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カカシは火影から資料をもらった帰り道、アカデミーにまだ明かりが点いているのを見て知らずうちにそちらへと足を向けていた。
イルカがいるかもしれない。いないかもしれない。
もしもいたら、その時は少し話しをしてもいい。
自分からはもう会わないとは言ったけれど、同じ里内でいつまでも無視をして生きていくわけにもいかない。
別に紅の言葉に触発されたわけではなかったが、イルカに何かしらの理由で嫉妬という感情があったならば、どうして抜け忍をあそこまでいたぶるように殺したのか、その理由を話してもいいかと思った。
我ながら後ろ向きな積極性だ。
アカデミーの建物の近くにあった木の枝の上で気配を消して窓から職員室を覗くと、そこには数人の職員がいた。その中にイルカもいた。
どうしたものか、職員室の中に入っていってもいいものだろうか。
今までほとんど受け付けか上忍待機室でしか会ったことがないし、職員室なんて入るのはもう一体何十年ぶりだろう。戸惑ってしまうのも無理はない。
と、職員室のドアが開いて一人の若い女が入ってきた。
一般の女だろうか、その気配に忍びの独特さはなかった。
「あの、海野先生、」
女の言葉を読心術で読めば、そんな言葉が読みとれた。驚いた、用があるのはイルカか。
女はイルカに近寄っていくと持っていた袋を手渡した。
「これ、職員のみなさんで召し上がってください。」
なんだ、別にイルカだけが目的というわけではなかったのか。
しかしアカデミーに一般の若い女が何故差し入れをする?
「あの、ありがとうごさいます。でももう、そんなに気を遣ってもらわなくてもいいんですよ。俺も怪我は治りましたし、それに、その、お辛いでしょう。」
イルカが複雑そうな笑顔を向けている。
イルカの最近治った怪我に関する女性?アカデミーの生徒でもかばったのか?
しかし母親にしては少し若すぎるような。としたら、抜け忍に関する女性?
馬鹿な、身内に抜け忍がいたとして、被害を被った場所にわざわざ赴くなどどれだけの面の厚さだ。
だが、だからこそ差し入れをして謝罪を?わからない。
カカシは持っていた封筒の中身を見た。そしてぺらぺらと中身を見た。
その中の一枚にその女の資料があった。
やはりそうか。名前はリュウサ、しかも俺がばらばらに殺したリーダー格の抜け忍の恋人だと?
イルカを意識不明の怪我まで負わせたことを知らないのか?
ありえる、イルカならばそんな辛い事実を親族に伝えずに接していてもおかしくない。
「でも、私はどうしても謝罪したい。正式に結婚はしていませんでしたが、私はあの人を心から愛していたから。だからこそ、贖罪したいんです。あの人の代わりに。謝罪と言っても大したことはできませんけど、こうやってお夜食を差し上げるくらいはさせてください。」
リュウサの必死な言葉にイルカははあ、と曖昧に笑った。
確かにどう言っていいのか解らないよねえ。
相手は女性だし、突き放すこともできないし、困ったねえ、イルカ先生。
なんだか見ていられなくてカカシはその場から立ち去ることにした。
こんなことしている場合じゃなかったんだよな。
さっさとこの資料をアスマに届けないと。里にとって有害な者はできるだけ早く排除しないと。
カカシは跳躍してその場から去った。
それから数日、言った本人が一番働くべし、とアスマに言われ渋々カカシは親族の調査を一人でやっていた。
細かな表情や抜け忍になった者へどんな感情を持っているのか、何かを暗示させる出来事がなかったかどうか、それは根気のいる作業だった。
そして4日かけてほとんど休まずに調べた結果、怪しいと思われる人物は3人見つかった。
一人は抜け忍になった者の弟、一人は母親、一人は恋人。別に色めがねというわけではなかったが、あのリュウサという女もその中に含まれていた。
アスマに報告し、怪しいと思った人物の追跡をする。
勿論ナタネには内密に行動している。ナタネはカカシたちとは別の追跡班が尾行しているらしい。
カカシはそのリュウサという女について追跡活動をしていた。
女は一般の里の人間だった。日中は普通の仕事をし、夕方になってたまにアカデミーに差し入れをもってふらりと現れる。
おかしなことに差し入れを持っていくのはアカデミーだけだった。
抜け忍の被害は子どもにも影響があったのだから子どもの家にも行けばいいだろうに、どうしてアカデミーの職員にだけ謝罪を続けているんだ。
以前謝罪に行って手ひどく門前払いされてそれ以来行かなくなったという事情もあるかもしれないと、さらわれそうになった家の子どもの家に聞きに行けば、そんな謝罪は一度も受けたことがないときたもんだ。
何を考えている?疑問は募るが、何を目的としているのか、大体黒幕なのか?それとも別にいるのか?とりあえず下手に動くよりも泳がせておかねばとひたすら尾行の毎日だった。
同じように弟と母親の方の尾行でも何もつかめない。
そんな状態がしばらく続き、抜け忍がアカデミーを襲って一ヶ月も過ぎようとしていたその日。
その日は朝から生憎の雨で、尾行している者にとってはあまりいい環境ではなかった。
身体は冷えるし視界が悪くなるほどの豪雨だった。
だが、この機に乗じて何かを成そうとするかもしれないのだからと、カカシはいつも以上に神経を研ぎ澄ませて尾行にあたっていた。
今日は休日で、いつもならばリュウサは買い物や図書館、映画館に行ったり、家でくつろいだりしているのだが、今日は違った。家で何か料理を作って包み、それを持って家を出たのだ。
こんな土砂降りの日にわざわざ出かけるのだから余程重要なことなのだろうか。
しかし、向かった先は想像を遙かにこえた場所だった。
恋人が死んで一ヶ月だから供養でもするのかとか、気晴らしにどこか一人でご飯を食べるのかとか、そういうことではなかったらしい。
着いた場所はイルカの自宅だった。
何をするつもりだと様子をうかがっていたが、いたって普通に呼び鈴を鳴らす。
そして出てきたイルカに持ってきた包みを差し出した。
「あの、今までありがとうごさいました。私、明日からアカデミーにはもうまいりません。今まで本当にご迷惑をかけました。」
「リュウサさん、」
「これは私からの最後の差し入れです。海野さんには本当に、何とお礼を言っていいのか。それに、本当に今まで申し訳ありませんでした。」
そう言ってリュウサは頭を下げる。イルカは頭を上げてください、とわたわたしている。
感動的なような、微笑ましいような情景に見えた。
が、カカシは見逃さなかった。リュウサの袖口にある硬質な何かを。イルカが包みを受け取ろうしたその瞬間、カカシは隠れていた場所から飛び出していた。
キーン、と何かがぶつかり合った金属音でイルカは我に返った。包みが転がって中から手作りであろう、食べ物が道に散乱している。
「とうとう正体現したね。イルカ先生を襲ってなにしようっての?」
カカシがイルカの目の前に立っていた。イルカをかばってできたのか、頬に切り傷がついていた。
「カカシ先生、これは、」
だがカカシは応えない。
そして目の前で木の葉のものではないクナイを握りしめているリュウサを睨み付けている。
先ほどまで健気にイルカに頭を下げていた彼女の面影はどこにもなかった。
そこには、殺意を向けてらんらんと目を輝かせているくの一しかいなかった。
カカシとリュウサは互いにしばらく睨み合ったままだったが、リュウサがにやっと笑ってカカシははっとした。
身体に微弱ながらしびれを感じる。毒か、クナイに塗りつけてあったのか、頬の切り傷がいやに熱い。
くそっ、このリュウサという女、上忍クラスだ。
しかも手練れ、こちらの身体がまだ言うことを聞く内になんとしても食い止めなくては。
イルカはカカシの背後にいてなにもできなかった。
二人の殺気に為す術もない。自分が突っ込んでいってどうにかなる状況じゃない。
それに、休日とは言え気を抜いていたからか、武器を何も身につけていなかった。
丸腰のままの助太刀なぞ足を引っ張るだけだ。
なまじ教師としてそれなりに長い間子どもたちに指導してきたと言うのに、自分が情けない。
カカシが先に動いた。クナイでリュウサの急所を狙う。が、リュウサはひょいひょいと交わしてしまう。
だめだ、しびれたままでは決定打がきまらない。こうなっては死ぬ覚悟で向かうしかない。
カカシは額宛てを外した。しびれて印を結ぶ手も震えている。使い物にならない。
ならば写輪眼で少しでも相手の行動を見極めて少しの隙でも見つけなければ。
カカシは赤い目を晒す。激しい雨が視界を曇らせる。
リュウサが妖艶な笑みを浮かべてカカシに襲いかかろうとしたその瞬間、カカシのクナイがリュウサの腕に深い傷を作った。
リュウサは顔を歪ませるとそのまま逃げ去った。イルカが追おうとしたが、カカシが手で制した。
「相手は上忍クラスです。あなたでは勝てない。手傷は負わせました。それだけでも相手の行動を制約できます。それよりも申し訳ないんですが、医療班を呼んでください。」
「毒ですね、戦いを見ていて判っていました。俺の家に毒の効果を遅らせる薬があります。とりあえずそれを、」
「いえ、毒に堪え性はあるのでしばらく苦しんでもいずれ治ります。今は毒ではなく、少々へまをして怪我をしてしまったので、」
イルカは慌ててカカシの正面に回って怪我の程度を見ようとして、だが顔を引きつらせた。
正面のいたる所にクナイが何十本も刺さっていた。
後ろからでは見えなかった。イルカに見せないようにしていたとしか思えない。
下手に抜けば出血多量で死ぬ。だが、恐ろしい程の苦痛だろう。
イルカは慌ててできるがきり早い式を飛ばした。
カカシは目の前で雨に濡れているイルカを見てにこりと笑った。途端、イルカは泣きそうな顔をする。
ああ、こんなことならもっと素直になっていれば良かった。...馬鹿だな。
激しい雨に身体の血が流れ出る。寒い、血の気が引いていく。里内でこんな無様な姿、エリートだ暗部だと言われてた男がなんてみっともない。
カカシはその場に崩れた。すぐ側にいたイルカがカカシを抱き留める。
「どうして俺なんか助けたんですかっ、あんた馬鹿ですかっ!」
確かに、イルカをわざと襲わせてその瞬間にカカシが片を付けていればここまでの凄惨な状況にはならなかっただろう。
だが、そんなわけにはいかないじゃないか。もう二度と、包帯ぐるぐるの芋虫なんか見たくない。
「ま、恋は人を狂わせるそうですから。俺は間違っちゃいませんよ。」
咳をしてゴボっと血が胃からはい出てきた。うーん、グロいね。
カカシを見るイルカの顔つきが悲壮に歪む。
こんな顔が見たいわけじゃないのに、うまくいかない。
「はぁ、願わくばあんたには、笑っていてほしいんですけど、無理な話ですか?」
「そんなに、俺の笑顔がいいんですか、」
「うん、イルカ先生が笑ってくれると、ひどく安心する。どんな残酷で非人道的なことをやった後でも、自分は、人だったんだって、思い出せるから、」
息継ぎが苦しくなってきた。
「理由を、訳を言ってください。どうしてそこまで俺にこだわるんですか。」
朦朧とする意識の中で切実なイルカの声か聞こえた。
「すき、だから、」
一気に暗くなってしまった意識にと共に、全ての感覚がなくなった。
どんどん冷たくなっていくカカシにイルカは為す術もない。医療班はまだなのか。
果てしなく長いと感じるその時間、イルカはただただ、カカシを抱きしめることしかできなかった。
医療班が到着する頃、雨は小降りになり、空からは場違いな程の清々しい青空が覗いていた。
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