翌日、俺は火影に呼び出されて執務室へと向かった。

「敵の正体が判明した。」

苦々しいものを見るようにして火影は手にしていた資料を俺に寄こした。ざっと目を通すと俺は腹の中に黒く渦巻くどろどろした感情を塞き止めきれずに火影に殺気を向けた。

「うるさいっ、あたしだってこんなこと知りたくなかった。いや、この発言は火影として最低だな、すまない。だがその殺気をしまえ、お前は木の葉の上忍だ。感情のコントロールの訓練はしてきたはずだ。」

「ええ、してきましたとも。幼い頃からずっと忍びとして生きてきましたからね。」

報告書を机の上に叩きつけると俺は苛々としてきた。

「解術は不可能ですか。」

「無理だ、もう執行されている。誰にも止められない。」

「ではこのまま指を咥えて見ていろと?はっ、ふざけないでくださいよ。俺はごめんだ、そんなものくそっくらえだっ。」

「カカシ、お前の気持ちは分からなくもない。だが、どうしようもない。とにかくこれ以上のことが起きないように防衛策を投じるまでだ。今後この件については調査の必要性無きものとして判断する。」

「5代目っ!」

俺は机をどんっと叩いた。

「俺の人生を全てつぎ込んでもいい。俺にまだ調査させてください。お願いです、頼みますから。」

俺は頭を下げた。なんだってする、どんなことしたっていい。だからどうか諦めろなんて無情な言葉だけは聞かせてくれるな。

俺は体全部で訴えかけるように、頭を下げたまま動こうとしなかった。
やがて、火影はため息をついた。

「元々は里が招いたことだ、責はあたしが負う。カカシ、お前のやりたいようにしな。お前の中で納得できる答えが出るまで任務は受けなくていい。がんばんな。」

顔を上げると火影が儚く笑っていた。彼女らしくない笑みではあったが、その言葉に俺は再び頭を下げて、そして執務室を出た。

 

 

「よっしみんなやるぞっ!カカシの帰還にかんぱーいっ!!」

ガイの暑苦しい音頭でコップやらジョッキが掲げられてガシャンガシャンと器同士のぶつかる音がうるさいくらいに鳴り響いた。
ここは木の葉の居酒屋、酒酒屋。お馴染みの店である。まあ、折角帰ってきて馴染みの深いところで飲み会ってのはなかなかにくい演出だ。
集まった人間はざっと50名ほど。店を貸しきっての大盤振る舞いだ。中にはあまりなじみのない人間もいるが、ま、飲み会なんてそんなもんだ。楽しければそれでいいのだ。シズクは近所のおばさんに預かってもらっている。酒の席はさすがにまだ幼い子供にはまずいとイルカ先生が判断したのだ。ちなみにイルカ先生の席は俺の隣だ。こればっかりは譲れない。

「カカシぃ、お前もまったく強引な男だっ。俺よりも先に伴侶と子供をつくるなどっ、こればかりは俺の負けだっ!しかし他は負けんぞぉおっ!!いっちょ野球拳で勝負といくかっ!?」

俺はははははは、と笑ってガイのおかっぱ頭にビンビールをぶっかけてやった。ブレイコウブレイコウ。
他にも久しぶりな面々と対面してイルカ先生とシズクのことで散々からかわれたり羨ましがられたり、時にはずっと離れてて大変だったなとか肩を叩かれたりとかせわしないことこの上なかったが楽しいひと時を過ごせた。
顔を見ない奴もいたが、その中には今は任務中だとか、英雄になってしまった者も多からずいて、こっそりとイルカ先生に聞いてしんみりともした。

「そういやあ、カカシさんはどうやってイルカに妊娠させたんすか?やっぱり禁術なんですか?イルカに聞こうにも本人は知らないって言うし、教えてくださいよ。」

酒を飲んでもまったく顔に出ない、だが相当酔っているらしいゲンマが聞いてきた。やっぱり来ると思ったんだよねえ、この手の質問。

「あのね、そんなの教えるわけないでしょ。自分で開発しなよ。」

「あー、やっぱりねえ。カカシさんいっつもそうだ。ふらりとどこかに行ったと思ったら一人で新技開発してんだもんなあ。抜け駆けっすよ〜。」

忍びにぬけがけもなにも、技は自分で磨くもんだろうに。コピー忍者といわれる俺だって日夜努力し続けて現状を維持して上忍やってんだから。なーんて理論は酔っ払いには通用しないんだよなあ。
俺は苦笑して横を見た。イルカ先生はくの一たちと育児や出産について色々と話が盛り上がっているようだ。もういっぱしの主婦の仲間入りだねえ。
俺はそっと席を立った。ちょっと厠へ、と店の奥へと向かう。そして裏口から出て近くの木を見上げた。

「センタか?」

声をかけると木の上から暗部姿の男が降りてきた。

「カカシ先輩久しぶりっす。諜報部のチエゾウから資料を預かってきました。本来は持ち出し禁止の資料なので今すぐ目を通してこの場で焼却処分してほしいとのことなんでこのまま見守らせてもらいます。」

「悪いねぇ、んじゃ早速見せてもらうよ。」

俺はそいつから受け取った茶封筒から資料を取り出して読み始めた。結構な量だったが忍びは速読術も訓練してあるのでさらさらと読んでいく。そしてものの5分としないうちに数十枚あった報告書を読破してその場で火遁で燃やしきった。

「助かったよ、ありがとね。チエゾウにも礼を言っといてくれる?近いうちにまた顔出すよ。」

「了解っす。お役に立てて嬉しいっす。祝賀会の途中で呼び出しちゃってすんませんでした。じゃあ俺はこれでっ。」

暗部の男はそう言ってすぐに瞬身で去ってしまった。
報告書はなかなかにえげつない内容だった。帰ってきたというのに薄暗い話題ばかりだ。

「忍びとしての宿命、か?」

そんなもの、くそっくらえだ。俺がどうとでもしてやるよ。
俺は酔いなど吹き飛んでしまった頭で目をぎらぎらとさせた。そして平静を取り戻すと何食わぬ顔で酒酒屋へと戻っていった。
ちょうどいのしかちょうトリオの三人組が大笑いしているところだった。この親父たちはかわんねえなあ。俺はその人たちの元へと足を向けた。
俺に気づいた親父たちが赤ら顔でこっちゃこいと酔っ払いのごとく手招きする。

「いよう、カカシ、お前もやっちまったなあ。ええ?禁術だって?まっ、人として少々道から外れたって忍びなんだからどーんと行けよっ。へへっ。飲め飲めぇっ」

シカクさんが枡を押し付けてきて酒をなみなみ注ぐ。あーあー、こんなに酔っ払って、奥さん大丈夫かねえ。明日が怖いなこりゃ。
やれやれと思って俺は一気飲みした。お、なかなかいい酒だった。

「いい酒ですね。」

素直な感想を述べるとイノイチさんが自慢げに俺の肩を叩いてきた。

「そうだろうそうだろう、チョウザの秘蔵もんだぞ、味わいたまえカカシくん。」

ってあんたの手柄ってわけじゃないのに、ま、この親父たちはこんなもんだよなあ。
俺はチョウザさんの隣の席へと移動した。

「この酒、結構値が張るんじゃないですか?こんな飲み会で出すのもったいないんじゃないですか?」

「いいってことよ、お前さんのことは白い牙さんの頃から知ってんだ。少しは親父たちにも祝わせろ。この祝賀会はお前の帰還と結婚披露みたいなもんだって聞いてるからね。」

サクラ、か...。ま、あながち間違ってもいないからいいけどねえ。誰に恥じるわけでもないし。

「あー、ところでチョウザさん。俺ちょっと聞きたいことがあるんですよね。」

俺は一瞬だけ目を鋭くさせた。酒を飲んでいても上忍である彼らは俺の変化に気づいたのか途端、少し表情を硬くした。

「ものによっちゃあ言えないこともあるが、いいかい?」

「ええ、かまいません。話せる範囲で結構。」

シカクさんとイノイチさんは気を利かせて少し席を離れた。気を使ってもらってすみません、と俺は小さく会釈した。

俺はチョウザさんの耳元に囁くように聞いた。

「秋道家に口伝のみで伝術されてきた禁術があるはずです。それを教えてもらえませんか。」

チョウザさんは持っていた一升瓶をどんっ、と机の上に乱暴に置いた。普段から温厚な人は逆上すると手を付けられなくなると言われているが、その片鱗を見た気がした。だが退くわけにはいかないのだ。

「その話、どこで聞いた?」

「詳しくは言えませんが少なくとも里内じゃないです。案外、敵は味方ですら知りえない同胞の情報を掴んでいる場合があるということです。」

重苦しい沈黙のあと、チョウザさんはそうか、と小さく呟いた。

「正直に言おう。それは禁術の中でも最も禁忌として扱われてきたものだ。火影さまですら存在のみご存知だろうが実際を見たことはないだろう。ましてや術の発動なぞしてはならぬという暗黙の了解が根付いている。それでも口伝のみで伝わっているのは最悪の場合を想定しての苦渋の策だ。それでも、それでも知りたいのか?」

「ええ、どうしても必要です。いるんです、俺の人生がかかっていますから。」

「術者にとってもリスクの高い代物だ。秋道家の人間ですらその術に耐えられるものは少ないだろう。」

チョウザさんはじっと俺の瞳の中を覗き込んでいる。探っているのだろう、俺の心の内を。だがそんなことをしても無駄ですよ。俺はどうしたって、やり遂げなけりゃならない。命だってなんだってかけてやる。
チョウザさんはしばらく考え込んでいたが、深くため息を付くと懐から紙と筆入れを取り出してさらさらと何かを書いた。

「ここに行くといい、俺からの紹介だと言えば教えてくれるだろう。たぶん、な。」

「秋道家の頭領の頼みですらたぶん、なんですか。」

俺は少し笑った。チョウザさんも苦笑する。

「そいつは秋道家の中でも変わり者でな、少々偏屈だが忍びとしては一流だった男だ。今は引退して世捨て人のような暮らしをしている。今現在生き残っている秋道家の人間で唯一その技を使おうとした者だ。」

「使おうと、した?途中で諦めたんですか?」

「いや、術が失敗したんだ。それであいつは、いや、ここで語るのは容易いが、実際に会うのが一番だろう。この話は終わりだ。さあ、酒を飲みなおそうじゃないか。」

チョウザさんはそう言って先ほどテーブルに叩きつけた酒のビンのふたを取ってまた俺の枡に酒を注いだのだった。

「ありがとう、ございます。」

俺は万感の思いでその酒を飲み干した。淡く蜜色に輝くその酒は、ひどく胃に染みた。