−天国の扉−

カカシは人殺しだった。当たり前だ、忍者なのだから。任務の為には人をも殺す。赤子だろうが老人だろうが関係ない。
仕方ない、の一言で罪もない人々を殺してきた。それが当たり前の世界。
でも、カカシは納得していなかった。自分には人を殺す道理なんて本当はなかったからだ。
いつもいつも心の中で謝罪し許しを求めていた。そして罪深い自分を責めた。
責めた所でどうにもならない、そんなことは重々承知していたが心の中で懺悔しない日はなかった。
カカシは境遇も至って薄幸な方だった。
尊敬していた父はバッシングに精神を病み自ら命を絶った。
親友と認めた者は親友と認めたその日に自分のミスで命を落とした。
様々な教えを説いてくれた師も天災を封じるために命を散らし、自らの責務を全うした。
カカシは里のためにと日々、自分の持てる力で任務をこなしていた。
それだけが唯一自分ができることだった。
任務によって肯定された人殺し、罪の意識は消えることがなかったが無理矢理押し殺してなんとかやり過ごした。
その内、ビンゴブックに載る程の実力を持つようになり、より、困難で残虐な任務もこなさなくてはならなくなった。
表面上はまったくおくびにも出さずにひょいひょいこなしていたカカシだったが、やはりどこかでこの矛盾した考えを否定しきれずに悩んでいた。

 

「カカシ、今回の任務はこの本を調べることじゃ。」

その日、3代目から拝命した任務は一風変わったものだった。
渡されたのは白い革表紙のいかにも曰くありげな古い本だった。
術の書いてある巻物ならともかく娯楽のための本を調べろとはまた面妖な、とカカシはペラペラとページをめくっていく。
中身はどうやら異国の宗教の本らしい。書いてある文字は見たことのあるものだ。調べれば分かるだろう。

「聖書と言う物じゃ。」

「火影様、こういった調査は特別上忍のような、その手のスペシャリストにまかせた方が良いかと思いますが。俺のような戦闘向きの者には荷が勝ちすぎやしませんか。」

思ったままを述べたカカシだったが、火影は渋い顔をして煙草の煙を吐き出した。何か裏がありそうだ。

「過去、何度かその分野に得意な者に調査させておったが、いずれもうまくいかなかったのじゃ。」

「うまくいかないって、誰かに妨害されているんですか?禁術の類で狙われていると?」

カカシは一瞬目を鋭くさせたが、3代目はため息を吐いたに留めた。これはいよいよ持って難解なものらしい。

「刺客が襲ってくるわけではないが、何か不思議な力に阻まれているかのように深く追求できぬ。従ってその本の出所、関連するもの等がまるで分からぬ。一体何を目的としたものなのか、そして何を意味するのか、どんな価値があるものなのか。調査し報告するのが今回の任務じゃ。写輪眼を持つお前ならば何かしら謎を解くことができるやもしれん。期限は設けぬ。多方面に渡って検証してほしい。」

3代目はそう言って今まで調べて分かった事柄の報告書もカカシに手渡した。
こういった任務ははっきり言って担当外だったし、調べると言っても何をすればいいのやらまったく見当が付かない。が、受けないわけにはいかない。
承知しました、と一言短い了解の意志を告げてカカシは火影の執務室を退室した。
取りあえず中身の文字の解読から始めるかと、カカシは足を図書室に向けた。
プロフェッサー(教授)の異名を持つ3代目火影は巻物や図書を集めることでも有名で、火影邸の図書室には各国の珍しい古書や巻物も多数保管されている。
禁術の収められている場所以外への出入りは割りと自由である。
カカシは古書の独特の匂いのするその部屋へと入っていった。
室内は数人がいるだけで静まりかえっている。
こういった場所はなんとなく苦手意識のあるカカシだったが、任務を放棄するわけにもいかないので適当な場所に座って、まず先に報告書を読むことにした。
が、失敗したと火影が言わしめただけあり、はっきり言ってあまり参考になるものはなかった。
大体、この本が出てきたのがこの図書室らしい。下忍に整理整頓させていてたまたま見つけらしく、蔵書に覚えのなかった火影がなんとなくで調査させてみたが何も分からず、分からないことはとことん追求するのが好きな火影は調査を続行と。
なんとも馬鹿馬鹿しいと言うかなんと言うか、しかし気になるのだろう。
少々衰えを見せるものの(失礼な)探求心はまだまだ尽きない元気なじいさんであることには変わりない。
なんとなく微笑ましい任務ではあるが見えない力に阻まれるとは穏やかではない。少し気を引き締めてカカシはとりあえず文字の解読から始めることにした。
辞書とにらめっこして数時間、カカシは早速だれてきた。
集中力はそれなりにあるし、暗号解読などは割りと得意ではあるが、この本は何かいちいち抽象的で訳が分からない。
そのまま訳していけばそれなりに文章になっていくが、それがこの本の謎解きに関することなのかと調べていてもはっきり言って関係ないように思えてくる。それに宗教概念やなんやで異国文化に相当明るくないと言い回しが複雑で余計に混乱してくる。
任務を拝命してまだ半日も経っていないと言うのにカカシはさじを投げかけていた。

「おう、お前こんな所でなにやってんだ?」

覚えのある気配に目を向けると、そこには馴染みのアスマがいた。

「これでも任務中なんですけど〜?」

「ほう、そりゃ邪魔したなあ。」

アスマはさっさと出て行こうとした。

「ちょっと待ってよ。少しは手伝ってよ。」

「おい、任務じゃなかったのか?」

「別に誰にも見せるなとも言われてないし、アスマに言っても特に害はないと思うし。」

「なんかむかつく言いぐさだな。」

そうは言いつつもアスマはだるそうに机を挟んでカカシの前の椅子に座った。

「この本を調べろって言うんだけどさあ、こんなの担当外だよ。」

そう言ってカカシは本をアスマに見せた。

「異国の本か。なんだってこんなしちめんどくせえことやってんだ?あ?しかもこれ聖書ってやつじゃねえか。」

「えっ、アスマ知ってんの?」

まったくもって意外な所から来た情報源にカカシは喜んだ。

「いや、俺もよくは知らねえが。」

「なーんだ、ぬか喜びか。」

カカシは椅子の背もたれによりかかって落胆した。

「俺の言葉だけで任務が終わってどうするよ。確か、あー、神様の教えを説いた本だって聞いたたなあ。」

思い出しながら言っているアスマにもっと情報はないのかとカカシは期待の眼差しを向けたが、又聞きでは信用がおけない。
アスマはペラペラと本をめくる。版画の挿絵の裸体を見て色気がねえなあ、なんてほざいている。
こいつに頼った俺が馬鹿だったかとカカシは机に肘をついた。
窓から見える空は晴れ渡っていた。こんな任務を受けていなければ洗濯でもしていたことだったろう。
いい天気だ。雲がたなびいている。名も知らぬ小鳥の声が穏やかさを物語っている。広葉樹の新緑が美しい。
カカシは微かに笑みを浮かべた。こうやってゆっくりとした時間を過ごすのは一体いつぶりだろうか。
ずっと暗部としての任務ばかりをして、たまに里に帰ってきても上忍としての任務に没頭するか、馴染みの奴らを誘ってどんちゃん酒を飲むだけだ。

「おいカカシ、なに呆けてんだよ。お前の任務だろうが。」

カカシはへいへい、とアスマから本を受け取った。

「ところでアスマは図書室に何しに来たわけ?大人しく勉強するような殊勝な頭はお持ちじゃないだろう?」

「お前、失礼な奴だな。俺は今上忍師やってるだろ?」

そう言えばそんなことをちらっとこの間の飲み会で言っていたような気がする。

「それの報告書を書くついでに調べものだ。ここの隣は任務の資料の保管場所だろ。」

ああ、そう言えばそうだったな、とカカシは頷いた。

「せめてこの本の全容を知ってて丁寧に説明してくれる人がいればいいのに。内容を把握するにも、ここまで言い回しが複雑かつ困難だと調べるだけでかなりの労力だよ。」

カカシはため息を吐いた。

「ん〜?それだったらなんとかなるかもしんねえぞ。」

アスマが煙草の火を付けようとしてここは禁煙だったな、と渋い顔をしながらもケースに戻しながら呟いた。

「は?なんで?」

カカシは顔を上げた。

「この間任務で教会の引っ越しを手伝ったんだがよ、」

「は?教会?木の葉に教会なんてあったっけ?」

「ついこの間できたんだよ。異種間の宗教の交流も認めるってのはずっと以前から許可されてたんだが、実践する奴はいなくてな。つい2.3日前に木の葉に神父っつうんだっけ?がやってきて、その引っ越しが任務だったんだよ。そう言えばその聖書もそこでちらっと見て聞いたんだったな。」

「そう言うことは早く言えよな。」

カカシは教会の場所を聞くとさっさと図書室から出て行った。
礼くらい言えよなあ、とアスマは苦笑いしつつ、自分も資料室へと向かったのだった。

 

カカシはアスマから聞いた場所にたどり着いた。小さな庭のある小さな建物だった。全てにおいて小さな作りだったがなんとなく清廉されたものがあるような気がした。
カカシは扉をノックした。が、誰も出てこない。留守だったろうか。
カカシは聞こえなかった場合も考えて、再度ノックしてから扉を開けた。

「ごめんくださーい。」

中を見ると、そこにはベンチのような横長の椅子がずらーっと並んでいて、上座には変わった置物やらなにやらが置いてあった。異国へは何度か赴いたことのあるカカシだったが、こういった所へは足を運んだことがなかったなあ、と勉強不足を少々恥じた。
しかし誰もいない。
勝手に入るのはちょっと申し訳ないが、これも任務のためだとカカシは中に入った。
そう言えばアスマはどこでこれと同じような聖書を見たんだ?とカカシはその部屋を調べ始めた。と、しばらくして誰かの気配が近づいてきた。
どこかの部屋からと繋がっているドアが開いて誰かが入ってきた。黒い服を着た年配の男だった。
カカシを見ていらっしゃい、と柔和な笑みを浮かべた。

「ご用ですか?」

「ええ、まあ。あの、聖書のことで少し伺いたいんですが、神父様はあなたでよろしいですか?」

男はその通りですよ、と頷いてカカシに椅子を勧めた。カカシは素直に椅子に座った。神父もカカシの隣に座る。近くもなく遠くもない、絶妙な位置だった。

「それで、聖書と言うのはこう言ったもののことですが、それで良いですか?」

神父はいつの間にか黒い表紙の本を取り出した。使い込まれているのか、日焼けしている。

「えーと、中身はたぶん一緒だと思うんですけど、」

とカカシは白い表紙の聖書を取りだした。それを見て神父は目を見開いた。

「これは、一体どこで!?」

神父は驚愕に声を大きくした。カカシはええと、と言い及んだ。神父はちょっとばつの悪そうな顔をして謝ってきた。

「すみません、どうも興奮してしまったようで、お恥ずかしい。」

神父は本当に悔いているのか、かなり申し訳なさそうな顔をしている。こちらが困ってしまいそうだとカカシは心の中で苦笑した。

「これがどういったものかご存じなんですか?」

「私も見るのは初めてですが、たぶん世界に3冊あると言う『白い聖書』だと思います。」

そのまんまのネーミングだな、とカカシは脱力した。

「それで、この聖書は何かいわくがあるものなんでしょうか?中身が違うとか。」

「いえ、中身はこちらの私の持っているものとさほど変わりはしないと思います。ただ、色々と逸話のあるものでして、私もさほど知り得ているわけではないのです。信憑性の薄い噂話程度のものしか知りません。」

「それでもかまいません。知っていることを教えて下さい。」

カカシが言いつのると、神父は頷いた。

「なんでもその『白い聖書』は天国への扉に繋がっているとか。」

本がどうやったら扉になるのだろう?何か術の類だろうか。しかしそんなの聞いたことないし、もしかしたら血継限界の類の可能性もあるかもしれない。
カカシは腕組みをして考え込んだ。

「あの、でもそれはほとんどもう伝説化しているようなものでして。もしも詳しい話しをお聞きになりたいのでしたら大司教様のいらっしゃる大聖堂へ行かれた方がいいかと。それから、大変申し上げにくいのですが、過去にその『白い聖書』の偽物が横行したことがあると聞いたこともあります。もしかしたらこの聖書もその可能性があるので、偽物かどうかの鑑定も一緒にしていただいたら良いかもしれませんよ。」

神父はなにやら自分のことのように親身になって説明してくれた。

「まあ、そうですね。ではちょっとその大聖堂とやらに行ってきます。」

「そうですか、大聖堂は私の故郷の丹の国にあります。道中気を付けて下さいね。」

それを聞いてカカシはちょっと逡巡した。丹の国は、はっきり言って遠かった。忍びの足でも往復2週間はかかる。
任務の期限は設けないとは言われたが、ここまでする必要があるのだろうか。いや、もう悩むまい。やると決めたからには最後まで責任を持ってやり遂げなければ。

「ところで忍者の方ですか?この間引っ越しのお手伝いをして下さった方も同じような服を着ていらしたと思うのですが。」

「あ、ええ、そうです。実はあなたのことはその時に手伝いに来ていた者から聞きまして、不躾だとは思いましたが少々込み入った話なので断りもなく伺ってしまいました。」

「そうだったんですか、あの方のご紹介でしたか。不思議だとは思っていたんですよ。まだ教会のことはほとんどの人に知られていないはずでしたから、こんなにすぐに人がいらっしゃるとは思っていませんでした。それから、教会は基本的にいつでも誰もが出入りしていいものなんですよ。ですから恐縮されることはありませんから、どうかお気になさらず。」

カカシははあ、そうなんですか、と曖昧に頷いた。随分と開放的な場所だったらしい。このベンチはその出入り自由な人々のために設けられたものなのだろうか。
まあ、たぶんこれからもあまり来ることもないだろうが。

「そうだ、紹介状も書いておきましょう。」

神父は良い事を思いついたと言わんばかりに立ち上がった。

「あ、いや、そこまでして頂いては今度こそ本当に恐縮してしまうんですが。」

カカシがやんわり断ろうとしたが、神父はいえいえ、そんなことはないですから、とやはり朗らかな笑みをカカシに向けてきた。

「実は知り合いが大聖堂で働いているんですよ。その知り合いについでに手紙も渡してください。」

そこまで言われてはカカシも断ることができない。苦笑しながらも、ではお願いしますと言えば、すぐに書状にしたためますと言って神父は別の部屋に行ってしまった。
カカシはしばらくその場で待つことにした。
なんとも不思議な場所だった。新築された建物だと言うのは分かる。色とりどりのガラスがはめ込まれた窓から何色とも取れない光が差し込む。
天国だとか聖書だとか、なんて自分とは遠い場所なんだろうかとカカシは自嘲した。

自分ほどこの場所に不似合いな者はいないのではないだろうか。
今まで、いったい何百、何千と言う人を騙し、裏切り、殺してきただろうか。
罪深い己の所業にこの場が腐り落ちるのではないかと馬鹿な考えが思い浮かぶ。
ふと、神父とは違う人の気配がしてカカシは顔を扉に向けた。
やがて扉を開けてゆっくりと入ってきたのはまだ若い男だった。カカシと同じくらいだろうか、黒い髪を肩まで伸ばし、黒く大きめの目に、黒い地味な服を着ている。
目立たないような出で立ちだったが何故だかカカシの目を引いた。別に変わったチャクラを出しているわけではない。
忍びでもない、一般普通の人だ。
不躾に男を見ていたカカシだったが、はっとして目をそらした。
何を自分は男を凝視しているのだと頭を振った。
男はカカシの視線に気にも留めず、まっすぐに歩いていくと、上座の台の前に両膝を着くと手を組み合わせた。その姿は見たことがある。祈りを捧げているのだ。
やがて男は祈りが終わったのか、元来た道を歩き出した。そしてカカシの横まで来ると立ち止まった。
不躾に見ていたことを咎められるのかな、とカカシは思ったが、男はカカシに向かって会釈するとそのまま去っていった。
なんとなく話しをしてみたかったなあ、なんて今時ナンパでも言いそうにないことを考えつつ、カカシは白い聖書をペラペラとめくった。
アスマの言った通り、版画の挿絵は古式ゆかしくあまり美術の審美眼がある方ではないカカシは色っぽくないな、なんて罰当たりに思った。
その中で一枚、本を手に持ち、何かを指し示しているような人物の挿絵が目に止まった。
なんとなくさっきの男を彷彿とさせた。もしかしたら教会の関係者だったのかな?雰囲気が似ているのはそのせいか?
そんなことをつらつらと考えていると神父が戻ってきた。手には紹介状と手紙の二つを携えて。

「お待たせしてすみません。ではこちらを、どうか実りのある、素晴らしい旅を。お体には気を付けて。」

神父はそう言ってカカシに向かって何か祈るような動作をした。カカシはどうも、と素っ気ない言葉しか出てこなかった。
こんな自分に祈りなど不要だ。