−天国の扉−

翌日、カカシは早速クロハに書いてもらった住所を頼りに白い聖書の保持者の家へと向かっていた。
一人は古書のコレクターである老齢の男性で、名前はテイル。一人暮らしらしい。
たどり着いた家は幽霊屋敷と言っても過言ではない程さびれたボロ屋敷だった。庭も荒れ放題で、先日訪れた大聖堂の庭とは似て非なるものだった。
カカシはチャイムを慣らした。ピンポーンと鳴る音も心なしかひび割れて聞こえる。

『なんだ?』

「白い聖書についてお聞きしたいことがあり、大聖堂の副大司教様からご紹介預かった者です。お話をお聞かせ願えませんでしょうか?」

しばらくの間の後に、入れと言う声がしたので、カカシは遠慮なくギイと鳴る重厚な作りのドアを開けて中に入った。

「失礼します。」

カカシが中に入ると、奥から杖をついた老人がやってきた。杖はついていたがしっかりとした足取りで、頑固そうな顔はなんとなく火影を思い出させた。

「はじめまして、はたけカカシと言います。」

「テイルだ。白い聖書と言ったが、何が聞きたいのだ?」

カカシは鞄の中から白い聖書を取りだした。

「これはさるお方の屋敷から発見されたのですが、偽物かどうか判断していただきたいのです。」

カカシはテイルに手渡した。テイルはふむ、と言ってかけていた眼鏡のフレームを少しばかり上げた。

「調べてみんと分からんな。」

「はあ、そうですか。」

しばらくの沈黙が落ちる。

「えーと、それじゃあ大変申し訳ないんですが調べてもらってもいいですか?その代わり肉体労働するんで。」

カカシはへらりと笑った。

「肉体労働じゃと?」

「庭の草むしりでも。」

なんとなく昨日の庭師のまねごとがしてみたくなっていたカカシは思いつきでそう言ってみた。テイルはにやりと笑った。まずい選択だったか!?とカカシは一瞬冷や汗をかいた。

「いいじゃろう。」

テイルはそう言って奥へと引っ込んでいった。カカシはほっとして、それじゃあと早速庭へと向かった。
庭の雑草は伸び放題である。どれが雑草でどれが植えられていた草花なのかさっぱり判断がつかないので、適当に蕾がつきそうなものだとか、今はもう崩れかかっている花壇の中にあるものを丁寧に餞別しつつ苅ることにした。
しばらくそうやって草むしりをしていたカカシだったが、段々と背中が汗ばんできた。まだ肌寒い季節と言えど、日当たりの良い場所で労働をしていれば汗もかく。
思えばこういった下忍に任せられるような任務をしたのは何年ぶりだろうか。
カカシはとうとうアンダーを脱いでTシャツ一枚になった。汗が張り付いている。ちょっと気持ち悪い。
が、カカシは持ち前の集中力と忍耐で庭の雑草を抜ききった。あとはまとめるだけだ。ここで一息つこうと適当な場所に座った。

「精が出ますね。」

聞き覚えのある声にカカシは顔を向けた。遊歩道にイルカが立っていた。カカシは立ち上がってイルカの前までやってきた。

「昨晩はどうも、お仕事中でしたか?」

イルカに言われてカカシは頷いた。確かに仕事中だ。突発的ではあったが。
イルカは荷物の中からタオルを差し出した。カカシは遠慮無く受け取ろうとしたが、泥だらけの自分の手に気付いて苦笑した。このまま受け取ってしまったら顔が泥だらけになってしまう。本末転倒である。

「すみません、今、手を洗ってきますから。」

そう言って身を翻そうしたが、イルカの手が早く伸び、カカシの額の汗を拭った。

「あ、ありがとうございます。まだ春前だと言うのに、この陽気だと汗が出ますね。」

間近にあるイルカの腕に視線がいってしまう。彼は厚手の生地の、半袖のシャツを着ていた。
昨日は薄暗い場所で会ったからか、なんとなく青白い印象があったが、今日、陽の元で見た彼は、ほどよく日焼けした肌をしていた。身長は変わらないが少しカカシの方が高いだろうか。男らしい、ごつごつとした手は彼の優しい面影に似て、働き者の印象を与える。

「本当にいい天気ですね、少し歩いただけでも汗ばんでしまいます。汗の始末はしっかりした方がいいですよ。風邪をひいてしまいますから。」

彼はそう言ってカカシの首にタオルをかけた。

「差し上げます、どうぞ。」

「どうも。」

イルカは会釈すると行ってしまった。カカシはすぐに手を洗いに行った。庭先にある水道の蛇口をひねって、勢いよく出た水で泥を洗い流す。そして綺麗になった手でタオルを掴んだ。そしてそっとタオルに顔を埋めた。ふんわりとした感触と、清々しい清涼な香りがした。

「俺、なーにやってんだろ。」

カカシは日陰から空を仰ぎ見た。

「はたけさん、飲み物でも飲んで一息つきなさい。」

テイルさんが顔を出してきた。手には瓶の飲み物を携えている。喉が渇いていたのでありがたい。カカシはテイルの元へと小走りに向かった。

「草むしりは順調なようですな。結構なことです。」

「白い聖書の調査はどんなもんですか?」

「わしの蔵書と照らし合わせておる所じゃ。わしだとてコレクターとしてのプライドはある。もう少し待っておれ。」

はーい、とカカシは言って瓶の飲み物をぐいっと半分まで飲み干した。微かな甘みのある、清涼飲料水だった。
それからカカシは少し休憩をいれたあと、刈り終わった草をひとまとめにした。あとの始末はあのご老人に意見を仰がなくては分からない。
カカシは再び手を洗った。汗はだいぶん引いていたので、アンダーを着込み、荷物の中に丁寧に畳んだタオルをしまい込んだ。
そして屋敷の中に戻った。

「テイルさーん、大方終わりましたよー。後の処理はどうしますか?テイルさーん。」

返事がない。玄関先までしかお邪魔してなかったのでどの部屋にいるのか分からない。もしかして防音設備のある部屋に籠もってしまったのだろうか。
カカシは忍びとしての能力を押さえるため、ある程度自己暗示をかけていた。おかげで、相手の気配などが分かりづらくなっている。カカシは印を結んで開印し、自己暗示を解いた。そして気配を探る。
どうやら一階の奥の部屋にいるようだ。カカシはその部屋へと向かった。
ふと、血の匂いがした。カカシは急いで奥の部屋へと飛び込んだ。テイルがうつ伏せになって倒れている。カカシはそっと脈を取り、外傷を調べた。弱々しいが正常に脈はある。外傷は頭に一カ所、血が流れているがさほどひどくはないようだ。だがすぐに病院に運んだ方がいいだろう。
カカシは衝撃がなるべくないように、負担をかけないようにとしっかりと体を固定して移動した。しかし病院の場所が分からない。
カカシは道行く人に病院の場所を聞き出して急いで向かった。
そしてやっと病院らしき建物に着いて、あとは医療関係者に状況を説明して、待合室のソファに座った。
命に別状はないと思うが、老体での出血だ。大事ないといいのだが。カカシは忍びとしての能力を最小限に留めてたいたとしても、食い止められなかったことに苛立ちを隠せなかった。鋭い嗅覚と聴覚、暗部としての能力を発揮できていれば、いや、そんな後悔をしても始まらない。
数時間して、担当の医師がやってきた。

「ご家族の方ですか?」

「あ、いえ、違うんですが知り合いなもので。大丈夫ですか?運んだ時はさほど顔色も悪くはなかったと思うんですけど。」

「ああ、運んできた方でしたか。ええ、でしたら大丈夫ですよ。何針か縫いましたが後遺症もないようです。ただ、まだ意識が戻りません。明日には目を覚ますと思いますから、また明日いらして下さい。今日の面会時間はまだすぎていませんが、今日は大事取って面会謝絶です。」

医者に言われてカカシほっとした。とりあえず最悪な状況にはならなかったらしい。
カカシはほっとしたついでに何か忘れているような気がして首を傾げた。
なんだったろうか?

「あ、白い聖書...。」

テイルさんが襲われたと言うことは、何か原因があったはずだ。致命傷ではなかったと言うことは殺意があったわけではないのだろうから、さて、どうしたものか。
カカシはとぼとぼとテイルの屋敷へと戻った。
影分身だとか、瞬身だとか、忍術を使うことも考えたのだが、あくまでも一般の者として行動しなくてはならないという火影の言葉に逆らうまでの事態ではないと思ったのが運の尽きか。
カカシは屋敷にたどり着くと、一番奥の部屋の書斎へと向かった。屋敷の中は当たり前だが真っ暗だった。が、夜目が利くのでカカシはなんら困ることなく部屋を見渡す。白い聖書を探したが、案の定なくなっている。
目的はやはり白い聖書だったか。2冊ともなくっていると言うことは、カカシの持っていた聖書も本物だったと言うことか。
価値のあるものだったと言うことは分かったが問題の本が紛失してしまったら元も子もない。カカシは腕を組んだ。何か犯人が残した形跡でもあればいいのだが、髪の毛一本、犯人と思われる、テイル以外の匂いのするものがその部屋にはなかった。
カカシは戸締まりをし、火の元も確認してテイルの屋敷を後にした。
残念だが明日、テイルには2冊の聖書が奪われてしまったことを報告しなくては。
元気なじいさんだったが、落胆するのは目に見えている。コレクターのその本に対する執着心は計り知れない。
カカシはため息を吐くと宿へと向かった。折角連続してイルカさんと会えたのに、散々な日だった。
カカシは夕食を取る気にもなれずにそのままふて寝をするようにその日は休んだ。