− 魂合い −






イルカさんが退院した。まだ声は出ないけれど、身体を動かすのはもう全く苦痛ではないらしく、喉以外は常人と言って良い程だった。
俺はあれからも甲斐甲斐しくお見舞いに行ったのだが、その度になんだかイルカさんはどんどん緊張していくようだった。
なんでだ!?普通は会ううちにどんどん緊張が取れていくもんなんじゃないのか?
なんか火影は隠しているみたいだし、イルカさんも重要なことは何も話してくれないし。
仕方ないので俺は俺の自己満足のためだけのような見舞いを続けていたのだった。
イルカさんは自分の生家(?)であるうみの夫妻の家で暮らすことにしたらしい。
うみの夫妻、名前は聞いたことあるけど面識はあんまりなかったかも。俺はずっと暗部で過ごしてきたから、一般の忍びの仲間とはあまり口をきいたことがないのだ。
そんな俺でも名前を知っているくらいだから、かなりいい働きをしていた人たちなのだろうと思う。
数ヶ月前に任務で亡くなって一人息子が残されたと聞いた。それがまさかイルカさんと同じ名前とは驚きだったけど。
イルカさんはそのことについて否定も肯定もしなかった。同一人物なのか、ただの偶然なのか。とにかく解ってることは、その一人息子が今現在も行方不明と言うことだ。
イルカさんはうみの夫妻の遠縁の親戚の人ということに落ち着いたらしい。外勤でずっと里に帰ってなくて、怪我をして休養のために里に帰ってきたが唯一の親戚筋だったうみの夫妻は亡くなっていたので、その家を借りることにした。ということになっているらしい。
この辺りは火影から聞いた話だ。里の中でイルカさんの事情を知っているのは俺と火影だけだ。火影はいつも忙しいから、もしも万が一何かがあった時は俺を顎で使えとイルカさんに言ってあるらしい。
なにその優遇!なんか火影、イルカさんのこと気に入ってる感じがするんですけどっ!!
ま、頼られるというのはなんか悪い気はしないので反対はしなかったけど。イルカさん、俺を頼ったりしてくれるのだろうか。退院してから二人っきりになることを極端に避けているようだし、俺、そんなに何か嫌なことしたんですかあなたに!?
とは直接聞けないので悶々とした日々を過ごす毎日なのだった。
しばらくしてイルカさんは火影から仕事をもらったらしい。アカデミーの用務員の仕事だ。
アカデミーの中は勝手に出入りできないけれど、学校周りの整備をして過ごす。それは花壇の世話だったり掃き掃除だったり、水道の蛇口を直したり。
俺は任務に出かける前だったり後だったりにその姿を時折見かけは機嫌を良くして去っていく。
なんか俺と会うと緊張して顔も強ばっちゃうし、だったら遠くからでも眺めていればいいと思ったのだ。ま、それでもたまに必ず会いに行くけどね。
なんて言うか、あの人の姿を見ているだけでふわふわした気分になる。浮ついてるってわけじゃなくて、なんか暖かくなる。
子どもたちに向ける笑顔なんかは最高だった。声が出ないので挨拶とか言葉は少なくて、それでも子どもたちは手文字なんてまだ習ってない子もいるから、ほとんどジェスチャーで補って会話をするんだけど、イルカさんはとても楽しそうだった。
たまにいたずらされて声はでないけれど拳骨でもって叱ったりして、ただ笑ってるだけじゃなくて、本当に子どもが好きなんだな、って思った。やってはいけないことはしっかり怒る。褒めるべき所はしっかり褒める。楽しいことは一緒に笑って泣いて。
それは当たり前のことのようでなかなかできないこと。少なくとも俺はできないなあ。
イルカさんが好きだな。俺は自然とそう思った。人に好意を向けられるのは慣れてる。だがどれも軽い気持ちのものが多い。俺の肩書きや外見、それが欲しくて仕方のない者たち。好きだとか言われてもちっとも好きって気持ちが伝わってこない。そんな気持ちばかりで俺はそれをただ受け身になって流していただけだった。
けれど、この気持ちはなんだか大切にしたいと思った。
今日は、ちょっと寄ってみようかな。

 

俺はイルカさんの家のチャイムを鳴らした。家からぱたぱたと足音が聞こえてきて、玄関先でしばらく躊躇する気配がした後で、ゆっくりと戸が開けられる。

「や、こんばんは、イルカ先生。これ、お土産でーす。」

俺はにこにこと笑って手に持っていた酒の瓶を持ち上げた。

イルカさんは、おっ、と一瞬嬉しそうな顔をしたがすぐに引っ込めて、だが、おずおずと瓶を受け取った。
この人が結構な酒好きっていうのは解っていた。たまにこっそりと家をのぞき見て、一人でちびりちびりと酒を飲んでいたのを数回見ている。
ふふふ、ストーカーも真っ青だとは思うけど、いいじゃん、この人そんなこと何も話してくれないんだもんよ。

「えーと、それ、一緒に飲みませんか?」

言うとイルカさんは少し迷ったようだが、この酒はなかなか手に入らない希少価値のものであろうことや、一人で飲むのは確かに量が多すぎるし、持ってきてくれた人を差し置いて自分だけ楽しむというのは何か主義に反する。みたいなことを考えているのか、思い悩んでいたが、何か踏ん切りがついたのか俺を閉め出すこともせずに奥に引っ込んでしまった。これは中に入ってよろしいと言うことかな?
いつもは家に寄っても玄関先で追い出されていたから、その頃から見るとすごい進歩だね。
俺は浮き足立っておじゃましまーす。と中に入った。
家の中は綺麗に片付けられていた。男一人の生活なんて結構凄惨たるもののように思われたが、イルカさんはなかなか整頓好きらしい。俺なんかは散らかす程家に寄りつかないし、散らかすものと言っても巻物や忍具がほとんどを占めるので散らかすとやばいものばかりだから散らかせない。
居間らしき部屋に入ると、イルカさんは早速つまみやなにやらを卓袱台の上に乗せていく。そしてコップを二つ取り出して俺の方と、自分の方に置いて酒の瓶の口を早速切る。
とくとくとコップに注がれてイルカさんは一瞬何か迷ったようだが、えいよっ、と聞こえてきそうな勢いで俺が持っていたコップに自分のコップをつけてかんぱーい、として酒をあおった。
俺もつられてかんぱーい、と口に出して酒を飲んだ。うん、辛口だね。けれどすっきりしててするすると喉に入っていく。あ、そういえば酒って喉に悪かったかなあ?

「イルカさん、持ってきておいてなんですが酒、飲んでいいんですか?喉に悪かったりしません?」

イルカさんはコップを置いて手文字で返事した。

“お医者様は多少の酒は大丈夫と言われました。深酒しなければ平気だと思います。”

「そうですか。その後、どうです?声は出そうですか?」

“いえ、それがなかなか治らなくて。それでも傷はほとんど治りかけているそうで、一ヶ月以内には少しくらいの声が出せるようになるだろうと言うことです。ご心配かけてすみません。”

イルカさんはそう言って頭を下げた。

「ああ、いえいえ。頭を上げて下さいよ。そうですか、しばらくすれば声が出るかもしれないんですか。」

イルカさんの声かあ、どんな声なんだろう。顔の輪郭からして低すぎることはないだろうし、高すぎるってわけでもなさそうだ。
...。うわ、なんかちょっと意識してきちゃったよ。やっば、何考えてんだ俺はっ!
イルカさんが不思議そうな顔をしてこちらを見ている。確かに俺は今、とんでもなく怪しい行動をしているように見えるだろう。
俺は誤解を解くために慌てて口を開いた。

「いや、あのですね、特に意味はないんですけど。イルカさんの声ってどんな声なのかなあって思って。や、ほんとそんな大した意味はなくって、いや、ははははは。」

俺はコップに入っていた酒をぐいっと飲み干した。あわわわ、俺、酒は強くも弱くもないんだけどなあ。ま、この位で酔いはしないけど。
イルカさんは酔ったのか、少し顔が赤い。酔うと顔に出るタイプなのか。俺は出ないんだよねえ。だから下戸と勘違いされちゃってどんどん注がれてつぶれちゃうんだよね。特に紅!あいつだけはもう、自分の飲む量を他人に合わせさせるなっ!!
イルカさんは顔を俯き加減にしつつもちびちびと酒を舐めている。

「そう言えば仕事の方はどうですか?アカデミーで用務員の仕事をしていると聞きましたが。」

実はほとんど毎日見に行ってますとは言えない。
イルカさんはばっと顔を上げた。お、なにかいつもと違って話したくてうずうずしている様が伺える。

「よかったら聞きますよ。火影様から聞いてますでしょ?いざとなったら顎で使えってね。」

俺はそう言って、にっ、といたずらっぽく笑った。