− その訳を −
|
諜報活動は困難を極めていた。手がかりがまるでないのだ。 「お茶を頼まれたとお聞きしましたので、膳ではなく胃に優しい食事をおもちしました。」 こういうささやかな気遣いも気に入った所だったと思う。 「悪いね、今日は酒を飲む気分じゃなかったから。」 女は笑みを浮かべて、静かにお茶と軽い食事を乗せた盆をカカシの前に置いた。 「お疲れですか?」 「んー、まあ、仕事はなんでも大変でしょ。俺もあんたもね。」 女はにこりと笑った。 「そういう意味ではございませんよ。」 女の言葉にカカシは首を傾げた。では他にどんな意味があったと言うのだ? 「以前お会いした時よりもなにやら人としての温かみが感じられます。伴って、人としてのあるべき感情にお疲れなのかと。」 「人間らしくなったって?ひどいね、以前は畜生だったって言うの?」 「はい。」 この歯に着せぬ物言いも気に入っていたような気がする。 「最初にお会いした時に仰った言葉を今で覚えておりますよ。『人の心は胸の内にあると言うから、心臓をえぐって手に持てば、その人の心は自分のものになるだろうか』と。私大笑いしてしまいました。」 そう言えばそんなことを言ったかもしれない。 「俺もあの時のあんたの言葉を覚えているよ。『心なんて欲しいとも思っていないくせに、胸開かせて殺すだけ無駄。』だったかな。血で気が高ぶっているって知ってた相手に怯えもせずに口答えする女はあんたが初めてだったよ。」 「忍びの方はいつも危険なお仕事をされていますもの。少しでも心安らげればと思い、お世話をさせていただいておりましたけれど、あなたはそんなもの必要ではなかったでしょう。欲しいものは私には与えられなかった。だから離れていった。」 「そ?俺は充分あんたに色々してもらったと思うけど。」 「今は、私なぞより必要とする人がいるのでしょう。」 「あんた商売する気あんの?」 「私は理にかなった商売しかいたしません。心を手に入れたい人がおありなのでしょう?心の臓を直接手に取らずに手に入れたいお人が。」 手に入れたい、そんな直接的な言葉は必要なかった。 「あんたに誤魔化しは効かないね。」 「商売柄、人を見る目は肥えております。」 女はころころと笑う。目を伏せ目がちにしてカカシは温かいお茶をまた一口飲んだ。 「俺はその人が他人に怪我を負わされたって聞いた時逆上しちゃってね。結局その人に嫌われてしまった。」 「愛しいと思う者が傷つけられれば、誰だって何かしらの激情が沸き立ちますよ。態度に表れる者も、心の内で暗く炎を燃やす者も様々でしょうけれど。」 「そうだね、愛しいと思えば、何かしらの行動はしてしまう。俺もあの人もいつ命を落としてもおかしくないから、激情は人一倍強く持ってしまう。」 女はただ、カカシの話をずっと聞いていた。 翌朝、カカシは店を出てぶらりと自宅へ戻る道を歩いていた。 低血圧だからまだ少し頭がぼんやりしている。 「すみません、こちらにゲンマ特別上忍はいらっしゃいます、か。」 言葉の途中でカカシの姿を確認したのか、口調が重くなっていったのがよく解った。 「俺が来た時には誰もいませんでしたが。」 上忍待機室にはカカシ一人しかいなかった。 「あの、カカシ先生、」 あれ以来一度として会話もおろか姿も確認していなかったというのに、不覚だとカカシは思った。 「何ですか、イルカ先生。」 「あなたは、人を殺す時にはいつもおぞましい方法で殺すんですか?」 それは抜け忍のあの男を殺した時のことを言っているのだろう。 「いつも、ではないですが。それがどうかしましたか?」 「確かに抜け忍は罪人です。殺されても仕方ないと以前に申し上げましたが、抜け忍にも家族がいるんです。殺すなとは言いません。ですが家族のことを少しは思いやるという気持ちはなかったんですか?同じ木の葉の忍びだった者としてせめて綺麗に殺すことはできなかったんですか?」 「無理な相談です。」 「何故ですかっ!」 廊下からざわざわと人の声が聞こえてきた。その中にゲンマの声も混じっているようだ。 「探し人が来たようですよ。伝達事項があるんでしょ?」 言えばイルカ先生は悔しそうに顔を歪ませて廊下へと出て行ってしまった。 「あれ、カカシ上忍、この時間にいらっしゃるなんて珍しいですね。」 ライドウがちょっと驚いてカカシを見て言った。 「アスマを待ってんのよ。あいつこういう時に限っていないよね。」 「しかしカカシ上忍、朝からそれはちょっとないんじゃないですか?」 カカシは何が?と聞いてきたアオバに顔を向けた。 「おしろいの匂い、結構しますよ?里内とは言えあまり濃いものをまとわりつかせるのはよくないです。」 真面目な顔で言われればちょっと身が引き締まる思いだ。 「そんなわけでもう少し範囲を狭めた方がいいと思うんだけど。アスマの方での情報収集も芳しくないんでしょ?」 アスマは頷いた。 「しかし大雑把に狭めるっつってもなあ。例えばどこから調べるんだよ。」 そうだなあ、とカカシは考えた。昨日の遊女の言葉が思い返される。そして今朝のイルカの言葉も。 「抜け忍の親族、或いは恋人、交友関係ってのはどう?」 「そういう奴らは一番最初に調べたに決まってるだろ?」 「そうなの?俺はそんな報告受けてないけど。」 「そうだったか、それは悪かったな。ナタネの奴がやってくれたから詳しいことはナタネから聞くといい。」 ナタネとは今回一緒に任務を遂行している上忍だ。やれやれ、また上忍待機室で待つことにしようか。 「紅、これ新作の団子なんだっ。食べる?」 「へえ、どこの?」 「甘甘堂!!」 「あら、あそこ団子売り出したの、饅頭の種類が豊富なだけじゃなかったのねえ。」 きゃらきゃらと笑うくの一たちにカカシはげんなりとした。もうどうにでもしてくれ。 「ねえカカシ。」 紅がカカシに声をかけてきた。 カカシは目でなにか用?と訴える。 「なるほど、聞いた通りだわ。」 「は?」 「おしろいの匂いがきついって怒ってたわよ。」 アオバか、そんなに気になってたのか。確かに真面目そうだもんな。 「悪かったね。今度からは気を付けるよ。しかしアオバも気にしすぎじゃないの?真面目なんだから。」 ここにはいない人物に向けてからかい混じりに少し笑って言うと、紅が首を傾げた。 「アオバ?私はイルカから聞いたのよ。あんたが朝からおしろいの匂いさせてるから子どもたちに悪影響与えるんじゃないかって。ここはアカデミーの近くでもあるからね。」 イルカ先生が?と今度はカカシが首を傾げる。そんなこと朝は言ってなかったのに。ああ、でもそんな話題に行く前にちょっと喧嘩っぽい口論もしたことだし、気まずくて言えなかったのかねえ。 「ちょっと、なんかそれ浮気した夫に詰め寄る妻みたいな感じじゃない?」 アンコがにしし、と笑って紅に絡んでくる。 「言われてみればそうかもね。案外イルカはカカシに気があるのかもね?」 紅はクスクスと笑った。くだらないねえ、あの人はただ単にアカデミーの子が心配なだけでしょ。 「ナタネ、任務ごくろうさん。」 「カカシ、お前がここにいるなんて珍しいな。そろそろ目的地に行った方がいいんじゃないのか?」 「いや、その前にお前に話しを聞きたくてな。」 「なんだ?」 「ま、場所変えるか。」 カカシはソファから立ち上がった。そしてあまり人の来ない、特に重要でもない資料室に入った。 「早速だが聞きたいのは抜け忍の親族、恋人、交友関係についての調査結果だ。特に目立ったことはなかったのか?」 「ああ、なかった。」 「なにも?」 「なにもなかった。」 「そ、悪かったね引き留めて。今日はもう家に帰るんだろ、おつかれさん。」 「カカシも任務がんばれよ。」 カカシはナタネの肩をとんとんと叩いて資料室から出て行った。そしてその足でアスマの自宅へと向かう。 「おい、親しき仲にも礼儀ありってなあ、」 食っていた蕎麦のどんぶりを置いてアスマはむすっとしている。 「そんなことよりちょっとまずいよ。」 カカシは土足でアスマの隣に座った。 「サンダルくらい脱げよ。」 「抜けてた俺も悪かったがお前もお前だ。抜けすぎだばかっ。」 アスマはもう口答えすまい、と再び蕎麦を食い始めた。 「ちゃんと聞けよ。俺らの情報は筒抜けかもしれない。」 「はあ?」 「ナタネが裏切っている可能性がある。それから今朝言ってた親族、恋人、交友関係の人物の情報収集を1からやり直す。」 「おいおい、何を根拠にそんなめんどくせえことすんだよ。」 「感だ。」 「帰れ。」 「聞けよ、ナタネに情報収集の結果を聞いたら何も目立ったことはなかったって言ったんだ。おかしいだろ、何もないはずがない。抜け忍だぞ。家族や恋人達は捨てられたも同然だ。私怨やら悔恨やら何らかの激情があるはずだ。あの抜け忍の母親は酷く嘆いていたとか、あいつの恋人はやけに冷静だったとか。そんな細かな情報だって重要な情報のはずだ。それなのに何もなかったなんて一言で終わるはずがない。あいつ、調べてないぞ。ナタネ自身に警戒した方が良い。しばらく泳がせて別の奴に見張らせるのがいいだろう。」 「おいおい、どうしてそこまで疑うんだ?もしかしたら本当に何もなかったかもしれねえだろ?」 「それにしたっておかしい。上忍の俺たちの情報収集能力はそれほど低いものじゃない。それなのに一週間も何もつかめないなんて、おかしいだろ、他里ならともかく故郷の里で情報屋の馴染みだっているってのにだ!」 「カカシ、神経質が過ぎるぞ。」 「だが一度疑いを持ったら晴れるまで信用はできない。仲間だからこそ、信頼に値するかどうかの見極めを誤らせるわけにはいかない。それに、俺の勘違いなら万々歳じゃないか。とにかく、そんなわけだから隊長よろしく頼んだよ。俺はとりあえず抜け忍の周りにいた人物の相互関係、諸々の資料をもらってくるから。」 「おいっ、カカシっ、」 アスマの言葉も聞かずにカカシは再び窓から出て行ってしまった。アスマの隣にはサンダルについていたであろう砂が落ちている。 「誰が掃除すんだよ。蕎麦だってのびちまったじゃねえか。」 だが、アスマは確信した。カカシの感は当たる。 |