広告されたのは3ヶ月前からだと聞いてますよ。」 なーんだ、そっか。そうだよな。まさか事を予見してカカシにずっとこの地で雲隠れの忍たちが一気に工作してくる機会を待たせていた。わけ、ないよな。 「でも雷の国の食い倒れツアーとか自然観察ツアーとか、友好関係への第一歩作戦のツアーは1年半前から出していたと仰ってましたね。なんでカカシさん知ってるんですか?」 カカシは泣きたくなった。でもまあ、いいよ。今夜で一段落ついたし、イルカも無事だったことだし。 「イルカ先生。」 悔しくて俯けていた顔を上げて、横にいた人を見つめてカカシは微笑んだ。 「温泉、楽しまれたようでよかったです。おかえりなさい。」 「あ、はい。思いっきり楽しんできました。ただいま帰りました、カカシさん。」 重箱を片付けて、2人は街へと戻ることにした。そこにふい、とそよぐ風に乗ってイルカの方からあの匂いがした。その時になってカカシはやっと気が付いたのだった。 「あー、なるほど、やっと理解しましたよ。」 「え、何がですか?」 言われてイルカは首を傾げている。カカシはイルカの首もとに鼻をよせて、すん、と匂いを嗅いだ。 「か、カカシさん?」 「石鹸の匂いがします。」 「え、そうですか?そんなにきつい香りの石鹸は使っていなかったと思うんですけど。忍びに匂いなんて、ちょっとだらしないですかね。」 「今は任務外なんですし、少々匂いがあってもいいでしょ。」 カカシはそう言ってイルカから離れた。心なしかイルカの顔が赤い気がした。今日は涼しかったはずなんだけどなあ、と思いながら、街への道を歩み出した。 「今日はごちそうさまでした。イルカ先生の飯、本当にうまかったですよ。ここ数年食べたことない、あったかい味でした。」 「あの、どうも、ありがとうございます。」 と言ってイルカは俯いてしまった。俺何かしたかな、顔もなんだか赤いままだし、とカカシは心持ち心配した。 「あの、明日の晩も飯、ご一緒しませんか?俺、明後日までこの街にいるんで。」 「え、そうなんですか?いやあ、嬉しいですね。明日も、あ、明日かあ、」 カカシはちょっと逡巡した。明日はちょっと用事があるのだ。でも早く片付ければなんとかなるかも。 「ちょっと遅くなってもいいですか?えーと、あ、そうでもないかな、8時くらいには終わると思うんで。」 「8時頃ですね。解りました。では明日もまた、おやすみなさい。」 「はい、おやすみなさい。」 イルカはカカシの返事を聞くと満足そうに微笑んで、宿への道を行ってしまった。 |