カカシは買い物袋を下げてイルカのアパートの前に立っていた。
あれから部下の世話係が来ることはなくなった。たまに会えば体は大丈夫ですか、とかちゃんと生活できてます?などと聞いてくるが、日常生活において一般人と会話する以外はこなせていた。ちなみに最後に世話をしていたあの後輩の男はあれ以来会っていない。どうやら避けられているらしい。カカシとしては仲間だし部下だし、別に嫌ってもなんでもないのに、少々切ないものを感じる。

「あれ、カカシさん今日もいらしてたんですね。」

少し遠くからイルカがそう言いながら小走りでやってきた。あれ以来、世話係がいなくなってからカカシは夕食をイルカの家で過ごすようになっていた。今まで1人で生きてきたのだし、食事だって自分で作れるのだが、何故だかイルカの家に行かないと心がもやもやして仕方がないのだ。それにまた来て下さいとも言われたし、自分は別に間違ったことはしてない。まあ、ここまで頻繁にやってきたら非常識になるだろうという自覚はあったが、そこは敢えてスルーした。
カカシはやってきたイルカに買い物袋を差し出した。ご飯を作ってもらう代わりに材料くらいは提供しようと毎回カカシは持ち込んでいたのだった。そんな気を遣わなくてもいいのに、これでも二人分の食費くらい稼いでるんですよ、とイルカは笑いながらもちゃんと受け取ってくれるのでカカシは遠慮なくお邪魔するのだった。
その日は豚肉のショウガ焼きだった。すり身ときのこのみそ汁にひじきの煮物と漬け物と焼き茄子を付ける。
焼き茄子が出されると、カカシは目を輝かせた。

「カカシさん、茄子が好きなんですね。」

イルカにそう言われてそこまで顔に出ていたか、とカカシは顔を赤らめた。

「今度茄子料理のレパートリーを増やしてみますよ。さ、いただきましょうか。」

料理が卓袱台に並ぶとイルカは手を合わせた。そしてご飯茶碗に山盛りによそったご飯を豪快に口に頬張った。カカシはそれを見ながらみそ汁をすする。
こうやってご飯を一緒に食べるってのがいいのかもしれないなあ、と思った。部下たちはカカシを世話するという名目で来ていたからかどうか知らないが、自分たちは食べずにカカシが食べている様をじっと見つめてくるのだ。他意はないのだろうし、自分としても別に何も感じていないつもりだったが、それが気詰まりだったのかもなあ、と思いやった。
それから食事も終わり、イルカは後かたづけをはじめた。その後ろ姿を見ながらカカシはあの箱を目の端で探した。最初に出会ったとき以来、何故かあの箱を見ないのだ。あの時のカカシの態度がイルカに何か気を遣わせたのだろう、どこかカカシの目の着かない所にしまったのだろうと思われる。まあ、こうやってカカシが毎日イルカの家に押しかけているのだから、あの箱におかえり、と言わせていることはないと思われるのだが。
そう、カカシがイルカ宅に来る理由の一つとして、あの箱におかえりを言わせないという野望もあったのだ。
それからイルカは食後のお茶を煎れて居間へと戻ってきた。
カカシは湯飲みのお茶を一口すすってイルカに向かって口を動かした。

“明日からちょっと里を空けます。”

「任務ですか?」

イルカの言葉にカカシは頷く。なんと言っても今は木の葉で写輪眼を使えるのはカカシのみである。カカシでないとできない任務も当然発生してくる。今までは療養中ということでその任務は除外されていたのだが、部下の世話を取りやめた途端に任務も復活した。ま、体はどこも悪くないのだから単独任務などは特に支障もないだろう。

「そうですか、じゃあしばらくはご飯もご一緒できませんねえ。」

イルカは少しだけ寂しげに笑った。その顔を見てカカシはちょっと嬉しくなった。

“寂しいですか?”

「ばっ、そんなわけないでしょう。でもまあ、ご武運を。」

イルカはふくれながらもカカシにちゃんと視線を向けた。
カカシは穏やかに頷いた。まあ、また任務が終わればこうしてご飯を食べに来る。忍びであればいつだって任務はやってくるのだから今までの方が平穏すぎたのだ。
カカシはイルカに見送られて家を後にした。

 

そして数日後、里に戻ってきて再びイルカの家へとやってきたカカシだったが、いつまで経ってもイルカが帰って来ることはなかった。
アカデミー勤務ということだったがもしかして自分と同じように任務に出たのだろうか、それともアカデミーで宿泊学習だとか林間学校?ちょっと時期が違うように思うのだが。
カカシはその日、とりあえず自分の家に帰ることにした。実は任務が終わって報告書の提出をしてすぐにイルカの家にやってきたので自分の家にはまだ帰っていなかったのだ。
だがカカシの家の前には何故か部下の後輩暗部が立っていた。
ずっとカカシを避けるようにしていたちょっと思いこみの激しい彼である。
カカシは口布を下げて彼の前まで来た。

“ひさしぶりだね、元気だった?”

とくにしがらみも感じていないカカシは気さくに彼に声を掛けた。
だが男はカカシのあいさつに無言で何かを差し出した。ん?と思ってよくよく見てみるとそれはイルカが持っていたあの声の出るおもちゃだった。
よく似たものが出回っているのか?とカカシは差し出されたそれを手に取った。そして赤いボタンを押した。

『おかえりなさい。』

カカシは顔をしかめた。ここまで同じのものがあるはずがない。これは間違いなくイルカが所持していたあのおもちゃだ。

“これ、どうしたんだ?”

「中忍が持っていました。最近あなたが懇意にしているあの中忍です。」

どうしてそれをお前が知っている?と問いたい所だったが、話しを詳しく聞くためにカカシは続きを促した。
それに気を良くした男は得意げに話し出した。

「カカシ先輩に近寄ってくるから怪しいと思ってずっと見張っていたんです。あなたがいる時はそんな素振りは見せませんでしたが、任務に出て数日後にこの機械を取りだして、よく観察すればカカシ先輩の声が聞こえてくるし、これは絶対裏になにかあると思って知り合いの尋問部に引き渡したんです。」

“それ、いつのことだ?”

カカシが任務に出たのは一週間前だった。数日後とは何日後で、いつ尋問部に引き渡したのか。

「3日前です。今頃は尋問部が白状させていると思います。これは物的証拠として回収したんですが、カカシ先輩にどうしても見せてあげたくてこっそり拝借してきたんです。良かったですね、先輩。これであなたの声が元に戻りますよ。」

男が嬉しそうに話している。カカシもにっこりと微笑んだ。そして殺気をちらとも見せずに男の腹に拳をのめり込ませた。男の体が吹っ飛び、カカシの部屋のドアにぶち当たってドアが大きく変形した。
男は気絶したのか、ぴくりとも動かない。仲間を殺すことはしない、だが、嬉しそうに話すこの男がどうしても許せなかった。
こいつは馬鹿か?観察だと?観察していればイルカがカカシを騙して何の得にもならないと分かっただろう。観察していれば、もしもイルカが何かしら企んでいたとすれば、毎日のように来ていたカカシに何も仕掛けてこないはずがないだろう。
ただ、イルカはカカシにご飯を作ってあげて、その日あったことを話したり一緒にテレビを見たり、過剰な期待もせず、珍獣を見るように神聖視もせず、側にいてくれただけだったと言うのに。それなのにいわれのない罪状に尋問部に連れて行かれたと言うのか。
カカシは男をそのままにして尋問部のある建物へと走った。まさか木の葉の仲間に強力な自白剤や幻術を仕様して尋問することはないだろうが、それでもあのカカシの声の出るおもちゃは十分な証拠になりうる。
カカシは任務帰りで少々疲労していた体に鞭打って力強く跳躍した。
もう3日も前には尋問部に引き渡されていたと言うのか、ひどいことをされていたら自分はどうやって償えばいい?いや、そんなことじゃあない、本当は最初から、初めて会ったときからずっと惹かれていたと言うのに。声が出ないからとか、おもちゃの声に嫉妬なんかして自分の心を隠してきた。その罰が当たったのか?
カカシは汗の噴き出す額もそのままに尋問部のある、どことなく暗い雰囲気の建物に入っていった。そして受付口で今現在尋問を受けている木の葉の者を照会するように問い合わせた。通常は誰にもどんな時でも誰が尋問を受けているなんかは教えて貰えないのだが、自分のことでの尋問だし、一応火影にも知れている件だから破格に教えてくれるだろう。
そう思って聞いてみたが、受付の答えは思ってもみなかったことだった。

「海野イルカ?ええ、つい数時間前まで尋問されてましたけど、何も出てこなかったし、身の潔白も十分に証明されたので開放されてますよ?」

教えてくれたはいいが、それはまったくもって予想外の結果だった。

“は?でも家にいなかったけど?”

カカシの言葉に受付はため息を吐いた。

「あのですね、尋問を受けて無罪放免になった人がここから出てどこに向かったかなんてこちらでも把握はしてませんよ。」

確かにその通りだな、とカカシは頷いた。受付は特別に教えてあげたんですからもう勘弁してください、と言わんばかりにカカシを追い払った。こちらとてもうここには用はない。だが、だとしたらどこに行ったのか。アカデミーか?それとも尋問の方法がひどくて怪我をして病院に入院しているとか?はたまた友達に愚痴を言いに行ったのか?
カカシは思いつく場所全てに行ったがどこにもいなかった。大体イルカの友達の家なんか知らない。
最後に火影の所に行ったカカシだったが、そこでまたもや思わぬことを聞かされた。
カカシが火影の執務室のドアをノックすると、火影は遅かったのう、と言ってカカシが来ることを知っていたかのような素振りを見せたのだ。
カカシはいささかむっとしたがそれでも何か知っている、という雰囲気を出している火影を無下にすることもできずに詰め寄った。

“イルカさんはどこです?どこに行ったんですか?”

「なに、聞いておらんのか?イルカなら里外に出ておるぞ。」

“は?なんで里の外に?何か用事でも?」

「お主、本当に何も知らぬのじゃな。まあ、危険なものではない。イルカはいずれ木の葉には帰ってくるじゃろうが、それでも少し時間がかかるやもしれぬな。」

“任務ですか?尋問されて開放されたのは数時間前だと聞いてますよ?そんな体で任務にやるなんて、火影様は彼を殺すおつもりですか?”

カカシの言葉に火影はやれやれとため息を吐いた。

「イルカから言い出したことじゃ。わしももう少し待てばお前が帰ってくると言ったのじゃがどうしても早く発ちたいと言うのでな、仕方なく送り出したのじゃ。」

カカシは舌打ちした。なにやらすれ違ってばかりだ。しかしだ、とにかくこれでイルカの所在ははっきりした。ならば自分の取るべき行動も決まっている。

“火影様、お願いがあります。”

カカシのいつにない真剣な表情に何か嫌なものを感じとった火影だったが、聞いてしまったものは仕方ない。言うてみいとカカシを促した。そして聞き終えると、やはり聞くんじゃなかった、とため息を吐きつつもカカシの願いを聞いてやった。その代わり任務後の休暇は無しにしてやったがそれは大分甘い処遇と言えるだろう。
カカシの後ろ姿を見送った火影はやれやれとキセルのたばこを灰受けに打ち付けたのだった。