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カカシさんが再び里外の任務に就いて2ヶ月が過ぎた。一ヶ月くらいで帰ると言っていたけれど、難しい任務なのだろうか。 「とうちゃ?」 頭を洗う手が止まっていたので不思議に思ったらしいシズクが呼びかけてきた。 「ああ、ごめんな。流そうな〜。」 お湯で泡を洗い流して湯船に入って身体をあっためて、着替えさせて髪を乾かす。 何か焦げ臭い匂いがした。なんだろう?火薬ではない、嗅ぎ慣れた匂い。いつも母ちゃんと父ちゃんに手を合わせるときに嗅ぐ匂い。 「なっ、これはっ、シズクっ、おい、シズク返事をしろっ。」 身体を動かそうして拘束されていることに気がついた。人に押さえ込まれている。見ると木の葉の暗部だった。 「あ、あんたどういうつもりだっ。俺とシズクに何の用だ。離せ、離せよっ。」 だが暗部は黙ったまま身じろぎもしない。 「頼む、俺はいいからシズクだけでも離してくれ、頼むからっ。」 俺は懇願した。あの子はまだ小さい、まだ見逃してもらえるかもしれない。 「それはできかねます。」 聞き覚えのある声がして俺は身体を震わせた。ここにいる?でもどうしてそんなのんびりとした口調なんだ。今は緊急事態だというのに。振り返りたくとも身体が動かなくてもどかしい。その姿を見たいのに、この状況を救ってほしいのに。 「カカシさん、これはどうなって、俺は、シズクは、」 「大丈夫ですよ。すぐに、元通りになりますから。」 カカシ先生はにこりと笑った。いつもの笑みだ。こんな異常な状況でどうしてそんな風に笑っていられるんです?どうして、どうして。 「ねえイルカ先生、俺ねえ、白状すれば禁術なんか使ってないよ。」 何のことを言っているのか分からなかった。この人は何を言っているんだ?まさか疑っているのか? 「あの子供はちゃんと俺が産んだんです。他の誰かが産んだわけじゃないっ。俺は浮気なんて、そんなのしてないっ。」 「当たり前だよ、そんなことしたらあんたの四肢を切り落として一生飼い殺しにしてあげるよ。相手はどうしてあげようか、俺の知りうる最悪な技で殺してあげようかな。まあ、それは仮定だから、やだな、本気にしないで。でもね、そういう意味じゃないんだよ。イルカ先生、俺が里を出た後で少し大掛かりな任務を合同で受けたよね、覚えてる?」 カカシさんが里を出た後、そうだ、俺は戦忍に戻って任務をこなすことにしたんだ。その任務はとある集団を壊滅させるというものだった。数十年前にも一度壊滅においこんだ集団だったが、生き残りがいたらしく再び壊滅させるべく派遣されたのだ。ひどく残酷な術を使う、無情な忍び集団だと聞いていた。以前は木の葉と友好関係にあったそうだが、その残酷さ故、危険因子とみなされ排除された。実際色々な害が出ていたそうだ。集団は結構な人数だった。女子供もみんな殺さねばならず、忍びながら胸が痛んだ。その任務のことを言っているのだろうか? 「あの、とある集団を壊滅させた任務ですか?でもその任務は無事に終えて、」 だが俺の言葉を遮るようにカカシさんが吐き捨てるように言った。 「残念ながら無事には終わらなかったよ。」 カカシさんの言葉に俺は黙り込んでしまった。 「本当は何も知らせずにいようかと思ったんだ。あんたの心か壊れるかと思って。でも、ずっと嘘をつき続けるわけにはいかない。俺を選んで、あの子供より俺を選ぶと言ってよ。」 「カカシさん、意味が分かりません。選ぶなんて、どうして。」 「これから話すことは作り話じゃありません。でもどうか、これだけは忘れないで。俺はイルカ先生、あんたを愛してるんだ。この世界でたった一人あんただけが俺の全てなんだ。」 カカシさんは暗部に目で合図すると、暗部は俺の拘束を解くとどこかへと行ってしまった。 「あの集団、名前は真女児一族と言うそうですね。古来より不思議な呪術でもって敵を葬ってきた。一般の忍びのように一刀両断ではなくじわじわとやり込める手口は敵を疲弊させる。木の葉もその巧妙さには舌を巻き同盟を結んでいたが、その惨忍性故、切り捨てることを余儀なくされた。奴らは敵だけでなく、その時同盟を結んでいた木の葉の者たちをも道具として使おうとしていたからだ。いや、そんなことはどうでもいい。任務時、あなたは一時、仲間をはぐれてしまったそうですね。どうやら一対一で戦っていたそうで仲間に発見された時、相手は死んでいたがあなたも気を失っていた。そうですね?」 そうだ、あの時、俺は敵を追いかけて森の中に入っていったのだ。そして戦い、辛くも勝利した。だが俺も疲れ切って倒れてしまった。見つけてくれたアオバに起こされて気がついたんだ。 「その時、あなたは術にかかってしまった。」 「術?でも俺はその後の検査でも何も異常はなかったはずです。術なんてそんな。」 「その名も郭公(かっこう)の術と言うそうです。まったくそれらしい名前だ。」 かっこう?カッコウの術?あの鳥の特徴はなんだったろうか?確か他の鳥の巣に卵を産み落として羽化の早いカッコウの雛は本当のその巣の卵を落としてしまうという。そして親鳥は自分の雛ではなくカッコウの雛を育てるのだ。そんな残酷で、そして弱肉強食の真髄とも言える習性を持つ鳥。その鳥の名を持つ術。 「そんな、馬鹿な。だって、シズクは俺が確かに、」 「ええ、火影様も付き添われたそうですね。あなたの出産に。確かにあんたはあの子を産んだ。それは真実です。だが、あの子供は俺との子供じゃない。子供とも言えない。あれは、敵です。」 俺はカカシさんを殴りつけた。カカシさんは避けずにその場に留まった。 「あの子がたとえ敵の術にかかって生まれた子であっても俺の子供に違いはありません。あの子は俺の子です。俺が一生を育てます。カカシさんとの間の子ではなくとも、お、俺は、」 涙をぽろぽろ流して俺はそれでも譲れないと顔を正面に向けた。だってあの子はあんなにかわいい。俺のことを父ちゃんと呼んでくれる。敵の術だろうがなんだろうがもう親は俺なんだ。誰に咎められることもない。 「イルカ先生、俺もね。ただ単に子供を孕ませる術だったらここまで深刻に考えはしませんでしたよ。」 その言葉に俺は背筋が凍る氷る思いがした。この人は何を言うつもりだ。一体、なにを? 「最近、里内で以前重要なポストに就いていた人物が連続して殺される事件があったの、知っていますか?」 新聞でもニュースでもやっていた。犯人が分からなくて捜査が行き詰っていると聞いている。それでもここ2ヶ月ほどはその事件も起こっていないはずだ。 「まさか、その事件、」 「犯人はシズクですよ。」 「そんなばかなっ、この子はまだ忍術もろくに使えないっ、」 「そんなのフリに決まってるでしょう。知ってましたか?殺された人物は共通点があったんです。みな、真女児一族の壊滅を唱えた人物たちでした。火影様はさすがに里一番の警護の中にいるし、本人も強いから手出しができなかったようですがね。俺が里に帰還するときに襲ってきたのも真女児一族の残党でした。俺があなたに接触してシズクの正体がばれないように殺してしまいたかったらしいですが、俺は生き残った。シズクは戦闘マシーンです。仲間がいなくなり、判断できず擬態を続けた。」 「嘘です、だってシズクはそんな、嘘だっ。」 「真実です。シズクの身体には真女児一族を壊滅に追い込んだ人物を抹殺せよという指令が染み付いている。解除はできない。」 「俺が止めてみせます。絶対にもう誰も殺させたりしません。ですから許してやってください。お願いですっ。」 カカシさんは初めて俺に悲しそうな目を向けた。苦しそうで思わず手を差し伸べたくなってしまうほどの悲哀。 「だめなんですよ。ねえ、イルカ先生、偽りの出産は媒体を衰弱させるって知ってますか?しかも郭公の術は呪術だ。ただで済むはずが無い。ねえ、ここしばらくずっと身体の疲労が抜けてないよね?」 確かに疲れが溜まっている。だがそれは育児疲れもあるだろうし、俺は仕事と育児とで大変だからであって。 「2ヶ月前、俺が里を離れる時にセックスしなかった理由、教えてあげましょうか?あなたの身体が悲鳴を上げていたからだ。3年ぶりに帰ってきて身体を繋げたあの時の疲労がまだ残っていた。忍びの回復力は凄まじいはずなのに。俺とそう年が変わらないのに白髪も増えましたね。気苦労どころの増え方じゃないですよ。言っている意味分かります?あの子供はあなたの生命力を吸い取って成長してるんですよ。」 俺は頭が真っ白になった。生命力を吸っている?そんな馬鹿な。 「そんな、シズクはそんなことしてない。生気を吸っているなんて。」 「見た目で分かるもんじゃないんですよ。離れていても、何もしなくてもどんどん成長するにしたがってあなたは衰弱していき、最後には干からびて死んでしまうだろう。そう遠くない未来だ。それでもあなたはあの子を愛するんですか?里に害しかもたらさない、あなたを死に至らせる。俺を、こんなにも苦しめるあの餓鬼畜生をっ!」 カカシさんは床をどんっと叩いた。 「たった一つだけね、方法があるんです。」 「なんですか?俺は何をしたらいいんです?」 「見ていてください。それだけでいい。ここでずっと俺のすることを声も上げずに見ていて。そして受け入れてほしい。俺を全部。そしたら元通りになるから。全部、全部大丈夫になるから。」 カカシさんは俺を抱き締めてきた。微かに震えているのか?怖がっている?カカシさんが何に怖がるというのだろうか。 「カカシさん、俺は何があってもあなたを愛します。怖がらないで、大丈夫です。きっとうまくいきます。」 俺もカカシさんをぎゅっと抱き締めた。どうかこの人の不安を取り除けますように、彼に平安が訪れますように。 「ありがとう、イルカ先生。でも心配だから暗部に見張っていてもらいます。ごめんね、俺は術に集中しなくちゃいけないから。」 カカシさんは強張った笑顔を向けてきた。 「はい、お待ちしてます。どうか救ってください。」 俺の言葉にカカシさんは頷くと円陣の中に入っていった。どこからともなく暗部がやってきて俺の身体に手を置く。途端、声も出せず、身体も動かなくなった。ここまで徹底しなくてはならないほど、俺が取り乱すと思っているのだろうか。それとも俺が取り乱さざるをえないほどの、何かをするつもりなのか? 「反魂喰らいの術。」 静かに言い放ったカカシ先生の声は震えてはいなかったろうか。口布を下げ、現れた麗しい顔は青ざめてはいなかったろうか。 カカシさんは、シズクを喰らいはじめた。 声に出ない叫びは身体の内側へと向かう。全てが偽者のようだと思考が鈍くなっていく。 カカシさん、俺は、あなたを...。
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