約束をしていました。
いつかきっと迎えに来るから待っていてね、と。
では待ちましょう、綺麗になってあなたを待っています。
ずっとずっと昔にした指きりげんまん、あなたは覚えてくれているでしょうか。

 

 

「ぶえっくしょいっ!!」

ふぐふぐと鼻をすすってイルカは両腕をさすった。今日はやけに冷えるぜ、こんな日は熱燗できゅーっと一杯やりたいもんだ。
親父臭さに磨きがかかったイルカは(御歳25歳なわけだが)本日じゃんけんで負けて宿直当番に任命され、一人ぽつんと受付に座っていた。
外を見れば雪がはらはらと舞っている。この調子では明日はかなり積もるかもしれない。こんな日はきっと受付に報告書なんか提出せずに家のこたつに入ってぬくぬくして翌日提出すればいいやと思っている輩が多いに違いない。
と、言うか自分だってそうしたいんだけどなあ、なんて不謹慎に思いながら冷え切った湯のみを手に取った。
お茶のおかわりでもしてこよう。あんまり飲みすぎるとトイレが近くなるから控えた方がいいのかもしれないが、寒いんだから仕方ない。
立ち上がろうとしたとき、廊下から足音が聞こえてきた。足音と言っても忍びの耳にしか聞こえないかすかな足音だ。
報告書の提出者だろうか、浮かしかけた腰を落としてイルカは椅子に座りなおした。
そしてやってきたのは、雪と同じように白い肌と髪をした男だった。

「お疲れ様です、報告書、お預かりします。」

イルカがにこりと微笑むと男は無言でイルカの前に報告書を差し出した。イルカは受け取った報告書をすらすらと目で通して必要箇所の記入を確認してはんこを押した。

「はい、確かに受領いたしました。お疲れ様でした。」

イルカが笑みを浮かべて言うと、男は首を傾げた。イルカも傾げる。

「どうかしました?」

「あんた、どっかで見たことある気がするんだけど。」

「そりゃあ、俺は生まれも育ちも木の葉ですからね、どこかで見たことある顔かもしれないですけど?」

イルカの言葉に男はそうだねぇ、とぼりぼり後頭部を掻いた。

「じゃあ帰るわ。」

男は眠そうな目であさってのほうを見てから背中を向けた。

「はい、おやすみなさい。」

イルカは笑みを浮かべたまま言って報告書を専用のボックスに入れた。男は受付から去っていった。
それから、イルカはきっちり10分間静止したまま受付の出入り口をじっと見つめていた。去っていった男の後姿をその目に焼きつけんばかりの眼差しで。
やがてふう、と息を吐き出してイルカは椅子の背もたれに背を預けた。

「ごめんなさい。」

口から洩れた言葉は誰に聞かれることも無く、しんしんと降り続く木の葉の雪夜に消えていった。

 

翌日、降り積もった雪に子供たちは喜び勇んでその日の授業は急遽雪遊びとなった。
イルカは子供たちの監視をしながら自分も参加して雪合戦に興じていた。

「ずりいぞイルカ先生っ、大人が参加なんかしていいのかってばよっ!」

「いいに決まってんだろっ、悔しかったらお前に限り分身の術を使って複数で攻撃してきてもいいぞ?」

にま〜っとして言ってやれば、分身の術が大の苦手の生徒がくっそーっ、とわめきながらも雪球を投げつけてくる。
イルカはそれを大げさに避けながら軽くにぎった雪球を生徒の顔めがけて投げつけた。
玉は見事に命中する。

「ぶっ、つめてっ、卑怯だぞっ、正々堂々勝負しやがれっ!」

「いや、ちゃんと真正面に立ってるだろ、これ以上正々堂々してちゃいかんだろ、むしろ忍びらしく忍んで戦った方が授業になるんだがなあ。」

イルカはとほほ、とため息を付いた。
グラウンドでは各々が好きなように雪で遊んでいる。雪だるまを作っている者、かまくらをつくって中で休んでいる者、或いは雪遊びなどやっていられるかと勝手に練習用のクナイを持ち出して投げの練習をしている者もいる。
まあ、それぞれ有意義に過ごしてくれればいい。こいつらも来年は試験を受けて巣立っていく身だ。中にはそれが数回目と言う奴もいるがなあ、とイルカは目の前で雪球を一心不乱に作っているクラス一どべの生徒を見やった。

「今度こそ先生をぎゃふんと言わせてやるってばよ。」

きしし、と笑って金色の頭を揺らして雪球を抱えたナルトがイルカに向かって軌道が見えきっている雪球を投げつけてくる。
里のほとんどから邪険に扱われているのにこいつはまっすぐに育ってきた。いたずらもするし授業もよくさぼるが、それでも人を恨んだり虐めたりするような腐った心根は持たずにやってきた。成績はいまいちだが、いつかきっと立派な忍びになるだろう、そう信じている。
自分とは違い、ちゃんとしたまっすぐな道を。
その時、顔に冷たい雪が当たった。

「へっへー、やったってばよっ、イルカ先生に当ててやったぜっ!」

ぼんやりとしていてナルトの雪球に当たってしまったらしい。いかんな、昨日、久しぶりにあの人を間近で見てしまったから動揺しているのだろう。

「ばーか、今のはわざとあたってやったんだ。お前があんまり必死になってるから仏心ってやつだな、うん。」

「え゛ー、なんだよそれっ、ちっくしょーっ、」

ナルトは意地になって雪球を投げつけてくる。イルカはそれに対抗して投げてやる。そんな光景が他の子供たちの目にも面白くなって映ったのか、最初はナルトだけだった対戦相手がどんどん膨れていって、とうとうイルカ対生徒たちという構図になってしまった。
これはちょっと大変かな、と思いつつ、イルカは分身や忍術を使って中忍魂を見せ付けるがために恐ろしく真剣に雪合戦に身を投じたのだった。

 

昼休みになって、さすがに体力とチャクラを使いすぎたイルカは食堂で冷たいスポーツドリンクをぐびぐびと飲み干した。
雪の中で体を動かすとかなり体力を消耗するのだ。それに加えてサービス満点の忍術のオンパレードだったし。
イルカは肩をぼきぼきと言わせて今日の日替わり定食のホッケに手を付けた。身が締まっていてちょうどいい油の乗り具合だ。イルカは切り身を豪快に口に入れてご飯をかきこんだ。
その時、背後に人影ができてイルカは後ろを振り返った。
昨日の受付で見た顔だった、雪のように白い肌に白い髪。のほほんとした目。左目を額宛で、口を口布で覆い隠し素顔をさらさない生粋の忍びスタイルの男。

「何か御用ですか?」

イルカはご飯茶碗を持ったまま笑顔で男に問いかけた。

「あんた、海野イルカって言うんだってね。昨日はじめて知ったよ。」

「戦忍の方は、そうかもしれませんね。俺はずっと里の内部で仕事をしていましたし、受付業務は昨日がはじめてでしたから、あなたともはじめてお会いしたとしても不思議じゃあない。」

男はイルカの横に座った。イルカは遠慮もせずに大根と油揚げの味噌汁に箸をつける。

「この里に海野の姓はあんただけだそうだね。」

「へえ、そうなんですか。ありきたりな名前だと思ってましたけど、そうでもなかったんですねえ。ま、これからは貴重な名前だって飲み会のときにでも自慢しますよ。」

イルカはからからと笑った。

「ツバキって女の子、知らない?」

イルカはうーん、と考え込んでから、ゆっくりと男に向かって顔を向けた。
真正面から見た男の顔は、覆面越しとは言えかなり整った顔かたちをしていると思わせた。きっと、言い寄ってくる女性も多いに違いない。この人は里のエリート忍者、将来を有望視され、そして火影に最も近いといわれている男。

「以前、俺の遠縁の子にそんな名前の子がいました。けれど、九尾の災厄の時に命を落としました。そのご両親も一緒に。」

「慰霊碑に名前がなかったけど?」

「慰霊碑は里の英雄である任務で殉死した者たちの名を残す所です。アカデミー生だった彼女は慰霊碑に英雄として名が刻まれることはありません。一般の墓ならありますから案内しましょうか?と、言うか失礼ながらツバキとあなたはどのようなご関係だったんですか?ツバキが死んだのはもう12年も前のことです。幼少時にお付き合いでもあったんですか?」

イルカの言葉に男は苦しげにため息を付いた。

「ツバキは、俺の許婚です。」

その言葉にイルカは息を呑んだ。そして茶碗と箸をテーブルに置いた。

「そうでしたか。墓参り、付き合いますからいつでも言ってください。時間作りますし。」

イルカの言葉に男は初めて少し笑みを浮かべた。悲しげなものではあったが。

「お願いします。今度の土曜日でもいいですか?」

「あー、はい、いいですよ。午後からなら大丈夫です。待ち合わせは噴水公園でいいですか?そこからなら墓場まで近いんで。」

「わかりました。お手数おかけしますがお願いします。ああ、そうだ、すみません、一人で突っ走ってしまって。俺ははたけカカシと言います。花はこちらで持参しますから、土曜日、お願いしますね。」

「はい、分かりました。」

カカシは頷くとそのまま食堂から去っていった。
イルカは再び味噌汁に口を付けたがなんの味もしなくなっていた。ホッケも漬物も副菜の煮物も全部味がしない。
イルカは箸を置いて頭を垂れた。

「まだ、覚えてたのか。」

 

土曜日、イルカは噴水公園のシンボルである噴水の前に立っていた。数日前に降っていた雪がまだ残っている。息は白くならないが指先が冷たい。手袋でもしてこればよかったか、しかし押入れの奥にしまってあって取り出すのに苦労しそうだ。しかも去年、指先が何かに引っかかって穴が開いてしまって捨てたような気もする。墓参りの帰りにでも買いに行こうか。そんなことを考えている間にカカシが向こうからやってきた。
花束、と言うか花の付いた枝を持ってきている。墓に供えるには少し変わっている。

「こんにちは、イルカ先生。今日は晴れてよかったですね。」

「ええ、そうですね。あの、ところでその花がお墓に供える花ですか?」

「ええ、ツバキの名前と同じ花です。あの子は気が強くて元気だったから、椿の花も負けないくらい赤くて元気いいのを選びました。」

真紅の艶やかな花弁が幾重にも重なったその花は、存在感が強く圧倒されるようだった。イルカはそうですか、とつぶやいてカカシに背を向けた。

「じゃあ行きましょうか。日が沈むのが早くなってきましたし、すぐに日が沈みますよ。」

イルカは歩き出した。その後をカカシがついてくる。

やがて、小さなお寺の中へとやってくるとイルカは慣れた道を歩くように墓所の中のひとつの墓石まで来て立ち止まった。

「ここです、どうぞ。」

イルカは案内すると邪魔にならないように下がった。

カカシはじっと墓石を見つめ、そこに目当ての名があるのを確認して深く深く瞑目した。そしてそっと墓の前に花を置き、手を合わせた。

「ツバキもきっと喜んでいますよ、許婚が会いに来てくれて。」

「そう、思っているといいですが。俺は迎えに来るのが遅すぎたんでしょうか。ようやくずっと里にいられるようになって身を固められると思っていたのに、想い人は隠れてしまった。」

カカシは空を見上げて深く息を吐き出した。

「帰ります。今日は案内していただいてありがとうございました。」

「いえ、こちらこそ会いに来て下ってありがとうございました。」

カカシはイルカに頭を下げるとそのまま墓所から去っていった。
イルカはその後姿をじっと見つめていたが、やがて気配までもいなくなると手向けられた椿の花にそっと手を伸ばした。
だが、その手は花に届く前に止まり、ぐっと拳を作ってイルカは後ずさった。

「触る資格なんか、俺にはないのにな。」

イルカは虚ろな笑みを浮かべて自分も墓所から去って行ったのだった。

 

それから当初予定していた手袋を買いに商店街へと向かった。
量販店の衣料品コーナーで適当なものを物色する。その窓越し、商店街の街道に白い影がちらりと見えて顔を上げた
そこには先ほど別れたばかりのカカシの姿があった。隣に綺麗な女性がいて、腕を組んで歩いている。
目の前が真っ暗になった。
心にえもいわれぬ暗い感情がせりあがってくる。
恨んではいけない、己の運命に。呪ってはいけない、周りの人間を。頭では分かっているのに心の内がどんどん黒く歪んでいく。
その思いを振り切るようにイルカは近くにあった手袋を掴むとレジに持っていってすぐに清算した。そして手袋の入った袋を抱えて走った。
走って走って、人気のない雑木林の中にしゃがんで声を殺して、泣いた。
カカシは木の葉一の技師なのだ、火影に一番近いと言われる人で、エリートで、かっこよくて、優しくて、好きになる女性は多いに違いない。綺麗な女性が大勢彼を求めるだろう。
けれど、本当は、あの人の横にいるのはあの女の人ではなく、自分だった。
イルカは自分の手を噛んで嗚咽をかみ殺した。

 

エリートだから好きになったわけじゃない、許婚だから好きになったわけじゃない。
きっかけは親が引き合わせたものだったけれど、好きになったのは、自分の意思だった。
あの日、約束してくれたのに自分は守れなかったから。