だが、第三次忍界大戦は日々、拡大の一途をたどっていた。そして上層部は実践不足を否めない忍びたちをも投入して戦争を終結へと向かわせようとしていた。
その中には当然カカシの名前もあった。急遽組み合わせになったスリーマンセルと担当上忍師にて戦地へと赴くことになったのだ。
一度戦場に出ればなかなか里には帰って来られないし、もしかしたらそのまま英雄になってしまうかもしれない。
カカシは戦地への召集命令を受けたその日、海野家へと向かった。
夜分遅くに訪れたにもかかわらず、オルカは快くカカシを出迎えた。

「君の担当上忍師から聞いてるよ。行くんだってね。」

「里のためです。ひいてはツバキのためでもある。」

カカシの言葉にオルカは頷いた。忍びは忍術だけで強くなれるわけじゃない、誰かを守るため、愛する人のために戦い、そして再びこの地へ戻ってこようとする力が、人を生かすのだ。

「ツバキに話したいことがあるんだろう。縁側で話すといい、俺たちは家の中にいるから。」

オルカに言われてカカシは深く礼をした。そして庭先から縁側へと向かった。
おりしも先日から降り続いていた雪が少しばかり積もって庭の木々は雪化粧をしている。今夜は久しぶりに晴れて、雲間から半月が顔を出していた。月の青白い光りが雪に反射して薄く青く辺りを照らしている。
縁側の戸が開いて、家の中からツバキが出てきた。休んでいたのか、浴衣の上にはんてんを着込んでいる。

「寝てたの?ごめんね。」

「ううん、いいよ。どうしたの?雪遊びするの?」

最近ばたばたとしていてツバキの元へもなかなか来られなかった。今日こそ遊んでくれるのかと思ったらしい。
カカシは小さく笑って縁側へと向かった。そして頭一個分高くなったツバキの手を取った。

「ツバキ、俺と結婚してほしい。」

「うん、いいよ。」

間髪いれずの即答にカカシは少々面食らった。こんなにあっさりしていいのだろうか、ここまで来るのにそれなりに色々考えていたのに。
案外自分の方がロマンチストかもしれないと思った一瞬だった。

「結婚の意味、分かってる?夫婦になるってことだよ?」

「知ってるよ、お父さんとお母さんみたいになるんでしょ?カカシとならいいよ。」

応えは簡潔だったが、意味はちゃんと理解してくれているらしい。

「そっか、うん、ありがとう。でも今すぐじゃないんだ。」

「え、そうなの?」

ツバキは少しむくれた。この顔も最近は久しく見ていなかったな、とカカシは微笑んだ。

「俺、しばらく遠くに行くんだ。なかなか帰ってこられないかもしれない。だけど必ず帰ってくるから、必ず迎えに来るから、それまで待っていてほしい。」

カカシの言葉にツバキはぱちくりと目を瞬かせたが、元気よく頷いた。

「うん、分かった、待ってる。だからちゃんと帰ってきてね。約束だよ。」

ツバキはにこりと笑ってカカシの手とつないでいない方の手の小指を突き出した。

「指きりして、」

カカシはツバキの小指に自分の小指をかけた。そして指きりげんまん、と二人で言って、そして指は離された。
ツバキの手を離すのを惜しく思ったが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
カカシはそっとツバキの手を離した。

「じゃあ、また会う時まで。」

「うん、おもいっきり綺麗になって待ってるから、ちゃんと帰って来てね。死んだら祟るからね。」

きしし、と父親と同じように笑ってツバキは鼻をすすった。今日は冷える、このままでは風邪をひいてしまうだろう。

「もう帰るね、おやすみ。今日はあったかくして寝な、じゃあ、また。」

カカシは庭先から跳躍して屋根伝いに自宅へと戻っていった。
ツバキはその後姿をじっと見つめていた。
ツバキだって馬鹿じゃない。カカシが戦争に行ってしまうという事を父から聞いたときには心配になって泣きそうになったが堪えた。
母がお見送りするときは笑顔でないと後悔してしまうから、と言ったから。でも、本当は寂しくて、悲しくて、ずっと一緒にいてくれればいいのにと何度も思ったけれど、それはできないのだ。
カカシの白い髪が雪明りに照らされて輝いていた。そのきらきらした髪が見えなくなるまでずっとずっとツバキはカカシを見送ったのだった。

 

 

カカシが帰ってくる前に、ツバキは突然に倒れてしまった。当初理由は不明だったが、調べていくうちにツバキにとって衝撃的な事実が明らかになった。
ツバキは両性具有で今現在、男性ホルモンが著しく分泌されており、このまま女性として生きるよりも男性として生きたほうが体の負担が少ないと言うのだ。
忍びとしての経絡系の流れから言っても、今のままでいくと忍びになるのはもちろん、生きていくのに不具合が出てくるだろうという診断結果が出た。
ツバキは当初、もちろんだが嫌がった。
今まで女の子として生きてきたのにどうして突然男として生きなくてはならないのか。
けれど、このままではいずれ体のバランスが崩れていってしまうだろう。
それでも泣いて嫌がるツバキにオルカは必死になって説き伏せた。

「ツバキ、辛いだろうけど、俺はお前に健やかに生きてほしい。たとえ性別が変わったとしても俺の大切な子供には変わりないんだ。」

病室のベッドの中で丸まってオルカの話を聞いていたツバキは、やがてシーツの中からおずおずと顔を出した。涙を流して目がはれぼったくなってしまっている。いつも元気な娘の、いつにない泣き顔にオルカは胸が締め付けられた。

「ツバキ、」

「カカシ兄ちゃんの、お嫁さんになれない。約束したのに、待ってるって言ったのに。」

「それが、一番嫌なのかい?」

ツバキは頷いた。オルカはベッドの端に座って娘の頭を撫でた。

「お父さんからカカシ君には話してあげるよ。事情を話せば分かってくれる。」

「でも、」

「心配しなくていいよ。それに、お嫁さんじゃなくても一生友達でいてくれるよ。カカシ君は優しい子だ。ツバキの方がよく知ってるだろう?」

ツバキは小さく頷いた。

「カカシ君はお前の元気ではない姿よりも、性別が変わったとしても元気な姿の方を喜ぶと思うよ。手術、受けてくれるね?」

オルカの言葉に、ツバキはうつむき、やがてあきらめたかのように頷いた。

「じゃあ先生に話してくるから、ゆっくり休みなさい。」

オルカはそう言って病室を出て行った。
ツバキは、ベッドから起き出してテーブルの上にあった果物籠に手を伸ばした。そしてその横に置いてあった果物ナイフを手に取る。
ツバキはナイフをぎゅっと握り締めると、自分の顔めがけて切りつけた。
焼けるような痛みと、血が溢れてくる恐怖感と、だが、一番苦しかったのは心だった。
ツバキはナイフを握り締めたまま、その場にうずくまって再び涙を流した。
カカシのお嫁さんになりたかった。ずっと一緒にいられると思ってた。でも、それはもう叶えられないのだ。女として生きられないのならば、その覚悟をするためには踏ん切りが必要だった。
顔に傷をつけたのは女の子としてではなく、これからは男として生きていくための証。

「ごめん、ごめんなさい、」

ツバキは痛みに身を縮こまらせながらひたすら謝り続けた。誰でもない、カカシのために。
やがて戻ってきたオルカにその姿を見つけられたツバキはすぐに手当てを受けた。
だが深く切り込まれていたため傷跡が残った。鼻の上に横一本に深く切り込まれた傷。
オルカは、ツバキの体を抱きしめて何も言わなかった。叱ることも、宥めることも。オルカは分かっていたのかもしれない、ツバキの気持ちを。
やがて顔の傷の回復を待って性転換の手術は行われ、無事に成功した。
退院したツバキは自宅に戻って両親の前に正座した。

「これからは、男として生きていく。俺は今日からイルカと名乗る。」

そう言って、にかっと笑ったわが子に、二人も笑みを浮かべた。

「かっこいい名前だな、自由でいい名だ。俺の自慢の子だ。」

オルカはぐしゃぐしゃとイルカの頭を撫でた。

「退院祝いにご馳走作らないとね、イルカは成長期なんだし。」

母はそう言って張り切って台所へと向かった。
イルカはそんな二人を見て涙が出そうになるほど笑顔になった。
もう決めたんだ、これからは男として生きていくと。

 

だがそれから間もなくして、里は九尾の災厄によって甚大な被害に見舞われた。
その時に戦っていた両親は死んでしまった。一人になったイルカは恐怖に陥った。両親が死んでしまったことは悲しいし辛い。だがカカシと一人で対面するのはもっと怖い。
両親がいてくれることでなんとか心の平穏を保っていたイルカは、ここにきてその心が破綻してしまった。
毎日毎日カカシが来るのが怖くて仕方がなかった。やってきて、男の自分を見てカカシはどう思うだろうか。軽蔑されたり無視されたり、嫌われてしまうかもしれない。
もう二度と話もしてくれないかもしれない。そうなったら自分はどうすればいいのか分からない。
カカシと長い間離れていたことや、里の被害にその時子供の心をケアする大人の数が圧倒的に少なかったこと、さまざまな負の要因が重なってイルカの心は崩壊していく。
そしてとうとう、火影の名を再び継いだ3代目火影の元へとやってきたイルカはたった一つ、彼にお願いをした。
自分の存在を消してほしい、と。
どんな形でもいい、自分という存在をカカシに知られたくない。里を追放されたっていい、殺してくれたっていい。自分がいなくなるのであればどんなことだってすると言って頑なに譲ろうとしなかった。
初めは親をなくした子が心乱してしまったのかと心配した火影だったが、その根底を調べていけばイルカの心の混乱は根深いものだと知れた。
このままではいずれ己で己を傷つけてしまう可能性が出てくるとの児童心理の専門家の話により、火影はひとつの提案をした。
つまり、ツバキを九尾の災厄で両親と共に死んだことにして、イルカと言う名の子は海野家の遠縁の子という風に戸籍を変えるというものだった。

「これでお前がツバキと言う証拠はなくなる。お前は男としてどんどん体つきも変わっていくだろう。カカシには里外任務をもうしばらく継続させる。再び里で出会ってもお前だとは分からぬだろう。だから心配せずとも良い。イルカよ、強く生きよ。両親も、そしてわしもお前が死ぬのを喜びはしない。生きるのだ。」

火影の言葉にイルカは頷き、男らしく、そして親と同じ教師となるべく必死になって生きてきた。

 

そして、十数年の年月を経て、再びイルカはカカシと出会った。
別れた時と同じ雪の季節、あの頃と変わらない白く光る髪を見せて。