− 魂合い −






イルカさんがアカデミーの教師になりたいと言い出した。
火影は難しいと言っていた。俺も難しいと思う。けれどイルカさんは諦めなかった。本屋に行ってアカデミーになるためのHOW TO本を買ったり、教員試験のための勉強を始めたのだ。
これには俺も驚いた。イルカさんは思っていたよりもずっと根性のある人だったらしい。涙をすぐに流すから感受性の高い人だとは思ってたけど、正直な話し、脆くて儚いイメージがあった。けれど今の彼は前に向かって必死になってる。勉強して、でも用務員の仕事もして、と毎日がすごく忙しそうだ。
できることなら教員にしてあげたいなあ、と思った。
そんな日々が続いて、イルカさんはとうとう声が出るようになった。
その日、いつものようにイルカさんの家にお土産を持参して行けば、イルカさんはどうもありがとうございます、と普通に言ってのけたのだ。

「えっ、イルカさん、声が出るようにっ!?」

「はい、まだ少しかすれてますけど、大声を出さなければ大丈夫みたいです。」

初めて聞く声、青年らしい穏やかな声だ。

「イルカさんイルカさん、俺の名前言ってみてよ。」

俺はまるで赤ちゃんに初めてパパと呼ばれるような心境で言った。イルカさんはふと、一瞬暗い顔をしたが、すぐに元に戻って言った。

「カカシ、さん、」

ああ、嬉しいな。なんか名前を呼ばれただけでこんなに嬉しい。今までどんな女に言われてもどうとも思わなかったけれど。

「イルカさん、あなたが好きです。」

俺は言うつもりがなかった言葉を言った。わっ、言っちゃった。俺ってばどうしよっ、イルカさん、応えてくれるといいなあ。
だが、言った途端、イルカさんは顔を歪ませた。

「あの、やっぱり駄目ですかね?男同士の恋愛ってあんまりメジャーじゃないからなあ。でも別に禁止されてるわけじゃないですし。」

俺は慌ててなんとかどうにかと願いを込めて言い訳じみた言葉を紡ぐ。

「禁止、されてないんですか?」

「ええ、忍びの命は短いですからね、極力忍びたちには自由に里で過ごせるように配慮されてるんですよ。」

「男同士で、結婚もできるんですか?」

「ええ、できますよ。まあ、ちょっと特殊ですから火影に許可を得ないといけませんが。」

イルカさんを見ると、彼はまた泣いていた。最近は見ていなかったのに、彼は本当に涙もろい。いや、違うな、アカデミーや別の場所で泣いた所を見たことはない。彼は、俺の前でだけ涙もろくなってしまうのだ。それはつまり、俺が良い意味でも悪い意味でも彼にとって特別な存在だったと言うことだろう。
俺は嫉妬した。彼をここまで翻弄する別の俺。状況はよく解らないが、推測から言ってイルカさんは、俺とそういう関係だったんじゃないかなあ。
益々持って憎々しい。くそっ、イルカさんにこんな辛そうな顔させやがって、どこの俺か知らんがむかつく野郎だっ!

「イルカさん、俺を好きになってはくれませんか?あなたが俺を通して別の俺を見ていることはなんとなく知っていました。でも俺はそいつとは違う。俺はあなただけを愛してる。ずっと俺の側にいてほしいんです。どうか、俺の気持ちに応えて下さい。」

俺は必死になる。こんなに一人だけを思って思って焦がれる気持ちなんて初めてだ。
それ程までにこのイルカと言う人間が愛おしい。この腕に抱きしめたい。俺のために笑ってほしい。
イルカさんはしゃくり上げながらも拙げに言葉を紡ぐ。

「お、俺だけ、をっ、あ、愛して、くれ、るんです、かっ?」

「はい、あなただけを愛します。ずっとずっと愛します。」

イルカさんはおずおずと俺の手を取った。温かい手だった。

「カカシさん、あなたの思いに、応えます。」

俺はイルカさんにつかまれた手を引っ張って抱きしめた。やったっ!やったよっ!!俺は勝ったよ、イルカさんの中の別の俺に勝ったんだっ!!
へっへーんだ。もう絶対イルカさんを手放してなんかやらない。今更悔やんだって遅いんだからね。俺はもうイルカさんのものだし、イルカさんは俺のものだっ!!
俺は腕の中にいるイルカさんをぎゅうぎゅう抱きしめた。イルカさんは俺の服に涙を滲ませながらも俺にされるがままにしている。
もう、泣かないでね、俺、幸せにしますから。
肩を嗚咽に震わせながら、イルカさんはしばらく泣き続けた。俺は背中を優しく撫でてずっと側にいてあげた。

 

それからの俺の行動はなんとも早かった。俺は一度決めたら行動は早い男なのよ?
早速イルカさんと俺は婚姻届けを出すことにした。これにはイルカさんもびっくりだったようだ。
翌日、イルカさんの手を引いて火影の執務室へと向かう俺の頭の中はもう春の野原のようだった。

イルカさんは戸惑い気味だったが、俺の強引さに根負けしたのか、大人しく付いてきてくれたのだ。
でもね、これはイルカさんにとって最も望ましい状況になることができるんだよ。そう、俺を利用すればいいのだ。俺の家族となることによってイルカさんはしっかりとした住民票が発行される。そこの所は火影のごり押しでなんかしてもらいたい。
そして俺はノックもせずに入った執務室で、書類と格闘していた火影を目の前にして声を大にして言った。

「火影様、俺たち結婚しまーっす!!」

ぶふっ、と火影は前につんのめった。

「な、なっ、何を言い出すんじゃカカシっ!!」

「なんですかもう、人の春にいちゃもん付ける気ですか?さっさと認可して下さいよ。姓は別々の方がいいかな。俺としてははたけイルカ、なんて名乗ってくれたら嬉しいけど。」

俺はデレデレとイルカさんに詰め寄った。

「いや、俺はどちらでも。でも、別々の方がいいような気がします。」

「む、イルカよ、お主声が出るようになったのか。」

言われてイルカさんは慌てて火影の前に立った。

「はいっ、報告が遅れました。まだ少しかすれ気味ですが声が出るようになりました。ご心配をおかけしました。もう大丈夫です。」

「ふむ、よかったのう。喉の傷は少し残るようじゃが、なに、鼻の傷に比べれば些細なものじゃな。」

言われてイルカさんは頷いた。

「ではイルカよ、お主はずっとこちらにいると言うことなんじゃな。それで良いのか?」

「はい、俺はここで生きたいんです。」

イルカさんはしっかりと返事した。ああ、惚れ惚れするなあ、この人が俺を好きになってくれるなんてっ。今でもまだ少し信じられないくらいだよ。

「ふむ、お主らの気持ちは分かった。じゃが、事はそううまくは運ばぬのじゃ。わしもそうは認めたくはないが、イルカが敵忍かもしれぬという疑惑がまだ残るのだ。」

火影は苦渋に顔を歪ませた。俺は早速反論する。

「俺が保証しますよ、イルカさんは敵忍なんかじゃありませんっ!」

「わしとて好き好んで反対するわけではない。カカシよ、お前も解るであろう。この世の中には非道な忍術も数多くある。禁術と呼ばれるものには、人格ですら破壊してその者の身体を乗っ取る術もあるのじゃ。本人が気付かぬうちに身体を操られているという事もありえないわけではない。」

そんなことは百も承知だ。もし、本当に万が一にでもイルカさんが敵になってしまったとしたら、それはできるだけ考えたくはないけれど、その時は、俺の全ての力でもって彼を、

「その時は俺を殺して下さって構いません。暗部に監視してもらってもいいです。」

イルカさんはなんてことないように平然と言い切った。

「そんなこと、俺が盾になってでも食い止める。そんなこと絶対させないっ。」

でも、イルカさんは穏やかに笑って言った。

「カカシさん、俺は敵忍ではないですからその可能性は俺の中で0なんです。だから、まったく意味のない仮想での約束事なんですよ。」

でも、殺されてもいいなんて、そんなこと言わないでほしい。仮定だとしても、聞きたくなかった。
俺は縋るようにイルカさんを見つめていたが、火影はいつの間にかくわえていたキセルから煙草の煙を吐いて言った。

「そこまで言うならばイルカ、お前を信用しよう。基本的に暗部の監視はせぬ。その代わりカカシよ、お前が監視の意味も含めてイルカの側にいるようにしろ。お前が任務で里の外に出る時のみ、監視は付ける。これが条件じゃ。呑めるか?」

火影は俺とイルカさんを交互に見やった。

「えーと、じゃあできるだけ里内の任務を多くして下さいね、火影様。」

「上忍のお前に里内だけの任務をやるわけないじゃろっ!!」

一蹴りされて俺はぶーたれた。だがイルカさんも俺もそれでいいと納得している。むしろそれだけで済んで良かった。
やろうと思えば、イルカさんの心臓に時限式の火薬を詰めることだってできる。いざとなったらすぐに殺せるように、そういう風に人を拘束させる術もあるのだ。
だが、それをせずに火影はイルカさんを信じてくれたらしい。

「火影様、ありがとうございます。俺、イルカさんを必ず幸せにしてみせますねっ!!」

「カカシよ、わしが以前、酒の席で戯れに言った言葉を信じておったのじゃな...。」

「火影様、何か言いました?」

俺はにこにことして言った。だが火影はうぉっほん、とわざとらしい咳をして話しを一気に逸らす。

「ま、何はともあれ仲良きことは良きことじゃ。」

火影はやれやれと息を吐いたのだった。