− flaver −





イルカが旅立って数日後、街での不穏な動きが目立ってきた。
合法ドラッグが目に見えて出回っているらしい。しかもその薬は程度の軽いものではなく、精神に多大なる影響を及ぼし、発狂寸前にまで追いつめるらしい。
被害に遭ったのはいずれも売春婦、または遊郭の女。気になる類似点と言えば、皆それほど若くないと言うことだ。10代でも20代でもない、30代後半の女性たち。
若く無茶をするわけでもない。割りと温厚な性格で、人好きする女性たちばかりだ。就いている職種は夜のものだが、そんな中でも気丈に勤めている者たちばかり。およそ薬とは縁のなさそうな女たち。
同じ男が出入りしていないか、よく行く店は、交友関係は、共通の趣味や癖などはなかったか。病は患っていなかったか、人に恨まれることはなかったか。
様々な所から探りを入れても何も出てこなかった。
そしてそんなことに呼応するかのように、雲隠れの忍たちの動きが活発化する。
はっきり言ってオーバーワークだ。
昼間は薬の調査。夜は雲隠れの忍たちの怪しい動きを察知して排除。これを一人でしろと言った火影が憎らしい。
一年と半年も過ぎて、ちょっとしたナーバスな気持ちになった。

 

その日の昼過ぎ、カカシは細く入り組んだ路地の中で一人、壁に囲まれて小さく見える空を眺めてため息を吐いた。
「疲れたな。」

打開策が見つかればそれに向かってひたすら走ってゆけるのだが、その糸口がまったく見えない。焦れば焦る程事態は悪化する。そんなことは解っているからこうやって冷静に最初から順序立てて考えているのにさっぱり解らない。
ふと、視界の隅に人影が見えた。子どもだ、それも複数。3.4.5、5人か。その存在の気配を隠すこともしない一般の子ども。こんな路地で何をしている?もしくは、この路地を元から遊び場として使っていた子どもなのかもしれないな。
カカシは座っていた空き箱から立ち上がった。
ちょーっと気分転換に遊んでもらおっかな。この街に来て初めてそんなことを思って一人で笑った。
次の瞬間、自分の様子をうかがっていた子どもたちの真後ろに自分は回っていた。

「よっ、」

言ってやると子どもたちは蜘蛛の子を散らすかの如くあっという間に走って逃げてしまった。その中でも一際小さい子どもが逃げ遅れて尻餅をついている。
そこまで怯えなくてもねえ。ふむ、後で様子をうかがっている子どもが一人。なかなか仲間思いのいい子のようだ。
ふいにその身をさらけ出して自分に殴りかかってきたので、わざとよろけてみせた。

「おいっ、今の内に逃げろっ、」

殴りかかってきた子に言われて、尻餅をついていた子どもは逃げていった。そして殴りかかってきた子どもはほっとしている。
カカシは殴りかかってきた子どもの真正面に立った。

「ただ挨拶しただけなのに殴りかかってくるとは随分だねえ。あれ、よく見ればお前、こないだのスリじゃない。これはちょっとお仕置きだね。」

カカシは子どもの頭を肘でぐりぐりと押しつけてやった。

「い、いててっ、なにすんだばーかっ!!」

「うっわ、反省してないねお前。大体ね、人のもの盗むなよ、あんな善人から。盗むなら悪人からな。この街にいくらでもいるだろう?」

「悪人には腕の立つ護衛がいんだよっ。」

「じゃあお前がもっと強くなるか、頭を使えよ。」

なんてことを教えてるんだかな、俺は。教師だと言っていたあの人に聞かれたら卒倒されるかもね。
クツクツと笑ってカカシはぐりぐりしていた肘をのけてやった。
頭を抑えながら、カカシが危害を加えようとしているわけではないと悟った子どもは、憮然としながらもある程度の敵意は解いた。

「お前孤児なの?」

「そんなもんだな。家族はいるけど弟だけだし。」

さっきの尻餅ついてたのが弟なんだな。そう言えば顔つきが少し似ていた。髪の色も。

「ふーん。ねえ、最近変わったことない?」

脈絡のない会話に、子どもが疑わしそうな目で自分を見ている。それはそうだろう。昼間っからこんなところでぶらぶらと子どもと遊んでいるのではな。しかも、忍だと知られている子ども相手にだ。

「俺が仲間のことを言うと思うのか?」

子どもは、だが子どもとは思えない程の決意の固い目でカカシを見上げていた。いい目をしている。薬をやってる奴らの何百倍もいい目だ。

出身はどこかと問えば、子どもは火の国だと思うと自信なく答えた。

「じゃあとりあえず俺も仲間じゃない、俺火の国の出身だし。」

「俺は親父の顔知らないけど死んだ母ちゃんが親父は火の国の男だったっつったから。だから保証はないんだ。」

「でも火の国の民なんでしょ?どうでもいいじゃない、出生なんて。お前ここで生きてんだし、お前の価値はお前が作るもんだろ?俺だって自分の価値は自分が作ってきたし。」

木の葉の白い牙と呼ばれた父、血継限界うちは一族の目をくれた親友、四代目火影と言われた恩師、全ては自分に箔を付けてはくれたけど、ここまで生きてこられたのは何も彼らだけのおかげじゃない。自分だって努力してきた、白い牙の息子に恥じぬように日々鍛錬していたし、オビトの写輪眼を使いこなすのに相当の努力もした。木の葉の黄色い閃光と呼ばれたあの人の志を受け継ぐために日々、木の葉を守っている。
俺は何のためにここにいる?火の国を、木の葉を、仲間を守るためだ。

「よくわかんねーけど、仲間に入れてほしいのか?」

いや、入れてほしいんじゃなくてもう入ってるんだけどねえ。

カカシは苦笑した。それに合わせるようにして子どもは不敵に笑った。

「変わった事っつったら最近俺らのテリトリーに新顔が入った位だ。そんなもんだぜ。」

カカシは少し呆けたが、子どもの言葉の意味を考えてなるほど、と思案し始めた。
道理で情報網に乗ってこないわけだ。カカシはクツクツと笑った。
ああ、少し調べてみたくなってきた。ぞくぞくする。こういった直感は外れたことがない。
カカシは子どもの頭を今度はぐりぐりと撫でると、跳躍して路地の間を飛んでいった。僅かな間に目に見えなくなってしまったカカシを、子どもは呆然として見送った。

 

 

一人の女が遊郭の中庭で洗濯をしていた。女は以前、遊郭で客を取っていたが、3.4年前に負った怪我のせいでその仕事は下働きとなった。
女にとっては、客を取らされるよりはこちらの方がいい。陽の光を浴びてこういった雑用をしている方が自分には合っている。そう思っていた。若い女郎たちは自分のことを役立たずと揶揄する時もあるが、店の人間は大抵親切だった。怪我を負った理由が客を守るためだったのも女がこの店にいても居づらくない理由だった。
そして最近、少し楽しみが増えた。
裏の木戸が開いた。今日は少々時間が早い気がするけれど。

「坊や?」

と声をかけたが、返事はない。おかしい、いつもだったら満面の笑みを浮かべてすり寄って出て来るのに。

「坊やではなくてすみませんね。」

代わりに入ってきたのは左目と、口元を覆って顔の半分以上を隠した、かなり不審な男だった。

「お前様は?」

「なーに、すぐに済みますよ。店の方にも了承は得ましたから。」

男はそう言った隠していた左目を晒した。片方が灰色がかった青なのに、左目は深紅のように赤い目だった。

了承とはなんの?と女が口にする前に、女はその場に崩れてしまった。
カカシは完全に崩れる前に女を抱えると縁側に座らせた。しばらくはこの中庭のある一帯を人払いしてもらった。少々強引だったがあまり時間をかけてもいられない状況だったので仕方ない。
カカシは女を抱きかかえながら朦朧とした意識の相手に語りかけた。

「坊やって、誰?」

「最近知り合った、10歳くらいの、赤みがかった髪の子。」

「どうやって知り合った?」

「満月の夜に、たまたま店の用事で出ていた時に、うずくまって泣いていたから。」

「この街にはそんな子どもごろごろしているのにどうして坊やだけ?」

「わからない、ただ、惹かれて、」

「それからどうしてこの店に来るようになった?会って何をしていた?」

「持っていたお菓子をあげたら喜んでくれて、私が一人でいる時ならこの店に来てもいいと言ったら、この店で会うようになって、たまにお菓子をあげて、話し相手に、なって、」

「名は?」

「知らない、坊や、と、」

随分と慎重なことだ。最悪な事態になってもこの女一人を黙らせてしまえば全ては闇の中に消えてしまうわけだ。これならどうやってもわからなかったはずだ。
カカシは最後に自分の存在を消去する暗示をかけると女を縁側に横にさせた。
さあ、始めようか。残念ながら鬼ごっこは得意なんだ。お面をかぶって追いかけて行くよ、どこまでもどこまでも、追いかけてばりばり取って食ってしまうから。
夕闇が迫っていた。暗部の時間だった。

 

 

あれからもずっと頻繁になってしまった雲隠れの忍の工作活動は止む気配を見せなかったが、忍犬たちのおかげで大分楽に処理できるようになった。忍犬たちはそれでなくても自分が眠るときに毎晩一匹づつ寝ずの番をしてくれているので、疲れている奴もいただろうに、よくがんばってくれた。
その苦労ももうすぐ報われる。それにもうすぐイルカが帰ってくる。死なないとあれほど豪語していたのだから生きて帰ってくるだろう。帰ってこなかったら迎えに行くまでだとカカシは思った。
ふと、なんでこんなに固執してるかな?と小首を傾げたが気付かなかった方向で行くことにした。
その夜は雲隠れの忍たちの大一掃作戦をやってのけて、ちょっとぐったりしていたカカシは、だが自宅の前に誰かの気配がして瞬時に気配を消した。
すっと影に身を潜めて近寄っていくカカシに気付いてはいない。のんきな刺客だな、と思ったが、見知った匂いとシルエットが見えると途端に安堵の息を漏らした。

「なーんだ、イルカ先生ですか。」

誰もいなかった空間から声がしてイルカはびくっとしたが、それがカカシの声だと解るとほっとしたのか、立ち上がった。

「カカシさん。」

カカシは建物の影からすっと出てきた。

「なんで影に隠れてたんですか?」

「んー、イルカ先生を驚かせるためですよ。」

まあ、嘘ですが。だって言えないよ。敵だったら瞬殺できるから、なんて。
イルカはカカシに近寄っていくと持っていた荷物を見せた。

「酒はだめですけど飯、ご一緒にどうですか?もしかして召し上がられてしまった後だったでしょうか?」

時間は9時を過ぎた所だ。普通の家庭だったら夕食は食べ終わっている時間だったが、生憎カカシはそういった普通の家庭にいる人間ではなかったし、今さっきまで人を殺していたので腹はぺこぺこだった。

「いやあ、運動してたんで腹減らしてた所なんですよ。嬉しいですねえ。」

「本当ですか!よかったです。えーと、では家に上がってもいいんでしょうか?」

「あー、汚いからダメでーす。」

「俺も独り身なんで部屋の汚さはどっこいどっこいだと思いますよ?だから気にしませんが。」

「だめですっ俺が気にします。それに今夜は星がきれいですよ。外で食べましょう。」

ね、ね、とあまりにも外で食べたいと言うカカシにイルカは根負けして外で食べる運びとなった。

途中で飲み物を買って、カカシが推薦する星空がよく見えると言う場所まで歩いていく。
瞬身を使って通行手形を無視して街を出て行こうとしたカカシにはさすがにイルカも焦ったが、すぐに戻るからいいじゃないですかとカカシにほだされて、仕方なく街の外を出た。
そこは見晴らしの良い丘で、さやさやと揺れる草が心地よかった。見上げた星空は満天で、月がないことをいいことに、星々の瞬きは万華鏡のようだった。

「いい所ですね。」

イルカが言うとカカシはふふ、と笑ってそうでしょう、と自慢げに言った。

「だてにこの街に長年いませんよ。」

カカシは持っていた飲み物をこくりと飲んだ。
本当は、どこに敵忍を埋めようかと画策している途中で見つけたスポットなのだが。見つけておいてよかったな。敵忍を埋めるにはちょっと地形の変化がわかりやすくなってしまうためにすぐに除外してしまった場所だったのだが。

「ではでは飯にしましょう。雷の国の土産は制限されていて食べ物はちょっと持ち帰ることができなかったんで、宿の台所を借りて自分で作ったものなんですがね。」

イルカはそう言って重箱のふたを開けた。
夜目に慣れていたカカシが見た重箱の中身は、男が作ったとは思えないほどうまそうな中身だった。

「これ、イルカ先生が作ったの?嘘でしょ?」

「嘘付いてどうするんですか。独り身が長いんで必要に差し迫られて料理を作っていたらなんだか目覚めましてね。今では料理の本をたまに買うくらい料理好きです。」

そうだったのか、俺も独り身は長いけど料理なんて本当に作れない。カレーとかシチューは、ギリギリでなんとか作れたかな?この人、結構すごい人なのかもなあ。
カカシはいただきます、と手を合わせて一口卵焼きを食べた。

「あ、うまい。これだし巻きですか?うわー、俺甘いのよりだし巻きのが好きなんですよね。こっちのは茄子の田楽ですか?俺茄子大好きなんですよ。みそ汁に入れるとうまいですよね。こっちの握り飯、なんか塩の加減が絶妙ですね、硬くもなく、崩れるでもなく、食べやすい堅さですごくおいしいです。中身の鮭は塩味じゃないですね、何か味噌みたいな味がしますよ?」

「ちょっとちょっとカカシさん、それは鮭ではなくてさわらなんです、西京焼きで。えーと、気に入っていただけて俺も嬉しいですよ。」

イルカはそう言って自分も握り飯を食べた。
なんだろうねえ、俺、すごいはしゃいじゃって恥ずかしい大人だなあ、もう。
カカシはそれからもあれがうまいだのこれはなんなのかだの、イルカを褒め殺しにしたり質問攻めにしながら食事を続けた。

「あっ、そうだ、肝心なこと忘れてましたよ。」

とカカシが気付いた頃には重箱の中身がデザートの果物しかなくなっていた頃だった。
なんですか?とデザートのオレンジを食べていたイルカが聞き返してきた。

「あの、今回なんであんなに自信満々に死なないと言えたんですか?」

「あ、そうでしたね。言う約束してましたっけ。ここが街の外でよかったですよ。誰かに聞かれるとちょっとまずい話しでしたからね。まあ、任務ではなかったんですけど。」

と、話し出したイルカの話しは、カカシを呆然とさせるのに充分な内容だった。
中身はと言うと。

 

イルカは大の湯治好きで、木の葉の温泉と言う温泉には浸かったと言う。有給休暇がたんまりととれたので国外の温泉にでも行くかと旅行代理店へと行ってみれば、今まで人伝えでしか聞いたことのなかった雷の国の温泉ツアーがあると言うではないか。早速同僚や湯治仲間と一緒に行こうということになった。
が、行く数日前になって三代目火影がやってきて言ったそうだ。行ってもいいがじっくりと浸かってこいと。
勿論最初からゆったりと浸かってくるつもりだったし、なんのことかと思ったが、自分と、湯治ツアーに行くメンバーが一ヶ月半の休暇を言い渡され、温泉に浸かって来いという火影の指示が出されたとき、さすがにおかしいと思ったイルカは火影に問いただしたそうだ。

『どういうことです?』

『なにがじゃ?』

『とぼけないでください。なぜ一介の中忍である我らが一ヶ月以上もかけて温泉巡りせにゃならんのです。気味悪くて仕方ないんですけど。』

『イルカよ、日々日頃お前には苦労を、』

『いいから話して下さい。』

問答無用なイルカに三代目は渋々話した。

『お前も知っての通り、第三次忍界大戦の折り、雷とは敵対していた。それをなんとか条約でもって友好関係としたが、未だにギクシャクとした関係は続いておる。そこでだ、雷の国に火の国の者が観光目的で訪れ、少しでも互いにとって有益な存在と認識できればこの上ないことと思って旅行代理店にツアーを出すように打診したのじゃが、誰も申し込む者がおらんかったのじゃ。皆、やはり先の戦いでのことが尾を引いておるようでの。』

『え、それじゃあ俺たちが第一号の観光客だって言うんですか?火の国の大名や一般人ですら行ってないんですか?』

『その通りじゃ。』

イルカは愕然とした。誰も行ったことのないかつては敵国だった国への観光を、どうやったら行けるというのだ。先人がいればこその観光だと言うのに、これでは、

『騙しましたね?』

『最初に申し込んできたのはお前たちじゃろうに、なんでもかんでもわしのせいにするでないっ。』

『まあいいですよ、俺たちも忍です。何かあってもなんとか対処しますよ。』

と、イルカは任務さながらになるであろう温泉巡りに乾いた笑いを浮かべた。

『そう言うな。先ほども言ったがこれは両国にとって有益にならねばならない第一歩なのじゃ。ここで損失が出るような事態になれば、両国はまた戦争を始めるやも、』

『そんな重大な温泉巡り死んでも嫌ですよっ!』

『だから話しを聞けと言うのに。両国は今のところ戦争は望んでおらぬ。友好関係となる事態は喜ばしいことなのじゃ。そこでわしは雲隠れの里の雷影に書を送った。これから木の葉の里の者に観光目的で旅行者を送る。よしなに、とな。』

『それに何の意味があるんですか!!』

『両国は今、均衡を保たねばならぬ。それはつまり大事が起こってはならぬとわしも雷影も悟っているということじゃ。お前たちの身の安全は雷影の名を以て保証されるであろう。万が一雲隠れの者が襲ってきたとしたら、そやつは雷の国に赴いた客を傷つける者として抜け忍扱いされるじゃろう。それくらいの気配りをすると向こうも伝えてきた。』

『え、それじゃあ、』

『そう、お前たちはこれからの両国の友好の第一歩としての使者と言ったところじゃ。大袈裟に言えばの。お前たちの命は雷影が保証してくれる。だから何の心配もいらぬ。ゆっくり浸かってくるが良い。』

 

と、いうわけで半ば騙されたような形で旅立ったわけなのだった。実際雷の国に着いた時、それはそれは優遇されたらしい。抜け忍が襲ってくるかもしれない、という少々の不安はあったものの、雷影が手配したらしい、木の葉で言うところの暗部までもがイルカたちを影ながら護衛していたため、そんな心配はまるでなく、本当にゆったりと温泉巡りをしてこれたらしい。

「まあ、死にませんと言ったのは火影様を信じていればの話しでしたが、友好のための使者と言われて悪い気分ではなかったですしね。」

とイルカは笑ってお茶を飲んでいる。カカシはそんなことがあっていいのか?と甚だ疑問だったが、イルカがいいお湯でしたよ、とあんまり嬉しそうに言うものだから、カカシはもう何も言うまいと心に決めた。そして羨ましいです、と相づちを打った。
あー、もしかして最近の雲隠れの忍の頻繁な工作活動はこれが原因だったりしてな。などとカカシはくだらない考えをしたが、その可能性が実に高いことに気が付いた。
もう何も言うまいと決めていた気持ちがゆらいで、どうしてもカカシはイルカに問うた。

「あの、一つ聞きたいんだけど、そのツアーって1年半前から広告出てたの?」

「そんなわけないでしょう。俺だってそんな昔から広告出されていたらもっと早く行ってましたって。温泉巡りツアーが広告されたのは3ヶ月前からだと聞いてますよ。」

なーんだ、そっか。そうだよな。まさか事を予見してカカシにずっとこの地で雲隠れの忍たちが一気に工作してくる機会を待たせていた。わけ、ないよな。

「でも雷の国の食い倒れツアーとか自然観察ツアーとか、友好関係への第一歩作戦のツアーは1年半前から出していたと仰ってましたね。なんでカカシさん知ってるんですか?」

カカシは泣きたくなった。でもまあ、いいよ。今夜で一段落ついたし、イルカも無事だったことだし。

「イルカ先生。」

悔しくて俯けていた顔を上げて、横にいた人を見つめてカカシは微笑んだ。

「温泉、楽しまれたようでよかったです。おかえりなさい。」

「あ、はい。思いっきり楽しんできました。ただいま帰りました、カカシさん。」

重箱を片付けて、2人は街へと戻ることにした。そこにふい、とそよぐ風に乗ってイルカの方からあの匂いがした。その時になってカカシはやっと気が付いたのだった。

「あー、なるほど、やっと理解しましたよ。」

「え、何がですか?」

言われてイルカは首を傾げている。カカシはイルカの首もとに鼻をよせて、すん、と匂いを嗅いだ。

「か、カカシさん?」

「石鹸の匂いがします。」

「え、そうですか?そんなにきつい香りの石鹸は使っていなかったと思うんですけど。忍びに匂いなんて、ちょっとだらしないですかね。」

「今は任務外なんですし、少々匂いがあってもいいでしょ。」

カカシはそう言ってイルカから離れた。心なしかイルカの顔が赤い気がした。今日は涼しかったはずなんだけどなあ、と思いながら、街への道を歩み出した。
そして別れ際。

「今日はごちそうさまでした。イルカ先生の飯、本当にうまかったですよ。ここ数年食べたことない、あったかい味でした。」

「あの、どうも、ありがとうございます。」

と言ってイルカは俯いてしまった。俺何かしたかな、顔もなんだか赤いままだし、とカカシは心持ち心配した。
が、イルカはばっと顔を上げるとカカシの目をじっと見据えた。唐突のことにカカシはきょとんとしている。

「あの、明日の晩も飯、ご一緒しませんか?俺、明後日までこの街にいるんで。」

「え、そうなんですか?いやあ、嬉しいですね。明日も、あ、明日かあ、」

カカシはちょっと逡巡した。明日はちょっと用事があるのだ。でも早く片付ければなんとかなるかも。

「ちょっと遅くなってもいいですか?えーと、あ、そうでもないかな、8時くらいには終わると思うんで。」

「8時頃ですね。解りました。では明日もまた、おやすみなさい。」

「はい、おやすみなさい。」

イルカはカカシの返事を聞くと満足そうに微笑んで、宿への道を行ってしまった。
明日が楽しみだ。色んな意味で楽しみだ。勿論イルカと一緒にご飯を食べるのが一番の楽しみだが、他にも今まで散々振り回されてきた敵と対峙できる。という、ある意味楽しみであり、少々気鬱な用事も待っている。しかし、それで一旦は落ち着くだろう。そう思うとやってやる、と意気込む感情が高ぶる思いだった。