−天国の扉−

翌日カカシは火影の許可を得て丹の国へと旅だった。思った通り、火影の許可はあっさりとしたものだった。
しかも道中はなるべく忍びとしての動きはしないようにとまで言われた。何故一般人に扮して行動しなければならないのか聞いた所、どうやら丹の国は忍びをあまりいい目では見ない所らしい。忍びの隠れ里である木の葉に教会を開きたいと言っていたあの神父はかなりの変わり者だと言うことだ。
そこまで嫌われている国に行くのに忍びとして赴くのは得策ではないと判断したのだろう。おまけにそのいかにも怪しい恰好ではのう、とまで言われた。そこまで言うなら他の者に当たらせろよ、とはさすがに言わなかったが小旅行とでも思って行って来いと言われたので言われたまま、遊び半分で行くことにしたカカシだった。
そして、カカシは一般人の足と変わらない速度で歩き続け、2週間かけて丹の国に着いた。
丹の国へは何度か任務で来たことがあるが、何度来ても違和感の拭えぬ場所だった。建築物から人々の来ている恰好、そして髪の色も。木の葉では珍しい金髪、又は薄い色素の者が多い。木の葉は割りと黒髪が多いがこちらでは少ないようだ。
いつもは夜間に出歩いていたため、日中の明るい場所で見る丹の国の町並みはことさら違和感を感じるのだろう。
物珍しい風景を眺めつつ、旅行者のように(半分はそうだが)ぶらぶらと歩いていた。宿場も決め、大聖堂とやらのある場所へと向かう。なんやかやと言って任務には忠実なカカシだった。
標識に従ってこの国の中心地にある大聖堂まで来ると、カカシは門番に立っていた男に紹介状を手渡した。
門番は紹介状を見ると、すぐに中に通してくれた。木の葉の神父と言い、この門番と言い、丹の国の人々はお人好しが多いようだ。こちらがそんなに危機感なくていいのか?と心配になってしまう。
絨毯敷きの大きな広間に通され、カカシはそこで待つように言われた。
それからしばらくして数人の、神父と同じような恰好をした男たちがやってきた。

「はじめまして、私はこの大聖堂の副大司教をしているクロハと申します。大司教様はただいま公務にて席を外すことができません。『白い聖書』についてお聞きになりたいとか。私でよければお話を伺いますが。」

穏やかな笑みを浮かべた初老の男が進み出た。他の男たちはお付きの者たちと言うところか。本当は大司教の方がいいのだろうが、公務ならば仕方ない。とりあえずこのクロハと言う男に聞くことにしよう。
カカシは会釈した。ちなみに覆面は外したものの、片目の写輪眼は見えないように眼帯をしている状態だった。

「実は『白い聖書』については何も知らないのです。ですから知っていること全てを教えて頂きたいのですが。」

言うとクロハは頷いた。

「少々長くなりそうです。こちらでお茶でも飲みながら話しましょう。」

そう言って背を向けてカカシに一緒に着いてくるように言うと歩き出した。他のお付きの男たちはそこで下がっていった。
石造りの廊下をクロハとカカシだけが歩いていく。まだ春になる少し前の肌寒い季節だったが、窓から見える庭は陽光にあたって草木は気持ちよさそうに風に揺れていた。

「随分と広い庭ですね。東屋まである。どなたか手入れを?」

「この大聖堂で働いている庭師が丹精込めて世話をしてくれております。おかげでここは大抵の季節に何かしら花や草木が生い茂り、心を和ませてくれます。」

そうですか、とカカシは再び庭に目をやった。あそこで昼寝をしたら気持ちよさそうだな、と思って少し笑った。
小さな書斎のような部屋に通されたカカシは、そこで副大司教から白い聖書の話しを聞くことになった。
小さなテーブルの上にはお茶のセットがもう用意されており、皿には何種類かの焼き菓子が並んでいた。

「さ、どうかくつろいで下さい。長旅でお疲れでしょう。火の国からいらしたとか。」

「ええ、2週間もかかるとは思ってもいませんでした。でも、ずっと仕事一本で来ましたから、久々の休暇と思えば案外楽しいものでした。」

カカシはカップに口を付けた。柑橘系の香りのするお茶だった。割りと好ましいと思える匂いだった。勿論毒が入っていないかどうかはこっそりと確認した。
カカシは早速白い聖書をクロハに手渡した。
クロハは興味深そうに白い聖書の表紙を見、中身を検証していく。

「うーん、実は私は本についてはあまり明るくはないのでこの聖書が本物かどうかは分からないのですが、伝説とまで言われ、その存在は極めて希少価値と言われていますが、実は他の2冊は所在が分かっています。」

「え、そうなんですか?」

意外だった。伝説ならば他には現存していないと思っていたのだ。

「他の2冊はそれぞれ別の所持者の元にあるのですが、そちらへ行かれた方がいいかもしれませんね。それぞれの住所をお教えしましょう。」

あまりにも淡々と事が進むのでカカシは慌てた。

「あの、随分と良くして頂いて大変ありがたいのですが、そこまでしていただいていいんですか?自分で言うのもなんですが、私は見た目にもかなり怪しいと思うんですが。」

クロハはにこにこと笑って言った。

「そうですね、確かに外見は少々奇抜だな、とは思いますが、それだけでその方を判断することはできません。それにカルツが、ああ、カルツと言うのは紹介状を書いた神父のことですが、あの者も貴方を信頼してこの地へ紹介したのですから。」

そこまで言われればカカシは瞠目する他はなかった。
クロハはそれから白い聖書に関する様々な逸話を話してくれた。白い聖書には天使が憑いているとか、天国への扉を求める者で過去、凄惨な争いが起きたとか。
始終穏やかな調子で話しをしていたが、割りと血なまぐさい事件はいくつもあったらしく、この和やかな雰囲気の場所も意外と人間くさい歴史があるのだと妙に感心したりした。
そしてお茶のおかわりを2杯した後に、クロハはその場で聖書の所持者の住所をしたためてくれた。それを受け取るとカカシは礼を言って書斎を出た。
そしてふと、先ほどの庭を思い出した。

「あの、よろしければ庭を散策してもよろしいですか?」

「はい、いいですよ。普段、一般人に開放していますから。今の時間、庭師のセルハがいるかもしれません。」

セルハ、その名前は確かと、カカシは鞄の中から手紙を取りだした。やはり、あのカルツと言う神父から知り合いに向けた手紙の主がセルハだった。
危うく忘れる所だった。と、カカシは肩をなで下ろした。
そしてクロハに別れを告げると庭へと向かった。
まだ肌寒い時期と言えるからか、春爛漫とは言えなかったが花がそこここにちらほらと咲いていた。
名も知らぬ可憐な花々は区画整理のされていない庭に、奔放に生えているように見えたが実はその高さや色合いが調節してあるらしく、自然に美しく感じるように手が入れられているようだった。
一人の若い庭師の男がそこで土いじりをしていた。カカシは近寄っていく。

「あの、セルハさん?」

はい?と男は振り返った。なかなかの好青年だった。日焼けしていて健康そうな背の高い男だった。

「この手紙をカルツさんから頂いてきました。」

そう言えばクロハに教えてもらうまでカルツの名前すら知らなかったことに今更ながらカカシに気付いた。やはり、なんとなくあまりにも危機感のなさにかえって気疲れしてしまいそうになる。

「カルツからですか、わざわざすみません。」

セルハはその場で手紙の封を切った。そして中身をさらさらと読み始める。そしてカカシをちらっと見てなるほど、と頷いている。どうやら自分のことが書かれているらしいと察して居心地悪さげに辺りを見渡した。

「なるほど、白い聖書の件でこの国にいらしたんですね。長旅ご苦労様です。」

「いえまあ、仕事ですしね。それにしても手入れの行き届いた素晴らしい庭ですね。とても居心地がいい。」

カカシはなんとなく話題を変えた。セルハはありがとうございます、と人好きのする笑顔を向けてきた。人の好意の滲んだその笑顔が最近大盤振る舞いだなと、あほらしいことを考えた。

「ゆっくり見ていって下さい。ちょっとまだ春の花は咲き始めで物足りないかもしれませんが、新緑が美しい季節ですから。」

そのようですね、とカカシは改めて庭を見る。そして散策させていただきますね、とセルハと別れた。
庭の奥にあった東屋の中にあるベンチに座ってカカシは息を吐いた。
なんとなく息苦しい。
人の好意だとか善意に慣れていないだとかそんな理由ではない。この明るすぎる場所のせいかもしれない。
カカシはベンチに横になった。こんな輝くような庭では、自分は光に取り込まれて砂となって消えてしまうかもしれない。
緑に囲まれたその場所で、カカシは目を閉じた。閉じる一瞬前に、教会で出会った黒髪の男の顔が見えたような気がした。

 

ふと気が付くと、日が沈みかけていた。
カカシは慌てて起きあがった。睡魔に負けて居眠りをするほど疲れていただろうか?それともどこかで睡眠薬の類の香が焚かれてでもいただろうか。
カカシは鞄の中の聖書に手を這わせた。ちゃんとあった。目で確認したが、間違いなく持ってきたものだ。すり替えもしていない。財布も無事だった。
考えすぎだろうか。いや、気を抜くなんてなんたる失態だ。カカシは起きあがった。
日が暮れていたと言ってもまだ夕暮れ時で、ほんのりと辺りは明るい。さっさと宿に戻ることにしよう。所持者の二人には明日会えばいい。
カカシはそう考えて大聖堂を後にした。
宿に着くともう夕食時だった。カカシは食堂で注文すると窓際の関に座った。
もうすっかり日は暮れてしまった。夜の町並みは街灯に照らされて幻想的に見えた。少し霧が出ているかもしれない。
任務で来た時は真夜中の闇に紛れて身を隠し、要人を暗殺した。こんな平和そうな国にも暗殺依頼は来るのだ。
いつの世も争いは絶えぬか。そう言えば丹の国に隠れ里は存在しない。それは国教とも言える宗教概念が影響していると聞いていたが、暗殺依頼が木の葉に来るくらいだから忍びの需要がまったく必要ないとも言い切れないのだろう。
平和な宗教、争いを望まぬ。が、暗殺依頼は来る。
なんとなく自分の中にある相反する考えと似ていると思った。
人殺しに対する罪悪感と、任務の二つに板挟みにされて、それでも体面を繕っている。

「おまちどおさま〜。」

と、元気な声と共に料理が運ばれてきた。温かな湯気が立っている。カカシはありがとう、と言って手を付けた。
食事が終わって再び窓の外を見ていたカカシだったが、見覚えのある人影を見つけた。
木の葉の教会で出会った男だ。
カカシは急いで支払いをすませると男の後を追った。男はすぐに視界に捕まった。
思わずその腕を取る。
男の体が少し大きく揺れてその場に止まった。そしてカカシを見る。

「あ、」

捕まえたはいいものの、何を話しかけていいのやら分からない。大体自分は何をしようとしていたのだろうかと自分の行動にいささか疑問が生じた。こんなこと今まで一度だってなかったのに、まるで子どものようだ。
カカシはゆっくりと男の腕を放した。

「あの、木の葉の教会で見かけました。」

とりあえず事実を述べると、男はそう言えば、と頷いた。

「教会の椅子に座っていらした方ですか。あの時は顔の半分以上が見えなかったのでピンと来ませんでした。奇遇ですね。」

覚えていてくれた。確かにあの時自分は右目以外まったく見えなかった。うろ覚えでも仕方のないことだと思った。

「俺は仕事兼、観光に来たんですけど、あなたも観光ですか?」

言うと黒髪の男は頷いた。

「俺も仕事と、あとはまあ、道楽です。仕事仲間からはもっと真剣にやれと言われているんですが、どうにも俺の仕事の仕方は道楽に似通っていると言われてしまいまして。」

「この国には詳しいんですか?」

「ええまあ、ある程度は。」

「そうですか。この国ご出身の方ですか?」

「どうでしょう?」

あまり話したくないことなのかな、と思い、カカシは話題を変えることにした。

「俺ははたけカカシと言います。」

「俺はうみのイルカと言います。お互い、お仕事がんばりましょう。では。」

イルカはそう言って去っていった。振られちゃったな、とカカシは肩をすくめた。いつの間にか薄い霧は晴れていた。カカシは宿に戻るために足を動かした。