−天国の扉−

そして翌朝、カカシは朝食もそこそこにテイルのいる病院へと向かった。
病院関係者にテイルのいる病室を聞き、重い足取りでその病室へと向かう。どうやら意識は戻ったらしいとのこと。喜ばしいが報告する者としては少々胸が痛む。
カカシはその病室まで来ると、息をはいてゆっくりとノックした。中から入れ、と馴染みのある声がして、カカシは遠慮なく入った。
ベッドの上に上半身を起こし、テイルは朝食を食べていた。少し遅めの朝食と言った所か。

「後遺症もないと聞きました。早く退院できるといいんですが。」

カカシが言うとテイルはふむ、そうだの、と相変わらずの口調で返事をする。

「テイルさん、残念なお話があります。白い聖書、2冊ともなくなっていました。昨日あなたを襲ったのは、聖書を盗んでいった奴でしょうか。記憶に残っていることはありませんか?なんでもいいので気が付いたことを教えて下さい。」

「はたけさん、あんたの言った通り、わしを襲った奴は聖書が目的だったようだ。わしから聖書を奪っていきおった。どうやら男のようだったが、どんな奴か、その特徴は分からなかった。覆面をしていたし、後から殴られて意識ももうろうとしておったからの。頼りない証言ですまないな。」

「いえ、テイルさんが無事でなによりですよ。ただ、刈り終わった雑草をなんとかしたいので、本当に早く退院してほしいんですけどね。」

言うとテイルははっはっはっ、と豪快に笑った。

「雑草か、そうだったな、まだお前さんの肉体労働は終わっておらなんだの。それでは可哀相じゃな。雑草は庭の隅にある四角の枠の中に入れてくれればいい。それから、」

とテイルは机の上にあった自分の服に手を伸ばした。そこから出てきたのは、もう奪われてしまったと思っていた白い聖書だった。

「1冊は無事だったんですか!?」

「ああ、お前さんのじゃ。とっさに服の中に隠して、わしの蔵書をわざと強調して見せてやったからこちらの聖書には気付いていなかったはずじゃ。」

カカシは何故?と言葉にせずにテイルに問いかけた。

「見くびるな。盗人がやってきたのはわしの屋敷じゃ。狙いが白い聖書だったのならば狙っていたのはわしの蔵書である聖書の方じゃ。お前さんの聖書はなんにも関係ないわい。じゃから、これは持っていくがいい。調べられたのは途中までじゃったが、恐らくは本物であろう、インクも用紙も寸分違わぬ。わしは純粋に古書が好きなだけであったからその聖書に関する諸々の怪しげな噂なんぞには興味がなくてな。お前さんの知りたいことを教えてあげられそうにない。だが、もう一人の聖書の所持者はこてこての信者じゃからな。興味深い話しが聞けるじゃろう。」

テイルはそう言ってカカシに聖書を手渡した。確かに火影の図書室から出てきたものだ。
テイルは食事を再開した。もう話すことはない、という意味のようだった。カカシは深々と頭を下げると、病室を出て行った。
どうやら世界に3冊あると言う聖書が揃ってしまったことにより、何かの陰謀が動き始めたようだ。
観光がてらに悠長に任務をするどころではなくなってしまった。
こうなってしまったからには、もう一人の聖書所持者である人物の元にさっさと行かなくてはならない。
カカシはクロハのメモを頼りに、次の場所へと急いだ。テイルの屋敷の雑草には申し訳ないがこの一件が一段落するまで放置させてもらうことにしよう。
カカシは心の中で謝罪しながら次の場所へと向かった。
次は教会らしい。こてこての信者とは神父のことだろうか?
カカシは人々に住所を聞きながら向かった。さすが大聖堂のある国だけあって、至る所に教会があって迷いそうになる。
が、やっとのことでたどり着くと、そこはしっかりとした作りの教会だった。木の葉にあった小さくてかわいらしいなんてものじゃない。先日訪れた大聖堂とはまったく違った清廉されたものを感じる。
カカシはとりあえず教会のドアをノックした。だが返事がない。中の気配も感じない。完全にお留守のようだ。隣接する家から十数人の一の気配があったので、そちらに回ることらした。ドアベルを慣らして返事を待つ。
しばらくして女性の声が聞こえた。

「どなたですか?」

「はたけカカシと申します。実は白い聖書の件で先日大聖堂へ赴いたのですが、こちらへのご紹介を頂きまして、よろしければお話を伺いたいのですが、聖書所持者のソネノさんはいらっしゃいますか?」

言うと、中で数人が相談するような密やかな声が聞こえてしばらくして、先ほどの声の主とは違う声が答えてくれた。

「すみません、実は神父が出払っておりまして、男性を教会の中に入れるわけにはいかないのです。」

「え?それはどういう意味ですか?」

「国外からいらした方ですか?」

「はい。」

「それならばご存じないのも道理ですね。実はこの教会はシスターの学校も兼ねており、男子禁制なのです。普段、神父がいる時は神父と同席して男性と話すことはできるのですが。ちなみに私が聖書所持者のソネノです。ドア越しで話すことも実はあまり良いことではありません。神父は明日には帰ってまいります。ですから明日にまたいらして下さい。」

声の主は申し訳なさそうに話した。しきたりがあるのでは仕方ない。

「では最後に一つだけ、実はもう1冊の聖書所持者のテイルさんが昨日何者かに襲われ、聖書を奪われました。あなたの聖書も狙われるかもしれません。どうか戸締まりには十分に気を付けて下さい。」

「そうですか、テイル様が。分かりました、警戒します。ご忠告をありがとうございました。」

「いえ、では失礼します。」

カカシは踵を返した。寄宿学校のようだから一人になると言うことはなさそうだが、それでも心配だった。テイルを守りきれなかったことがどうにも頭から離れないカカシだった。
カカシは教会の見える路地に身を潜めた。
少々怪しい行動を取ることになるが、何もせずにすごすご帰るよりはましだ。今日はここで見張りをすることにした。
忍犬を一匹口寄せして、後方からの見張りも立てた。これで何かあってもすぐに対処できるだろう。
が、意気込んだはいいものの、その日教会に襲撃する者はいなかった。連日襲撃する性質の者ではなかったらしい。
カカシは神父が帰ってくるのを確認して少し時間をずらして教会へと再び訪れた。
再びベルを押して名前を名乗った。するとすぐにドアを開けて神父が出てきた。

「あなたがはたけ様ですね、シスターたちから聞いています。白い聖書のことでソネノに話しを聞きたいとか。どうぞ中にお入り下さい。ソネノ、こちらに来なさい。」

神父に呼ばれてやって来たのは、まだ幼さを残す顔立ちの女性だった。少女と言っても過言ではないだろう。

「昨日はご忠告をありがとうございました。テイル様はお体大丈夫でしたでしょうか?」

「命に別状はないようです。先日もちゃんと朝食を召し上がっていたくらいですから、退院も遠いことではないでしょう。」

ソネノはそうですか、とほっとした様子だった。
カカシは神父に案内されて室内に入った。確かに学校と言うだけあって、普通の家庭の家と空気が違う。思わず背筋を伸ばしたくなるような雰囲気があった。
案内されて、応接間に通されると、神父の横にシスター、そして向かい側にカカシと言うような位置に座った。

「白い聖書についてお聞きになりたいことがおありとか。どのようなことでしょうか?」

「聖書についての言い伝えや謂われを教えて頂きたいのです。」

「知ってどうなさるおつもりですか?」

どうする、それは火影の探求心を満たすことしか理由にはない。それで納得してくれればいいのだけれど。
カカシは荷物の中から聖書を取りだした。

「これは依頼主の図書室から出てきたものでして、先日テイルさんに本物か偽物か検証してもらったものです。検証結果、本物だと言われました。依頼主はこの聖書についての詳しい由来を知りたいとのことなので、それを調査しているのです。偽物ならすぐに本国に帰れたんですがね。」

一呼吸置いてカカシはソネノをじっと見つめた。

「そうですか、そんなことが。」

ソネノはカカシの聖書を手に取った。

「確かに私が持っているものとそっくりです。では私の知っている話しをしましょう。と、言っても大した話しではありませんが。」

そう前置きして少女は話し出した。
少女の家は代々聖書を継いでいる家系らしい。口伝えの話しはいくつかあるものの、大筋は全て同じことで、3冊揃えば天国への扉が開くと言うものだった。
本家本元の家系の口伝えでも天国への扉という話しが出ていると言うことは、大袈裟にしろ何かにしろ、3冊揃うことで何かが起きるのだろう。

「それから、聖書は人を選ぶそうです。」

「選ぶ?」

「聖書の持ち主として相応しいかどうかを不思議な力で判断すると。はたけ様はきっと聖書に認められた人なのでしょうね。」

カカシは首を振った。

「私はただ、調査のために持ち歩いているに過ぎませんよ。選ばれたも何も、所有者は依頼主ですし。」

だがソネノは首を横に振った。

「いいえ、聖書はその持ち主以外は拒みます。とても不思議な話ですが、過去に私の家系以外の者がこの聖書を引き継ごうとして、なんやかやとあって結局私の血筋に戻ってきてしまったことがあったそうです。本は持ち主を選びます。きっとあなたはこの聖書を持つに相応しい人なのでしょう。」

ソネノはにこりと笑った。少女らしい、あどけない笑顔だった。
カカシは心の中で激しく否定した。そんなはずはない。これは神の教えを説くものだと聞いている。尊い教えだと。
もう何人殺したか分からない、血で汚れた自分の手がこの白く輝く聖書を持つに相応しいわけがない。
だが、今まで特別上忍のスペシャリストがいくら調べようとも調べることができかった経緯を思い出す。火影はなにか不思議な力が阻んでいると言っていた。
まるでこの少女の言葉を肯定するようだ。そして、まるでトントン拍子にここまで調査を進めている自分。
もし、例え認められていたとしても、自分だけは否定しよう。聖書に認められようがどうしようが、自分が人の命を消し去る罪人には変わりないのだから。
自分の考えにまとめをつけると、カカシはさてここからどうしたものか、と腕を組んで考え込んだ。
火影には調べて来いとは言われたが、それでもって何かしてこいと言う任務ではない。
今回はここで終了だろうか、いや、テイルさんが狙われたと言うことは、もう陰謀は始まっているのだ。ソネノがいつ襲われるか分からない。ここまで乗りかかった船だ。最後まで始末を付けようとカカシは思った。

「すみません、大変身勝手ではありますが、こちらで用心棒として置いてくれませんか?どうにもテイルさんを襲った犯人が今度はソネノさんの聖書を狙ってくるような気がしてならないんです。」

神父とソネノは顔を見合わせた。そして神父は申し訳なさそうに言った。

「先日ソネノから聞いたと思いますが、ここは教会であると共にシスターの学校でもあります。通常、この宿舎にはシスターしかいません。神父である私自身も、日中は共に行動していますが、夕食後のミサ以降は別の練で寝泊まりをしています。非常時であるとは言え、男性であるあなたをこの教会に宿泊させるわけにはいかないんです。例外を一度認めてしまえば、例外を認めてしまった私たちの立場は弱いものになってしまいます。ここはそういう場所なのです。どうかご理解の程を。」

思ったよりもしきたりは厳しいようだ。カカシは謝罪した。

「そうですか、いえ、こちらこそすみません。どうも軽い気持ちで申し入れてしまったようで。」

「いえ、どうかお気になさらず。お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします。」

カカシは逆に頭を下げてきた二人に丁寧に礼を述べると教会を出た。
シスター以外の男性は神父以外の出入りが基本的にできない、か。
カカシはどうしようか迷ったが、宿に帰ることにした。ここで自己満足に外から警護にあたるのは容易いが、断りもなく警護をしては余計な混乱を招くだろう。
それに男子禁制ならばかなりの防衛になる。
カカシは宿に帰る途中で食べ物を買った。そして小さな噴水のある公園のベンチに座って食事をすることにした。
テイルの聖書を奪ったのは誰なのか、もう一度調査をした方がいいだろうか。それに、雑草もちゃんと片付けたいし。

「おいしそうですね。」

声をかけられてカカシは顔を上げた。考え事をしていたからか、気配に気付かなかった。いや、一般人だったからだろうか。注意散漫だったな。
カカシは目の前に立っている男を見上げて言った。見知った人だった。

「こんにちは、イルカさん。お昼はまだですか?」

「ええ。」

イルカはカカシの隣に座った。カカシはお一つどうぞ?とジャガイモを揚げた食べ物を差し出した。
イルカはどうも、と言って手に取ったいくつかを口に運んだ。

「この国の観光はどうですか?」

「いやあ、仕事が思ったよりも忙しくて観光は出来ずじまいになりそうです。イルカさんはどうですか?」

「俺の方はうまくいってなくて、一進一退と言うところです。」

イルカは困ったように少し笑った。

「仕事、うまくいくといいですね。」

「ええ、そうですね。ありがとうございます。飲み物買ってきましょう。何がいいですか?」

イルカに言われてカカシはコーヒーを頼んだ。イルカは小走りに行ってしまった。
不思議な人だと思った。忍びの目から見ても一般の人と変わりない。いたって普通の男だ。日に焼けて健康そうな肌を持ち、太陽のような眼差しを向けてくる。
惹かれている。それは間違いないように思う。大した接点もないと言うのに。
しばらくしてイルカは帰ってきた。カカシに温かいコーヒーを手渡す。イルカはどうやらお茶を注文したらしい。

「この国はコーヒーよりもお茶の方が好まれているようですね。イルカさんもお茶派ですか?」

「そうですね、コーヒーよりはお茶の方が好きです。香りのついたお茶は特に好きですね。果実や香辛料の香りのするものは心が落ち着きます。」

イルカはそう言うと美味しそうにお茶を飲んだ。
カカシは先日大聖堂でいただいた柑橘系の香りのするお茶を思い出した。確かに悪くはなかった。

「この間はタオル、ありがとうございました。」

「いえ、草むしりは無事終わりましたか?」

「いえ、それが途中なんです。実はあの後、屋敷の主人が賊に襲われまして、病院に運んだりと慌ただしくて。」

「そうなのですか。ご主人は大丈夫ですか?」

「ええ、命に別状はないそうです。見舞いに行きましたらちゃんと元気に食事をされていましたから。」

そうですか、とイルカはほっとした様子だった。
それから会話もなく、二人はゆっくりとした時間を過ごした。
何故だか、とても安らいでいる自分がそこにいるのにカカシは呆気にとられた。
いつでも、どんな時でも緊張感を忘れてはいけないはずなのに。一瞬の気のゆるみも許されないと言うのに。
カカシは隣に座っているイルカをそっと見た。春先の暖かな日差しを受けて微笑を浮かべている。視線の先には噴水の水で体を洗っている小鳥の姿。
なんという、涙が出そうな、柔らかくて優しい光景だろうか。
カカシは思わずイルカの頬に手を差しのばした。イルカははっとしてカカシに視線を向けたが、避けることはなかった。
ゆっくりと、イルカの頬をひと撫でしてカカシは手を離した。
その手でぎゅっと拳を作る。何をしてるんだ自分は。
カカシは視線を外すと立ち上がった。
自分はこんな感情など必要のない人間であるのに。
ふと、人の気配を感じた。あまりよくない、殺気のような視線。
だがこちらから攻撃をするわけにはいかない。一般人として行動をしなければならないのだ。無駄に忍術を使うわけにはいかない。
狙いは聖書だろうか?犯人自らお出ましだとしたら万々歳なのだが。

「これで失礼します。コーヒー、ごちそうさまでした。」

カカシはイルカにそう言うと歩き出した。気配も移動する。やはり自分についているようだ。

「カカシさん、途中まで一緒に行きますよ。」

イルカも一緒についてきた。尾行人がいなければ誠に嬉しいところだったが、このまま一緒にいればとばっちりを食うかもしれない。それだけは免れたい。

「すみません、ちょっと人と用事があるもので。また、お会いしましょう。」

「いえ、でも一緒に行きます。同行させて下さい。」

カカシは首を傾げた。ここまで執拗にしてくるには何か訳があるのかもしれない。
カカシは立ち止まってイルカと向き合った。

「イルカさん、どうかしたんですか?何か俺に用事でも?」

「あ、いえ、そう言う訳では。」

どうもはっきりとしない。彼らしくない。

人影が現れてカカシは周りを見渡した。数人の覆面をした男たちが囲んでいる。見渡せば公園の、あまり人のいない場所に立っていることに今更ながらに気が付いた。
彼を巻き込みたくなかったのに。
カカシは舌打ちしそうになったが胸の内に留めた。

「聖書を渡してもらおうか。素直に言うことを聞けば手荒な真似はしない。」

くぐもった声で一人が言った。

「テイルさんを襲ったのもあんたたちか?」

返事はない。

「イルカさん、俺は腕に覚えがあります。あなたは下がっていて下さい。」

「いえ、そう言うわけにはいきません。」

「イルカさん?」

疑問の言葉を投げかけたが、それを隙と見たのか男たちが襲ってきた。いつまでも聖書を渡そうとしないカカシに焦れたのだろう。
カカシは襲ってきた男の腕を取り、投げ飛ばす。
なにぶん人数が多いので相手をする数が限られてくる。そう思っている内にイルカへも攻撃の手がいってしまう。

「イルカさんっ!」

だが、イルカはうまい具合に攻撃を避けていく。そして急所を突いていく。カカシほどではないが、体術の心得があるようだ。
覆面の男たちは、自分たちの分が悪いと分かるとすぐさま退散した。
カカシは追いかけるふりをして人目の着かない場所へ移動すると、パックンを口寄せした。

「なんじゃここは、木の葉ではないな。」

渋い顔の小型犬が周りを見渡して言った。

「ここは丹の国だよ。あの逃げていく覆面の男たちを追跡して居場所を突き止めたら報告して頂戴。」

「わかった。」

パックンは男たちを追いかけていった。その後ろ姿を見送ってカカシはイルカの元へと帰った。