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そしてまた日々は過ぎ、カカシはその日もライダと共に晩ご飯を食べるためにとある定食屋に入った。その店はカカシのお気に入りで、好物のさんまを焼かせたら右に出る者はいないと常々思っている店だった。
ライダはあまりこういった店は好きではないらしく、もっとこ洒落たところをいつも希望するのだが、カカシとしてはこの季節になってまだ一度も好物のさんまを食べていないことが非常に悲しくて、今日こそはと彼女と連れだってやってきたのだ。それでもあまり好意的ではなかったが、そんなに嫌なら1人で行ってこようか?と妥協案を言ってみたら渋々一緒に来てくれた。
こういう所がたまに意趣の合わない者同士の恋人は大変だなあ、と実感する所なのだが。
その店で暗部時代の後輩のハヤテと出会った。暗部時代に敵の毒で肺を患ってはいたが、忍びとしての能力は優れていたので密偵として他里の情報収集を一手に引き受けている優秀な男だ。里にいるのは珍しい。
軽く声をかけてカウンターに腰掛けてさんまを注文しようとしたら今日はもう仕入れた分が全てはけてしまったと言われてしまった。
ここまで来るのに色々と労力を使ったのになあ、とカカシは非常に残念に思った。そして店の奥からさんまの皿を持った店の子がハヤテのいる席の方へと向かったのを心底羨ましく見た。自分の注文した刺身定食と交換してほしいくらいだ。
そんな自分の浅ましい、というか卑しい視線に気付いたのか、さんま定食を注文していたハヤテの同行者がこちらに顔を向けた。
あ、ばれちゃった。でもあのさんま、本当にうまそうだ。とじっとさんまを見ていたらハヤテにお願いすればいいでしょうにと言われて一も二もなく同行者に懇願した。その男は快く交換してくれた。なかなか気持ちのいい笑顔をする男だと思った。差し出した刺身の盛り合わせで海老で鯛を釣ったと美味しそうに食べてくれた。
カカシもなんとなく嬉しくなってさんまを口に運んだ。いつもよりもおいしく感じたのは気のせいではなかったと思う。
帰り道、カカシはいい気分で自宅へと戻っていく。食事の途中でのあの男のことを口にしていれば、ライダはなにやらあまり浮かない顔をした。やはり定食屋は好かないのだろうか。カカシとしても別にカフェだとかレストランと言った所が嫌いなわけではなかったが、自分の好きなものはとことん和食なのでどうしても定食だとかそういったものを出す店を好んでしまうのだ。
「ライダ、どうかしたの?何か浮かない顔をしてるけど。」
いつもだったら煩いくらいに話しかけてくるのに今日はどうも様子がおかしい。
「あ、ううん。なんでもないの。ちょっと疲れてるだけ。だから私今日はすぐに帰るね。」
そう言ってライダはすぐに背を向けて行ってしまった。
疲れてたのか、最近ライダは上忍としての任務をあまりしていないと聞いているのだが。と、言うのもライダの任務遂行能力が1人でさせるには難ありとの評価を受けてしまったらしいのだ。
忍びにも色々と向き不向きはある。くの一として任務を遂行させるためには困難な場合も多々あるのだろうと思うが、ライダの場合は性格的な所で判定を受けているのだ。助けてやりたいのは山々だが自分で克服するべきものなのだ。頑張ってほしいと思う。
それからしばらくしてカカシは上忍待機室でいる所をイビキに呼び出された。
尋問部隊の隊長自らの呼び出しにカカシは怪訝に思ったが、一緒に尋問部屋に付いていく。尋問部屋はただ単に尋問するだけの場所ではなく、少し込み入った話をする場合に使用されることもある。今回も尋問ではなくそういった理由で連れてこられたのだろう。尋問される覚えはないし。
椅子を勧められたが、長居をしたいとは思わなかったので気持ちだけ受け取ると、イビキは自分が椅子に座った。その顔からは何の情報も読みとれない。
「何かあったのか?」
「最近、くの一が不審死する事件が立て続けに起きている。調べればお前と少しでも関わりを持った人間が統計的に見て多い。最近恋人ができたんだろう?もしかしたらその女も狙われるかもしれん、気を付けることだ。こちらとしても優先的に調査する。」
「わかった、何かあったら知らせてくれ。こちらとしても協力は惜しまない。」
「分かった。」
イビキは立ち上がると尋問部屋から出て行った。そしてカカシもその部屋から出る。
自分と関わったくの一が死ぬ?そうなってくるとまっさきにカカシに嫌疑がかかるわけだが、勿論カカシ自身、そんな人たちを拉致した覚えはない。何か自分に恨みを持つ者の仕業かとも思ったが、敵にしてみれば自分に恨みを持つ奴なんかごまんといる。特定なんかできやしない。早く犯人が捕まればいいが、とカカシは小さく息を吐いてその建物から出て行ったのだった。
だが、意志に反して犯人はなかなか捕まらないようだった。表だってカカシを指し示しているわけではないのだが、噂というものはこうも人を変えるものなのかと半ば感心してしまった。
カカシと関わると消されるという誠に持ってでたらめな噂が流れはじめ、カカシは孤立してしまったのだ。まあ、関わりのあった人が実際死亡しているのであながちでらめと言うわけでもなかったが、それなりに気軽に話していた人間が自分から離れたりするのをやけに冷めた気持ちで見たりしていた。
仲間の中でも暗部の後輩や、アスマやガイと言った昔から付き合いのある人間はデマが流れても大して動揺もせずにかえってからかわれたりもしていたわけだが。
ライダはそんな噂など知らないとでも言うかのようにカカシの側から離れることはなかった。なかなか肝の据わった人間だったのだと見直したりした。
それから数日後、カカシは任務帰りの夜に道端で人影を見て足を止めた。普通だったら足は止めない。だがその時、その人物からは血臭がした。怪我をしてるのか、または何かの事件に巻き込まれたのか、カカシはそっとその人影の側まで行き、様子をうかがった。
そいつはいつぞやの定食屋で出会った男だった。男は何かをその身に抱いていた。血の匂いはそこからしていた。よく見ると汚い老犬だった。もう寿命なのだろうが、それに加えて虐待があったのか、毛が抜けている地肌に血が滲んでいた。
「酷いことを、」
忍犬を扱っているカカシはこういった動物の虐待に対してかなり毛嫌いしている。嫌悪していると言ってもいいだろう。
男はカカシの存在に今気が付いたのか、はっとして顔を上げた。
「誰にやられたんですか?」
この男が犯人でないことは分かっていた。虐待する者がこんなに優しい手つきで動物を扱えるはずがない。
「あの、分からないんです。俺が気が付いた時には、もう。それに、今からではもう間に合わないし、老衰もあったろうと思います。できれば苦しんでほしくないんですが、俺にはその方法すら分からなくて、抱きしめてやるしかできないんです。」
自分に言い聞かせているのか、カカシに話しかけているのか、曖昧な言葉がカカシの心を揺さぶる。
「楽にしたいですか?殺したい?」
「殺すのはダメです。殺してはいけないんです。この老犬はまだ諦めていないから。まだ目が見えているんです。感覚があるんです。意識のある者を自分のエゴで殺すのはよくない。けれど、人の手で余計な苦しみを与えられて死んでいくのだと思ったら、やるせない。」
カカシはそっと近寄っていった。
「痛覚を遮断する方法があります。それをこの犬にかけてもいいですかね?」
「そんなことができるんですか?」
「ええ、まあ、色々と過去にやってきてますから。」
言うとイルカはおずおずと老犬をカカシに向かって差し出した。よくよく見れば老犬の足の一本からは血が流れ、奇妙な形に折れ曲がっている。いましがた、その足も折られたのだろう。
カカシはそっと印を結んでいって老犬の頭に手を置いた。ぽうっと鈍く光る術を受けて、老犬はくぅ、と一声ないた。震えていた体が少し、治まったようだ。
「これで大丈夫だと思います。」
「ありがとうございます、はたけ上忍。」
ああ、この人は自分のことを知っているのだな、と思ってカカシは幾分驚いた。今現在もカカシのよくない噂は蔓延していると言うのにこの男は恐れることなく自分と会話をしているのだ。そんなに深い付き合いをしているわけでもないのに、その噂を知らないわけでもないだろうに。
「あんた、名前は?」
「イルカです、うみのイルカ。俺はこの犬を見守るつもりですから、はたけ上忍はどうぞお帰り下さい。ありがとうございました。」
男はそう言って穏やかに笑った。その笑顔が悲しみを耐えているそのもので、カカシは切なくなった。
「酷いですね、俺はのけ者ですか?俺も最後まで付き合いますよ。任務報告はもう終わってますし。ね、イルカさん?」
カカシはそう言ってイルカの隣に座った。イルカは呆気にとられていたが、ありがとうございます、と小さく呟いた。
そして数時間後、老犬はイルカに抱きかかえられて永遠の眠りに就いた。たぶん、穏やかに眠れたろうと思う。
朝焼けで空が白くなってきた所だった。イルカは大きな木の根元に犬を埋めてやった。
「付き合って下さってありがとうございました。1人ではちょっと心細かったんです。なんとなく引きずられると言うか、独り身だからでしょうね。」
イルカは切なそうに笑った。イルカの服は老犬の元からの汚れ、血の汚れ、そして今は掘り起こした土の汚れでぼろぼろだったが、何故だろうか、その姿に手を差しのばしたくなった。どうしてこんなに愛おしく感じてしまうのだろう。
「はたけ上忍?」
ぼんやりとしていたカカシをイルカが呼んだ。カカシは誤魔化すようににこりと笑った。
「カカシって呼んで下さいよ。」
「え、でも、」
「上忍命令です!なんてね、やっぱり嫌かな。」
「いえ、呼んでもいいならそう呼びますよ、カカシさん。はたけ上忍よりも呼びやすいですから。」
イルカは幾分元気を取り戻したようだ。この人は、元気な笑顔の方がいい。そして、その笑顔を自分に向けてくれたらもっと嬉しいのに。
そこまで考えてカカシは苦笑した。これではまるでこの男に恋をしているようではないか。自分には恋人がいると言うのに。
「じゃあ、イルカさん、また。」
「はい、カカシさん。」
カカシはイルカに背を向けてその場を去った。そして、あの温かい手で抱きしめられていた老犬が少し、羨ましいと思った自分に苦笑した。
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