− その訳を −





その日、任務から帰ってきたカカシはいつものように受付に向かっていた。
だが受付に向かう前のアカデミーの様子がおかしかった。
遠目に見たらさほど何も感じなかったが、近づくにつれて血臭がするのが感じ取れた。
演習中に失敗して怪我をしたとか言う程度のものではない、ざわざわとする雰囲気は子どもたちが遊んでいる時のものとは真逆のもの。
怯え、震え、マイナスの感情が織りなすざわめきにカカシは報告書を出す前にアカデミーに向かった。

そしてそこで見た惨状に絶句した。
アカデミーが戦場さながらの状況となっていた。
いや、実戦での戦場から見ればそうひどい状態ではなかったが、普段ならば学舎として機能している場所が黒煙を上げ、窓ガラスは割れ、血痕が生々しく地面に跡を残していたとなれば話しは違う。
木の葉崩しの再来とでも言うような惨状に思わず顔をしかめた。

生徒は親たちに迎えに来て貰って帰宅していく途中のようだ。教員は後かたづけをしている。カカシはガラスを片付けている男に声をかけた。

「ねぇ、どうしたの?なんでこんなことになってんの?」

声をかけられた男はカカシを見て沈痛した面持ちで答えた。

「アカデミーに木の葉の抜け忍の男たちがやってきて子どもを人質にしようとしたんです。子どもたちは全員無事でしたが、守っていた教員が数名重傷を負って木の葉病院に運ばれていきました。」

そう言う男の腕にも包帯が巻かれていた。この男も参戦したのだろう。子どもは無事で死者は今現在は出ていない。最悪な事態ではないがそれでも諸手をあげて喜ぶことはできない。
カカシは男を労ってその場を後にした。そして今度こそ受付へと足を向けた。
木の葉崩しから一年、やっと里が復興の兆しを見せ、これからと言う時にこんな事態が起こっては流石にあの先生も今日は笑顔を見せられないだろう。
まあ、こんな時に不謹慎に笑顔を見せるような人ではないと解ってはいるが。
二ヶ月ぶりに任務から帰ってきたこの日にあの笑顔が見られないと思うと少々落胆する思いだった。

が、受付に入って姿を探してその存在のないことが解るとその落胆は益々持って深いものとなった。

「なーんでいないかなぁ。」

仕方ないので受付にいた適当な人に報告書を渡した。
なんだかむかむかしてすぐに家に帰る気にもならずに上忍待機室に向かった。そこにアスマを見つけて、よう、と挨拶するとアスマはくゆらせていたタバコを手に持って挨拶を返した。

「なんだよ、久しぶりに会ったってのにしけた顔してんな。」

アスマに言われ、否定することなく自分は今おもしろくない顔をしていると納得してカカシはソファにどかっと腰を落ち着けた。

「だって面白くないことが起きたって言うじゃない?」

カカシは愛読書を取り出した。そろそろ読み飽きてきたので早く新刊が出ないかなあとか思いつつページをめくる。

「面白くないこと?ああ、アカデミーの件か。」

アスマは安穏とした空気を払って苦々しい口調で言った。

「まったく、ようやっと元の生活に戻ってきたって矢先に里を抜けなくってもなあ。それもアカデミーの子どもを狙うなんざ最低の野郎だぜ。」

「それにしてもなんでアカデミーの子どもを狙ったのかねえ。」

「さあな、俺も詳しいことは解らないが、アカデミーの生徒で優秀な者を洗脳して自分の手駒にしようとしてたらしいって話しだぜ。」

「わっ、えげつなー。」

「お前に言われりゃ抜け忍もおしまいだな。」

アスマはククっと笑った。

「なんだよなんだよ、人が折角長期任務から帰ってきたってのにもう少し人をいたわるってことできないかなー。」

「お前、俺に笑顔で『任務お疲れ様ですっ!!』って言ってほしいのか?」

想像してカカシは怖気が走った。冗談でもやめてほしい。

「そう言えばイルカ先生受付にいなかったなあ。やっぱり子どもたちの所にいるのかな。」

あんなことがあった後だし、怖がっている子どもたちをなだめている姿が容易に思い浮かんでカカシは不謹慎にも心の中で微かに笑った。だがアスマは知らないのか?と微かに笑んでいた顔を引っ込めた。

「イルカのやつ、その抜け忍とやりあって怪我して入院したらしいぜ。」

「は?」

カカシの呆然とした顔をアスマは怪訝そうに見た。だが次の瞬間にその目は驚愕に見開かれた。
カカシはまったく動いていない。座って本を読んでいる体勢のまま、信じられない程の殺気を振りまいていたのだ。
アスマは息をも吐けぬその殺気に身動きすらできなかったのだ。
なんて殺気だ。自分だって上忍としての力は自負している。殺気で相手を押さえ込むことだってできる。だが、これ程までの殺気は見たことがない、感じたことがない。心臓が早鐘を打つ、背中が嫌な汗でじんわりと湿気る。

「カカシ、お前、」

やっとの思いで紡ぎ出した声はかすれてしまっている。いつもの平常心が取り戻せない。こんなカカシは見たことがない。

「ねえ、それほんと?」

「カカシ、」

「ねえ、ほんとなのかって聞いてんだけど。」

アスマは神に祈る思いで息を吐いて言った。

「本当だ。」

行動の読めないカカシを注意深く様子見していたが、カカシは淡々と愛読書をしまうと立ち上がった。

「カカシ、どこに行くつもりだ。」

「ちょーとお見舞いに行ってくるよ。」

「おい、」

「なによ、アスマも行きたいの?一緒に行く?」

「カカシ、病院に行くにはかまわんが殺気を消してからにしろ。病人にその殺気は強すぎる。ちなみに俺は遠慮しとく。」

カカシは今やっと気が付いたのか、殺気を消した。そしてなんでもなかったかのように平然と歩いて部屋から出て行った。
アスマはようやく楽に息ができるようになってタバコを灰皿に押しつけた。
自分もカカシも元は暗部に在籍していたし、何度か実践でも一緒に行動したことがあるから戦闘中のあいつの姿は知っている。
だが、その暗部であった頃のカカシの実戦を間近で見ていた時ですらこんな殺気を感じたことなぞなかった。

一体どういうことだ?
アスマは新しくタバコに火を付けると今でも微かに恐怖で震えている手を叱咤して紫煙を吐き出した。

 

急ぐこともなく淡々とした足取りで木の葉病院までやってきたカカシは、受付でイルカの病室を聞いて比較的ゆっくりとした動作でそこへ向かった。
自分でもちょっと理解に苦しんだがそうしたいと思ったのだから仕方ない。
イルカと自分とは部下の元担任と現上司という立場で、たまーに部下の状況を聞いたり、時にはカカシの方針に反発したりもしたが、結局の所それだけだった。
特に親しいというわけではない。アスマも紅もたまに自分と同じようにイルカと元生徒だった部下について話しをすると言っていた。
だから自分の待遇が特別というわけでもないからこんなお見舞いなんかをするような相手でもないのに。
現にアスマは自分と同じ立場だったと言うのにお見舞いには来なかった。
珍しくカカシの方から誘ったと言うのに。案外薄情な男だなあ、あいつも、と思った。

ああ、それにだ。サスケは里を去り、ナルトも自来也に、サクラは五代目に師事しているから実質自分は今現在、元生徒の上司というわけでもないのだ。益々持って縁が遠い存在だ。
でもまあ、別にお見舞いごとき誰が行った所で邪険にはされないだろう。イルカならばそうだ、と勝手に納得してしまう。
得てして、カカシはイルカの病室にたどり着いた。
個室らしいその病室のプレートには『海野イルカ』と書かれてある。
個室と言うことはそんなに軽い怪我ではないと言うことだろうか。
特別な事情のある人間以外は比較的軽い怪我の場合、団体部屋に入れられる。そしてイルカはそんな特別という人間ではないと思われる。

カカシはとりあえずノックした。だが返事はない。イルカは眠っているのだろうか。
寝ているところを邪魔するのは申し訳ないような気がするが折角ここまで来たのだから顔だけでも見ていくか、とカカシはドアノブを回した。そして中に入ってそこにいるであろう人間を捜した。

「えーと、」

誰もいないわけではない。ベッドの上に人はいた。
ベッドにくくりつけられるようにしてチューブの配管が体から伸びている。
何本も何本もだ。顔は包帯でよく見えない。息はしているようだ。ちゃんと心拍もある。

包帯でグルグル巻きにされて、誰なのかも解らない状態の芋虫状態のソレ。
ソレがイルカだと認識するのにカカシはしばらく時間がかかった。

「えーと、これは大怪我をしているということなのかな〜?」

イルカは答えない。意識がないのだろう。誰も答えてくれないのでカカシは自分で理解するしかなかった。
イルカは重傷だ。見る限り意識すら戻るかどうか解らない程重傷のような気がする。
では何故イルカは重傷なのだ?怪我を負わされたからだ。誰に?アカデミーの生徒に?違う違う、イルカに怪我させたのは、

「抜け忍デショ?」

ああ、そう、抜け忍。抜け忍がイルカ先生をこんな姿にしたわけだ。

「へえ、」

どんな顔して寝てんのかねぇ、生徒を守って清々しい?傷が痛んで苦しい?でもその顔ですら今は見られない。
あー、でもねえ、いつ受付に戻ってきてくれるかなあ?俺あんたの笑顔、嫌いじゃなかったのになぁ。顔が好みとかじゃなくってさあ、その顔の筋肉が笑顔になっていくのが嫌いじゃなかったの。解るかな?
ふと、人の気配が近づいてくる、と思っていたらこの部屋のドアがいきなり開いて医者が仁王立ちになってそこに立っていた。そして怒りを存分に含んだ怒号でカカシに詰め寄った。

「あ、あなた何やってるんですか!?」

「は?」

「病院で無駄に殺気出してどうするんですか、病院では絶対安静の方だって入院してるんですよ。強い殺気に当てられて急変したらどうするんですかっ。今すぐ消して下さいっ。」

医者の必死な形相にカカシはまた殺気を出していたのだと悟った。
気付かなかった。イルカのこと考えてたらつい、ね。
おかしいなあ、イルカは同じ木の葉の里の仲間であって殺気を向ける相手じゃないって解ってたことなのに。

「おかしいなぁ、」

ポリポリと頭をかいてカカシは首を傾げた。

「おかしいのはあなたですよっ。」

医者が喚いた。

「はあ、すみません。」

ぼんやりとした口調で言われて医者はすっかり諦めてしまったようだ。

「海野さんのお見舞いですか?しばらくは目を覚まされないと思いますよ。それでも命に別状はないんですから。」

医者はそう言って病室から出て行ってしまった。カカシももう一度芋虫状態のイルカをちらりと見て病室から出た。
命に別状はない、それはまあ、喜ばしいことなんだろうけど。どうにもすっきりしない。
すっきりしなくて頭の中も少々霧がかっていると言うのに何故か足ははっきりとした意志でもって動いていた。

そう、足は一直線に目的地へと向かった。向かうは火影邸。抜け忍がここまで大事をしでかせば、回りの者を牽制するためにも火影はすぐに追い忍を向かわせるはずだ。

「俺、なにしてんのかなぁ。」

つくづく自分の行動がわからない。本当ならば今頃は二ヶ月ぶりに我が家に帰って適当にご飯でも食べてさっさと寝てしまっているだろうに。どうしてこんな面倒事を頭の中で考えているんだろう。
でもこれだけはどうしてもやりたい、やっておきたい、是非やらせてほしい。

“イルカ先生を傷つけた者をこの手で殺したい。”

「おかしいなあ。」

任務に私情は禁物だ。そんなことは百も承知だ。一体いつから忍びとして生きていると思ってるんだ。そう自分で理解しているが足は躊躇することなく火影の元へと向かった。
予想通り、火影は追い忍をすぐに向かわせる段取りをしていた。カカシはその場に平然とした態度で入っていく。

「カカシ?どうしてお前がここにいんだよ。お前イルカんとこに見舞いに行ってきたんじゃないのか?」

アスマが声をかけてきた。ここにいるという事は追い忍の任務に就くということか。なるほど、見舞いに行かなかったのは五代目から呼ばれていたためなんだな。

「ちょーっと用事があってね、アスマは追い忍の仕事すんでしょ?」

「ああ、復興してきているとは言えまだまだ人手不足には変わりないからな、暗部の代わりに上忍が追い忍の任務に就くことになったんだ。」

ふーん、とカカシは興味なさげに聞いてその足で五代目火影の真ん前に立った。

「なんだカカシ、お前を呼んだ覚えはないぞ。長期任務の報告は聞いている。明日から3日間の休暇も入れてやっただろう。まだ休暇の日数が足りんのか?」

五代目が怪訝な顔をしてカカシに聞いてきたがカカシはぽりぽりと頭をかいて当然のことのように言った。

「休暇返上して俺も追い忍になりますから。」

は?とその場にいたカカシ以外の全員が疑問符を頭に浮かべた。どこに長期任務でくたくたになった体で忌み嫌われる追い忍の仕事を好んで志願する奴がいるのか。いや、ここにいた。だからおかしい。

「おいカカシ、今日のお前はどっかおかしいぞ。今日は休めよ、わざわざ嫌煙されてる追い忍の任務を自分から担ぎ込まなくたって、」

アスマが横やりを入れてきた。だがカカシは聞く耳を持たず、返って反論してきた。

「なに?アスマが追い忍になれて俺はなれないっての?長期任務後だからってチャクラ切れしてるわけじゃないし頭だって冴えてる。」

カカシは苛々した様子でアスマに詰め寄る。また不穏な殺気がにじみ出してきている。こいつはもうだめだ、どっかねじが一本飛んじまってる。アスマは諦めた。

「五代目、カカシに追い忍の任務をつけてやってください。このまま里に居座らせても殺気の大盤振る舞いで他のもんが落ち着かねぇ。」

五代目はアスマとカカシを交互に見てため息を吐いた。

「一体なんだってそんな気にくわないことがあったのか知らないが、私怨は任務では御法度なの、解ってるんだろうね?」

「今回の追い忍狩りで個人的な私怨なんてあるように見えます?あったとしても木の葉の里の子どもを狙った者に制裁を加えるという至極全うな理由だと思いますけど。」

カカシは最も当然のことを言ってのけた。

「そこまで言うなら任務に加えてやってもいい。人手不足には変わりないからな。ぶっちゃけお前の加勢は嬉しい誤算だ。」

五代目は歯に着せず本音を語ると任務内容の報告を始めた。