−  flaver 3 −





カカシは屋敷に戻って先ほどの待機室へと戻ってきた。時間にして一刻も経っていない。

「悪いけどしばらく俺もここに滞在することにしたから。でもイルカ先生みたいにあんたたちの世話はしないよ?俺上忍だし、家事なんてしたことないし。」

それだけ勝手にべらべら言ったカカシは、タツハ隊長の不躾な視線に眉根を寄せた。

「なに?」

「この屋敷に滞在するのはかまわないと思うよ。如月様はそんな懐の狭い人じゃないし。それよりもさっきの話しなんだけど、本当なのかな?」

「何が?」

「うみの中忍との仲ってことだよ。」

早速食いついてきたか。

「ああ、俺とは恋仲だよ。任務が長引きそうだからって手紙をくれてね。心配だし、火影に頼んで伝達事項を携えて会いに来たら失踪してんだもん。がっかりだよ。だから探すためにしばらくここに滞在するから。」

「伝達事項って?」

「イルカ先生の任務についての伝達事項なんだから教えるわけないでしょ。」

そりゃそうだ、とタツハ隊長は興味をなくして視線を外した。隣にいるジンマを見れば、元々カカシには興味がないとばかりに忍具の手入れをしている。先ほどのカカシの行動をちくったというわけではないようだ。ま、イルカとカキネがあそこで無事に生きているということからこいつは仲間だということが解っていたけど。
カカシは待機室から出て行った。そして屋敷からも出て、歩き出した。向かうは色街。別に女を抱きに行くわけじゃない。イルカがいるのにそんなことしたって意味がない。これは歴とした任務だった。とりあえずは別件の依頼主に会わないことにはね。
カカシは誰にも悟られないように目的地へと向かった。
色街に着いて一際大きな店の中に入ると、店主を呼び出した。

「揚羽いる?」

その名前に愛想のよかった店主の顔が訝しげにカカシを見やった。

「お客様、見ればどうやら外国の、しかも忍びの方。そんな方にうちの大切な子を差し出すわけにはいきませんよ。」

「つちのえ」

カカシの言葉に店主の目が光った。

「ひのえ。なるほど、あの子のお客ですね。どうぞ中へ。」

店主はカカシを店の中へと案内した。白粉の匂いが立ちこめるほの暗い廊下を二人は歩く。

「ひどい嘆きようでしてね、心の優しい子ですから。」

店主の声は心配そうな声色となっていた。先ほどまでの商売人の顔でもない。なるほど、揚羽という花魁は好かれるだけの器量を持っているということか。
こちらです、と通された部屋にカカシは入った。
匂い立つ白粉の香りに包まれて、その女は畳みに伏せっていた。カカシたちが来たことにも無関心のようで、一枚の着物を羽織っているだけでとても雅な花魁とは見えない。

「揚羽、」

「すみませんが、しばらくお客さんは、」

「客ではありませんよ。依頼されてはせ参じました。」

女は顔を上げた。ひどい顔だった。目の下はクマができ、髪はほつれ、化粧もしていない。だが、カカシを見る目はらんらんと輝いていた。

「ぬしさんが、あの子の、」

「ええ、そうです。」

カカシは微笑んだ。
店主はいつの間にか下がっていた。カカシは部屋に入ると女の前に座った。

「正式にはあなたの依頼ではなく、あなたの客からの依頼なんですがね。」

「これでもこの色街一と言われておりますから。」

女は居住まいを正してカカシの前に座った。背筋を伸ばしてカカシを見るその目は強い 意志を持っていた。なるほど、ただの花魁ではない。ぼろぼろではあるがその美しさは内側から滲み出るものなのだろう。

「どこからお話しいたしましょう?」

「最初からですね。」

女は淡々と語り出した。

「私には腹違いの妹がおりました。名はひひる。似てはいませんでしたが、たった二人だけの家族でした。私もあの子もこの街で育ちました。私はこの店で花魁として、あの子はこの辺り一帯で夜鷹をしておりました。店で働いた方がいいと言っていたのに、あの子は夜鷹の方が自分に合っているからと。頑固な子でした。」

揚羽は笑った。虚ろな目だった。だが表情が一変してカカシを食い入るように睨み付けた。

「二ヶ月程前、あの子は仲間内に如月の屋敷に行くと言っていたそうです。そしてそのまま帰ってきませんでした。」

女は目を見開いている。狂気に堕ちる直前のような、そんな激情を感じた。

「それだけです、私の知っていることは。」

女は話し終えるとカカシの手を取った。

「どうか、どうか、」

「解っています。全てにけりが付いたら、依頼主にご奉仕して差し上げてくださいね。」

笑えば女は微かに笑みを浮かべた。依頼主が誰か気付いているのだろう。聡い女だ。

「どんなことでもいたしましょう。」

女は深々と頭を下げた。

「あ、そうそう、そのひひるさんの特徴、教えてもらえませんか?」

女は顔を上げて、唯一髪に挿していたかんざしをカカシに差し出した。青いトンボ玉のついたかんざしは、花魁のものにしては子どもっぽく、安物に見えた。だが古いものなのだろう、傷はないがくすんで見えた。

「子どもの頃、親に捨てられた時に一緒に買ってもらったものです。これと同じものを身につけているはずです。あの子は大切なものをいつも持ち歩く子でしたから。」

「お預かりしても?」

「はい、どうぞ。」

カカシはかんざしを受け取ると、その部屋を出て、そのまま店を出た。
空を見上げれば街の明かりで星がぽつぽつとしか見えなかった。以前イルカと見たあの空が懐かしい。

「ああ、胸くそわりぃ。」

呟き、カカシは如月の屋敷への道を歩き出した。

 

 

それから数日、カカシはほとんど屋敷に寄りつかず、どこかに出かけていった。ふらっと帰ってきては炊事場で適当な飯をかっ食らってはまた出て行くの繰り返し。
要人警護をしている木の葉の忍びとの会話もない。そんなカカシは自分の任務を遂行しているのだと、護衛をしている忍びたちはさして気にもせずに、ただ日々は過ぎていく。
そしてその日、カカシはいつものように炊事場にふらりとやってきては適当に買ってきた食材で飯を作り出した。
実はカカシは炊事ができないわけではない。ある程度はできる。ただ、食えるものが適当にできあがるだけで、ものすごくうまいわけでも、果てしなくまずいわけでもない。

「あー、イルカ先生の飯が食いたいなあ。」

ぼそりと呟いてカカシはため息を吐いた。ここに来てから最初に会った一度しかイルカの所に行っていない。ま、任務が終わるまでは会わないと言った手前、会いに行くつもりはないけれど。
だが、あのカキネって中忍が側にいて、やはりイルカの飯を食べているのかと思えばため息が出るのも仕方がなかった。自分なんてイルカの飯はたったの数度しか食ったことがないのだ。里に帰ったら毎日でも食ってやる。インスタントラーメンだって居酒屋のおでんだっていい。一緒に食えればいいんだ。

「お兄さん、うみのさんの知り合いなのかい?」

同じ炊事場にいた女中の一人がカカシに声をかけてきた。

「知り合いって言うか、恋人です。」

はははは、と明るく笑ってやれば、女中は、えっ、と一瞬顔を引きつらせた。

「手紙をもらったのに来てみればいなくなってるなんてひどい話しです。」

とカカシが寂しそうに言えば、幾分かの哀れみの感情でもって女中はカカシを見上げる。

「そうなの、うみのさんが書いた手紙って、あんた宛だったんだねえ。」

「え、知ってるんですか?手紙のこと。」

「知ってるも何も、書いたらって言ったのあたしたちだし。」

と女中たちは笑い合った。なーんだ、自分から思い立って書いてくれたわけじゃなかったのかあ。でも、暗号文とは言え恋文を恋人からもらったんだから、俺は幸せ者だよねえ。
そう思ったらちょっと女中たちに感謝してあげてもいいかな、とカカシは思った。

「そっか、あなたたちがイルカ先生を仄めかしてくれたんだ。ありがとうね、おかげですっごい熱烈なラブレターもらっちゃったから。」

唯一晒している右目がにっこりと微笑むのを見て女中たちは朗らかに笑い合う。
よかった。ここは別に針のむしろという場所ではなかったようだ。こうやって女中たちに好かれているのを見れば、さすがに人好きのするイルカだと頷いてしまう。
ふふ、なんだかあなたの一面が見られた気がして、俄然やる気がでてきましたよ。
カカシは飯を作りながら、女中たちと少しの間話しをして過ごした。

 

その夜、カカシは森の中にある水場で行水した。この季節、水場で行水など普通はできない。凍えてしまうだろう。だが、そこは上忍。チャクラを練りつつ自身の身体に触れる水はお湯になるように調節して身体を清める。
屋敷にある風呂を使っていいとは言われたものの、長年の暗部の習性がそうさせるのか、任地で安穏とした雰囲気は出したくない。風呂でゆったり浸かるよりもこういった水場でほどよく緊張に包まれていた方が余程落ち着くのだ。
カカシは水場から上がると水を拭き取り、忍服に着替える。
見上げれば月が出ていた。いつもよりも色が赤いし満月に近い月齢のようだ。
別に不吉だとかそんなことは思わない。まあ、退路にこんな月が出ていれば煩わしくも思うだろうが。

「おや、君は、」

気配がしていたのは知っていたので敢えてこの場から慌てて動こうとはしなかったが、まさか声をかけてくるとは思っていなかった。

カカシは声の主に顔を向けた。着替えている最中だったので上半身と額宛てと口布をしていない。

「見かけない顔だが、君のような使用人はいたかな?」

「お忘れですか?木の葉から来た忍びですよ。ああ、最初にお会いしたときは覆面をしていましたから解らなかったですかね。」

カカシは月を背にしている。声の主、如月の顔がよく見えた。

「綺麗な顔してるんだねえ。会った時は顔を隠していたから気付かなかったよ。」

舐められるような視線だった。自分の顔が特別に良いとも思わなかったが、一部には評判だということは知っていた。そしてその一部はこの人物にも該当したらしい。

「お褒め頂きありがとうございます。」

口の片端をつり上げて笑ってやれば、如月はこくりと喉を鳴らした。

「今から私の寝所に来なさい。」

引っかかったな。カカシは心の中で薄笑いを浮かべた。
少々の逡巡のフリの後、カカシは頷いて答えた。

「わかりました。後で行きます。」

「待っているよ。」

如月はカカシに背を向けて屋敷へと戻っていった。
さあ、これからが始まりだ。カカシは今度こそにやりと顔に出して笑った。
そしてゆっくり着替えると月を背に歩き出した。