村長の許しを得て杖彦は小川近くの見張り小屋へとやってきた。村長の話では、以前はそれなりににぎわっていた場所なのだが、今ではほとんど訪れる者もおらず、さびれているので使ってくれてかまわないとのことだった。むしろ散らかり放題だから客人を泊まらせるのは少々しのびないとまで言っていた。
だが本人たちは野宿でもいいくらいだと言っていたくらいだ。どこかの家に厄介になるよりもこっちの方が気が楽だろうと思った。
そして小屋へとたどり着き、空気の入れ替えのために木の窓を開けた。窓からは小川が遠くまで見渡せたる。景観はなかなかに良いようだ。
ふと、遠くの小川で人が動いているのが見えた。よくよく見るとタクミだった。こんな人気のないところで何をしているのだろうと目を凝らすと、タクミのいる小川のほとりの岩にユキが座っていた。今日は秋口だというのに少々汗ばむ陽気である。小川の水は冷たいだろうが、風邪を引くほどの冷たさではないのだろう。優雅に川遊びだろうか。
微笑ましいことだ、おしどり夫婦とはよく言ったものだと思っていたが、何か違和感があり、杖彦はユキを凝視した。
そして己の目を疑った。
ユキの着物の胸元がはだけていたのだが、ユキの胸に女性特有のふくらみがなかったのだ。今は薄い衣を身に着けているだけなので体のラインもよく分かる。あの体型は、どんなに細身であろうと男のものだった。
杖彦は窓から離れて小屋の壁に背もたれた。
どういうことだ。ユキは妊娠していたのではなかったのか、男のユキが妊娠できるはずがない。元より結婚などできようはずがない。だが、村の人間はみなユキを女だと思って疑っていない。
なぜ、どうして?疑問が頭を埋め尽くした。
隠し事は必然的に殺人事件のことに関連性を求めようとする。一方的に決め付けるのはまずいと思ったが、もしもそうだとしたら動機はなんだ?何故殺す必要がある。
杖彦は掃除をするのも忘れてその場に立ち尽くした。
そして、辺りが夕焼けに染まる頃になって、小屋の戸がノックされた。

「入るぜ。」

と言って入ってきたのはアスマとイノだった。とたん、今まで掃除していなかった杖彦は慌てた。

「すみません、掃除まだ終わってなくて。」

「ああ、いいって。雨風がしのげればなんだっていいんだからよ。気になるならてめえで片付ける。」

「私片付けますね。」

イノはそう言って壁に立てかけてあったほうきを持って床を掃きだした。

「ところでまた何かあったのか?何か微妙な顔してるぜ?」

アスマに言われて杖彦は言いよどんだ。確かに『何か』はあった。自分にとって衝撃的なことが。けれどどうしても杖彦にはユキが犯人とは思えなかった。自分の憶測だけで誰かを疑うのはよくない。

「あの、すみません、もう少し自分で考えて納得してからでもいいですか?」

「ああ、いいぜ。そういやあ検死結果、聞きたいか?」

聞きたいかと言われれば確かに自分は聞きたい。だが自分はマツジに世話になっているだけで警備を共にしているわけではない。そんな自分が事件の深い部分まで聞いてもいいのだろうか。

「あの、私はマツジさんの家に厄介になっているだけで警備の人間ではないんです。ですから事件のことで深い内容のことを私に話してはまずいのではないでしょうか?」

言われてアスマは苦笑してタバコを取り出して火をつけた。

「まあ、普通はそうなんだろうがお前はこの村の人間じゃないだろう?別に誰かに言いふらすなんて馬鹿なまねはしないだろうし。」

言われて杖彦は驚いた。確かに自分はこの村の者ではないが、外見だけだったら村の人間とよく似た色肌をしているし髪も皆ほとんどが黒だから村の人間で通用するのに、どうしてこの男は自分がこの村の者ではないと言いきれたのか?

「どうして私がこの村の者ではないと?」

「おいおい、この小屋の周りには誰もいないぜ?確かに任務中の私語は硬く禁止されてるがそれも他人の目がある時のみだ。今は誰もいねえんだから普通にしてくれてかまわねえよ。」

杖彦はますます分からなくなった。

「あの、それはどういう意味ですか?その話しぶりではまるで私があなたと知り合いみたいですが?」

そこで杖彦ははっとした。

「もしかして、アスマさんは私のことを知ってるんですかっ?」

杖彦はアスマに詰め寄った。掃き掃除をしていたイノが何事かとほうきで掃く手を止めた。アスマにいたっては吸いっぱなしのタバコが落ちそうなほど驚いている。

「まじ、か?」

アスマはタバコを指に挟んでため息をついた。携帯用の灰皿にタバコを押し付けてポケットにしまった。

「知らないふりをしているもんだとばかり思ってたが、まじで記憶喪失なのか。イノっ。」

アスマが呼ぶとイノはほうきを置いて杖彦の前に立った。

「意識を診ます。」

「頼む。」

イノは手をぼんやりと光らせた。本当ならば驚愕するべきなんだろうが、杖彦は何故だかさして驚かなかった。段々と自分でも理解してきた。自分はこの不思議な現象に対して抗体ができているのではないだろうか。
イノはしばらくの間杖彦の額で手をかざしていたが、やがて手を降ろすと首を横に振った。

「だめか?」

アスマの問いかけにイノは沈痛な面持ちで頷いた。

「落ち込むな、意識の回復は高等な医療忍術だってことは俺も知ってる。ましてこいつの記憶喪失が故意なのか事故なのかすら分からない状況だ。無理に回復させるのは得策じゃあない。」

アスマはぼりぼりと後頭部を掻いた。

「あー、杖彦さんよ。」

「はい。」

「俺たちの言動でなんとなくは予想がつくと思うがお前さんのことを俺たちは知ってる。だがここでお前さんのことをああだこうだと説明するわけにはいかねえ。俺たちは今任務でこの村に来ている、お前さんの捜索のためじゃあない。もしもここで詳しく説明をして村の人間にお前さんが木の葉の人間だと知られれば余計な混乱を生む。それは避けたい。」

杖彦は頷いた。もっともだと思う。

「悪いが事件が解決するまで現状維持に努めてくれ。もちろん里には連絡する。だから心配するな、いいな?」

アスマはぽんぽんと杖彦の肩を叩いた。それだけで杖彦は何故だかとても安心できた。

「この話はおしまいだ。で、事件のことなんだが検死結果を伝えておこうか。お前さんは自分でも気づいていないかもしれねえが何か特殊な力を発揮してると思う。自分で振り返ってみれば村人とすこし違うところがあると分かるはずだ。」

杖彦はまた頷いた。村の男たちよりも筋骨隆々と言うわけでもないのに怪力を出すし、死体を発見したときだって自分でも分からない直感があった。

「そこでだ、お前さんにも事件について何か分かれば教えてほしい。俺たちよりも村のことをよく知ってるだろう?その観点でもって気がついたことがあればなんでもいい。事件を早く解決できるかもしれねえからな、いいか?」

「わかりました、役立てることがあるなら協力します。」

「頼む。それでさっき言ってた検死の結果なんだが、意外な結果ができた。イノ、話してやれ。」

「はい、実はあの女性、妊娠していたんです。」

杖彦は目を見開いた。

「にん、しん?あの女性は腹部の下部を重点的に刺されていましたよね?」

杖彦の言葉にイノは重々しく頷いた。

「つまりそれは、」

杖彦は言葉に詰まった。アスマが代弁する。

「おそらく犯人はあの女性が妊娠していることを知り、それが理由で殺したんだろう。怨恨の可能性が高くなってきた。しかもここ数週間、村に出入りした者はお前とあの女性以外はいない。この村に来る前に村の近辺を調べたからそれは間違いねえ。犯人はこの村の中にいる。」

アスマの言葉に杖彦はがんがんと頭を打たれるような思いがした。
ユキの流産、そして見知らぬ妊婦が殺された。関連性がまったくないとはとてもじゃないが言えない。だがどうしてもあの儚げなユキに殺しができるとは思えない、いや、思いたくないのかもしれない。それは自分の願望なのではないだろうか。

「そう、ですか。分かりました。そのことも踏まえて何かあったら連絡します。では私はこれで。あまり遅くなるとマツジさんも不思議に思うだろうから。」

「ああ、分かった、引き止めて悪かった。じゃあまたな。」

杖彦は軽く頭を下げると小屋から出て行った。その後姿を見ながらアスマは苦虫を噛み潰したような顔をした。イノがため息を付く。

「いいんですか?そんな悠長なこと言って、私知らないですよ。」

「俺だって意地悪してんじゃねえよ。行方知れずってのは上層部の表面上の言い訳で本当は極秘に諜報活動をどっかでやってるもんだとばかり思ってたが、事実だったとはな。あいつが気も狂わんばかりに探し回ってたのは過剰反応ってわけじゃなかったんだな。からかって悪いことしちまったぜ。」

「で、どうするんですか?」

「里には連絡する。決めるのは火影様だろうが、あいつがただ黙って指をくわえて待ってるとは思えねえ。さっさとこの事件を解決して『杖彦』を元に戻してやんないとな。」

「そうですね、サクラも随分心配してたし。」

イノの言葉にアスマは頷いて。そして木の窓を開けて印をすばやく結んで鳥を出すと空に放った。

「これでいい。あとはなんとかなるだろう。」

アスマは鳥が頭上の空を何回か旋回して飛び去っていくのを見守った後、ポケットから新しいタバコを取り出して口にくわえたのだった。