−天国の扉−

「大丈夫ですか?」

戻ってきたカカシはイルカに声をかけた。

「はい、大丈夫です。カカシさんはお強いんですね。」

「いえ、まだまだです。それよりもすみません。あいつらは俺の持っているものを狙って襲ってきたようです。あなたに迷惑をかけてしまいました。」

「いえ、俺は大丈夫ですから。それよりもあの男たちは?」

「仲間に追跡させています。もしも何かの組織だった場合、アジトを突き止めれば一網打尽にできますから。」

そこまで言ってはっとした。こんな事を言えばまるで怪しい人物だと言っているようなものだ。眼帯をしているだけではあったが、カカシの容貌は十分自分でも怪しいと思えるのだから。

「どうやらお仕事の邪魔をしてしまったようですね。これ以上お邪魔するのもなんですから、これで失礼しますね。」

イルカは申し訳なさそうにそう言って会釈して行ってしまった。

カカシはその後ろ姿を見送り、テイルの屋敷へと向かった。イルカの顔がちらついて、頭から離れない。
カカシは雑草の後始末をしながらため息を何度も吐いた。
あの人のことを好きになりかけている。いや、とうの昔に、か。
雑草を片付けるとカカシは宿に戻った。寝室のベッドに寝転がっていると、窓をカリカリと引っ掻く音がして窓を開けた。窓からパックンがするりと入ってきた。

「ご苦労さん。どうだった?」

「集会所のような場所は分かった。だが全員一般人のようだぞ。忍びのようなチャクラを持っている者はいなかった。」

「そうか、じゃあ行くか。パックン、案内してくれ。」

わかった、と言ってパックンは再び窓の外へと出た。カカシは手早く装備を整えて、パックンの後をついていく。
すっかり暗くなり、時間で言うと深夜になっていた。郊外にある小屋の中から明かりが漏れていた。パックンの案内ではここがアジトらしい。
中の様子をうかがうと、数人の男たちが何かを言い合っていた。
仲間割れか?とカカシは訝しむ。

「パックン、人間に変化してくれる?」

「わしは戦闘向きではないぞ。」

カカシはパックンの頭を撫でて苦笑した。

「分かってるよ。見張り役だ、頼む。」

わかった、と言ってパックンは一人の男に変化した。そして出入り口の横に立ち、見張りの体勢を取る。カカシは頷くと、入り口から堂々と進入した。

「ど〜も〜。」

「おっ、お前はっ、」

中にいた男たちが動揺している。まあ、それはそうだろう。カカシは出口に立ち、男たちの退路を塞いだ。

「今日はわざわざご挨拶をどうも。お礼と言っちゃなんだが、俺からの質問にいくつか答えてもらうから。」

男たちはカカシの強さを昼間に十分堪能したので、身動きできない。

「で、聖書はどこにあるの?」

男たちは互いの顔を見合わせた。一人が緊張した面持ちで言った。

「テイルを襲ったのは俺たちじゃないっ、別の奴だ。」

「信用できないね。」

「探したっていい。本当にないんだからな。」

男たちは必死なようだ。痛い目には遭いたくないのだろう。

「俺が聖書の持ち主だと誰から聞いた。」

「そんなの以前から聖書を狙ってた奴はみんな知ってる。3冊揃うってんで、その筋の人間はみんな躍起だ。」

随分とまずい状況だった。一般人と同じ行動をしたことがかえってよくない現状にさせてしまったようだ。もっと隠密に行動していれば、被害は飛び火しなかったろうに。

「その筋って、どの筋?」

「そんなの、金持ちから一般人まで、天国に行きたい奴ら全員だろ。特定なんかできるか。」

「その中でも特に執着している者で心当たりのある奴はいるか?」

男たちはまた顔を見合わせた。

「また痛い目に遭いたい?」

少々強引だったが、こちらとて遊んでいる時間はないのだ。こうしている間にもソネノが狙われているかもしれないのだ。男たちはあっさりと白状した。

「シヒル婦人はその手にはかなり有名だ。狂信的な信者で、裏では悪どいこともしてるって噂だ。」

シヒル婦人か、一度会っておくべきか。

「じゃ、もう覆面付けて襲ってこないでね。」

カカシはシヒル婦人の住所を聞き出すと、小屋から出て行った。この国に来てまだ数日だと言うのに、そこまで噂が広がっているとは。
外で待っていたパックンに声をかける。

「見張りありがと、助かったよ。異常はなかった?」

なにもなかった、と言うとパックンは元の姿に戻った。やはり犬の姿が落ち着くらしい。
パックンは煙になって消え、それを見届けてカカシは宿へ戻った。


翌日、カカシは早速シヒル婦人の家へと向かった。
シヒル婦人は閑静な住宅街にある豪勢な屋敷に住んでいた。玄関まで続く庭だけで数分歩かなくてはならない程だ。
ドアベルを鳴らそうとしたが、その前にドアが開いた。

「聖書所持者の旅行者の方ね。お噂はかねがね。」

出てきたのは年配の女性だった。どうやら窓からカカシの事を見ていたらしい。
なんとなくいけ好かない。

「丹の国は初めて?」

シヒル婦人は背を向けてカカシを屋敷の中へと案内する。

「いえ、そう言うわけではありませんが。」

婦人は日当たりの良いテラスへとカカシを案内した。庭がよく見える。見渡す限りの芝生だ。青々として綺麗に刈り込まれている。彫刻の人物像がいくつか点在している。いずれも何か宗教的な意味合いのある人物なのだろうか。

「さ、おかけになって。今お茶をお持ちするわ。」

「ありがとうございます。」

名も告げていないと言うのにこの歓迎振りはいささか気味が悪い。
シヒル婦人は一旦下がり、お茶のセットが乗ったワゴントレーを押して再びやってきた。

「甘いものはお好きかしら?」

3段になっている皿にそれぞれサンドイッチと焼き菓子、ケーキが乗っている。ちょっと胸焼けがしそうだ。はっきり言って甘いものはそんな好きではない。
それでもカカシはいただきます、と言って婦人の入れたお茶のカップに口を付けた。
花の香りのするお茶だった。かなりきつい香りだ。お茶と言うよりは花のエキスを飲んでいるような気分になってくる。

「飲んだことのないお茶です。」

「私のオリジナルなの。」

「そうですか。」

カカシはサンドイッチに手を付けた。お茶で甘い菓子を流し込む作戦は実行できそうにない。サンドイッチは割りと普通の味だったので助かった。

「それで、今日はどういったご用件でいらしたのかしら?」

婦人の目が猫のように薄くなり、笑みを浮かべた。

「白い聖書の件です。婦人はそういったものにご執心だとか。」

「ええ、そうよ。コレクションがいくつもあるの。みな全て私の宝物よ。私のコレクションの中でもスティグマは他にはない逸品で、スティグマはご存じ?」

聞いたことのない名称だった。カカシが首を横に振って知らないことを示すと、婦人はますます嬉しそうに笑った。

「天啓が体に表れる刻印のことよ。とても不可思議で美しいの。お茶が終わったらご覧になるといいわ。」

あまり趣味がいいとは思えない。つまり人の皮膚が飾ってあると言うことか?まあ、死んだ人の肌なんて見慣れているが、普通、婦女子は手元に置かないだろう。

「婦人は天国へ行きたいのですか?」

「人間、誰でも自分の幸せには貪欲なものよ。」

婦人の言葉は人間の欲を代弁したかのように得意げだった。婦人のことを熱心な信者と男たちは言っていたが、むしろ自分の欲望を満たすために信者を演じているような矛盾が感じられた。
それから、あまりカカシにとっては楽しくないお茶会が終わり、婦人は早速こちらへどうぞ、カカシを案内した。
婦人以外の人の気配のない屋敷の中を案内され、とうとう地下へと続く階段へとやってきた。なんとなく拷問部屋へ案内されるような気分だった。イビキの顔が頭によぎる。

「こちらよ。」

そう言って婦人は鉄の扉を開けた。中は思ったよりも暗くなかった。地下と言っても地上の光りが入るように設計されているようだ。中の様子もさっと見た限りおどろおどろしいものはない。何かの儀式で使われるのか、アクセサリーや絵画が展示されている。
婦人は引き出しの中から箱のようなものを取りだした。そして蓋を開けてカカシに中身を見せた。
中には確かに何か刻印とも言えるような規則正しい模様が浮かび上がっている皮膚が貼り付けてあった。昆虫採集で捕まえた虫を標本にしたのと同じような感じだった。
思ったような衝撃はない。この程度ならいつも任務でやっている殺戮の方が何倍もむごたらしい。
ま、別にむごたらしさを競っているわけでもないけれど。

「すごいでしょう、こういったスティグマが世の中に存在するのよ。必ず、天国へと開かれる扉も存在するわ。ねえ、そうでしょう、はたけさん?」

名乗ってもいないのに名前を言い当てられてもカカシは驚かなかった。むしろもっと早く本題に入ってくると思っていたから行動が遅いと感じた程だった。遠回しに話題を持っていくことで時間稼ぎをしているとも思えなかったが。

「白い聖書をご所望ですか?」

「ええ、喉から手が出るほど。おいくらで譲ってもらえるのかしら?」

買収と来たか、えらく慎重だな。しかしテイルを襲って盗んだくらいだからもっと強硬な姿勢で来ると思っていたので少々拍子抜けした。

「シヒル婦人は白い聖書をお持ちではないのですか?」

婦人はいいえ、と首を横に振った。

「ご存じないの?残りの2冊はテイルさんとソネノさんと言う方が所持していらっしゃるのよ。頑なでどんなに交渉しても譲っていただけなかったの。けれど、あなたなら譲ってくれると思って。お金にいとめはつけないわ、どれだけでもお支払いします。」

婦人はテイルの聖書が奪われたことも知らないのか?それとも演技か?
カカシは少し逡巡したが、左目の眼帯を外した。この密室で二人っきりならば使っても誰に見咎められることもないだろう。
写輪眼が露わになると、途端に婦人は驚愕に目を見開いた。

「あ、あなた、その目はなんなの?まるで悪魔のような模様、」

カカシは婦人の視線を捕らえた。そして写輪眼を回転させる。婦人は朦朧としてその場でゆらゆらと体を揺らす。

「シヒル婦人、あなたはテイルさんの聖書を奪いましたか?」

「...いいえ。」

「あなたは俺がはたけカカシだと誰から聞きましたか?」

「教会の関係者から、私が聖書を求めていることを知っていたから、親切に、」

なるほど、情報源はそこだったか。熱狂的な信者ともなれば教会の関係者から情報を引き出すのは容易いと言うことらしい。しかもかなりの金持ちだと思われるから、寄付金も多額なのではないだろうか。悪どいこと、それはつまり賄賂と言ったところだったのか。
カカシは眼帯を戻した。婦人はふらふらとしていたがその場に倒れ込んだ。カカシは婦人を抱えると先ほどまでいたテラスまで戻り、婦人を椅子に座らせた。そしてカカシのいた形跡を消すと、屋敷を後にした。
今回も無駄足だったらしい。昨日の覆面の男たちと言い、シヒル婦人と言い、ガセネタを掴まされている気分だった。
カカシはその足でソネノのいる教会へと向かった。
玄関まで来るとドアベルを鳴らす。しばらくして女性の声が聞こえた。

「はい。」

「はたけです。何度もすみません、ソネノさんはいらっしゃいますか?」

「すみません、神父が外出していてしばらく戻ってきません。来週まで教会の中にお招きするわけにはいかないのです。」

神父は頻繁に外出するらしい。シスターの学校は一年のほとんどが男子禁制なのかな?とカカシは思った。
カカシは了承すると踵を返した。しばらくはテイルの聖書を奪った犯人探しの方を重点的にすることにしよう。