忍びとは、いかなる任務も完遂するべし。
それこそ子守りから暗殺まで幅広く、お金次第でどんな任務もこなすのがプロと言うもの。

 

ピンポーン

「すみませーん。」

イルカはチャイムを鳴らした。

『はい、』

インターフォンに出たのは主婦らしい女性の声。
インターフォン越しにイルカはやや顔を引きつらせながらも笑顔を作って言った。

「こんにちは、本日はこちらの商品のご紹介を、」

ガチャン、とインターフォンは切れた。
は、話しくらい聞いてくれたっていいじゃないかっ!!
とも言えず、イルカはすごすごとその家の玄関先から去った。
そう、本日イルカが請け負った任務とは、セールス販売である。
イルカは木漏れ日の下にあるベンチでため息を吐いた。
八方ふさがりとはこのことかと項垂れる。朝方にこの任務を拝命し、まったく未知の領域であったセールスという分野の任務をなんとか自分なりに頑張ってやっていたのだが、お昼をやや過ぎても一つも売れていなかった。
ノルマは最低でも1個。まずい、まずいぞ。普段教師として忍びとはなんたるかを教授している自分が里内のまったく危険とは言えない任務を遂行できなかったとあれば、子どもたちに顔向けできないじゃないかっ!

「と、言うか、この真夏の最中にこれを売れって言うのも無理があるよな。」

とイルカは持っていた商売道具を見た。
圧力鍋である。
冬場ならまだしも今の時期は煮込みよりも冷たい食べ物をさっさと作って食べたいだろうに、俺だってそうめん食いたいよ。
だが任務は任務である。
イルカは顔を叩いて気を引き締めるとマンションの建ち並ぶ住宅街へと向かった。
マンションの一室一室を順々にチャイムを鳴らしていくが、せいぜい話しを聞いてくれても話し止まりで購入までには行き着けない。
ちょっと高いもんなあ、俺だって買えと言われればいや結構ですとか言いそうだ。
イルカはセールストークがまずいのかな?とうんうん唸りながらも本日何度目かになるか数えるのも面倒くさくなったチャイムを鳴らした。

ピンポーン。

「はいはい、ちょっと待ってね。」

と中から出てきたのは上半身どころか下半身まで素っ裸の水が滴った男だった。
通常ならぎゃー、とか言いそうだが、少々お疲れのイルカはそんな状況にもまったく動揺せずに圧力鍋を持ち上げた。

「こんにちはー、本日圧力鍋のご紹介にあがりましたクツワ商店の者ですー!」

「はあ、そうですか。まあ上がってください。」

男はぽたりぽたりと滴を落としながらイルカを室内に案内した。イルカはセールスをしていて室内に呼ばれたことが初めてだったので満面の笑みを浮かべておじゃましまーす、と中に入った。
部屋はすっきりとしていて、空調が効いていた。ずっと真夏の暑い所を歩いてきたのでイルカはもうそれだけで夢見心地である。
男はベッドに腰掛けて頭をガシガシとタオルで拭きはじめた。ちなみにまだ全裸である。
風呂上がりなのだろう、イルカだって一人暮らしなので風呂上がりは全裸でいる時もある。暑い時は尚更だ。
男の心理は分からなくもないが普通、人と対面する時は下くらいはくよな、と男を見やった。
よくよく見ればなかなか均整の整った体躯と顔立ちをしている。さぞや女にもてるだろう。

「で、圧力鍋ってなんですか?」

男は突っ立ったままのイルカが持っていた鍋を指さして言った。

「はいっ、この圧力鍋というものは、」

とイルカは慌てて説明をはじめた。セールスと言ってもその商品の内容を頭にたたき込まなくては始まらない。イルカはセールスを始める前にこの商品の説明書を丹念に読み、できる料理のレシピも3.4個覚えたほどだった。

「と、言うわけでなんといっても圧力鍋のすごいところは時間短縮とその具材を柔らかく煮ることのできる性能、そして一度火から下ろして煮込むので火を見る必要がない。これは便利ですよ!」

「はあ、便利ですか、ところでどんな料理が作れるんです?」

きたな!とイルカは説明をはじめた。

「まずは煮込み料理、カレーにシチューにおでん、変わったところでは炊き込みご飯やスパゲッティ、ジャムなんかも作れますよっ!」

「ははあ、色々作れるんですね〜。」

そう男が言った所で腹が鳴った。イルカの腹である。
顔を真っ赤にして口を閉じてしまったイルカ。
そう言えばお昼をまだ食べてなかった。売るまでは食べない勢いで行くと決めていたのだ。
は、恥ずかしい、お客様の前で料理の説明をしている時に腹が鳴るなんて。

「あー、そう言えば俺も腹が減りました。試しに何か作ってくれたら購入します。」

男はそう言ってにこりと笑った。イルカはえっ!?と驚きに目を見開いた。
この男は今購入すると言ったか?聞き間違いではないのか?だがこの耳でちゃんと聞いたんだ。今更撤回は許さないぞっ!

「ほ、本当ですか?」

震えまいとする声で聞けば、男はにっこりと笑って本当ですよ〜、と言った。
神だっ!!俺は今猛烈にこの男に感謝しているっ!!
イルカはありがとうございますっ!と何度も何度も礼を言った。

「あ、いえ、そこまで喜んでもらうとこちらも嬉しいですよ。着替えますからその間に作っててもらえます?材料は適当に使っていいですから。」

男はそう言ってクローゼットの中から服やらインナーやらを取り出し始めた。
イルカは素早く台所へと向かうと冷蔵庫から材料を取りだした。男の一人暮らしだと言うのになかなか種類が豊富に揃っている。自炊する人なのかな、まあ俺もそこそこするけど。
イルカは着ていたスーツの背広を脱ぎ、ネクタイを緩めてシャツを腕まくりした。
そしてざくざくと切っていきぽんぽんと鍋に入れ少々炒めて一煮立ちさせ、あとは火から下ろして10分ほど待てばOK。
と、言うわけで無難にカレーにしてみたが、たぶんあの男も食べられるだろう。
イルカは後かたづけをすると寝室兼居間である部屋へと戻った。男はこちらに背を向けてベッドの上で本を読んでいた。
と、言うかその服になんだか見覚えがある。と、言うか自分も普段はあれを着ている。今はスーツだが。
そう、それは忍服だった。
同業者だったんかいっ!!
イルカは別の意味で顔を赤くした。同業者に気付かなかったなんてっ、最悪だっ。自分のことは忍びだとばれているに違いない。

「あ、あの〜、」

イルカが声をかけると男は顔を上げた。
げっ、その顔、と言うか正確にはその恰好にも見覚えがあった。口布に左目を隠すように斜めにかけた額宛て。
はたけカカシだった。

「カカシ先生...。」

「なんですかイルカ先生。」

カカシはイルカに気付いていたらしい。いや、そりゃあ気付くだろう、なんたって何度も会っている。
だが自分は気付かなかった。だって素顔知らないし、大体全裸だったし、カカシ先生だったなんて気付くはずないって。そんなの分かるわけないじゃん。
だがそんな文句など言えるわけがない。

「あと10分ほどでできます。カレー、お好きですか?」

「ええ、好きですよ。結構辛いのも大丈夫です。イルカ先生も一緒に食べていって下さい。」

カカシは立ち上がって本をチェストに置いた。

「え、でも俺、いや、私は任務中なので。」

「まだいくつか売るんですか?」

「いえ、今日はカカシ先生であがりです。でも帰って報告しないと。」

「お昼ご飯くらい食べる時間はあるでしょ?それとも一食分しか作らなかったですか?」

「いえ、3.4人前ほど作りました。」

「そりゃあ結構。ところでおいくらですか?」

カカシはポケットから財布を取りだした。イルカは慌ててパンフレットを取りだして価格を確認してお金を徴収させてもらった。
それから二人してテーブルに座ってパンフレットに載っていることでいくつか話しをしているうちに10分は経過した。
そしてカレータイムである。
煮くずれないように具を大きめに切ってあり、少々男の料理くさいものになったが味も具の柔らかさも概ね良好だった。
炊飯器からご飯をよそってカレーをぶっかけて二人分、テーブルに置いた。水の入ったコップにスプーンを入れたものも用意する。

「あの、ほんとすみません、購入していただいた上にご相伴に与っちゃって。」

「いえいえ、強引に誘ったのは俺なんですから。さ、頂きましょう。」

カカシは手を合わせて合掌した。イルカも合掌してカレーを口に入れる。
ああ、うまい。一仕事を終えたあとのご飯のなんとうまいことか。これでビールでも飲めれば最高だったんだけどなあ。

「あ、イルカ先生今ビールが飲みたいって思ったでしょ?顔に書いてありますよ〜。」

カカシはそう言ってくすくすと笑った。口元を覆っていた口布を降ろしてカレーをパクついて食べているとまるで普通の同僚みたいだな、なんて思った。
が、相手は里の誇るエリート上忍である。カレーを食べ終わった食器を片付けた後、イルカはカカシの前に立って沈痛な面持ちで言った。

「あの、今回購入していただいたのは、同業者の俺、あ、いや、私に同情したからでしょうか?本当は買いたくもなかったのに憐れんで心が動かされたと言うのなら、その、」

買ってもらえればそれではいおしまい、とすればいいのだろうが、イルカはなんとなくそういう考えは嫌だった。今日初めて訪問販売と言う仕事をして、戸惑うことも苛つくことも悲しく思うこともあったが、それでも最終的に顔見知りの、しかも上役である上忍に同情して買ってもらって終了と言う結果は何か違うと感じたのだ。
カカシはぽりぽりと後頭をかいた。

「あー、そういうわけじゃないですよ。あなたが一生懸命説明してくれて、教えてくれたレシピがおいしそうだったから購入しようと思ったんですよ。冷蔵庫を見ておわかりかと思うんですが、俺は料理するの好きなんですよ。今まで里外の任務が多くてなかなか作る暇もなかったんですが上忍師になって時間にも余裕ができましたから張り切って作ろうと思ったんです。ずっと里外にいたものだから圧力鍋なんてものが存在することも今日イルカ先生に教えてもらって初めて知ったんですよ。感謝こそすれ同情なんかはしませんよ。だいたいいらないものを買うほど俺は馬鹿じゃないですよ。」

カカシはそう言って笑った。それを聞いてイルカは顔を真っ赤した。俺はなんて失礼なことを聞いたんだっ。同情して買ったんじゃないかなんて疑ったりして、自分が恥ずかしい。心が汚れているからそうやって人を疑っちまうんだ。
俺はなんて小さい人間なんだ。イルカはしょぼんとしょげかえった

「でもこれで俺も色々と料理に挑戦できます。いいもの教えてくれてありがとう、イルカ先生。」

カカシが朗らかに笑うので、イルカはいたたまれなく思いつつも、気分が浮上した。
少なくとも、カカシは必要としてくれて購入してくれた。
それでいいじゃないか、うん。

「お気に召してもらえれば光栄です。料理、がんばってくださいね、カカシ先生。」

言えばカカシ先生はがんばります、と言ってくれたのだった。
それからカカシの家を後にしてイルカは任務報告に受付に向かった。受付では依頼者のクツワ商店のクツワが茶を飲んでいた。かなり汗を掻いたと思われる出で立ちをしている。自身もセールスをしてきたのだろう。自分は今日一日だけだったがこの人は毎日売り歩いているのだ、今度からセールスの人でごり押しじゃなさそうな人の話は聞いてみようかとイルカは思った。
1つだけ売れましたと報告すると、クツワは大層喜んでくれた。

「そうですか、売れましたか。いや〜、忍者にセールスマンをしてもらうのは過酷かと思ったんですが、さすが木の葉ですね。1つとは言え利益は高いんで嬉しいです、ありがとうございます。」

クツワはそう言って何度も礼を言ってくれた。そう言われるとイルカも嬉しい。

「しかしあなただけでしたね、売ってくれたのは。約束通り今度からセールスマン手伝いの依頼する時はあなたを指名させていただきますね。」

クツワはにこりと笑った。
イルカは笑みを返しながら、顔を火影に向けた。火影は目をそらしている。

「あの、クツワ様、それはどういう理由で...?」

クツワに再び視線を戻すと、

「おや、最初に聞いておられませんでしたか?このたび中忍の方十数名にセールスマンをしてもらって素質のありそうな人を次回の依頼で使用する運びとなっているんですが。」

クツワはにこにこと笑ってだいぶん薄くなってきた頭か額か分からない微妙なラインにハンカチをあてて汗を拭っている。悪意はまったく見えない。イルカにだけ話しが通っていなかったのだろう、しかも故意に。

「火影様...?」

「そういうことじゃ、イルカ、がんばるのじゃよ。」

火影の笑みにイルカは撃沈した。