数日後、杖彦は走っていた。向かう先は鳴瀬の家だった。
それと言うのもアスマにユキが流産したことが知れてしまったのだ。しかも流産をした時期と言うのが女性が殺された前後と曖昧だったようで、詳しい話を聞きに午後からでも赴くらしい。
たまたまその話を聞いていた杖彦は、ユキにそのことを知らせようと思って走ったのだった。ユキが犯人として決まったわけではないが、以前聞いた時に思わせぶりな態度を取っていたし、犯人ではなくともなにかしら事件には関わりがあるのだろう。
もしも犯人を知っているならアスマが来る前に自首をすすめてほしい。
杖彦はそう思いながら走ったのだった。
そして鳴瀬家に到着して杖彦は少し乱暴なまでに強く玄関の戸を叩いた。

「すみません、すみませんっ、」

すぐに中から物音がして戸が開いた。出てきたのはカナエだった。杖彦の慌てた様子に驚いたのか、目を見開いている。

「どうしたの杖彦さん、そんな怖い顔して。」

「ユキさんはいらっしゃいますか?火急の件で伺ったんです。どうか会わせてください。」

「ユキさんに?ええ、かまいませんよ、確かさっきタクミがお茶を取りに来たからまた縁側にいると思います。庭からの方が近いです。そちらから回ってちょうだい。」

カナエに言われて杖彦は頭を下げると前回来たときと同じように庭へと回った。
はたして縁側にはユキとタクミが二人並んで座っていた。杖彦の登場に二人とも顔を強張らせた。

「すみません、あの、急におじゃまして、でも急いで知らせないといけないと思って。」

タクミが立ち上がって縁側の靴脱げ石に置いてあったサンダルを履いて杖彦の前まで来た。

「知らせってのはなんだ?」

「木の葉の事件を捜査しに来た人たちに、ユキさんが事件のあった前後に流産したってことが知られてしまったんです。関連性が強くなったと言って午後からにでも事情聴取に行くと言っていました。」

杖彦の言葉にタクミはちっと舌打ちした。

「もしも犯人を知っているなら自首をすすめてください。己の罪を認めてしっかり償う。その方が絶対にいいんです。」

だがタクミは頭をぼりぼりと掻いて杖彦に背を向けた。

「タクミさんっ、」

「なんにも知らねえよ、知ってたって教えるつもりもねえ。それだけだ。」

「そんな甘いことを言っても無理です。忍びは幻術を使います。話したくなくても自白剤もあります。いざとなったら少しばかり強引にことを進めることも可能なんです。黙っていればいずれいなくなると思ったら大間違いなんですよ。」

タクミは背中越しに杖彦を振り返った。

「あんた、随分忍びについて知ってるな。案外記憶がなくなる前は忍びだったのかもな。」

その言葉に杖彦は咄嗟に何も言えなくなった。実際、いや、たぶんそうなのだろう。はっきりとは言われなかったが、アスマは杖彦が忍びだったことを前提として話をしているようだし。
杖彦が黙ってしまったのを見てタクミはやれやれとため息を着いた。

「どちらにしろ俺たちが何かを言うことはない。それだけは確実だ。どんなことされたって自分の意思で話すことはない。分かったら帰ってくれ。午後からその捜査の人間が来ても同じことを言うまでだ。それ以上も以下もない。」

タクミの言葉に杖彦は唇をかみ締めた。

「ひとつ、教えてください。」

「なんだ?」

「何故男のユキさんが妊娠したなんて嘘の情報を流したんです?男が子を成す事はできない、わかりきっていることなのにどうして?もしもそのまま妊娠して出産する時期になっても出産しなかったら疑いの目がユキさんのほうに向かうって分かりきっていたはず、」

杖彦ははた、と自分の言葉に疑問を持った。
そうだ、むしろそっちの方がおかしい。男であるユキが妊娠できるはずもないのに妊娠したと偽りの情報を流して得することなどひとつもない。自分の身を危うくするだけだ。そんな情報を流して得をする人間するなんているはずがない、しかし仮にいたとしたら、その人はユキを、

「もういいわ。」

廊下の奥から人影が現れた。タエだった。

タクミがよせ、と低い声で脅したがタエは気にした様子もなくユキと同じように縁側に座った。

「タエさん?それはどういう意味なんですか?」

「うすうす感づいてると思うけど、あたしが殺したの。」

タエはいつものように元気な笑みを浮かべて笑っている。屈託のない笑みなのにどうしてそんな残酷なことを告白できる?まるで冗談を言っているかのようだ。

「杖彦さんったら、そんな顔しないで。あたし、後悔してないの。」

杖彦は眉間に皺を寄せた。

「どういう意味ですか?後悔してないって、あの女性を殺したことを後悔してないって言うんですか?」

「そうよ。」

「何故です、どうしてそんな惨いことを。」

「惨たらしくなんかないわ。最も汚らわしくて厭らしい人間が隣にいるもの。私のしたことなんて些細なことよ。」

タエの言葉が信じられず杖彦はめまいを感じた。杖彦の近くにいたタクミがタエをねめつけている。

「タエ、やめろ。お前と言えどユキのことを悪く言うのは許さない。」

「兄さんは黙っててよ。ねえ、聞きたくない?この人がどんな悪巧みをしてたか。」

「タエっ、」

「教えてあげる。この人はね、人身御供を作ったのよ。自分が産めないからって代わりの人間を連れて来たの。どこまでも汚らしい奴よ、折角みんなの前で化けの皮はがせるチャンスだったのに、そんな逃げ道作ろうとするからあたしが罰を下してやったのよ。」

杖彦は目を見開いた。タエの言うことが事実だというのならば、あの女性はユキの代わりに子を産む予定だったというのか?

「でもあたしが殺したからおしまいよ。残念ね?でもそんなのどうでもいいわ。だって大元を失くさないとだめだってよく分かったから。」

ちらりと何か光るものが目に入った。よく見るとタエの手に包丁が握られていた。
その切っ先がユキへと伸びる。一瞬の出来事だった。止められないと誰もが思った瞬間、白い煙と共に黒い影がタエとユキの間に入った。
煙が晴れた時、そこにいたのは夢で見た血塗れの男だった。
タエの包丁を指の間に挟みタエを取り押さえている。
夢の中の人物がどうしてこんなところに?杖彦が呆然としていると、その男の人はユキに離れて、と合図して縁側から立ち退かせるとそのまま紐でタエを捕縛してしまった。慣れた手つきだった。しばらくはばたばたと何か喚いて暴れていたタエだったが、男が額に付けていた鉢がねのようなものを上げて目を開けると途端、静かになった。
騒動がひと段落すると杖彦はその男の人に近寄って行った。

「あの、あなたは?」

杖彦が声をかけるとそれを無視するかのように男の人は視線をそらした。

「アスマが来たら、この人引き渡して。」

聞き覚えのある声だった。たった一度だけ聞いた声、何故か耳から離れない、声。

「あなた、この間の、」

だが杖彦が何かを言う前にその男の人は来たときと同じようにして煙と共に消えてしまった。唐突に現れて、唐突に消えてしまった。

「杖彦さん。」

タクミの側にきたユキに声をかけられて杖彦が振り向くと、ユキは深深と頭を下げた。

「すみませんでした。」

「ユキ、よせっ」

タクミの言葉にユキは首を横に振った。

「もう、やめましょう。端から無理だった。その無理から歪が生じてどんどん嘘で塗り固めていって、こんなことになってしまった。」

襲われた直後だというのに凛とした態度で、ユキはいつものような朗らかな笑みを浮かべて言った。

「全てを、お話します。」