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1. ハナミズキ
海野イルカは森の中を歩いていた。大きな籠を担いでいるが中には何も入っていない。
季節は皐月。そろそろ日差しも強くなり山歩きなどをすれば汗ばむ季節である。本日は晴天、日差しも良く雲ひとつ無い。だがその日差しがこの森を照らすことはない。
異常とも言える花水木の群生が日差しを妨げているのだ。身体を動かしているのでそれほど寒くは感じないが、それでもひんやりとした空気に時折身震いしてしまう。
風ひとつ吹かず、虫の音も動物の気配すらない。
ただ、咲き乱れる花水木の花だけが色彩を埋めるように延々と咲いている。
濃い紅色、薄い紅色、白色、混ざり合った色。かわいらしい花は、だがイルカに心の安らぎを与えはしなかった。
恐ろしいのではない。彼女が怖いのでは決してなくて。
イルカは立ち止まった。
目の前に立ち入りを硬く禁止する注連縄が張り巡らされた鳥居が現れた。湿気が多くじめじめした森の中だというのにこの朱塗りの鳥居はいつまでも美しいままだ。
イルカは辺りをきょろきょろと見回した。こんなところに来る物好きはいないだろうが、それでもこの現場を見られるようなことがあってはならない。里でもほんの一握りの者しか存在を知らされていない場所なのだから。
誰もいないことを確認すると、イルカは息を大きく吸った。
「ヒスイ、俺だ。ここを開けてくれ。」
これでもかと言うほどの大声をあげると、注連縄がぼとり、ぼとりと瞬く間に朽ちて不自然に落ちていく。まるで椿の花が落ちていく様を見ているようだ。そう、椿の花が落ちるのを、人の首が落ちるのに例えるように。それはいともあっさりと、禍々しく。
『きてくれたの?』
微かな、だがしっかりと聞き取れる少女の声がゆらゆらと響き渡った。
「ああ、今年も来たよ。久しぶりだったな。」
イルカの言葉を喜んでいるかのように花が舞う。まだ咲き時で落ちることはそうそうないはずの花水木の花が、風もないのに辺りに舞う。
『いらっしゃい』
言葉に従うべく、イルカは鳥居をくぐった。
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