−天国の扉−
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こちらから出向かなくても、犯人はいずれ自分に接触してくると予想される。下手に動かなくてもいいということだ。 「はけたさん。」 聞こえてきたのは以前、一度だけ聞いた声だった。クロハだった。 「こんな夜更けにどうされたんですか?俺は夜の散歩です。」 カカシは笑みを浮かべてそう言った。 「私も散歩です。」 クロハも穏やかに笑って言った。 「下手な芝居はお互いやめにしましょう。」 笑みを崩さないままにカカシは言うと、クロハの目が一瞬にして鋭くなった。 「随分と直球ですな。ま、私もそうそう暇ではないですから本題に入りましょう。」 クロハはそう言ってカカシに近づく。 「聖書をいただきたい。」 「手にしてどうするつもりだ。」 もはや敬語を使うことも億劫になったカカシは興味なさげにクロハに聞いた。 「あなたには知る必要のないことだ。」 「残念ながらこの聖書は俺の所有物じゃない。おいそれと渡すわけにはいかないな。」 「交渉は決裂ですな。できれば穏便に済ませたかったのですが。」 「最初から穏便に事を勧めていたわけでもないのに、俺だけ穏便に済ませるのは不公平というものだろう。」 カカシは千本を手に構えた。クロハ以外の人間がいる気配はとっくに察知していた。かなり多い。一般人のふりをして相手をするには少々無理のある人数だ。傷つけてしまうが致命傷にはしない。 「平和主義な国家には随分と不似合いな存在だな。」 カカシが言うと、相手はにやりと笑って答えた。 「お互い様だ。」 どうやらカカシが忍びであると言うことは知られていたらしい。少々相手を甘く見過ぎていたようだ。 「カカシさん。」 暗闇の中から、今だけは聞きたくない声を聞いた。カカシは声のした方に顔を向けた。 「イルカさん、今だけは見逃して下さい。重要な局面なんです。」 カカシは聞こえるか聞こえないかぎりぎりの音量で話す。だがイルカは首を横に振った。 「カカシさん、聖書を渡してください。」 「あいつらに渡すんですか?」 「はい。」 「何故?」 どう考えてもイルカの言動はカカシに仇なす者のそれだ。 「一刻の後に、この先南南西の場所にある廃屋へいらして下さい。そこで全てをお話します。」 イルカはそう言い置いて行ってしまった。カカシはその場に寝転がった。もう追っ手は来ないだろう。 「カカシさん。」 後方から声がしてカカシは立ち止まった。そこにいたのはイルカだった。 「イルカさん、これは一体。クロハたちはどこですか?」 「クロハは大司教と二人で、あの扉の中へ入りました。」 カカシは瞠目した。クロハではなく、大司教がこの事件の首謀者だったとは。国教を束ねる者としてあるまじき行為だ。 「黒幕は、大司教だったんですか。」 「そうです。彼らはこの世で自分たちが最も神の傍に使える者として相応しいことを立証するがために行動を起こしたんです。」 カカシは舌打ちした。まったくもってくだらない。貪欲の生んだ茶番だ。 「それで、彼らは生きながらに天国へと旅だったわけですか。あの扉の向こうは天国なんでしょう?」 ソネノの言った通りだとすれば、そういうことになる。この目で見るまでは半信半疑だったが、こうも見せつけられては信じないわけにはいかない。 「確かに、扉の向こうは天国へと繋がっています。ですが二人は天国へは行けませんでした。」 「何故?」 「罪を犯した者は通り抜ける前に灰となって消えます。」 随分と残酷な処罰だ。だが、ここまで来るのにテイルを殴りつけ、ソネノを脅し、カカシを襲ったのだから、罪がないわけではないが、それでも灰に変えられるとは穏やかではない。それ程までに厳しい世界なのか。 「他の忍びや襲ってきた一般人たちも同じように?」 「いえ、忍びは報酬がもらえないと分かると去っていきました。一般の人々は二人が灰になったのを見ると恐れをなして逃げていきました。一般人と言っても信者ですから、神の所業に恐れを成したのでしょう。」 イルカは扉を見て無感情にそう言った。そして改めてカカシを見た。 「俺は、聖書の主を見守る存在です。」 カカシは、ああ、と心の中で息を吐いた。だから人としての気配を察知することができず、聖書の持ち主の近くで姿をよく見かけたのか。 「しかしイルカさんの存在はテイルさんもソネノさんも口にしていませんでしたが。」 「二人の前に出たことはありません。」 「ではどうして俺の前には現れたんですか?」 「それは、あなたが扉の向こうへと通ることを許された人間だからです。」 カカシは自分の耳を疑った。 「どういうことですか?罪を背負った者は灰となり、扉を通り抜けることはできないんじゃなかったんですか?」 「その通りです。」 「自慢じゃないですが、俺はこれまで何百、何千と言う人を殺してきました。罪のある者、ない者関わらずです。人を騙し、脅迫し、拷問したこともあります。罪の数で言えば、大司教やクロハとは比べものにならない程だと思いますよ。」 決して卑下ではなく、事実だった。カカシは6歳で中忍試験を通り、それ以降は影から暗躍して里を支えてきた。そんな自分が扉を通り抜けられるとは到底思えない。 「扉を通る者の基準は、罪の多さや重さではないと聞いています。」 「ではなんですか?」 「それは俺にも分かりません。神の考えることは俺にも悟ることができませんから。でも、扉を抜けることは確証します。俺は聖書を見守る者という役割ともう一つ、案内人という役も任せられています。俺の言葉を信じてください。」 「信じましょう。ですが俺はやはりそれを聞いてもあの扉の向こうへと行きたいとは思えません。」 カカシの言葉にイルカは困ったように小首を傾げた。 「扉を抜ければ天国へ行けるだけではありません、あなたは無条件に聖者の列に名を列ねることができるのですよ。」 「聖者?」 「神の傍に仕えることのできる者です。一握りの者しか許されない、大変名誉なことです。あなたにはその資格がある。」 カカシはしばらく黙っていたが、イルカの顔をじっと見据えて聞いてきた。 「そこに、イルカさんはいるの?」 「俺はただの案内人です。聖者と共には行けません。」 「ではやはり俺は行けません。」 「カカシさん、あなたはこれがどけだけ恵まれたことか理解していない。この天国の扉の向こうへと無条件に許される者は数百年に一度と言われるほど希少価値の出来事なんですよ。それを棄てるなど、天の意志を冒涜する行いです。」 「冒涜だってなんだっていい、イルカさんがいなければどこへも行かない。あなたと共にいれば、この世だろうが天国だろうが地獄だろうが、どこだって俺はそこが一番の求める場所だから。」 くしゃ、とイルカの顔が歪んだ。泣きそうな、苦しそうな顔だった。 「あなたが好きなんだイルカさん。あなたの隣がいいんだよ。」 カカシの言葉にイルカは目を伏せて苦しげに言葉を紡ぐ。 「カカシさん、あなたが負ってきた苦しみはこの先にはないんですよ。これを見逃せば、あなたはこの先幾度も後悔することになります。誰よりも己の心の中に巣くう罪の意識を解消したいと望んでいたのはあなたのはずです、カカシさん。」 カカシはイルカの手を強引に取った。はっとしてイルカは身をよじる。が、カカシはそのままイルカを抱きしめる。 「今気付きました。この責め苦はもはや俺を形作る一つになってるんです。罪はなくならない。誰に許されても許されなくても、俺はずっと忘れはしない。忘れてはいけない記憶です。俺はこの罪を引きずって生きていきます。それが俺のできる罪滅ぼしです。そして、俺の本当の願いは罪を帳消しにしてもらうことではなく、あなたとずっと共にいること、それだけが俺の願いなんです。どれだけ恵まれた環境だろうが名誉だろうが、関係ない。」 カカシはそっとイルカの顔を覗き込んだ。イルカは泣いていた。扉から漏れる光を反射して、美しく光る涙を目尻に耐えている。しかしひっそりと笑みを浮かべ、カカシを愛おしそうに見つめていた。 カカシは重ねたイルカの手を愛おしそうに眺めた。 「あなたを愛してます。」 カカシが囁く。闇に捕らわれないように、しっかりと想い人に伝わるように。 「俺も、あなたを愛します。この身全てと引き換えにしても、あなただけを。」 イルカは笑みを浮かべた。優しい優しい笑みだった。カカシの全てを包み込む、悠久の慈愛に満ち満ちた眩しいばかりの笑みだった。 |