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夜も明けきらぬ内にカカシは宿に帰ることにした。イルカも一緒だ。
任務はこれで終了だった。聖書の意味も十分に理解した。火影も満足するだろう。3冊の聖書はそれぞれの持ち主の了解を取れたら3冊とも木の葉に持ち帰ろうと思った。火影に禁術と同じあつかいで封じてもらった方がいいだろう。再び今回のような過ちを繰り返さないためだ。
「イルカさんも一緒に木の葉に来るよね。聖書を見守る役だから。」
カカシが懇願するように言うと、イルカはそうですねと小さく笑った。その笑顔が儚げで、カカシは何故だか不安になった。
「イルカさん、木の葉には丹の国にないお茶もあるんだよ。甘いお茶は少ないけど、色んな種類があるんだ。どちらかと言うと香りではなくて味を重要視しているものが多いんだけど。」
「それは楽しみですね。俺はお茶には目がないですから。」
朝焼けに空が明るくなり始め、イルカは前方にある夜明けの光景に目を細めて見ている。カカシもその様子を見つめる。
宿についたカカシは一眠りすると言い置いてベッドに横になった。イルカはまだ少し起きているつもりらしく、椅子に座って窓から外を眺めている。
カカシはおやすみなさい、と言って目を閉じた。イルカもおやすみなさい、とカカシに声をかける。
毒の耐え性があったと言っても、抗体の働きで体力を結構使ったらしく、カカシはあっと言う間に眠りに落ちた。
そして数時間後、カカシは起きあがった。だがイルカの姿がどこにも見えなかった。
カカシは心を無理矢理落ち着けて部屋中を探した。そして宿の一階に下りて食堂、宿の前、近場を探したがどこにもその姿は見えなかった。
カカシは愕然とした。一緒に行くと言って頷いてくれたのに。
カカシは怒りとも悲しみとも取れる感情に目の前が真っ赤になった。だが、それを顔に出すことなく、自分の部屋へと戻ってベッドに腰掛けた。
思えば今朝方だって何か浮かない顔をしていた。元から一緒には行けなかったのだろうか。
自分を落胆させないために、自分も愛していると嘘まで吐いてくれたのだろうか。
カカシはイルカを思い、ため息を吐いた。
星の元で自分は誓ったではないか。例え騙されていたとしても決してイルカを憎みはしないと。
少し落ち着いた今となっては、もう憎しみよりも空白感の方が大きい。
聖書はテーブルの上にある。聖書の見守り役ならばここにいて当然のはずなのにここにいないと言うことは、もう二度とカカシの前には現れないと言うことに違いない。
「振られた、か。」
カカシはがしがしと後頭部を掻いた。そしてベッドから立ち上がると聖書を手に取った。
するとはらりと封筒が落ちてきた。手に取ると差出人はイルカ、と書かれてある。
カカシは急いで封を切った。
中には数枚の便せんが入っていた。
『カカシさんへ
何も言わずに去ることをどうかお許し下さい。俺は外見は人と同じですが、実際は人ではありません。似て非なる者なんです。これから先、カカシさんと共に過ごすという未来予想図は大変魅力的でした。
ですが、俺は生きてはいないんです。カカシさんと共に生活していても、いずれカカシさんは俺を置いて旅だってしまうでしょう。今まで聖書は何人もの人に譲り受け継がれていきました。彼らの生き死にを目の当たりにしても、今までの俺はそれをただ見ているだけで実感したことがありませんでした。
ですが、カカシさんと出会って、命がある者だからこその輝きに俺は耐えられなくなりました。このまま一緒にいても俺は自分の存在意義を確かめられずに苦悩するだけだと考えたんです。
かっこつけて書きましたが、本当は、あなたが死んでも俺はずっと人間でもなく、神の使いでもない、中途半端な位置で存在し続けなければならないことに恐怖を覚えたんです。あなたがいなくなってしまった時、俺はきっと耐えられない。
最後まであなたを振り回して、自分勝手に行動することを許して下さい。
俺を愛してくれてありがとうございました。俺もあなたがずっと好きでした。聖書を手に取り、あなたを知る内にどんどんあなたに惹かれていきました。本来なら、天国の扉が出現するまで見守り役は所持者に姿を見せてはいけないしきたりなんです。
でも、どうしてもあなたと話しをしてみたくて姿を現してしまいました。神に怒られてしまいますね。かまいませんけど。
それから、3冊の聖書ですが実は条件が揃わなければ天国の扉は開きません。
今回のように人を騙し、傷つけ奪い合いになった事が過去、何度もありましたが、その度に3冊はバラバラになり方々に散っていきました。ですがどうしても磁石のように引き合い、そろってしまうのです。
今回、あなたの仰るように封印してもらうのが一番の得策だと思います。天国への道を他力でどうにかしようというのがそもそもの奢りだと俺は考えてきました。
カカシさんと出会えて、その考えが間違っていなかったことを証明されたようでとても嬉しかった。
あなたと出会えて、本当によかった。
イルカ』
カカシは手紙を丁寧に封筒にしまった。目に手を当てて深く息を吐き出す。
己のふがいなさに怒りを通り越して呆れすら覚える。
イルカは不安そうな顔をしていたのに、気付いていたのにどうにもしてやれなかった。相談すらしてもらえなかった。全ては自分が頼りなかったからだ。
「イルカさん、」
カカシは手紙をそっと手でなぞった。
それからカカシはテイルとソネノの了承を得て、聖書を木の葉に持ち帰ることになった。
二人は快く了承してくれた。木の葉と言う、丹の国の者にとってはあまり良い印象がないであろう場所へ持ち帰るのは嫌がられるだろうかと思っていたが、カカシの今までの人徳からか、信用してまかせてくれたようだった。
聖書を見たくなったらいつでも見に来てほしいと二人には言い置いて、カカシは丹の国を出た。
帰り道、もう一般人として行動しなくてもいいのだが、カカシはゆっくりとした足取りで街道を歩いた。
イルカがいつでも追いついていいように、それは自己都合な理由だったが、そうであればどんなにか良いのにと思いながら歩いた。
そんな願望が叶えられるはずはないと言うことは自分が一番よく知っていたが、時折うしろを振り返っては、黒い髪の、太陽のような雰囲気を持つ男を捜さずにはいられなかった。
そしてその姿がないと分かると、落胆し、そんな自分を自嘲して足を進めるのだった。
木の葉を出てから二ヶ月が過ぎていた。
火影の執務室へ向かい、聖書の事の顛末を報告して実物の3冊を手渡した。
「長期間の任務、ご苦労であったな。2日の休暇を取らせよう。」
火影はそう言ってカカシを労ったが、カカシは首を横に振った。
「任務先ではずっと休んでいたようなものです。すぐに任務に出られます。体調も万全です。むしろ腕が鈍ったかもしれません。鍛え直す意味合いも込めて、暗部としての任務を所望します。」
火影はカカシを見て煙草の煙を吐き出ししばらく逡巡したが、勝手にせい、と任務の書類を手渡した。
温情、痛み入ります、と言ってカカシは執務室を出て行った。
「何があったか知らぬが、随分と男前になりおって。」
火影はそう言って灰受けにキセルを打ち付けた。
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