カカシとイルカは幼い頃、親同士の取り決めにより許婚として約束が取り交わされていた。
それでも絶対と言うわけではなく、あくまでも本人の意思を尊重するという方向での話しだったが。
イルカはその頃イルカと言う名前ではなくツバキと言う名前で、性別は、女だった。
女ながらに活発でいつも元気、そんな彼女がいつも物静かで何事にも心動かされないような、良く言えば沈着冷静、悪く言えば何事にも無関心なカカシと初めて引き合わせられたのはカカシ9つ、ツバキ8つの時だった。
その数年前、カカシは唯一の肉親であった父、はたけサクモを特殊な状況にて亡くしてしまった。
元々忍びとしての素質があり、何事にも冷静で寡黙だったカカシはますます自分の殻に閉じこもり、忍びとしての技術の追求のみに没頭していった。
それを案じた、サクモの友人であったツバキの父であるオルカがサクモの生前、酒の席で戯れに言っていた言葉を思い出した。
お互い似た年頃の子を持つ身、うちの息子はどうにも奥手そうだからお前の所の娘を嫁にくれないか、というものだった。
酒の席での口約束だったし、サクモもよもやそんな約束を実行されるとは思ってもいなかったろうが、カカシの身を心配したオルカは、実行した。
渋るカカシを、サクモが生前していた約束を破る気かな?と笑顔で脅して来させることに成功したのだ。

 

「嫌だったらまあ、断ってもいいけど、俺の娘だから邪険にはしないでほしい。ま、仲良くしてやって、最初は許婚って感じじゃなくて、うーん、いい遊び相手って感じかもしれないけど。」

オルカは後ろを歩いていたカカシに向かってそう言ったが、カカシは返事ひとつしようとせず、生気のない瞳で前方を見据えているだけだった。
オルカは苦笑して公園へとやってきた。そして立ち止まると大きな声で名を呼んだ。

「ツバキーっ!お前の許婚が来たからちょっとこっちに来なさい。」

オルカの声はそこらに響き渡り、公園で遊んでいた子供たちの動きが一瞬止まってしまった。ちなみにオルカはアカデミーの現役教師である。
オルカの呼びかけに、はーい、と言って滑り台の後ろから一人の女の子がやってきた。
日に焼けて元気いっぱいに笑っている。そしてオルカの隣まで来るとカカシに向かってぺこりとお辞儀した。

「こんにちは、私はツバキ、よろしくね。」

ツバキが挨拶するとオルカがよしよしと頭を撫でた。

「いい子だろ、俺の自慢の娘だからなあ。さ、カカシ君も挨拶して。自分よりも小さい、しかも女の子が挨拶できて君ができないわけ、ないよねぇ?」

オルカに言われてカカシはツバキに体を向けて小さく会釈した。

「え、それだけ?カカシ君はほんとクールって言うか、ぶっちゃけ無愛想だよね。今度君の上忍師にちくっちゃうぞ?」

オルカはカカシの上忍師とも仲が良かった。
カカシはむっとしたが、それ以上は何も言う気がないのか、腕を組んであさってのほうを見ている。

「仕方ないなあ、じゃあツバキ、カカシ君と一緒に遊んでおいで。カカシ君は中忍だから結構危ないところに行っても平気だからじゃんじゃん危険地帯に行ってもOKだ!」

オルカの言葉にカカシはげっとし、反対にツバキは嬉々として飛び上がった。

「わーい、じゃあさっそく死の森に行ってくるね!」

「ああ、行っておいで。でも死んじゃだめだぞ?」

「はーい。」

ツバキは嬉しそうに笑って死の森のほうへと向かっていった。

「ちょっと、俺は許婚とやらに引き合わせられるためだけにここに連れてこられたと記憶してるんだけど?子供のお守りならDランクの任務だし。」

カカシの言葉にオルカはにしし、と笑った。

「残念だったね、昔からお見合いって言うのは親と交えて話すよりも本人同士で話をするもんだと相場が決まってるんだ。ツバキはまだ幼いし、君は中忍並みの実力の持ち主だから会話の内容もバランスが取りにくい。だったら一緒に遊んでみるのが手っ取り早くていいだろう?いい修行にもなるし。ほらほら、ツバキは結構足が速いから死の森の中に入っちゃうよ?早く行かないとね!もしも娘が怪我しようもんならどうなるか、俺にもわからないよ?」

オルカは口元で笑みを浮かべながら目だけは笑わずにそう言うとさっさとカカシに背を向けた。
カカシは小さく舌打ちすると跳躍して死の森へと向かった。
ツバキは死の森の中に入ってすぐのところで早速巨大ねずみと格闘していた。巨大と言っても大きめの猫くらいだが、それでも牙や爪は十分な凶器になる。
カカシはさっさとねずみを一刀両断にした。

「お前さあ、こんなところで遊ばないでもっと別な所で遊んでよ。」

断ち切った刀の血を振り払ってしまいカカシが言うと、ツバキはぷいっと顔をそむけてぐんぐん森の中に入っていく。仕方なくカカシも後をついていく。
ツバキは底なしっぽい沼や毒草の生い茂る花畑や毒を持つ虫に触りたがるのでカカシはいちいちそれらを止めにかかったり先に排除して進む。はっきり言ってもうめんどくさい。だがここで放り投げるわけにも行かない。
ここまで来たからにはとことん付き合ってやらねば。
やがて日が暮れ、辺りが暗くなってくるとさすがにカカシはまずいな、と思い始めた。死の森の動植物は大抵が夜行性だ。あまり長居はしていられない。

「おい、いい加減に帰るぞ。もう十分遊んだだろ。」

だがツバキはカカシの言葉に耳を貸さず奥へと進もうとする。カカシはむっとしてツバキの手を取った。

「いい加減にっ、あれ、お前、」

ツバキの手は震えていた。季節柄今は寒くはない。とすればこれは精神的なもの。

「お前、ずっと震えてたのか?本当は怖かったのにずんずん歩いてたってのか?」

カカシが呆れて言うと、ツバキはう〜、とうなってカカシの手を振りほどいた。そして走り出した。

「おい、待てよ、そろそろ帰らないとほんとにやばいんだって、」

カカシはツバキを追いかけた。だが一瞬の隙にツバキを見失ってしまった。カカシは分身を使ってくまなく探したがなかなか見つからない。ここからそう遠くへは行かないはずだが。

「おい、いるなら返事しろ。どこにいるんだよ、おいっ。」

だがカカシの呼びかけに応えない。
だが少し離れた場所で悲鳴が聞こえてきてカカシは慌ててその場所へと向かった。
そこでは今まさにツバキが巨大サソリに突き刺されそうになっていたところだった。
カカシはサソリに向かってクナイを投げつけて注意を逸らせるとツバキを抱えて走り出した。ここから出口までかなり遠い、もう月が見える。神経を尖らせなくてはならない。
抱きかかえているツバキの体は震えて止まらない。

「お前なあ、震えるくらいならなんでもっと早く帰ろうとしなかったんだよ。俺は帰ろうって何度も言ったはずだけど?」

カカシの言葉にツバキはぎゅっと唇をかみ締めた。いつの間にか瞳に涙が溜まっている。
おいおい、泣くなよ〜?とカカシは困り顔になった。

「だって、」

ツバキの小さくつぶやく声が聞こえた。カカシはなに?と神経を回りに向けながら問い返した。

「私のこと、おいとかお前としか呼ばなかった。私には名前があるのに。」

カカシはがっくりときた。たったそれだけのことでここまでするってのか、このガキは。

「はいはい、俺が悪かったよ。名前呼ばなくてすまなかったね、ツバキ。」

名を呼べばツバキの顔はぱあぁっと明るくなった。零れそうだった涙も引っ込んで笑みに目が細くなる。
なんだ、笑えばそれなりにかわいいじゃないか、ふくれっ面ばかりしてたからあれが本来の顔かと思ってた。
カカシは失礼なことを思いながらなんとか海野家へと無事にツバキを送り届けることができたのだった。

 

 

それから、カカシはオルカの命令でちょくちょく海野家に出向かされてはツバキの相手をさせられる毎日を送るようになっていった。
はじめは嫌々来ていたカカシだったが、しばらくすると自発的にくるようになった。
ツバキははじめにあれだけ大事をしでかしたからか、それともそういう性格なのか、無愛想なカカシにぐずることなくあれしようこれしようと手を引っ張っては連れまわし、そしてカカシは連れまわされたが、慣れとは恐ろしいものでそんな日常にもカカシは慣れてしまった。
秋も深くなった季節、カカシは海野家の庭の木に背をもたれてツバキの抱き枕代わりになっていた。足の間にツバキを入れてツバキは横になって寝入っている。
暖かい体温にとくんとくんと心臓の音が聞こえてくる。
甘い匂い、木漏れ日の中でその寝顔をいつまでも見ていたいと思った。
さらさらの黒い髪を手ですいてやりながらカカシはぽつりと呟いた。

「こいつ、欲しい、かも。」

「いいよ、あげても。」

いつの間にかカカシのすぐ横にオルカが立っていた。カカシは驚愕した。自分は中忍と言えど上忍並みの力を持っているのに、気づけなかった。オルカは上忍だったのか?

「おや、意外そうな顔だね。アカデミーの教師が上忍なのは意外かい?まあ、このご時勢、戦力が里内にいるのは不自然かもしれないけど、内部から守らないといけないとこもあるからね。それはそうとツバキのこと、気にいったようだね。欲しかったらあげてもいいよ。」

その言葉にカカシは少しばかりむっとした。

「そんな、おもちゃみたいにぽいぽい投げ出すような言い方、」

「なに言ってんだい。君は優秀な忍者だし、君が入り婿になってくれれば海野家は安泰だから喜ばしいことなんだよ?」

言えばカカシはオルカを睨みつけてツバキをぎゅっと抱き寄せた。それを見てオルカは苦笑する。

「ま、そんなのは1/100程度のちょっとした本音だけど。」

1/100でも本音なんだ、とカカシは心の中で突っ込んだ。

「俺は君を信じているし、ツバキもカカシ君のことを気に入ってる。二人がいいと思えば結婚しちゃっていいよ。こればっかりは親が決めるわけにはいかないからね。俺はきっかけをつくっただけだよ。後は若い者同士でよろしくやってくれってなもんだ、ははは、なかなか理解ある父だろ、俺って。」

オルカはそう言って庭から去っていった。
カカシはツバキの柔らかな幼子の体をぎゅっと抱きしめて顔をうずめた。

「ツバキ、俺にもらわれてくれるかな。」

カカシはそれから風が冷たくなるまでツバキを抱きしめていた。