「あれ、イルカ先生、その手袋なんか変な色だってばよ。」

登校中にナルトと鉢合わせて一緒に歩いていて、目ざとく手元を見られてイルカは苦笑した。
イルカの手には淡い薄紅色の手袋がはめられていた。どう見ても女物だった。

「あー、なんか間違ったみたいでな。でも大きさもそんなに小さすぎるってわけじゃないし、別にいいだろ。なんだ、お前ほしいのか」

「そんな女っぽいのはノーサンキューだってばよ。」

ぶー、とふくれた生徒の顔にイルカは苦笑した。

自分だってこの色合いはないだろうと思ったが、あの時に慌てていて確認をしなかった自分が悪いし、元値がかなり安いものだし返品せずともいいかと思ったのだ。
ナルトみたいに突っ込む奴もあまりいないだろうしとも思ったのだが。
それからアカデミーに着いてイルカは職員室へと向かった。同僚にも突っ込まれるかと思ってイルカは職員室に入る前に手袋をはずしてかばんの中に詰め込んだ。
職員室の中に入ると隣の席の同僚がイルカに話しかけてきた。

「この間は当直代わってもらって助かったよ。」

「代わったって言うか、じゃんけんで負けただけだけどな。」

イルカは苦笑した。あそこでカカシと出会わなければ、ピンクの手袋を買うこともなかったろうが、そこはまあ、言っても仕方のないことだろう。

「でさ、悪いんだけどまた当直代わってくんねえかな?」

「おいおい、またか?お前最近どうしたんだよ。」

受付業務は簡単そうに見えるがじつは結構大変な業務である。あまり頻繁に交代するものでもない。それを知らない同僚ではないだろうに、とイルカは眉を寄せた。

「分かってる。けど女房の容態が良くなくてさ、出産間近で色々物入りだろうからって受付任務を買って出たけど、そうも言ってられなくなったんだ。」

そういえば奥さんが臨月と聞いていた。

「そっか、容態悪いのか。なら早く帰ってやれ。日中はいいのか?」

「ああ、日中は病院の看護士が見ていてくれるんだが、やっぱり夜になると人も少なくなるし、あいつも心細いみたいでさ、少しでも一緒にいてやりたいんだ。」

同僚は深刻そうな顔でうつむいた。イルカはぽんぽんと同僚の背中を叩いてやった。

「そういうことならまかせとけよ。俺は独り身だし、容態が良くなるまでずっと代わってやってもいいから、お前は残業もできるかぎりしないで帰れよ。」

「悪い、無事に出産したら写真撮って自慢してやるからさ。」

「おう、そうしてくれ。楽しみに待ってるよ。」

イルカが笑って言うと、同僚はほっとした様子で両手を合わせてサンキューな、と言ってデスクに向き直った。
子供か、本当なら、自分も産んでいただろうか、あの人の子供を。
だめだな、最近ことある毎に頭の中であの人のことを考えてしまう自分がいる。
早く忘れなくては、早く早くと願うほどに頭の中を占領されていく。まるで麻薬だ。
イルカは頭を切り替えて仕事に集中することにした。

 

そして数日後、イルカは深夜の受付窓口に座っていた。同僚の奥さんの容態は一進一退のようで、予断を許さないらしい。イルカは回復するまで、又は出産するまで受付業務の交代を申し出た。
戸惑うことも多いが、報告してくる絶対数が少ない深夜ならば、不慣れな自分でもちゃんと対応できそうだ。
あいにくと今日も前回と同じように外では雪が降っている。と言うか猛吹雪だった。自分も帰れるかどうか分からないひどさだ。こんなひどい雪の晩に報告書を提出に来るまじめな忍びがいるのだろうか。と、言うか里に帰ってくるのも一苦労だろう。明日は雪かき任務が沢山持ち込まれそうだ。アカデミーの職員は無料でアカデミーの雪かきに決定だがな。
その時、廊下から忍び足の足音が聞こえてきた。ちゃんと報告する者もいるのだ、心強いものだな、とイルカは受付の戸棚に入っている缶を取り出して机の上に置いた。
缶の中には飴玉が入っている。依頼者の中には子供連れの人もいて、依頼者が受付書を書いている間、暇になった子たちにひとつふたつと手の中に入れてやるのだと同僚が言っていたのを思い出す。
こんな雪の夜だ、ねぎらいの菓子でもさしあげたら少しは疲れも取れるだろうか。
イルカが提出者を待っていると、二人の忍びが入ってきた。一人は美しい女性、一人はカカシだった。二人は雪に降られて肩や頭に雪を少し乗せていた。見ている間に雪はしずくなって服を濡らす。払いきれていなかったのだろう。二人は受付所に入ってくると、イルカの前に立った。そしてカカシが報告書を提出した。

「お疲れ様です、拝見します。」

イルカは報告書を受け付けると必要箇所の確認をする。一箇所書類と照らし合わせる場所があったのでイルカは席を立った。

「すみません、ちょっと内容の照らし合わせをするので待っていてください。その間に缶の中にあるお菓子、食べてくださって結構ですから。」

イルカが言うとくのいちが疑わしそうな顔でイルカを見た。あまりほめられた行為ではなかったろうか、なにせ受付業務は今日で二回目、しかもいずれも一人で深夜の受付だ。何か受け付けの暗黙の了解のようなルールがあったとしても自分は知らない。
とりあえずイルカは隣の部屋にある書庫の棚の中から書類を探して報告書の照らし合わせに集中することにした。
やがてぼそぼそと隣の部屋から会話が聞こえてきた。

「お菓子ですって、なに考えてんのかしらね、あの中忍。こっちが寒い中真剣に任務してたって言うのにもう少しましな気の使い方できないのかしら。気の利かない受付よね。」

ああ、やはりおかしなことだったか、次回からは気をつけよう。イルカは苦笑した。ついつい日々日ごろ子供相手の生活をしていると、こういうところでも癖が出てしまうのだろう。
イルカは確認し終えると、受付所へと戻った。お待たせしました、と言って椅子に座る。
見ると缶のふたが開いていた。よくよく見るとカカシの頬が膨らんでからころと音を立てている。どうやらカカシは食べたらしい。イルカは少しおかしくなってくすりと笑った。

「おいしいですか?」

「ええ、まあ、甘いですね。」

「飴玉ですからね。」

イルカは書類に済みのはんこを押した。

「報告書、確かに受領しました。お疲れ様でした。」

イルカの言葉にくのいちはカカシに擦り寄った。寒さに暖を取るためではない、それは女性特有の甘え、だろう。
イルカは自分でも気づかないうちに視線を逸らしていた。

「ね、カカシ、このあと少し付き合わない?吹雪いて寒いし、いいでしょ?」

くのいちが甘えた口調で言うと、カカシは考え込むような素振りを見せて、そしてやんわりと女性の体を自分から離した。

「あんな程度の任務の後で、菓子すら食べられないような弱い心の持ち主と共にはいたくないね。」

カカシの言葉にくのいちは一瞬顔を強張らせたが、再びしなを作ってカカシの腕に触れようとした。だがカカシはその手からするりと避けた。

「もう任務は終わったでしょ、あんたと一緒に行動する理由なんかないんだから離れてよ。いつまでも恋人気分でいられたんじゃたまらないんだけど。」

カカシの言葉にくのいちは今度こそ逆上した。

「なによっ、里一のエリートだからって天狗になってんじゃないわよ。あんたなんか仲間の死体から眼球奪って自分のものにした外道のくせにっ。」

イルカは立ち上がった。

「今日は寒いでしょう、早くお帰りになって休まれた方がいいですよ。」

イルカの言葉にくのいちはぷいっと顔を背けてカツカツと足音を響かせながら受付所から去っていった。
受付に残ったカカシはため息をついた。

「お見苦しいところを、すみません。」

「いえ、でも同じ里の者同士、あまり罵り合うのはどうかと。でもそれを差し引いても、彼女の言動は過ぎていましたが。」
イルカの言葉にカカシは苦笑した。
カカシの左目にはカカシのものではない眼球が埋め込まれている。親友だった者から譲り受けたものだとか、その過程にはきっと、言葉では語ることのできない辛苦があったことだろう。優しい彼のことだ、心を痛めたに違いない。

「報告書にもある通り、ここ数週間、彼女と恋人のふりをしての任務で、彼女の中で俺はどうやら本物の恋人になってしまったようでしてね。任務の中でのことなのに勘違いされて、俺もちょっとそれが鬱陶しくて、ついつい口が過ぎてしまいました。」

数週間、それはカカシが墓参りをする前よりずっとここ最近と言うことだろうか、とすれば、商店街で見た時の彼女は、カカシの恋人ではなかったのだろうか。
改めて報告書を見れば任務の開始日付は墓参りよりも以前からとなっている。
イルカの鼓動が早まった。こんな質問をしても自分には意味が無いと分かっているのに止められない。

「あの、はたけ上忍は、今、恋人はいないんですか?」

「ええ、いません。ツバキがいましたから。でも先日死んだと聞かされて、本当にショックでした。」

その言葉にイルカも苦しくなる。

「好き、だったんですか。彼女のこと。」

カカシは切なげに笑った。

「ええ、大好きでした。いえ、これからも好きでい続けますよ。」

イルカは眉を寄せた。

「どうしてですか?彼女はもう死んだんですよ。ずっと思って独身でいるつもりですか?あなたはこの里でも屈指のエリート忍者なんですよ?家庭を持ち、子を育てるのは里に対する使命のはずです。それを否定されるおつもりですか?」

「使命の否定、ですか。」

カカシは受付のカウンターを飛び越えてイルカの隣に立った。イルカは立ち上がってカカシから後ずさる。

「ひとつ、俺も質問があります。なぜツバキは死んだと嘘をついたの?」

「嘘だなんて、ちゃんとお墓もあったじゃないですか。おかしなことを言いますね。」

イルカは目をさ迷わせる。これ以上近づかないでほしい、これ以上、醜い未練に犯されたくない、どうか。

「もう、待つのが疲れた?それとも約束、覚えていない?」

嘘だ、こんなの嘘だ、あの頃より体格も大きくなって声だって顔つきだって変わった。顔の傷だって、自分だと悟られるはずが無いのに。
カカシが口布を下げて素顔を表した。

「ただいま、ツバキ。」