その声を聞いたのは偶然だった。
いつものように授業を抜け出したナルトを探しに里内を走り回ってやっと見つけてげんこつを食らわせてアカデミーまで走らせた直後だった。
授業はミズキにしばらくまかせてあるし、自分はまあ、少しゆっくりめにアカデミーに戻ろうと土手沿いを歩いていたのだった。
その時だった、女性の甲高い声と、子どもたちの泣きわめく声。
子どもを叱っているのかな?と視線を向けた先では、異様な光景が広がっていた。若い女が男を叱りつけていた。その周りにはずぶぬれの子ども数人と数匹の犬。
傍目から見れば子どもを危険な目に遭わせた男を叱りつけている女性といった図だが、子どもたちがずぶぬれのままだ。今日はまだ暖かい日差しではあるが風は少し冷たいし、川の水に浸かったのならばまだ冷たかっただろうに、すぐに乾かして体を温めないと風邪をひいてしまう。いい大人が二人そろってなにをやってんだか。
イルカはおせっかい根性発揮と言わんばかりにその修羅場もどきの場面へと突っ込んでいった。

「おい、あんたらなにやってんだよ。」

突然のイルカの登場に男は少々困惑気味に、女は苛々とした面持ちで顔を向けた。

「子どもたちがずぶぬれだろう、風邪をひかせるつもりか?言い争う前にちゃんとやるべきことはしろよ。」

イルカはそう言うと子どもたちを一列に並ばせた。そして火遁と風遁の応用で服を乾かしてやった、温風で乾かしたし体も少しはあったまっただろう。

「お前ら、体は大丈夫か?寒くはないか?どっか痛いところは?」

しゃがんで子どもの視線になって語りかけると、泣きじゃくっていた子どもたちはそろって首を横に振った。

「そうか、良かったな。」

にっと笑ってそう言ってイルカは子どもの頭をわしわしと撫でてやった。そして立ち上がるとその様子を見ていた大人二人の前に仁王立ちになった。

「あんたらな、今はまだ川の水は冷たいんだよ。なにがあったか知らないが、大人として最低限やるべきことはやらないと、」

先ほど子どもに向けた笑顔を、少々怒りモードに変えたイルカに女がしどろもどろになった。

「あ、あたしはなにもやってないわよ。子どもたちを連れて遊びに来てたら、そうよ、この男が子どもたちになんかしたのよ。きっと犬を焚きつけて子どもたちを川に落としたのよっ。」

女がまだ喚きだした。男はと言うと何も言わずに困ったようにしているだけだった。イルカは犬を見た。そしてちらりと男を見やると、男はイルカの視線を受けてなんとも言えない顔をしてぽりぽりと頭をかいた。
イルカはため息をついた。まあ、仕方ないか。直接関わった者が何を言ってもなかなか相手は信用しない。第三者の意見が出てやっと収拾する場合は案外多いのだ。
イルカはちゃんと男の一歩後ろで綺麗に整列し、待て、の体勢でいる犬たちを見て感心した。良くしつけられている。
イルカは女をまっすぐに見つめた。

「俺は忍者アカデミーで教師をしているうみのイルカと言います。常日頃から忍術や忍びに関する様々なことを生徒達に教えています。」

女は突然のイルカの言葉に胡散臭そうな目を向けている。

「そこにいる忍犬はアカデミー生が卒業したと同時に付けることを許される額宛てをしています。忍犬は全てがみな額宛てがもらえるわけではありません。忍びと同等の働きをすることのできるもののみが身につけることができるのです。そういった人と同じ働きをする、よくしつけられたものたちがむやみやたらに人を陥れることは決してありません。それは火影の名を汚すことに繋がるからです。」

イルカは子どもたちの前に膝を突いた。

「何があったか話してくれるか?」

イルカの真剣な眼差しに子どもたちは少し戸惑っていたが、おずおずと話し出した。

「川で遊んでて、川の真ん中の島に行こうってなって、そしたら川の水が冷たくて、足が滑って、そこの犬たちに助けてもらったの。」

子どもたちは頷き合っている。これが真相なのだろう。

「川はまだ冷たいんだ。子どもたちだけで遠いところに行くんじゃない、分かったか?」

イルカの言葉に子どもたちはしゅんとした。これで少しは反省してくれるだろう。そして反省してほしい人がまだ残っていた。
イルカはまた女の前に立った。

「あなたはその時どこにいたんですか?子どもたちが危険に晒されている間、一体どこに?」

女は黙ったままだった。

「人の命は戻りはしないんですよ。どうかちゃんと見守ってあげてください。でないと悲しむのはあなた自身なんですよ。」

イルカが言うと女は恥ずかしそうに顔を歪めた。どうやらようやく間違いに気付いてくれたらしい。ここでまた逆上されたらもうお手上げだと思っていたイルカはほっとした。
女は男に向かって頭を下げた。

「すみません、勘違いをしていたようで、それに助けていただいて、ありかどうございました。ほら、あんたたちもお礼を言って。」

女に促されて子どもたちが忍犬に向かってありがとう、と無邪気にお礼を言った。まあ、助けたのは忍犬だしね、その飼い主である男に礼がなくても仕方ないだろう、とイルカは苦笑した。
女と子どもたちはそれから大事を取るとのことですぐに家に帰ることになったようだった。その背中を見送って、イルカは今度こそと男に向き直った。
男はイルカの視線に何か申し訳なさそうにしている。そう言えば先ほどから一言も話していない。口べたもここまでくるとなにやらいっそ天晴れと言うか。だいたい口布をしているから余計に怪しく見えるんだよな。一般人になら顔を見せたっていいだろうに。

「ご自分のことならともかく、自分の忍犬が折角人助けしたのに勘違いされては悲しいでしょうし忍犬たちも報われませんでしょうに。」

イルカはそう言って忍犬たちの頭を撫でた。忍犬たちは気持ちよさそうに目をつむる。

「でも、まあ、あなたの気持ちも分からないわけではないですよ。興奮状態の人は、どんなに自分が正常だと思っていても言い争っている時はなにかしら激情に走ってうまくいかない場合が多いですしね。でもちゃんと胸を張ってください。あなたは正しいことをしたんですから。」

イルカはにこりと笑った。男はこくんと頷いて微かに笑みを浮かべたようだった。それを見てイルカはやっと一件落着だ、と息を吐いた。

「それじゃあ俺はまだ仕事中だったんでこれで失礼しますね。」

イルカはそう言うと男に会釈してその場から離れた。そう言えば忍犬を従えていたと言うことはあの男は忍びなのだろうが、見たことのない人だった。ま、顔が広いってわけじゃないからなあ、とイルカは思いながらアカデミーへと続く道を歩き出したのだった。

 

 

カカシはイルカの背をいつまでも見送っていた。
パックンがカカシの足下にやってきて、いいのか?と声をかけてきた。
口布を降ろしてなにが?と唇を動かすとやれやれと人間らしい顔つきでため息を吐かれてしまった。つくづくこいつは人間らしい。下手すると自分よりも感情が豊かなんじゃなかろうかと思うほどだ。

「あの者、イルカとやらと話してみたいと思ったのではないのか?随分と名残惜しそうにしておると思えば。」

そう?そう見えた?とカカシは自分でも気付かなかった自分の心境に苦笑した。
そう、かもしれない。確かに困ってはいたが、だからと言ってどうなるわけでもない。収拾がつかなそうならば写輪眼で少し記憶を操作すればよかったのだ。が、子どもたちのことは確かに目に入ってなかった。そこは自分の失点だと思う。それをあの男、イルカは的確に処理して、そしてちゃんと解決してみせた。見どころのある男だ、できればまた話したいと思うほどに。
ああ、そうだ、自分は今話せない状況だったな、苦々しい気持ちになった。先ほどの女の誤解を解く云々よりもあのイルカと言う男と話せないということ、何故かそのことが声を失って初めて焦れてもどかしいと感じた。アカデミーの教師と言っていた、ならば読心術もできるだろう。だがやはり声の出ない会話は、声の出ていた時のある自分としてはなにか味気ないし、それに、去っていくその背に声をかけることもできない。
カカシはため息を吐いた。その横でパックンもやれやれとため息を吐いた。
ぴくん、とカカシは気配を感じて顔を上げた。土手沿いから男が走り寄ってきた。どこにいでもいるような男だが、暗部の部下だった。

「ここにいらしたんですか。少し探しましたよ。」

“なんのよう?”とカカシは唇を動かした。

「なにって、今日の夕夕食はなんにします?買い物してきますからご要望があったらと思って。」

女ならまだしも男に今日の夕食なんにします?と聞かれてもなんだかしょっぱいものを感じる。だがまあ、自業自得と言えばそうなのだから文句も言えない。

「お前も苦労するな。」

元々渋い顔つきをますます渋くして忍犬は煙と共にかき消えた。他の忍犬たちもそれに習って皆消えていった。

「やっぱり、苦労ありますか、カカシ先輩。」

なんとも申し訳なさそうな顔をして部下がきいてきた。
そう言えばこいつは後輩にあたる奴だったな、と今更ながらに思った。本来ならば厳しい任務を終えて体を休めるために休暇を満喫していただろうに、苦労と言えばこの後輩の方が苦労してるだろうに。
“たいしたことじゃないよ”と唇を動かしてカカシは口布を元に戻した。会話の終了という意味も込めて。
部下はそうですか、と苦笑すると買い物に行ってきます、と言ってそのまま商店街のある方向へと行ってしまった。
カカシも自宅へと戻るためにその場を後にした。