数日後、アスマたちによる事情聴取は終わった。結果犯人らしき人物を特定する証言は得られなかった。
犯人だって正直に話すとは思えない。
アリバイを聞き出しても、その時村人たちは各々の家で眠りについているからほとんどの人間にアリバイはないと言える。アリバイは身内の者の証言では立証できないのである。第3者の証言がなければだめなのだ。
そんなわけで捜査は困難を極めていた。アスマからは何かつかんだか?とたまに聞かれるが何も答えられない状況だ。

杖彦はあれからユキの所へ何度か行こうと思ったが、そのたびに何故か踏みとどまってしまう。
それに、葬式のときに誰かに襲われたという話もできなかった。犯人ならば事件のことをかぎ回っていた自分をさっさと殺していたことだろう。それをしなかったということはあの時襲った人間は自分を殺そうという意思はなかったということだ。
では何が目的で襲ったのか。脅したり警告のつもりで襲ってきたのか?それともこんなもさい男にいたずらか?
ありえない。
では、男は純粋に自分に口付けようと?
そこまで考えていつも杖彦は不思議な気持ちになるのだ。まるで乙女のように胸が騒ぐ。自分は一体どうしてしまったのだろう。

「でよ、杖彦はどう思う?」

アスマに問いかけけられて杖彦はびくっ、と体を揺らした。

「なんだ、聞いてなかったのか?」

「すみません。なんでしょう?」

アスマの言葉に杖彦は素直に謝った。

「うん、まあ、なかなか劇的な成果はでてないからなあ。でもある程度は人間も絞れてきた。しらみつぶしに検証してさらに犯人である確率の高い者に絞っていく。その上でまた事情聴取する。地道だがそれ以外に方法もない。本当は自首してもらうのがいいんだがな。その方が罪も軽くなるし、これ以外に何か思いつく方法はあるか?」

「いえ、特には思いつきません。」

「そうか、うん、分かった。今日も足運ばせちまって悪かったな。」

あれから、アスマたちとは一日に一度は連絡を取るようにしている。事件のことについてもだが、杖彦の様子も確認したいのが理由らしい。
突然に記憶が戻ってこの村の滞在中のことを逆に覚えていなかったらそれはそれで村人に混乱を招くかららしい。

「で、記憶に関して何か変わったことはなかったか?」

「いえ、そちらも特には。」

「そうか、すまねえな、お前のこと話してやれなくて。」

アスマの言葉に杖彦はいいえ、と柔和な笑みを浮かべて立ち上がった。そして玄関先へと向かった。

「あー、そういえばなあ、」

見送ってくれるつもりなのか、アスマが玄関先までついてきた。

「なにか?」

「気をつけて帰れよ。」

アスマの言葉に杖彦は笑った。

「か弱い女性ならはいざ知らず、男にその言い草はないでしょ?」

「お前だから言ってんだよ、そろそろ着いてもおかしくないだけの日数が過ぎた。」

ぼそぼそとしたアスマの言葉が聞き取れなくて杖彦は首をかしげた。

「何かおっしゃいました?」

「いや、なんでもない。じゃあまたな。」

「ええ、おやすみなさい。」

杖彦は小屋を後にした。イノは夕飯の調達とやらで不在だった。むしろ自分よりもあの少女の方が心配だと思った。でもまあ、木の葉の忍びと言うからにはきっと村人の誰よりも逞しいのだろうが。
ざあっ、と風が吹いた。辺りはもうすぐ日が沈む。逢魔が刻か、早く帰ろう。
足を速めた途端、杖彦の体が宙に浮いた。いや、浮いたように感じただけなのかもしれないが、今まで木々の間の道を歩いていたはずなのに、一瞬のうちにそこは見知らぬ倉庫のような場所になっていた。
一体どうなっているんだ?と杖彦は目を見開いて辺りを見渡そうとした。だが後ろから壁に押し付けられ、またもや腕を拘束されて体の身動きが取れなくなった。
間違いない、あの寺の時の男だ。今は口は塞がれていない。

「あんた、一体何者なんだ?どうして俺にこんなことするんだ?」

後ろにいる男は杖彦の体と密着して、そして杖彦の服の中に手を突っ込んだ。
杖彦があまりのことにショックを受けていると、手はどんどん調子に乗って色んなところを触ってくる。口付けどころの問題ではない、このままでは、と想像したところで杖彦はやはり暴れだした。

「や、やめてくれっ、こ、こんなところで、いやだっ、」

ぴたりと手が止まった。

「こんなところじゃなかったらいいの?へえ、誰にでもそんな体なの?淫売っ。」

初めて男の声を聞いた。耳に響く低い声。だがその言葉の意味に杖彦の体が小刻みに震えだした。顔が火照る、視界が潤む。自分は男だ、こんなこと言われたって相手が変態だと思えばどうってことない。平気だ、大したことじゃない。男なんだから、男なんだから。
だが、瞳から溢れるこの熱い液体はなんだろう。どうしてこんなに苦しいのだろう。

「ふ、ううっ、うっ、」

声を押し殺して杖彦は涙を流す。泣くな、泣くんじゃない。けれど嗚咽が止まらない。どうしたというのだろう、自分はこんなに弱い人間だったろうか、こんな見も知らない男に言われた言葉ひとつでこんなに心が千々に乱れるなどと。
だが相手はひどく動揺したのか手を止めて杖彦の体をぎゅっと抱きしめてきた。

「ごめん、言い過ぎた。心にもないことを言葉にした。本気じゃなかったんだ。ごめん、ごめん、ごめんね、」

耳元の声は切ないまでに杖彦に許しを請い、こちらが口を開こうとしたところで、寺の時のように気配は唐突に霧散してしまった。
辺りを見渡してもその姿は見えない。
乱れてしまった衣服を整え、杖彦は倉庫を出て歩き出した。よくよく見るとそこは村はずれの倉庫だった。民家は近くにないがたまに人が通るくらいの場所だ。やはり止めてもらって正解だった。

 

声の主は、悔やんでいたようだった。杖彦に言った言葉に自分で傷ついていたような気がする。もしかしたら杖彦以上に。
それはつまり、優しい人間なのではないだろうか。
杖彦の心の中にもう悲しみはなかった。今でもあの言葉は心に針が刺されたかのような痛みをもたらすけれど、あの人のしょんぼりとした声を聞いてしまったらしようのないことだと苦笑して許してしまう自分がいたのだ。
こんなことはおかしい、そんなこと分かってる。けれどどうしようもないのだ。
この気持ちは一体なんだろう。たった一人の言葉に、行動に一喜一憂してせわしなく鼓動が高まる。まるで恋をした娘のようだ。

「らしくない、な。」

恋する娘などとんでもない。ただ、あの人がまた現れたときはもう少し会話をしたい。声を出せるのだから話をすることはできるはずだ。
顔も見たこともないし、唐突に口付けするは、体を撫で回すやらで不審人物に間違いない相手だというのに、杖彦は話をしたいと、それだけを思った。

「俺は、本当にどうしちまったのやら。」

杖彦は困ったように笑いながら歩いていったのだった。