−天国の扉−

カカシはそれから数日犯人探しに日々労力を費やした。が、一向に犯人の目星はつかなかった。
その日カカシはテイルのお見舞いに行った。果物屋でいい香りのする果物をいくつか購入して病室へと向かう。
テイルの病室にノックして入ると、本人は本を読んでいたようだった。古書のコレクターだけあって読書家なのだろう。カカシの姿を見るとテイルは本を閉じた。

「体調はどうですか?」

「悪くはない。大事を取って入院しているだけだからな。本当ならばもう退院しても良いくらいだ。人を老人扱いしおって。」

カカシは苦笑すると、お見舞いの品をテイルに手渡した。

「大したものではないですが、果物でも食べて気分転換して下さい。」

「ふむ、ありがたく頂くことにしよう。」

テイルは受け取るとベッド脇のテーブルに置いた。同じテーブルに置いてあった一輪挿しに目がいった。白くはかなげな花がそこに挿してあった。

「かわいらしい花ですね。」

「いつの間にか挿してあった。見舞い客はあまりいないはずなんじゃが、病院の人が生けてくれたのだろう。」

開けはなった窓から清しい風が吹いてきてカーテンを揺らした。カカシの買ってきた果物の香りが鼻をくすぐる。

「現在、個人でテイルさんの聖書を奪った犯人を探してはいるのですが、行き詰まっていて、」

テイルはかけていた眼鏡を外した。その顔には、奪われたものを取り戻したいと言う執念や悔しさは滲んでいない。

「あの聖書は元々わしのものではなかった。妻の遺品でな、わしはただの本のコレクターじゃから、聖書を活用してやれなかった。犯人の取った行動は褒められたものじゃないが、もしも真にその聖書を活用したいと思っているのならば、取り戻さなくてもいいような気がしてな。」

「奥さんの遺品と言うならばなおさら無くなるのは辛いのではないですか?」

「妻の思い出はなにも物だけではないよ。それにあれは聖書、神の教えを説く書物だ。心貧しい者が使おうと思っても使えるものではないじゃろうし、まかり間違っても二次災害が起きるようなことはないじゃろう。」

テイルはそう言うと穏やかな表情を浮かべた。カカシはそれ以上意見することは憚られた。
また風が吹いて、カーテンの隙間から青空が覗いた。小鳥たちの声が遠くから聞こえてきた。穏やかな春の兆しだった。

「雑草は言われた通り、庭の隅にある囲いの中に入れておきましたから、ちゃんとご自身で確認して下さいね。」

言うと、テイルはそうしよう、とカカシに向かって笑みを浮かべ頷いてみせた。
カカシはテイルに別れを告げて病室を出た。病院を出て隣接している公園へと足を運ぶ。
木陰にあるベンチに座って視線を空へと向ける。木漏れ日が顔にあたる。カカシは目を瞑った。

「カカシさん。」

呼ばれてカカシは目を見開いた。声の主のいる方に顔を向けると、そこにはイルカがいた。
やはり直前まで気配がなかった。また油断していたのだろうか。それほどまでにこのイルカと言う男に気を許しているのか、或いは、

「カカシさん?」

「ちゃんと聞こえていますよ、イルカさん。」

カカシは苦笑を浮かべて後頭部を掻いた。どうにも調子を崩されてしまう。
イルカはカカシの隣に座った。

「そう言えばこの間花の香りのするお茶を頂いたんですが、俺にはちょっときつかったようです。」

カカシは花のエキスのようなお茶を思い出した。苦みといい、渋みといい、花を食べたらあんな感じだろうかと思うような味だった。香りはまるで香水のようだった。薔薇の香りが特に強いように感じたが。

「花の香りのお茶ですか。ハーブティの一種かもしれませんね。俺が以前好きだと言っていたのはフレバーティのことで、紅茶の葉に果物や香辛料の香りをつけたものですが、ハーブティはお茶の葉ではなく、薬草や花を乾燥させたものをお湯で戻してエキスを抽出するものなんです。味は独特なものもあるので好き嫌いが分かれてしまうものが多いそうです。」

「そういえば自分で作ったお茶だと仰っていました。お茶の葉を栽培するよりも薬草や花を育てていそうな雰囲気の庭をお持ちだったから、ハーブティとやらの可能性の方が高いですね。」

カカシそう言って苦笑した。

「どうやらカカシさんの口には合わなかったようですね。」

「ええ、残念ながら。やはり俺はコーヒー派だったようです。」

イルカはそうですか、と言って笑みを浮かべた。カカシの心臓が心なしか不正確にドクッと脈打ったような気がした。
何故だか暑くもないのに掌に汗が滲む。何を緊張しているんだろう、とカカシは自問自答するが答えは出ない。本当は理由なんて分かっていたのだが。
カカシはしょうがないな、と心の中で諦めにも近いため息を吐くと、イルカに視線を向けた。

「イルカさん、これからお茶でも飲みに行きませんか。」

「奇遇ですね。俺も喉が渇いていたんです、ご一緒させて下さい。」

イルカが立ち上がる。その姿を見上げると、彼に注ぐ木漏れ日は一層白く輝いたように見えた。まるでそこに神秘があるかのように。

考えすぎか、とカカシも立ち上がった。
二人は連れだって町中を歩き出した。イルカはさほど詳しくないと言っていたが、お勧めの店を見つけたからとカカシを誘った。
なんでもない日に、ただお茶を飲むためだけにイルカと連れだって歩いている。春が匂い立つ異国の地で。このままずっと、このまま時が止まってしまえば。

「あ、あそこの店ですよ。カカシさんが気に入るお茶があると思います。」

イルカに声をかけられてカカシの思考はストップした。
そんな空想など、何の役にも立たないと言うのに。現実逃避も良いところだ。
カカシは自分に対して失笑を禁じ得ない気持ちで、だがイルカには柔和な笑みを浮かべて見せた。
イルカに指し示された店は、つたが生い茂る、まるで森の中の一軒家のようなそんな外観の店だった。
森のクマさんが出てきそうな、と思ってアスマの顔を思い出して一人でくすりと笑った。
二人は店の中に入った。中庭のテラスがあったので、そこの席に座る。石でできた壁に囲われるように作られており、それでも春の陽気が差し込む。小さいながらも落ち着きのある雰囲気の中庭だった。
壮年の男性が注文を聞きに来る。メニューの中にあるお茶の名前はどれも馴染みのないものばかりでカカシは困ってしまった。

「イルカさんのお勧めのものはありますか?俺はいまいちわからなくて。」

「カカシさんはお酒を嗜む方ですか?」

「ええ、好きですね。友人に酒豪がいまして、よく付き合わされました。」

「そうですか、では、」

イルカは注文を聞きに来た男性にあれこれ聞いている。男性は頷いて下がっていった。

「何を注文したんですか?」

「来てからのお楽しみです。そんなに奇抜なものではないですから。」

そう言ってイルカはいたずらをした子どものように笑った。こういう笑顔もできるんだな、とカカシはなんとはなしに思った。

「イルカさんはまだしばらくこの国に滞在するのですか?」

「ええ、仕事がやはりあまりうまくいってなくて、最近は膠着状態です。俺は成り行きを見守るしかありません。」

何故か寂しそうにイルカは言った。イルカの手伝いができればいいのに、とカカシは所詮無理であろうことを思った。

「俺の仕事も膠着状態です。良きにしろ悪しきにしろ、動きがないことには次の手が打てません。できれば、誰も傷つくことなく事が治まればいいのですが。」

「カカシさんの良いように成るように祈ります。」

「ありがとうございます。」

そうして他愛のない話しをしてしばらくして、注文の品が運ばれてきた。
イルカには赤みがかったお茶、そしてカカシには、いたって普通の色のお茶。
そしてテーブルの中央には何種類かの焼き菓子が並んだ皿が置かれた。

「飲んでみて下さい。」

イルカに言われてカカシはお茶を一口飲んだ。

「お酒が入っているようですね。」

「ご名答。」

香りでなんとなく気付いていたが、糖度とアルコール度数の高い、風味のある酒が入っているらしい。お茶の風味を消しておらず、体が温まる。

「おいしいです。」

「それは良かった。」

イルカは皿に載っていた焼き菓子を頬張る。あんまりおいしそうに食べるので、カカシも手にとって口に入れた。ふんわりと甘く、ほろ苦い味が広がった。割りと平気な味だった。チョコレートをもっと苦くしたような味だ。

「イルカさんのお茶はどんな味なんですか?」

「フレバーティです。リンゴの香りがします。」

「へえ、オレンジの香りのものは飲んだことがありますが、リンゴの香りのものもあるんですね。他にはどんなものがあるんですか?」

「聞いた話では、木イチゴやブルーベリーといったベリー系、それからピーチ、アプリコット、南国のフルーツも多いと聞きます。あとはバニラ、キャラメル、チョコレート、変わったところではヨーグルト、ミント、栗などの木の実のものもあるとか。」

「随分と種類があるんですね。」

「そのようですね。はは、下手の横好きと言うか、大した知識を持っているわけでもないのに物知り顔で恐縮ですが。」

「いいえ、イルカさん、まるで学校の先生みたいに説明が丁寧でわかりやすかったですよ。」

イルカはそれを聞いて嬉しそうに微笑んだ。

それから時が経つのも忘れて、カカシはイルカとの会話を楽しんだ。任務そっちのけで遊んでいると自分で思いながら、その時間を切り捨てることはできなかった。
日が傾き、夕日が照らそうとする頃になり、やっとカカシは腰を上げることにした。

「今日は突然に誘ったのに、長い時間おつき合いいただいてありがとうございました。」

「楽しい時間を過ごせました。礼を言うのはこちらの方ですよ。ありがとうございました。」

笑顔を向けられて、その言葉に偽りはなさそうだと感じてカカシの心は温まるようだった。
カカシは誘った者の当然の義務として支払いは頑なに自分にまかせてほしいと言い、イルカは困ったように笑ったが、最終的にはカカシがおごることに同意した。
店の前で、カカシはイルカと別れることにした。

「俺もまだこの国にしばらく滞在すると思います。どうやら行動範囲が似たり寄ったりのようですからまたお会いするかもしれませんね。」

カカシが言えば、イルカはそうですね、と頷く。お互いに会釈すると二人は別々の道を歩き出した。
カカシはしばらく歩いて振り返った。イルカの後ろ姿が夕日に照らされて儚げに見える。
カカシは自分の胸に手を当ててそっと顔を伏せた。今度会ったら、きっとこの気持ちを形にせずにはいられない。そんな予感がした。